西穂ー奥穂縦走

 

[期日]  2002/11/23(土)〜25(月)
[山域] 北アルプス 新穂高温泉〜(ロープウェイ)〜西穂高岳〜奥穂高岳〜涸沢岳〜涸沢岳西尾根)〜白出谷〜新穂高温泉
[メンバー] T嶋・N村・O坂・S・H谷・S木
[記録]
 11/22(金) 京都21:30(京都東〜飛騨清見 高速利用)2:00新穂高温泉
 11/23(土) (7:00起床)新穂高温泉8:30(ロープウェイ)8:50穂高9:10-10:10西穂山荘10:20-12:00西穂独標12:10-14:00西穂高岳14:10-16:00間ノ岳コル
 11/24(日)(5:05起床)間ノ岳コル7:15-10:00天狗コル-12:00ジャンダルム西穂側12:30-14:00奥穂高岳14:10-15:10穂高岳山荘
 11/25(月)(4:00起床)穂高岳山荘5:20-5:55涸沢岳-8:00蒲田富士-10:20白出谷-11:15新穂高温泉林道ゲート〜(温泉・昼食、飛騨清見〜京都東 高速利用)19:00京都
[文責] H谷


[雑感]
 冬山の経験と言っても、せいぜいハイキングに毛が生えた程度しかなかった。
 プレ冬山で西穂〜奥穂の縦走プランを耳にして、強烈な誘惑に駆られた。しかし、気になるのは自分の力量不足だ。
 本番1ヶ月前に迫った時期に、恐る恐る(今回の山行のリーダーである)T嶋さんにメールを出した。「混ぜていただくことはできますか?」…「歓迎します」。
 冬の北アルプスなど、山岳会3年目くらいにはじめて行くことが許されるルートであると思っていただけに、素直にうれしかった。

 ところで手を挙げたはいいが、Webや雑誌で情報を漁ってみると、どうやら一筋縄ではいかないようだ。
 本当に今の状態で行けるのだろうか? 11月に入ってからジョギングの距離が目に見えて伸びた。9月の表銀座以来、泊まりがけの山行をさぼって増えた体重は、GW直前の状態まで絞った。「次をどうするのか考えて登れ」アイゼントレで指摘を受けたコメントを、
寝る前に何度も反芻した。
 これで行けなければ、素直にあきらめよう。

11/22(金)天気:晴れ
 21:00に京都駅に集合、21:30には出発する。東海北陸道経由で、高速道路の区間はH谷が運転。少し飛ばし気味に2:00には新穂高温泉駐車場に到着、仮眠をとる。天気予報どおり空には星が瞬く。雪は駐車場の脇についている程度だ。

11/23(土)天気:快晴
 ロープウェイの始発が8:30と遅いため、7:00の起床となる。同時に入山する西穂ピークハント組より一足早く山頂駅を出発する。
 山荘まではトレースのついた道をウォーミングアップよろしく進み、西穂山荘からアイゼンを装着。独標へのなだらかな登りが心地よい。稜線は無風の快晴。笠ヶ岳・焼岳をはじめ、乗鞍・御岳・八ヶ岳まで視界に入る。槍が手に取るように近い。空気がそれだけ澄み渡っているのだ。この時期に、これ以上恵まれた天候はない。
 独標からはクライムダウンが必要な箇所が出てくる。西穂高岳ピークからヘルメット・ハーネスを身につける。トレースも消えて、いよいよ本番だ。

 ロープウェイでは「もしかしたら、穂高岳山荘まで行けるのではないか?」などとうそぶいていたが、西穂からのアップダウンをこなすうちに甘い考えであることを知ることになる。
 西穂からの下りが、いきなり切れ落ちた雪壁だ。しかも雪質はさらさらでつかみどころがないときた。2つ目の小ピークの下りは鎖場になっており、懸垂下降で下る。グローブのアウターを外して下ったが、再び装着しようとしたところ手が滑って落としてしまう。
「あっ」取りに降りようと考える間も与えず、グローブは一瞬で上高地へ吸い込まれていった。幸い予備を持ってきて助かった。どうやら、一歩たりとも気を許すわけにはいかないようだ。
 このルートは7月に縦走したが、雪がつくと夏とはまるで難度が違うことがわかった。
雪の質は根雪か新雪か、足で確かめるまでわからない。雪面を足場にしようとして底が抜けたときなど生きた心地がしない。保険とばかりにピッケルを雪面に差し込もうとするが、岩にすぐに突き当たって用をなさない。岩場のわずかな凹凸を頼りに、慎重に進むしかない。

 時刻は15時を過ぎた。間ノ岳の手前が幕営適地となっており、夜行明けの疲れも手伝ってここで行動打ち切りとなる。
 今回の幕営用具はテント3人+ツエルト3人。ジャンケンの結果、T嶋・N村・H谷の3名がツエルトでビバークすることに。
 冬の3000mの稜線でテントを張らずに寝て無事でいられるものなのか? でも決まってしまったものは仕方なく、スコップを手に寝床をせっせとこしらえる。ツエルトを張るためにT嶋さんがハーケンを打っている。なるほど、こんなときにも登攀具は使えるのだ。
 夕食はペミカンカレー。辛口の味付けがまた食欲をそそる。O坂くんの力作だ。
 
 Sさん・O坂くんは出発したときから身体の不調を訴えていたが、あす2人でもときた道を引き返すという。
 この話を聞いたとき、ぼくの心にもさざ波が立った。
 しかし、こんな天気の良い機会を逃してしまっては、このルートを縦走する機会は永遠に失われてしまう。それに、ぼく自身の成長はここで止まってしまうだろう。
 あしたは、午前中は晴れるようだ。核心部を通過するのはせいぜい午前中。きっと、大丈夫だ。

11/24(日)天気:晴れのち曇り
 好天に恵まれ、考えられる限りの厚着(目出帽で顔を覆い上はフリースを含めて4枚、足はブーツのインナーを履いたまま)をして臨んだため、ツエルトでも快適に眠ることができた。
 5:00起床、装備を振り分けなおして7:15に出発、SさんとO坂くんとはここで別れる。逆層スラブの間ノ岳が目の前に迫る。

 稜線は無風、飛騨側に若干ガスが出ている。ガスに自分の影が映るブロッケン現象に出会う。とはい見とれているような余裕はない。相変わらず崩れやすい浮き石・微妙な雪壁の連続だ。登りは勢いでこなせるが、下りは繊細な神経が求められる。
 「今の足場は確実か?」「次の足場をどうするのか?」基本に忠実に従う。どんな場所でも一緒だ。

 ルート判断を要しないラッセル・簡単な尾根歩きの区間はH谷、微妙なアイゼンワークが求められる区間はN村さん、ザイルを出す判断はT嶋さん、と、トップの分担が暗黙のうちに決まっていく。ところでS木くんは1:25000地形図に磁北線を引いて、下降・分岐のポイントを詳細に記して休憩ごとに地形を確認している。これまで昭文社のエアリアマップに依存していたぼくなど、舌を巻くほかない。
 この日は天狗のコルへの下り・ロバの耳の下りの前で2回懸垂下降した。いずれも、夏道の鎖の支点を使った。
 本番でザイルを出さねばならないような場面では、足場も状況も、ゲレンデでのそれよりもはるかに切迫している。失敗が許されない状況で確実に支点をセットし下降する。もしぼくがトップを求められても、今の技量では及びもつかない。
 正午前になって後半の核心-ジャンダルムのトラバースにさしかかる。N村さんが苦闘しながらもルート工作していく。ぼくたちはセッ
トされたザイルにスリングをかけ、プルージックで横断する。狭い足場ではずり落ちると思い、下方に足場がないか目をやるが、雪のつき具合が実に微妙だ。果たして体重を預けるが、アイゼンの歯ぎしりが断末魔のようにこだまする。冷や汗が全身から流れる。それでも、腕力にものを言わせて何とか乗り越えた。このルートは、ぼく1人では手に負えないようだ。

 最後の難所-馬の背を越えると奥穂高岳の山頂だけガスがきれいに晴れた。心憎いばかりの自然の演出だ。じわりと場を詰め、14:20、奥穂高岳の山頂に到達。ひとまず第一目標はクリアした。しかし、雑誌によるとここから油断して事故を起こすパーティが多いという。やはり、最後まで気は抜けない。
 穂高岳山荘に到着したのは15:00。行動を続けるか微妙な時間だ。明日天気が悪化するのを見越して、多少無理してでも涸沢岳西尾根の樹林帯まで下ろうとする考えもあったが、明朝早く行動することを前提に、穂高岳山荘で行動を打ち切る。スコップで入口を掘って冬季避難小屋に入る。中は詰めればゆうに30〜40人は入れようかというスペースを貸切状態だ。しかも電気もあれば備え付けの食糧もある。ありがたくカップヌードルをいただく。これは僥倖とでも言えばよいのか。カップ麺がこんなに美味しく感じるなんて。とりわけ昨夜をツエルトで心細く過ごしたためか、ありがたみが増幅されるようだ。

11/25(月)天気:雪(下界は雨)
 4:00起床、5:20出発。暖かいと言えるくらい快適な一夜を過ごした。出発当初はヘッドランプを点灯して登る。涸沢岳には一登りで到着、冬季ルートの涸沢岳西尾根に踏み込む。粉雪が穏やかに舞う中、地形図・高度計・コンパス・勘を動員して進む。一瞬、尾根上のピーク-蒲田富士が見えた。どうやら正しいようだ。この尾根は冬山では比較的登られているためか、判断が必要なポイントにはロープがフィックスされている。蒲田富士へは急峻なルンゼをクライムダウンで下る。登りでこの斜度のラッセルは堪えるに違いない。
 しばらく雪庇に注意しながらの尾根歩きが続き、樹林帯へ入る。雪が心なしか深くなってきたようだ。ラッセルはひととおり交替、沈むところは輪かんを着けて進んだ。樹林帯に入ってからは視界も利かず、左右に判断を求められる微妙な尾根別れが続く。しかし、ここまで下ると微妙なポイントには赤布がついていた。
 次第に雪は浅くなり、笹藪が顔を出しはじめる。地面が平らになったと感じられたとき、トレースのついた道に出る。ようやく夏道に出た。雪はいつの間にか雨に変わっていた。さてここからは消化試合、新穂高温泉へは忍の一文字でひたすら歩く。
 穂高平避難小屋でO坂くんと連絡がついた。新穂高温泉の林道ゲートに着いたときには、Sさんが車を回してくれていた。
 帰りは新穂高温泉の無料浴場で疲れをいやす。さいわい平日、貸切状態だ。
 
 いまでも、あの険しい尾根を冬山同然の時期に歩いたことが信じられない。
 「自分の求める山」といった崇高な理想を持ち合わせているわけではないが、もう少し自分の満足ゆく姿を追い求めることができる気がしている。
 

始末書

 

出発3日前くらいから風邪を引き始める。熱はないが、鼻水が出て体だがだるく寒気もする。家で安静にしているが出発までに完全に回復することはなかった、が行動はできると思えるぐらいには体調は戻っていた。新穂高に向かう途中、西穂で引き返すことになるかもしれないと考えるがあきらめ切れないところがかなりあり行動中に判断することにしたがその判断基準を明確に自分の中で作ることはなかった。

朝になっても体調は今ひとつでありロープウェイで上に上がり出発間際に松田さんに体調がよくないので西穂で引き返すかもしれないということを話すがこの時はロープウェイの景色を堪能した後であり最期まで行く気はかなり強くなっていた。

山荘まではどの程度体を動かせるかを確認するために自分がトップに立ち少し早いと思えるスピードで歩いてみた。この時はスピードを出したせいでの疲れは感じたが体調の悪さからくるものを感じることはなくこれはいけるのではないかと期待が膨らんできた。体調はよくないが行程をこなすには体力的に事足りるのではないかとおもってきた。独標まではあっさりと着いたがここからトレースがなくなり少々厄介なところも出てきだした西穂に着くのにそれなりの時間がかかってしまった

さて西穂についたときの判断基準は次のようなものになっていた。

‘2日で行程を終える。

‘体調が今とあまり変わらない。

‘天気が持つ。

今考えてみても上記の条件はかなり不確実なものであり、特に2つ目は、判断基準にはなりえないものである。天気は十分持つだろう、だが体は動くが自分の体調が今ひとつわからない。行程にしてもここまで思ったより時間がかかっておりこの先も予想以上にかかる可能性が高い。少し冷静に考えれば帰るという結論が出てくるのだが、上の条件が満たされる可能性を捨て去ることができなかった。その結果自分の欲求に従うことになった。

その日の行動は間ノ岳てまえのコルまでであったが最後の登りでふいにゲップ(!?)を2度し吐き気を催した。この時にして、ようやく体に相当の負荷をかけていたことを悟る。この時にしてやっと帰ることを決めた。

しかしこの状況ではとき既におそしとなっており、体調が悪いと言って帰る者を一人で帰すわけにも行かずリーダー及びその場にいた全員に余計な問題を作ってしまった。Sさんが付き合ってくれることになったがせっかくの機会を防げることができた問題で無にしてしまって非常に申し訳ありませんでした。

テントでは息苦しく頭が痛くなり高山病か?と心配するが起きてみたところ頭痛は少しするが体力的には回復していた。下山は急がずにゆったり歩く。少し疲れやすかったように思うが割りと早く安全圏の西穂小屋につくことができた。

こういう事態を招いたのは自分の甘さ、都合のいい期待をしたのが原因であった。西穂から先で引き返す場合他の人に迷惑をかけることになるというのはわかっていたのだが先に進みたいという気持ちを抑えることができなかった。西穂についた時点で体調がもっと自覚できるくらいに悪ければすぐに引き返すのを決断できたのであろうが、今回のように自分では体調がどの程度悪いのかわからず、体が動くというときには判断が難しくなる。しかし悪くなった事態を想定できればきちんとした判断ができているべきだった。又、次回にもう一度来ればいいというくらいの気持ちの余裕もあればよかったように思う。総じて自分のミスが原因である。反省して2度と起こらないようにします。奥穂隊また西穂隊の方々にも大変迷惑おかけました、申し訳ありませんでした。

O坂