青い空白い雪・西穂高岳

 

【 期間 】 2002/11/23〜24(土〜日)

【 参加 】 LM田、SLN川ゆ、K山、U田、Y形、K野、M山、O川、T嶋あ、T井

【 山域 】 北アルプス

【 山名 】 西穂高岳(ピラミッドピークまで往復)

【 形態 】前夜発・西穂山荘テント泊(1泊) ・ロープウェィ使用

【 地図 】 2万5千・笠ヶ岳・穂高岳

【 資料 】日本雪山ルート集(山と渓谷社)

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11/22日(金) 自宅21:30→京都駅22:30→

11/23(土) 新穂高温泉4:00着・仮眠・起床7:00→ロープウェィ8:45発→ロープウェィ「にしほだかぐち」9:25発→10:30着・西穂山荘テン場11:40発→独標13:00→14:25着・ピラミッドピーク14:50発→15:50着・独標16:15発→17:00着・西
穂山荘テン場・就寝21:00

11/24(日) 起床6:00→テント撤収・出発9:00→9:25着・ロープウェィ「にしほだかぐち」→西穂駐車場10:30→福地温泉「昔ばなしの里」→帰宅20:30

【天気】晴天

【食料計画】

23日夕食…カレー・ポテトサラダ

24日朝食…たらこパスタ・ポタージュスープ

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快晴の西穂高。空には雲一つ、染み一つない。真っ青な空が広がっていた。雪の白さとは対照的により青く見える。この時期毎年恒例の会山行であるが、年度によって雪の状態が違っている。一昨年の涸沢岳西尾根は全く雪がなく、新穂高の林道を出発したとたんに足の裏に水ぶくれが出来てとても辛い山行となった。西尾根も雪が付いていないと、単なる藪こぎである。プラブーツの足には酷な山行であった。

地上は晩秋のこの時期の山は厳冬期の厳しさがなく、それでいて雪山の美しさが味わえるとても良い季節なのである。だから私は、今までも進んで参加してきた。

じつは、今年は早いうちからかなり冷え込み、山は大雪になっているという情報が入っていた。遭難のニュースもあったりして、そのために私は天気が異常なほど気になっていた。一週間前から天気予報はもちろん積雪情報をネットで調べたりしていた。ホシダで会ったK山岳会の人が、2週間ほど前の穂高に入ったときの困難な状況を話し、八ヶ岳に転進したといっていたのと、週末の天気がネット上で最初悪かったのとで、かなり心配していた。しかし、週末間際になると天気予報は一変して晴れになった。しかし出発の前日、念のために西穂山荘に電話を入れてみた。今までずっと曇か雪でその日も雪が舞って風もあり、独標から先に人が入った形跡はまだないという話であった。

なぜか今回は当日まで天気のことが気になって仕方がなかった。こんな心配性を、あざ笑うかのように、天気は私の予想を外してしまった。この呆れるほどの晴天に私は気が抜けてしまった。しかし本当のところラッキーだった。山は天気次第だとつくづく思った。

特に冬山は、天気が良ければ寛大になるが、天気が悪いと厳しくなる。いつもいつも、こんなに温かく迎えてくれるとは限らない。その分、この希少価値の眺めをいつまでも心に残しておきたい。
 
今回は総勢16名という大所帯の山行である。そのうちの6名は縦走組で西穂〜奥穂〜涸沢岳〜涸沢岳西尾根というコースで、われわれ西穂ピストン組10名とは最初から別行動となった。

京都駅にいつも通りの集合。二台の車に別れて出発。ロープウェィの始発は8時半。もう少し始発は早いほうが助かるがしかたがない。その分仮眠は充分とれた。私は切符購入のために8時前に行ったがすでに人は並びはじめていた。みんなが到着したときにはすでに長い列が出来ていて、5分おきの臨時が出ていたものの、乗れたのは8時45分だった。

乗り換えの2階建てロープウェィはかなりの速度で高度を上げていく。周りの雪を被った山々が目に入るたびに、観光客からは「ウォ〜」とどよめきが聞こえる。周りの景色を見ていると当然だ。本当に素晴らしい。私もこの快晴の中、高度があがるにつけて期待に胸が膨らんでいく。ひときわ印象に残ったのは、今年中に左方カンテに登りたかったのに行けなかった、錫杖の勇姿である。もうかなり、雪が付いている。向かって右の方に雪が詰まっているルンゼが見えるが、あれは前に登った3ルンゼであろうか…。そんなことに思いを馳せているうちに「にしほだかぐち」に到着。人混みと一緒に外に押し流されていた。一面の雪景色。ここは真冬であった。先のロープウェィで出発した縦走組がいたがここでお別れとなる。

縦走組に少し遅れ、われわれも西穂山荘のテン場を目指した。樹林帯の間から見える穂高の稜線に、感激した。槍の穂先も見える。真っ青な空に、そこだけ灰色に真っ白な稜線から突き出ている。富士山と一緒であきらかにそれと分かる姿は誰をも引きつけるようだ。人は槍や富士山などの山を目で追い、見つかるとどんなに小さくとも感嘆の声が湧く。不思議な現象だ。

最後の急登が長く、私は疲れた。テン場の雪は、フカフカだ。着くと早速整地を始める。上の方に先に行った縦走組みが見え目で送る。私たちもテント設営を済ませ西穂に向かって出発。11時頃には出られるかと思っていたが、すでにもう昼前になっていた。独標まではなだらかな登りである。夏道は這松と大きな石で結構歩きにくいが、雪で快適に歩ける。写真を撮りながらのんびりと歩く。ときどき振り返ると後に焼岳が見え、どんどん下になる。その向こうには、乗鞍岳が墨絵のように美しい。左は白く塗られた笠の稜線。右は梓川の上にそそり立つ霞沢岳。雪稜に入会まもなくのころ、新島島から徳本峠を経て、霞沢岳に登ったのを思い出した。こちらから見ると、こんなにも大きい山なのだと、雪を被った霞沢岳を見ながら思った。

もっと、遠くにはいく重にも折り重なった墨絵のグラデーションの山々。これらはもう一服の絵としての鑑賞だけの存在価値で十分であろう。登るに連れて、視界も広がっていく。

独標の最後の登りは岩稜である。ここまでは、けっこう沢山の人が入っていて、狭い頂は混んでいた。2000年の夏に西穂から奥穂に縦走したときのことを思い出した。その時はガスで視界があまりなく、ここでオコジョがひょっこり顔を出し、愛嬌のある表情で愛想を振りまいてくれたのを思い出した。もっと前の夏、西穂をピストンしたときは真夏の青空。今回の青空とはまた違う。風景も印象も、それぞれ違う。山は何回来ても違った表情で向かえてくれる。だから飽きないのだろう。

ここから先は、岩稜歩きでクライミングの要素が必要になってくる。前に来たときの記憶は飛んでしまっている。「へぇー、こんなとこやったんや」と思うほど高度感のあるところもある。岩に雪が付いていると、やはりいやらしい。やっぱり、フリーをやっていて良かったと思う瞬間でもある。お陰で岩場は楽になった。

次はあきらかに三角形の形をしたピラミッドピークを目指す。ここは、独標よりは少し狭い。前方まだまだ遠くに西穂が見え、そこから奥穂・吊り尾根・前穂・明神岳と続いている。記念写真を撮ったりして、のんびり過ごす。時間は午後2時半。リーダーの判断で、西穂ピストンは諦めて引き返すことになる。時間的には仕方がないと、私も思う。この展望でかなりの満腹感を味わっていた私に不足はない。

元の、道を引き返す。徐々に夕日に照らされた展望も二度美味しい。夕日に染まる山々。真っ赤な太陽。降りるにつれて、変化していく風景に私は酔いしれていた。そして、太陽が沈んだあとの静寂に、一変して寂しさを感じる。

もう、ほとんど山荘に近くなっていたが、薄暗い中に雷鳥が1羽じっとしている。冬毛で真っ白。近づいても逃げない。充分写真を撮らせてくれた。私は冬羽の雷鳥は初めて見たので感動した。あんなにも見事に自然の色彩に換羽する雷鳥に自然の不思議を思う。人間もふくめて生物は大きな大自然に抱かれて生かされていることを、つくづく感じてしまった。


テントに戻り、夕食の準備に掛かる。水作りから始まる冬の食事はどうしても遅くなる。大きな鍋いっぱいのカレーが、綺麗になくなる。心身共に満腹感でいっぱいになる。

朝になるともう帰るのだと思うと残念だ。折角重い荷物をもって登ってきたのだからもう少しいたい気持ちもするが、仕方がない。また来たいと思う。