京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動◆京都岳連加入◆
メンバー | タカシマP:タカシマ、カタヤマ、オオサカ、マルヤマ オオツカP:オオツカ、ツクイ、ナカガワ(ユ)、ナカムラ、ツルオカ |
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目的 | バリエーションルート入門II |
期日 | 2002年4月19日〜4月21日 |
山域 | 長野県 白馬連峰 |
ルート | 登山口−和田山牧場跡−ダイレクト尾根−野伏ヶ岳頂上−スキー滑降−和田山牧場跡−登山口 |
山行形態 | 残雪期アルパインクライミング |
地形図 | 白馬町、白馬岳(1:25000) |
概算費用 | 約9,000円 |
19日 京都駅を午後10時すぎに出発、二俣につき、テントを張ったらもう午前4時。白馬は遠い。
20日 翌朝6時半起床。今回はゆっくり行くつもりなので、あわてることはない。周りで用意していたパーティがすべて出払った頃、ようやく出発する。猿倉までは長い林道歩き。猿倉からは雪の上を歩く。主稜がだんだん迫ってくる。絶好の天気が災いして、猛烈に暑い。のどが渇くが、水はわずか500ml。雪を足しながら飲む。気温が高いせいで、すぐに水になるのが嬉しい。とりつきからは、だだっぴろい斜面をひたすら登る。先頭はカタヤマ氏。3回大休止をして、ようやく稜線に出る。きれいな稜線だが、あまりに見事なトレースは余計だ。が、そのおかげで快調に雪稜をたどれる。カタヤマ氏が疲れており、また時間も押していたので、7峰頂上で行動を打ち切る。オオツカPはまだ先へ進むそうだ。彼らの晩御飯を襲撃しに行こうと思っていたので、ちょっと残念。我々は立派な雪洞をほる。食事は外でする。テーブルと椅子を作って、白馬をあおぎながら、のどかに・・・というわけにはいかなかった。詳細は○ヤマ氏から報告がある。食後、雪洞に移る。まだ6時半だというのに寝る。
21日 4時起床、5時20分出発。天気は午前中なんとか持ちそうだ。ナイフリッジが続くが、雪がしまっているので快適だ。ここを午後に通過したオオツカPはさぞかし苦労しただろう。3峰まで2時間はかかると思ったが、わずか1時間で到着。出発の準備をしていたオオツカPに合流する。2峰をこえ、核心部までは広い雪稜。トレースをたどるだけで、おもしろみはないが、景色は最高だ。核心部も、トレースばっちりで、なんら問題はないが、練習がてらロープを出す。50mロープでは上まで届かず、だましだましのビレイでなんとか上までオオサカくんを送る。カタヤマ、タカシマ、マルヤマの順番に上がる。ちょうど8時すぎ。後続の最後があがってくる頃には、すっかりガスにまかれ、小雪が降り始める。記念撮影をして、下山。大雪渓は、最初はグリセード、そのあとシリセード。快適。雪が雨に変わる。二俣までの長い長い道、ずぶぬれになりながら歩く。蔵下の湯でさっぱりしたころに、雨が本降りになってきた。
混雑する主稜は、なかなか気が進まなかったが、今回のように、時間をずらしてゆっくりいけば、前後のパーティを気にすることもなく、心ゆくまで雪稜を堪能できることがわかった。今回は、軽量化につとめたせいで、荷物もかるく、散歩気分で楽しめた。なによりも、これだけの人数で主稜に行けたことは、会にとっても大きな意味があると思う。
夢の白馬主稜を登った。最高の一時でした。取り付きから頂上まで急登が続きます。私の眠気と体力不足から、我々グループは、七峰で雪洞を掘り、そこで一日目の行動は終了した。翌日は5時30分行動開始、8時頂上と順調に元気に登れた。終始マイペースで登らせてくれたチームリーダーには感謝、感謝。一日で抜けるコースと聞いていたが、一日ではきついと感じた(思う)。一に体力、二に体力…
初日 一日の初めから終わりまで眠気のせいで、集中力、気力、いろいろな面で苦しめられてしまった。
白馬尻から見る主稜は広い山容の中にあって、何となくそれと分かるぐらいで、ナイフエッジの続くうねりある尾根というイメージとそぐわない。
広い斜面を登り、七峰へ。高度間がぐっと出てきて、目の前に、まさに期待通りの白い雪稜が続く。アドレナリンが体の中を伝わるのを瞬時に実感する。が、今日はここで雪洞掘りとなる。少し残念だが、楽しみは明日へ取っておこう。明日の午前は晴れるらしい。
雪洞を掘り終え、まちにまった夕食となる。この文章は不特定多数の人の目に触れることもあり、本人の名誉のために、詳細は省くが、○ヤマさんが料理当番になる日は二度と来ないと思う。
次の日 いざ出発。天気はいまひとつ。雲が沢を登ってくる。どれだけの体積を占めているのだろう?すごいスケールだ。だが今日のことを考えるといまいましい。本日も寝不足のまま、早朝のためエンジンも上がらず、ただ雪稜を歩く。二時間弱で頂上直下の雪稜に着く。ここをリードし、一人稜線で、みなの到着を待つ。下をのぞきこむと、白い強烈な雪稜がうねうねと続いている。この雪稜を不十分にしか味わっていないと悟り、ショックを受ける。この悔しさは、戸隠、鹿島等の真冬の尾根で返したいと思う。
その後、スキーで大雪渓を下る。すごいスケールだ。下り出しは雪も悪くなかった。下っていくと、すぐに小雪が雨へと変わっていき、雪質が悪くなる。頭から突っ込んでころんだこともあった。下に着いたとき、足がすごく疲れていた。滑りはいまいちだったが、スキーの重みから開放された解放感。大雪渓のスケール等合わせて、十分に楽しむことができた。
白馬岳は色々な所で写真やポスターが貼ってあり人気も高い。一度は行ってみたいと思っていた。今年の夏休みに行く計画を考えていた矢先に白馬主稜の計画が出た。白馬主稜に参加できて運が良かった。そして、雪稜クラブに入会して初めての雨での山行となった。今回の山行にも色々と思いがあるが、私の白馬主稜の核心は20日(土)夜御飯を差し置いては他に無いだろうと思う。(私が食料係でした。)タカシマLより軽量化したメニューを考えるようにとの指示を受けたので生物を排除し全て乾物(フリーズドライ)とした。そして、タカシマLにメールにてメニューの内容を送信した。タカシマLよりメニューの内容を見る限り5人分程度の量があるのでは?という返答だった。(タカシマLチームは4人だが、4人分では足りないと思ったので一人分程度、食料を多く設定していたのだが。)最終的には食料を4人分に調整した。その結果、一人当り2食分で約300gとなった。そして、今回の山行の核心にあたる卵雑炊の登場となる。卵雑炊を作る前にタカシマLとこの食材ではどう間違っても失敗する事はありえないと笑いながら話していたのだが!?・・・詳細については、ミーティングにて。(省略)
白馬主稜、私なりの食料計画の考察。
1.食料の軽量化と食料費の比例。(なるべく、スーパー等のお徳用で揃えた方が安くなる。)
2.一人当りの食べる量の共通化(事前に打合せをしなかったのが失敗、食料が足りなかった)。
3.インスタント食品だからと思っていい加減な作り方(手間を省く)をしない事。
今回は、食料について考えさせられる山行となった。軽量、食料の量、味。全てを満たす事の困難さ。インスタント食品の落とし穴。(簡単に出来る上に失敗しないという固定観念)少なからず学ぶ事できた。この失敗は今後の良い教訓となると考えて、私なりに納得している。しかし、私以外のメンバーの方にはメリットがない。せめて中々、世の中では食べる事のできない食べ物を食べたと話題にしていただければ幸い(災わい?)です。山行も無事終了し、良くも悪くも話題を提供できた。これからも話題を提供できるように努力したい。雪稜クラブの悩みの種の一つが発芽したかもしれない。
まだ緊張感が抜けていなかったのか帰った次の日の朝、疲れているはずなのに早く目覚めてしまった。まだ夢うつつの布団の中で「白馬主稜…」を何度も何度も反芻していた。この二日はあっという間の出来事であった。いつも下山して思う、「山での風景は夢の世界」というのが今回ほど強く思ったことはない。京都雪稜クラブに入会してから何度も、「白馬主稜…」という言葉を耳にしていた。私がいけるとは思っていなかった。それは、未知なる禁断の果実のように美味しいということは想像できるが、実際には食べることは出来ないもの。そういうものとして聞いていた。「日本のクラシックルート」(山と渓谷社)の最初に出てくる写真を見て、綺麗だな…と思っていた。そのころこんな日が来るとは夢にも思えなかった。計画が出されるやいなや、当然のように参加を希望した。そのために、ボッカ2回も課された。体力的に自信のない私としては素直に従うしかない。それからというもの、「日本クラシックルート」と地図が夜枕元に置かれ、たえず眺めていた。先月に行った八ヶ岳からの腰痛も気になっていた。医者に痛み止めももらってきておいた。万端ととのい当日を迎えた。
いつものように、出発は前夜発。当日はいつもながら、家事にいそしむ。京都駅午後10時集合。二俣の駐車場につき、そのまま車で仮眠。少し寒かった。6時15分テントで寝ている、タカシマさん達を見に行くと、入り口に東京からの鶴さんがすでにいてタカシマさんと話していた。みんなを起こして、出発の用意をする。
ここから猿倉まで、長い舗装路を歩かねばならない。足の裏をすぐに痛めてしまう私は、運動靴で行くことにした。プラブーツを持たねばならないのも辛いが仕方がない。9名中3名は運動靴だ。高度計を見ると800メートルとなっている。白馬頂上は2932メートルでその標高差2130メートル登らなくてはならない。考えただけでもぞ〜っとする。猿倉まで自動車路は除雪されていて、ダラダラとした登りである。進むに連れて、道路脇の雪は背丈ほどになる。
1時間半ほど歩くと猿倉である。運動靴をプラブーツに履き替え、運動靴をデポする。ここからは雪上を歩く。地図には砂防工事専用道路と書いてあるが、最初しばらくは道路らしいところに雪が積もっているという感じだが、後は大雪渓の沢筋にはいり沢を渡る。渡ったところが白馬尻である。向かって右が白馬沢との分岐になっている。ここで休憩。ここから八峰への急登である。とにかくしんどい登りである。とても暑く途中の休憩時に半袖シャツになる。水がほしくなるがひたすら足を前にだす。八峰から七峰への登りは雪が途切れていて灌木の中を登らなければならないところもある。しかし、雪の上にはしっかりとしたトレースがついていて歩きやすい。ただ登りのステップが大きく足を思いっきりあげねばならないこともあり辛い。トレースの横にはしっかりとピッケルの穴が深くあいている。階段を一段一段登っているようだ。ただ違うのは、両側が急傾斜で左が大雪渓、右が白馬側に切り立っていることだ。ちょっとぐらついても、結果は想像できる。慎重を要する。
七峰は少し広くなっている。そこで休憩をとる。ここからは、曲がりくねったリッジが頂上まで見渡せる。タカシマPは、今日の行程はここで切り上げ、雪洞泊と決めた。
テント泊の私たちは、オオツカさんが四峰にテントを張れる場所があるというので、もう少し進むことにした。足の方は、かなり疲れてきていたが、もう一踏ん張り頑張ることにした。そこからも雪稜の上り下りである。今まで六・五峰のピークを踏んで四峰についた。四峰は五.六峰に比べたら少し広いがかなりの斜面である。ここにテントを張るとしたらかなりの整地が必要だ。オオツカさんは「三峰の勘違いだった。三峰に行けば必ずテントが張れる」とおっしゃる。私たちは、信じて重い足を引きずりながら進むことにした。
三・四のコルからは本当に切り立っていてナイフリッジ状になっている。雪はかなりゆるんでいて怖い。慎重に一歩を出す。先に行った平さんの「テン場があった!」という声を聞いて、ホッとした。登ったところが、キジ場になっていて、その向こうにちょうど一張り張れそうである。スペースはテントを張ると両脇がいっぱいぐらいである。今夜の寝床は雪稜の上。それだけでも私にとっては感動ものである。これで、風でもあったら恐ろしいだろうと思いながら静かな山容を眺めながら整地してテントを張った。やっと、一息つき熱い紅茶をすする。ポカリ入りの紅茶はレモンティの味がする。このときの、紅茶は誰にとっても格別の味わいだったようだ。ぼっこりした。無線で七峰のタカシマPと連絡を取る。もう食事も終わって、寝るところだという。落ちついてから、ゆみちゃんが用意してくれた豪華メニューのチラシ寿司である。トッピングに錦糸玉子、穴子、絹さやまである。お吸い物つきである。量も余るほどある。タカシマチームはメニューを聞いてしきりに羨ましがっていた。朝食もお粥に、焼きたらこや佃煮、漬け物つきですごかった。こんなところで、こんな豪華な食事とは…。嬉しい反面、少し複雑。しかし、朝食のお粥は食べやすいし美味しい。また前日にアルファー米を作って置いたので早い。この雪稜上のテントで私は熟睡できた。
次の日後続隊がここまで来るまでの時間を考えのんびりとしていたら、やけに早く登ってきた。
早朝で雪がしまっていたので歩きやすかったようだ。天気は前日とは打って変わって、どんよりとしている。急いで、テントを撤収して二峰に向かう。ここからはすぐだった。一峰の取り付きでザイルを練習のために出すことになった。急な斜面ではあるが、今までのに比べて特別難しいとは思えなかった。上には真っ白な雪庇が被さっている。そこが頂上であろうということは想像できたが、まだ半信半疑である。それほど、前日の行程に比べたらあっけなかった。このころからガスが出てきた。私が登ったのは最後の方になったのだが、頂上では全く視界がなくガスがかかり、雪が舞ってきた。頂上は雪が溶けていて岩肌がむき出しになっていた。全員揃ってから記念写真をとり、下山した。
大雪渓は、かなり急である。昨年、針ノ木にいったとこき、大沢小屋のおやじに、「日本三大雪渓(針ノ木、剱、白馬)のなかで一番急なのは針ノ木だ!」と自慢していたのだが、季節も違うせいもあるかもしれないが、ここの方がかなり急に思えた。キックステップで慎重に下りていった。大分、下りてからだったか、先頭を下っていた私の横をタカシマさんが、尻セードですーっと気持ちよく下りていった。私は恐がりなのでいやだったのだが、あまりに気持ちよさそうなので、まねてみようとお尻をついたとたんにすーっと勝手に滑ってしまった。速度が思っていたより速かったのと気持ちが動揺したのとで、ピッケルを離してしまい、そのまま転げるように落ちてしまった。加速度がついてますます止まらない。「たすけて〜!とめて〜!」と叫んでしまった。タカシマさんが、私のピッケルの紐を掴んでくれてやっと止まった。本当に情けなく怖い出来事だった。尻セードを甘くみていた。簡単ではなかった。これは、もっと練習が必要だ。
それから、しばらく下りると、ナカムラ、オオサカさんがスキーで気持ちよさそうに滑ってきた。オオツカさんもである。羨ましいが、怖そ〜なのでこれからも私はスキーはしないだろう。
白馬尻近くに戻ってきた。休憩しながら、前日登った主稜を目で追う。猿倉まではますますガスが濃く、視界もない。下りはじめてすぐに雪は雨に変わっていた。猿倉ではかなり降っていた。1パーティー二人がさきにいた。運動靴に履き替え、長い地獄の舗装路を雨の中、とぼとぼと歩き出す。ほんとに長かった。ザックの重さが肩に食い込む。もう少しの辛抱とたえず自分を励まし歩き続ける。遠くに二俣の駐車場が見えた時は、この上なく嬉しかった。片付けもそこそこに温泉にむかった。
今回は、私にしてはいっぺんにレベルアップした山行だった。「雪=しんどい=危ない」という公式をいつも頭で思ってしまう。しかし、今回の白馬主稜はこれからもいけるチャンスはそうないだろうと思うと、この公式が頭に浮かぶより先に行きたいと思った。結果としては、ほんとうにいって良かった。ゆっくりのペースでの計画だったので、私にしてはとても嬉しい。あんな、見事な雪稜を歩けたことは、良い思い出になることだろう。
しかし、リッジを歩いていても雪壁を登っていても、かなりの緊張感を持っていたことも事実である。一歩一歩慎重に行動していた。それは岩登りでのザイルというような安全を保障するものがなかったからである。不安定な足場に立つとき、これは崩れないだろうかと不安がかすめる。これはもっと経験すると、薄れてくるかもしれない。確かに、絶対安全だという山はないのではあるが…。
「白馬の主稜…」本当に行けてよかった。まれにみる嬉しい山行だった。