京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
メンバー | CL河原、山形、上田、秦谷 |
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期日 | 2003年4月25日夜〜2003年4月29日 |
山域 | 尾瀬 |
山行形態 | 山スキー |
文責 | 秦谷 |
尾根筋の濃い藪が、残雪期にはすっぽり隠れてしまうという。
夏合宿で苦い思いをした奥利根エリア。今度訪ねるときはスキーで歩いてみたいと思っていた。
さてGWはどうしようか。ぼんやりと思案している中、河原さんから誘いを受けた。
思いを残した場所に、こんなにも早く再訪する機会が巡ってくるなんて。
4月28日を何とか休むようやりくりし、25日河原・上田・山形氏とともに名神に乗った。
当初入山口として考えていた鳩待峠への県道で雪崩が起きたことが災いして、峠の10km手前の戸倉集落までしか車が入れないという。
ぼんやりした不安を抱えながら北陸道経由で沼田インターへ向かう。移動中は終始雨。先が思いやられるのか。
情報どおり、戸倉から鳩待峠へのルートには厳重なゲートがかかっていた。
水上からの入山も考えたが、同様に通行止という。鳩待峠まで10km、3時間半を要する。
峠からようやくスキーを装着、用心深く下りて14時過ぎに山ノ鼻に着く。喧噪とは無縁の静かな尾瀬。歩いてきた甲斐があったようだ。
この日から営業を開始した至仏山荘で明日以降の作戦を練る。半日を林道歩きに費やしたため、平ヶ岳山頂には執着せず、27日は平ヶ岳方面を行けるところまで行き、28日に至仏山からの滑降を行うこととする。3泊とも、ベースは山ノ鼻だ。
夕食はキムチ鍋。初日から精力がつくメニューだ。
6:12出発。白い平原となっている尾瀬ヶ原を北上、平ヶ岳方面を目指す。猫又川の右岸を歩き、左俣に入ったところで尾根に取り付く。登りだしはやや急斜面、トラバースを繰り返して何とかごまかす。ひとまずの到達目標であるススヶ峰には9:25到着、尾根筋を下降するためここで初めてシールを外す。登りから下りへ意識が切り替わらず、滑降はぎこちない。先を行く3人の技術に嫉妬。
ほどなくして夏合宿で果たせなかった大白沢山・大白沢池が近くに迫る。残雪期だとこんなに労せずにアクセスできるのか。
さて時刻は11時を過ぎるが平ヶ岳への道のりはあまりにも遠い。大白沢山への尾根分岐からやや北上した1920ピークのやや北、平ヶ岳への道のりは半ばにして引き返すこととする。折からの晴天と平ヶ岳の堂々たる山容を前にして、いつまでも去りがたい。
帰りは、もと来た道を忠実に引き返す。至仏山荘でビールを片手に余韻に浸る。
7:10出発、快晴。さて今日はメインの至仏山からの滑降だ。夏道に忠実に取り付き樹林帯をしばらく登れば木立のない大斜面に出る。上ルに従い直登では立ちゆかなくなりジグザグの登高を繰り返す。眼下には無木立の大斜面、これで滑り落ちようものなら無傷では済まない。この山行で初めて緊張する。それでも山頂には3時間で到達、無風・無人のシチュエーションで1時間小休止の後「ムジナ沢」の滑降に移る。折からの晴天で雪解けが急なようだが、上部はザラメ雪で何とか滑れる。それにしても燧ヶ岳を向こうに尾瀬ヶ原に飛び込む様は絵になりすぎている。高度差800mの滑降は1時間弱で終わる。3時間のアルバイトが1時間の滑降に化ける。楽しむためには時間・体力・技術を要求する山スキーとはなんと贅沢な遊びなのか。
昼からは、尾瀬ヶ原を散策して遊ぶ。山荘でいつものごとくビールを肴に山形氏の撮ったビデオの上映会を行う。
いよいよ下山の日が来てしまった。7:10出発。鳩待峠まで何度か沢を越える必要があった。スノーブリッジの崩壊がないようにとひたすら祈る。鳩待峠からは林道歩き、兼用靴では林道歩きは苦しそうだ。車のある戸倉へは13時前に到着する。
それにしても、楽しいことは一瞬で終わってしまう。