槍ヶ岳北鎌尾根(無雪期アルパインクライミング)

メンバー CL秦谷、上田
期日 2003年8月2日夜〜8月6日
山域 北アルプス 槍ヶ岳北鎌尾根
ルート 上高地〜徳沢〜蝶ヶ岳〜常念岳〜大天井岳〜貧乏沢〜天上沢〜北鎌沢右俣〜北鎌沢コル〜北鎌独標〜槍ヶ岳〜槍沢〜上高地
山行形態 無雪期アルパインクライミング
文責 秦谷

行程

2003/8/2(土)
京都西京20:30(車利用、京都南〜飛騨清見間有料道路)24:30国道158号線上パーキングにて仮眠
2003/8/3(土)
(5:00起床)5:20(車)5:35あかんだな駐車場6:25(バス)6:55上高地バスターミナル7:20〜8:45徳沢8:55〜12:00蝶ヶ岳ヒュッテ12:25〜15:35常念岳16:00〜16:30常念小屋
2003/8/4(土)
(3:10起床)4:58〜7:25大天荘7:40〜8:05大天井ヒュッテ8:26〜8:43貧乏沢下降点8:45〜10:28天上沢出合10:45〜11:00北鎌沢出合11:05〜13:35北鎌沢コル
2003/8/5(土)
(3:55起床)5:30〜7:11独標手前(トラバース)〜10:30北鎌平10:35〜11:18槍ヶ岳山頂11:30〜11:50槍ヶ岳山荘12:30〜14:30槍沢ヒュッテ14:40〜15:30横尾
2003/8/6(土)
(4:10起床)5:40〜6:25徳沢6:35〜7:55上高地バスターミナル8:20(バス)8:50あかんだな駐車場(入浴は平湯バスターミナルの施設を利用。富山経由、砺波〜京都南間有料道路利用。)18:10京都西京

所感

「槍は、初心者から上級者まで楽しめる、奥の深い山だよ」
 2001年7月、飛騨沢から槍を目指したとき、テント越しに聞いた別パーティの会話が耳から離れなかった。歩けば登れる槍沢からバリエーションの北鎌尾根まで、難易度に応じたアプローチがあることを指すのだろう。
 奥が深いという言葉の意味を理解するには、やはり歯応えのあるアプローチを登らねばなるまい。それ以来、北鎌はぼくにとって気になる存在であり続けた。密かに北鎌を目標にしての山行を続けた。仕事中であっても北鎌を忘れまいと、職場のPCのパスワードも"kitakama"とした。(もちろん現在は違うパスワードだが)。
 2002年には雪稜に入会し、9月に一度計画を決行するも、雨に降られ空振りに終わった。2003年、再度挑戦の機会をうかがい、時期は梅雨明け直後でまず台風もこない8月初旬、パートナーには沢から山スキーまで幅広いジャンルの山行を積まれている上田氏を迎えた。心強い好条件を手にしての、2度目の北鎌挑戦である。
 ルートは、車を駐車した地点に戻ることを考え、上高地から蝶・常念を越えて貧乏沢を下り、北鎌を登ったあとは槍沢を上高地へと下るプランとした。

8月2日(土)天候:晴

 秦谷の車で出発、20:30に上田氏と落ち合い、東海北陸道経由で平湯を目指す。村営の駐車場は5時にならなければ入れないとのことで、日も変わった頃に国道158号線のパーキングに車を止めて仮眠する。シートを倒せばふかふかのベッドのできあがりだ。

8月3日(日)天候:快晴、未明に雨

 村営駐車場は、シーズン中なのにまだ余裕があった。駐車場からは上高地直行のバスが30分間隔で出ている。さて初日は体を山に慣らす日だ。上高地から徳沢、長塀尾根と快調に歩く。稜線に出て、槍穂を対面に望む。目指す北鎌も、すぐ向こうにある。当初は蝶ヶ岳ヒュッテで泊まろうと話していたが、時刻は12時になったばかり。明日以降の日程に余裕を持たせておきたいとの意見で一致し、常念岳を越えることにする。蝶槍を過ぎたあたりで雪稜会員のI氏親子と偶然すれ違う。証拠写真を撮らなかったことにあとでちょっと後悔。
 蝶〜常念は稜線通しとはいいながらもアップダウンが意外と激しい。常念岳への最後の登りでさすがに息が切れる。常念小屋には16:30に到着する。小屋に着いてしまえば、目の前のテントサイトまで歩くことさえ億劫だ。
日没直前の日差しを浴びての夕食となる。ふと、隣のテントで会話をしているファミリーの男性に見覚えを感じた。どうやら、北鎌のイメージを描くためにぼくが参考にしてきたHPの作者っぽい。テントに記された姓も、HPを運営している作者の姓と偶然一緒だ。さらに偶然、ぼくはそのHPに記載された記録を印刷してザックに忍ばせている。人違いを承知で「北鎌の記録をHPで公開されている方ですか?」と、記録を片手に語りかけた。直感は正しかった。ありがたいことに名刺までいただいてしまった。バイブルとする記録の執筆者と、本番を直前にして直接お話しすることができるなんて。これ以上縁起のよいことはない。これで、明日以降への大きな励みができた。

8月4日(月)天候:午前中快晴、夕方から夜にかけて雨

 3:10起床、4:30出発。常念小屋から大天井岳まではこれぞ北アルプスというべき展望に恵まれた縦走路。遠く南側には富士山に八ヶ岳。北側には剱・立山に後立。中部山岳オールスターに囲まれながらの稜線漫歩。距離・時間を忘れて写真撮影に余念がない。
 大天井ヒュッテで北鎌の状態を確認する。昨年心ない登山者によって北鎌に付けられたペンキを消したという主人に話を聞く。ペンキはまだ完全に消えたわけではないが、最も遠いルートを通るように記されている、独標を除いては尾根筋を直登するのが早道とのアドバイスを受ける。
 8:45、貧乏沢下降点。大天井ヒュッテから15分歩いたところにある。ここからしばらく一般縦走路とはお別れだ。案内板は取り外し可能な状態になっていた。下りはじめは明瞭なトレースが着いており殊勝にも拍子抜けするが、下るにつれトレースは消えガレ場・雪渓が出現し慎重な下降を強いられる。沢の水量も次第に増し石伝いに渡渉する場面もあった。とある記録には懸垂下降を多用したとの報告がされているが、雪渓の厚さ次第ではそういう事態もあり得るかもしれない。
 800m標高を下げ10:28天上沢出合。貧乏沢の陰鬱さとはうってかわって実に開放的な雰囲気だ。河原にはところどころにビバーク・たき火の跡がある。北鎌沢出合は15分も歩けば着いた。息つく間もなく次はコルを目指して右俣を700mの登り返しだ。尾根に上がれば水は一切ないのでここで水を汲む必要がある。水の流れはか細いが、しばらく伏流したあとにまとまった流れが出現する状態を繰り返す。結局標高2060mで水を汲んだが、実際には2300m(コルの100m直下)まで水を汲むことができた。
 13:35、北鎌沢コル。ついに北鎌尾根に出た。コルは2人用のテントを2張も張ればいいくらいの狭い平地だ。定番のテントサイトになっているためか、周辺にはゴミ、あるいはトイレットペーパの残滓が散らばっており閉口する。標高2500mに近いにもかかわらず虫の歓迎を受ける。山行を終えた後に咬まれた跡が多数現れたことを思うと、アブ・ハエ・ブヨのほかにダニにも手厚いもてなしを受けていたようである。
 さて今晩の献立はレトルトカレーに角煮を添えたものと海藻サラダだ。今回の食料担当はシェフ上田氏。昨日は生野菜を添えての巻きずしだった。ぼくなんぞ、山での食事といえばレトルトカレーかラーメンしか思いつかないが、山での食事をこれほどバラエティに富んだものにできるとは、目からウロコとはこのことか。
 明日はいよいよ北鎌尾根の核心だ。最後まで行けるかどうかはわからない。でも、目の前にある課題を冷静にこなすことができれば、大丈夫だと思う。

8月5日(火)天候:曇り、夕方から夜にかけて雨

 3:55起床、5:30出発。身体のセンサーが正常に働かず、起床が1時間遅れてしまった。
独標まではハイマツを握りながら高度を稼いでいく。急な登りではあるが、特に困難は感じない。ところどころでビバークの跡地を認める。この情報を仕入れていれば昨日もう少し先まで進んだかもしれない。
 7:11、独標前。登攀用具を身につける。(結局、最後まで使うことはなかったが)セオリー通りに独標は千丈沢側に巻く。森林限界も超えていよいよ岩稜歩きの世界になってきた。巻き道から稜線に復帰すると、圧倒的な槍ヶ岳が正面に飛び込む。身体中に電流が走る。北鎌尾根の記録には必ず出てくるシーンで、何度もイメージした景観だ。いまぼくは実物を目前にしている。できるのは、この景観を撮影して後日余韻に浸れる余地を残すことくらいだ。
さて、独標から北鎌平までは岩稜の切れ味も増してくる。トラバース・直登の判断はよりシビアになる。独標までは体力勝負だった。独標を越えてからはクライミングとルートファインディングのセンスが要求される。
 次第に天候はガスってきた。北鎌平まで来れば槍の穂先はすぐ先だ。この威圧感に満ちた槍を飽きるまで眺めていたい。しかし、速く安全地帯に逃げ込んでもしまいたい。忸怩たる心境とはこのことか。ここは精神的に緊張感が保てているうちにクリアすべく、早くケリをつけておくことにする。
頂上の直下で、残置の支点が打ち込まれたチムニーが立ちはだかる。疲れてザックを背負った身には若干ハードか。それでもホールドは深いので何とか登れた。今となっては、ここが北鎌の核心ではなかったかと思う。
 最後は、霧のむこうに山頂にくつろぐ登山者を仰いでのピッチとなる。奇異と驚きのまなざしを浴びて、11:18、祠の裏から飛び出す。もうこれ以上高いところはない。顔が一気にほころぶ。上田氏と、どちらからということもなく握手を交わす。直後とあっては、達成感よりも安堵感が強い。
 山荘ではビールで労をねぎらい、12:30出発。密かに上高地まで下りてしまう野望もあったが、山の雰囲気をあと1泊楽しむべく、横尾でテントを張る。15:30。

8月6日(水)天候:快晴 

 4:10起床、5:45出発。上高地へは7:55に到着した。
 帰りは、上田氏を説き伏せて富山経由で帰る。北陸道の徳光ハイウェイオアシスでバイキングを食す。今年GW以降だけで4回寄っている(うち3回は雪稜での山行の帰り)。すでに従業員に面も割れているが、山から下りた後は何でもおいしいのだ。

反省

 メンバーと天候に恵まれて、北鎌尾根を無事こなすことができた。これで、ぼくも少しは「槍ヶ岳を知っています」と言えるようになったのかな。
 しかしながら、トラバースの誘惑に負けて稜線通しを貫けなかったのは恐怖に負けてしまったようで心残りである。特に独標を越えてからは稜線通しの原則にこだわるべきだった。
 縦走ベースの「岩稜歩きができます」と、本チャンベースの「岩をやります」とではやはり次元が違う。その差は尾根筋を直登するか横に巻くかの判断で決定的にあぶり出された。
 トラバース路は一見楽で安全そうに見えた。昨年心ない登山者によって記されたといわれるペンキ印もこの道沿いにあった。この印が全く当てにならないことも知っていたし、かえって危険であることも大天井ヒュッテの主人から直に聞いていた。しかし、精神的にゆとりがないときは人の匂いにいとも安易に引き寄せられてしまうものである。巻き道が危険であると気づいたときには、主稜線からはるか離れて支尾根まで巻く寸前であり、稜線に戻るまで大きなタイムロスを冒してしまっていた。
 北鎌を登れば達成感で満たされるだろうと踏んでいたが、かえって自分の課題を鮮明に突きつけられ、大きな宿題をもらってしまった感がある。
 あと一歩、踏み出すことができるのだろうか。
 もう少し、先を見ることができるだろうか。

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