京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
メンバー | 高嶋(L)・秦谷(SL)・島 (SL)・大坂(食料)・上田(記録)・松田(医療)・廣澤(装備)・片山(会計)・稲野(食料) ※ 高嶋・上田は1/1黄蓮谷を登攀 |
---|---|
期日 | 2003年12月30日夜〜2004年1月2日 |
山域 | 山梨県 甲斐駒ヶ岳 |
ルート | 竹宇駒ヶ岳神社〜甲斐駒ヶ岳 を往復 |
山行形態 | アイスクライミング |
文責 | 高嶋 |
¥10,170/人
最後まで行き先とメンバーが決まらないという、考えようによってはいつもの合宿となった。今年は槍穂の稜線を行くと思い込んでいたので、散髪も我慢していたのだが、天気が悪いという情報が入るとか、メンバーが入れ替わるとか、さまざまな紆余曲折の末、前々夜にようやく甲斐駒ヶ岳に行くことが決まった。前日は計画書の作成、準備、装備の調整、スタッドレスタイヤの交換などで丸一日がつぶれた。
出発当日は奈良で所用があり、午後3時すぎに八木駅から近鉄特急に乗って家に帰り、1時間ほどで食事、風呂、準備を済ませてあわただしく車に乗り込み、集合場所の京都駅へ向かった。京都駅には1月3日から甲斐駒ヶ岳に登るという鈴木君が差し入れを持ってきてくれていた。午後6時すぎに出発。小淵沢インターで高速をおりると、長野県富士見町という看板が目に付いた。岡田くんのいる町ではないか!この看板を目にするまで、彼の家が甲斐駒の近くにあることに全く思いがよらなかった。電話をしてみるが、出ない。12時すぎに、駒ヶ岳神社の駐車場についた。前田夫妻が来ているはずなので、福井ナンバーの車を探し、その近くにテントを張った。
6時に起床。まだ外は暗いが、隣のテントの人はもう準備をしている。おそらく前田夫妻だろうと思って話をしにいくと、案の定そうだった。我々は、のんびりゆっくりと用意をして、長い長い黒戸尾根の登りを開始した。この尾根を登るのは3度目だが、まだ一度も頂上まで行ったことがない。そして今回も結局頂上に立つことはできなかった。途中はなんということもなかったが、1998年の正月と比べて雪の量が極端に少ないことが印象に残った。前回は登山道に凍った箇所がかなり多くあったが、今回は雪が硬くなったところはあったが凍ったようなところは皆無だった。いつからか雪がちらついてきたが、たいして気にはならない。前回よりずっと早い時間に五合目に到着。あとはしゃべりと食事でもりあがる。僕は食後に若干気分が悪くなったが、すこし持病が少し出たようだ。明日がちょっと心配。
久々に重たい荷物を持ったので、腰が痛い。午後4時に起床、5時にはすでに黄蓮谷の下降を始めていた。昨日あったトレースは消えている。道らしきところをテープを追いながら下っていくが、とうとう分からなくなって明るくなるのを待つ。明るくなると、すぐに道は分かった。そのまま谷底へ。岩小屋でツェルトを張っているパーティがいたが、今日は停滞するという。こんな天気がいいのに・・・。谷に下りると、トレースがついている。ラッキーだ。沢は水がじゃんじゃん流れており、上の大滝が凍っているかどうか不安になる。事前に情報がなかったからだ。ぐんぐん歩いていくと、坊主の滝が見えた。一年ぶりの氷は新鮮に見えた。ここで先行パーティに追いつく。彼らは尾白川を詰めてきたらしい。かなり大変だったようだ。坊主の滝は3級なので、ロープは不要だが、シーズン最初ということもあって、ロープを出すことにした。上田さんにリードしてもらう。ちょっと足が滑っているのが気になった。履いていたアイゼンの前爪がほとんど出ていないことを知ったのは翌日のことであった。突然に氷へ行くことが決まったので、氷用アイゼンを買いに行く時間がなかったとのこと。その後は2級から3級プラスの滝が次々と出てくるが、これらはロープなしで通過。
そしていよいよ大滝だ。さすがに大滝というだけあって大きいが、1ピッチでぎりぎり行けそうな気もする。しかしここは無理をせず、2ピッチに切って登ることにした。東京のパーティが左からとりついたので、我々は右からとりついた。右はつらら状を縫って登り、途中でちょっとハング気味になる。久々のリードでランナウトにびびりながら、核心らしき部分を越えたが、6本しかないスクリューを4本使ってしまったので、若干傾斜がゆるくなったところでピッチを切った。上田さんはしばらく順調に登ってきていたが、垂直のところでテンションがかかった。核心も相当テンションをかけたが、クリアして登ってきた。後は80度くらいのカンテを10メートル登って終了である。と思っていたが、カンテを越えると延々とナメが続いている。これはロープが足りなくなると思い、早めにピッチを切った。東京パーティは僕よりもう少し上までいってピッチを切った。木で支点を取れると思い込んでいたので、途中にスクリューを3本も打ってしまい、スクリューが1本しか残っていない。バイル2本を氷にしっかり打ち込んでビレイ点を作った。1ピッチ目より易しいから落ちはしないだろうと思っていたのだが、上田さんが登りだした直後にテンションが入り、バイルが1本抜けた。一瞬の出来事で、事後にようやく状況を認識したが、背筋が寒くなった。テンションはなかなか抜けない。1本しかないスクリューに命を預けたくはないので、できるだけ体でふんばって持ちこたえる。最初のスクリューを回収した後、カンテを登っているときに腕がパンプしたらしく、そのまま下まで下ろして滝を巻いてもらうことにした。ロワーダウンも冷や汗もので、なるべくスクリューに力がかからないようにおろした。ロープ1本で足りるかどうか心配だったが、これは大丈夫だった。そこからロープをひっぱりつつ、フリーの状態で滝の上まで登る。
最後に4級プラスの滝があるが、これは巻くことにした。深いラッセルでしんどい。発作を抑えるため、本日2度目の頓服薬を飲む。懸垂で滝の上に戻ると、あとは雪とナメ氷が延々と続いている。上田さんは相当疲れた模様で、数歩あるいては休み、また数歩あるいては休んでいた。これは僕にとっても有難かった。精神的に余裕を持って行動できたからだ。最後に尾根にとりつき、なんとか明るいうちに稜線に抜けることができた。そこから見上げる頂上は遠かった。暮れゆく景色を見やりながら、下山を開始する。七合目の小屋に着いた頃にはすっかり日も暮れていた。上田さんはここで泊まることになった。僕も相当疲労困憊していたので泊まりたかったが、みんなが心配するだろうと思い、五合目まで一人で下ることにした(シーバーを忘れて連絡が取れなかった)。そこからは肉体的にも精神的にも辛い道のりだった。本日3錠目の頓服を飲んで精神を落ち着ける。はしごが多かったが、単調な道よりかえって気がまぎれてよかった。それでも一度ビバークを決意したが、やはりテントまで帰らねば、と気力を振り絞って下りた。テント場に着くと、何をしたらいいのかわからず、ともかくその場にへたりこんでいた。テントから人が出てきて、アイゼンを脱がせてくれたり、お茶を飲ませてくれたりした。しばらくしてテントに入ったが、すぐに夕食をたべることができず、みなの食べるのを横目に、若干震える手を押さえ、気持ちを静めていた。幸い、発作も起こらず、元気も回復してたらふく晩ご飯を食べることができた。
昨年の僕であれば、おそらくそのまま駒ヶ岳神社まで降りれるくらいの余裕があっただろうが、昨年に山から遠ざかったのと、病気を抱えていることで、体力的にも精神的にも弱くなっていた。ただ逆に考えると、昨年の夏、家から20メートルも歩くことができなかった状態からすれば、かなり持ち直してきたともいえる。頓服薬の助けをかりながらも、これだけ長時間にわたる行動をこなすことができたし、最後は一人で歩きぬいたのだから。まあ、少しずつリハビリをしていくしかない。
最終日、5時に起きたのになぜか(というか予想通り)出発は8時をまわっていた。黒戸尾根はどうしようもなく長く感じる。下山後、駒ヶ岳神社で初詣をすませ、駐車場でお汁粉を食べ、ゆっくり帰り支度をする。本来は、余力があれば岩間ルンゼで氷の講習会をすることになっていたが、みんな帰宅モードだったので中止にした(一応僕は乗り気だった)。ぐったり疲れて、温泉に長い間つかることができず、早々にあがって、休憩所で寝てしまったが、うつ伏せに寝たのが悪かったのか、みなが僕を発見できず、随分探し回ってくれたらしい。僕は爆酔して廣澤さんに起こされるまで全く意識が飛んでいた。富士見町の中華料理屋で遅い昼ご飯を食べる。岡田君と何度も連絡を試みるが一向につながらず、岡田家で新年会プランをあきらめ、高速に乗った。それから2時間ほどたって、岡田くんが連絡があり、戻ってくるよう誘われたが、さすがに恵那トンネルを越えるともう引き返す気にはなれず、また今度おじゃますることにして、京都に帰った。
今回は天気にも恵まれ、以前から行きそびれていた黄蓮谷も登ることができ、自分の現在の状況を知ることもでき、いろいろ実りの多い山行だった。だが、槍穂の縦走に向けて準備していた人たちには、少々物足りないものがあったかもしれない。全員で同じ場所に行けたのはよかったが、なかなかみんなが満足できる合宿というのは難しいと改めて感じた。それにもまして、毎度の事ながら、もう少し早く行き先とメンバーが確定できればよかったのだが。