京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
メンバー | 秦谷 |
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期日 | 2004年3月6日〜3月7日 |
山域 | 岐阜県 石徹白周辺 |
ルート | 白山中居神社〜和田山牧場への林道途上 を往復 |
山行形態 | 山スキー |
文責 | 秦谷 |
前夜の22時に京都を出発、1時に道の駅白鳥に到着、6時半まで仮眠する。曇りがちな空に一抹の不安を覚えるが、石徹白への峠を越えると吹雪に。
白山中居神社には7時30分に到着、10時まで待ってみるが様子は変わらず。
荒れ模様で入山するのも気が引けるためこの日は停滞日とし、国道156号線に戻り買物や長良川に沿ってのドライブを楽しむ。下界は少し寒いだけで晴れているのだが…
再び白山中居神社には17時前に到着。街に降りている間に、アスファルトが黒々と面を覗かせている。明日は晴れますように。
0時に目を覚ます。雪は一晩で膝まで積もっている。
これでは石徹白周回は厳しい。当初の予定よりレベルを下げて野伏ヶ岳を往復することに。予定を繰り下げ、二度寝に入る。
3:00に起床、3:26に出発。雪は降り続いているが、吹雪でないので予定通り進もう。
白山中居神社から出発して橋を渡り、大して考えずに雪の壁につれられて左側へ進路をとる。
ところどころ山小屋?廃屋?らしい家が道沿いに建っているが、30分歩いても高度が全く上がらないことに業を煮やす。ひとまず暖をとろうと家屋に近づいて驚いた。どうやら自分が入っていたのは、ピークへ向かう道ではなく別荘地の街路だったのだ。結局、60分の時間を無駄にしてしまう。
分岐に戻るとすでにトレースが着けられていた。快調に進むとほどなく先端の集団に追いついた。集団は男女7名、スキー・スノーシュー混じった屈強そうなパーティだ。
「どちらから?」-「京都からです」
「どこかの山岳会に?」-「京都雪稜クラブです」
「いや、僕たちも京都、関西岩峰会です」
一緒に話している人にどこか見覚えがあるなと思っていたが、10月に鈴鹿の沢でご一緒した福沢さんその人だった。
話していると黄蓮谷左俣やエクストリームスキーを十進している会員の名前がぽんぽん出てくる。どうやら定期的に雪稜のWebサイトを見ていただいているようだ。ついでに赤兎・銀杏峯に行った自分の記録の宣伝もしておく。
まだ標高800mも進んでいないが雪がどんどん深くなる。スキーを履いていてもひざ上に雪が達してきた。こんなときに大人数のパーティは機動力を発揮する。おおむね20〜30mごとにトップを交代してたゆまず前進していく。一人ラッセルだとどうしても休憩が入るがこれは速い。岩峰のパーティに混じって僕もラッセル部隊に加えていただく。短距離走を繰り返すような感じだ。ラッセルをしていて足がつりそうになるなんて初めての体験だ。
調子に乗ってラッセルに没頭、標高970メートルでスキーがやけに滑るなと異変に気づく。スキーを雪から出してみて驚いた。右側のシールがいつの間にか外れている。
ラッセルに夢中になるあまりシールが外れたことにすら気づかなかったようである。岩峰の方とはここで別れる。シールを探してやや下るが、途中でシールをなくしていれば後続のメンバーが気づいていたはず。ならば、雪のどこかに埋もれてしまっているのか? シールなかりせばとスキーアイゼンを着けて登ろうとするが、やはりおもむろに滑ってしまう。ここで判断。岩峰のパーティに今から追いついて再び混ぜていただけばそれなりに高度を稼げるだろう。しかしこれでは他人の労力に頼り切ってしまうようで単独行の趣旨に反してしまう。それに、シール紛失が原因で自分の身に何かあった場合は、他人にも迷惑をかけてしまうことになる。
仕方ない。
やや下ってシールが見つかりそうにないと判断した9:20、標高920mで登高を打ち切る。まさか、こんな形で結末を迎えるとは。
下る途中、和田山牧場へ向かうというスノーモービルが5台とすれ違う。
野伏ヶ岳は、山スキーヤーだけに知られている山では、どうやらないようだ。
ラッセルに阻まれての力量不足ではなく、ラッセル途中でのシール紛失。奥美濃デビュー戦は予想もしないトラブルでの幕引きとなりました。シールが途中で剥がれてしまった原因は2つほど考えられそうです。
これを防ぐには、たとえば次のような策が考えられるかと思います。
その他、山行中感じたことをつらつらと書き留めておきます。