猿ヶ馬場山周辺(山スキー)

メンバー 秦谷、上田、西村
期日 2004年3月19日夜〜3月20日
山域 岐阜県 猿ヶ馬場山周辺
山行形態 山スキー
文責 秦谷

報告と所感

3月19日(金)

 東海北陸道荘川ICから約40km走って入山口の白川郷に到着。
 村落内では落ち着いてテントを張れそうにもないため少し町から離れた道の駅に移動。
 これが当たり。サービスコーナーが終夜開放されており閉めきったスペースでシュラフを広げて 眠ることができた。

3月20日(土)

 寝心地の良さにかまけて15分遅れの6:15起床。
 入山口は「白川八幡神社」裏の林道だが、先客が3台停まっていたためやむを得ず有料の駐車場に車を停める。
 林道の除雪終点からすぐにシール登高開始。最近登山道ができたとの情報通り、ところどころに赤布がつけられている。
 雪は完全に残雪期モード。スキーを履いていればまず潜らない。先行者のトレースもついており迷う心配もまずない。
 猿ヶ馬場山の山容はなだらかだが、取り付きの等高線はやや密である。
 キックターンを適当に切りながら登るが、途中少し傾斜のある斜面を乗り越そうと、ストックを前方に差し込んだあとスキーを持ち上げて登り切ろうとする。接地面が狭かったのか直登ではシールが効かない斜度だったのか、スキーもろとも斜面に食いつくことなくずり落ちてしまう。このとき右腕がストックとともに前方に差し込んでいた状態だったため、体重+ザックの負担が一気に右腕にかかる格好となる。「グキッ」と嫌な音が関節からするのを感じた。今回新調したシールを信頼しきっていたのが裏目に出たのか。
 肩を軽くひねった程度で我慢できるかと思い高度を稼ぐが、30分もしないうちに全身から脂汗をかき始めた。歩くだけでも自分が肩で大きく息をしていることに気づき尋常ならざる状態と判断、集落から340m登った840m地点でメンバーに体調の不良を告げる。
 一時総人数撤退の提案もいただくが、せっかくここまで来たのだからとあと2名にはタイムリミット(12時の時点まで登り、以降下山)まで猿ヶ馬場の稜線を楽しんでほしいとお願いする。視界は明瞭だし、僕ももと来た道しか下るつもりはないので。 2人が登っていたあとスキーをザックにくくりつけツボ足で下山に移る。ザックが大きく傾いており不快だが、ここで降ろすと二度と担ぐことができない気がしたため何とか駐車場までだましだまし降りる。駐車場到着は10:40。
 下山後は、白川郷の集落を観光客よろしく徘徊する。思いがけず世界遺産の景観と雰囲気に触れることができたのでこれはこれで良しか。雪の降りしきる季節や盛夏に訪れればより風情を味わえると思った。
 13:20頃、2人が下山してくる。尾根を直登するよりも沢沿いを登った方が快適だったとのこと。
 帰りは東海北陸道の渋滞を避けて白鳥から九頭竜湖〜大野〜福井〜北陸道経由で帰る。
 夕食はもはや定番となった武生の「まつり寿司」。全皿100円だがネタの鮮度とボリュームが京都とは比べものにならない。30分待っても食べたいと思える店である。

(番外編) 3月21日(日)

 一日寝れば少しは痛みは引くかと見込んで、帰って早々に寝床につくが寝返りさえ冷や汗をかきながら打つ始末。朝目覚めると身体を起こすことさえ一仕事。たまらなくなって、無理を承知で休日の当番医をしている外科に駆け込んだ。レントゲンを撮ったところ、右肩を脱臼していることがわかった。「あと1日遅ければ、脱臼した肩がぴったり関節にはまるか微妙だったよ」 早めに病院に行って正解だった。脱臼癖をつけないためには、3週間腕を固定したままでいなければならないようだ。

 野伏ヶ岳に猿ヶ馬場山。(ほろ苦い)記憶に残る山がまたひとつできてしまいました。スキーでの転倒や登高最中のスリップなど、これまでしょっちゅうやってきましたが、ワンアクションでこれほどのダメージを受けたのは山をやっていて初めてです。
 「山もいいけど、普段の暮らしにも気を配れ」というお告げなのでしょうか?そういえば、自分の部屋なんか半年以上整理していないし…

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