京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
メンバー | 稲野、廣澤、高嶋 |
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期日 | 2004年3月18日夜〜3月21日 |
山域 | 長野県 八ヶ岳 |
山行形態 | 積雪期縦走 |
ルート |
八ヶ岳へ山行を決めたきっかけは、正月合宿で甲斐駒ケ岳から見えたゴツゴツとした、鋭い八ヶ岳の景色に惚れ、あそこを歩きたい、登りたいと思ったからです。
コースを考える際に、本沢温泉に入りたいと思い、当初はピークハントコースの稲子湯から本沢温泉、硫黄岳の往復を考えました。しかし、広澤さんと検討した結果、縦走したい気持ちから今回の渋の湯から入り、天狗 硫黄 横岳 赤岳の縦走コースに決定しました。最終、3人で打ち合わせをした時にやはり本沢温泉を捨てることができず、夏沢峠からの本沢温泉への往復コースを追加しました。(山行名「山中の幸福をもとめて」を付けた由来は本沢温泉に入るとこからです。)
雪山での縦走は初めてで体力と久しぶりのアイゼンにとても不安を感じていました。
予想通り、体力がおちていたような気がします。登りの途中で足が止まることが何度もありました。アイゼンも岩場の多いところではしっかりかかってなくて不安定になりこけそうになることがあり、練習不足だと反省しました。
稜線では風がとても強く、硫黄岳を登った後赤岳鉱泉へルートを変更するかこのまま赤岳へ進むか検討しました。結果、目的どおり厳しい風の中進むこにしました。一時は精神的に不安になったり一歩を出すときにバランスをくずし、こけることが何度かありましたが、横岳・赤岳とピークを踏むことができました。この日は赤岳で泊まる予定でしたが、風も強く天候も悪いことから行者小屋まで下山することにしました。 天候は精神面に影響がとても大きいと感じました。だからこそ、地図をしっかり読み取ることが大切だと思いました。
行者小屋から美濃戸口への下山のみとなり朝はゆっくりと8時半ごろスタートしました。振り返ると赤岳や横岳や阿弥陀のピークがとても綺麗に見え、ちょっぴり残念でした。
また、山行名の「山中の幸福を求めて」である、本沢温泉にも悪天候ということもあり入ることが出来ず、ちょっと残念でした。次回に期待して下山しました。
1日目、トイレも作り、気持ちのいいテント生活を過ごしました。
トイレは大正解でした。3人満足!!
2日目、早くついたことから大いに盛り上がり、楽しい時間を過ごしました。
しりとりゲームで晩ご飯までのたくさんの時間を過ごしました。
あんなにも盛り上がるとは・・・・。
今回の山行で、リーダーという役割をさせていただき、今まで見えていなかったことを感じたり反省や勉強になることがありました。
ありがとうございました。
今回学んだことを今後の山行に活かし、より充実・安全な山行ができるようしていきたいと思いました。
この山行の因縁は2月14日の錫杖岳1ルンゼ中止にまで遡る。T嶋がI野にかけた電話が発端だった。アイスクライミングへ行く約束をぶっちしてしまい、大きな借りを作ってしまった。その償いに今回の山行が計画されたのだが、最初は氷のルートでも、と考えていた。しかし錫杖のことで頭が一杯になり、もうどこでもええわ、という気になってしまった。日程が決まった後、O坂と錫杖の計画を立てている最中にO田から電話があり、この八ヶ岳山行の日に鹿島槍の氷のリボンに行かないかという誘いを受けた。前から行きたいと思っていたルートだったので、ぐらっと心が揺れた。八ヶ岳を一週間ずらすことはできないか。それはちょっとまずいやろというO坂とA子の説得で一旦は鹿島槍を思いとどまった。しかし一晩あけてI野からのメールを見て、再度鹿島への思いがメラメラと燃え上がり、I野とH澤に一週間延期が可能かを問い合わせた。本当は延期しないほうが都合がいいが、延期も可能との返事を得て鹿島槍へ向けて気持ちを高めていたところに、O田から予定が入ってしまったとの電話がきて、あえなく鹿島槍の夢は消えた。さんざん皆をひっかきまわした挙句、この日程でこのルートにこのメンバーで行くことに決まったのは、出発の3日前だった。
出発前夜、O坂の追い出しコンパを欠席して準備にいそしむ。久々の縦走、そして久々の食料係ということで、時間がかかり、夜遅くにやっと準備が完了した。出発当日は、3人とも仕事がずれこんで出発が遅れた。さらに計画書をM田に送ろうと何度も試みたがうまくいかず、そんなこんなで京都を出たのは12時すぎだった。結局、渋の湯までは到達できず、諏訪SAで仮眠した。
北八ッ岳は実は初めてである。ゆったりとした山容は南八ヶ岳と対照的だ。のんびりのんびり、話をしながら登っていった。樹林帯を抜けると、展望が開けた。北アルプスから南アルプスまで一望できる。睡眠不足で、今にも寝そうになりながら天狗岳への斜面を登る。H澤は途中で本当に寝てしまった。頂上から硫黄岳まではなだらかな稜線が連なっている。風を避けるため、樹林帯まで急いで下る。ぐんぐん下ってゆき、夏沢峠についた。ここでテントを張る。この日は粕汁とツナサラダ。
予報どおり、天気は悪い。いきなり硫黄岳への長い登り。稜線に出ると、強風が吹き荒れていた。久々に味わう雰囲気だが、冬とはちがって、風はそれほど冷たくはない。強風に足を取られながら、横岳へと向かう。横岳付近で天気は一旦好転するが、赤岳へ登る頃には再び悪化し、雪が混じり始めた。予定では赤岳頂上で泊まることになっていたが、なんせまだ11時、行者小屋まで下ることにした。悪天の中の赤岳下降と地蔵尾根のルートファインディングは結構やっかいだった。午後1時前に行者小屋に到着。いろいろな選択肢があったが、結局ここで泊まることにした。氷の道具を持っていれば、南沢大滝で遊べたのだが、登攀具はほとんど持っておらず、テントの中でぶらぶらするしかなかった。しりとりをして時間をつぶす。「冷蔵庫の中にあるもの」シリーズでは、2人の貧困な食生活を垣間見ることができて、哀れを催さずにはいられなかった。今晩はホタテとキノコと白菜の煮物にポテトサラダ。7時にはすでに就寝した。
絶好の天気。あとは下山するだけなので、惰眠をむさぼる。結局、腹が減って我慢できなくなったI野が起き出して食事を作りはじめた。T嶋は食事ができるのをじっと待ち、H澤はびくともせずに寝ていた。8時半に下山開始。大同心、小同心、中山尾根など、かつて登ったルートがくっきり見えた。やはり雪の山はいいなあ、とつくづく思った。昨年2月に来たときには、アイゼンなんてほとんど不要だったので、アイゼンをはめずに下山し始めたが、昨年以上に道に氷がはっていて、3回すべったところでたまらずアイゼンをつけた。時期が遅い方がよく凍っているのだろう。経験というのも、使い方を誤ると大変なことになるのを実感。先入観にとらわれず、状況を判断しなければならない。I野とH澤が美濃戸と美濃戸口を間違えるなどの行き違いもあったが、11時に無事下山。予約しておいたタクシーで渋の湯へ向かう。空腹のためすっかり気分が悪くなる。駐車場でラーメンを作って食べ、渋の湯であたたまってから、帰途につく。途中でヒッチの外人を車に乗せ、彼の別荘まで送る。お礼に別荘を見せてもらった。(飲食は出なかった…)彼はH澤の職場の近くに住んでいるらしく、ローカルな話でもりあがっていた。その後、おいしいそばを食べ、高速にのる。帰りはほとんどH澤が運転し、T嶋は爆睡した。T嶋が京都まで腹がもたないとダダをこね、大津SAで軽く夕食をとる。9時すぎに帰宅。
久々の縦走だった。メインの2日目が荒れたので、のんびりハイキングというわけにはいかなかったが、たまには吹雪に吹かれないとよくないと思った。アイスクライミングばかりしていると、なかなか山頂を踏むことがない。実際、今回頂上を踏んだのは今シーズン始めてである。たまには縦走もいいなあと思った反面、南沢大滝や西面の岩壁を見ると、むらむらとこみあげてくるものがあった。食事は生野菜を持っていったので、若干重かったように思うが、量的にはまずまずだった。もう少し考える時間があればよかったのだが。それと日本茶を忘れたのは失敗だった。まあ、それにしても、よくしゃべること。体より口が疲れてしまった。標高に反比例して会話のレベルが落ちていったが、下山後もレベルがもどることはなかった。