西表島の思い出(沢登り)

期日 2004年4月30日〜5月7日
山域 西表島
山行形態 沢登り
メンバー T嶋・T澤・K村・T村・関
文責 T嶋

行程

2004/4/30 伊丹空港(11:55)→那覇(15:15)→石垣島(泊)
2004/5/1 石垣島→西表島→ヒナイ川(泊
2004/5/2 →イタジキ川→幻の湖→イタジキ川(泊)
2004/5/3 →浦内川→浦内川支流(泊)
2004/5/4 →仲良川(泊)
2004/5/5 →白浜
2004/5/6 予備日:西表島→石垣島(泊)
2004/5/7 石垣島(9:30)→那覇(16:15)→伊丹空港

報告と所感

縁起

今年のゴールデンウィークは長い。以前からいきたいと思っていた西表に行く絶好のチャンスかと思い、「大法螺」のつもりで提案したところ、T村さんが参加を表明した。それまで知らなかったが、彼女は南島フリークで、4月30日から5月7日という中途半端な日程ながら格安チケットを手に入れてくれ、最終的に4名(+関君)の参加者が得られた。チケットは買ったものの、それからは心の中に西表のことが浮かぶ間もなく日が過ぎていった。

プラン会

出発を間近にひかえた4月22日にようやく全員が集まる機会を設けることができた。玉田くんの後輩の関くんに自己紹介をしたとき、意外な事実が判明した。僕はT澤さんと一度だけ伊豆へ一緒にクライミングツアーに行ったものの、T村さん、K村さんと一緒に山へ行ったことがなかったのだ。しかもT澤さんは沢が始めて、K村さんは2回目という、とんでもないメンバー構成だった。この日はルートを決めるだけで精一杯だった。ヒナイ川を溯行し、イタジキ川を下り、ギンゴガーラ滝のある沢を溯行して仲良川支流二番川を下り白浜へ出るというコースが決まった。このコースのいいところは、途中に西表島縦断路が横切っていることで、容易にエスケープができることだ。食料、装備はメールで相談することになった。ハブ対策にK村さんが昔使っていた搾乳器を持っていこうかなど、相変わらずバカな話が多く、関くんはさぞかしあきれたと思う。この時の最大の失敗はT村さんにチケットを持ってきてもらうのを忘れたことだ。遅刻と忘れ物の常習犯として名高い彼女に、我々4人のチケットが握られているのだ。一抹の不安を抱きながら、出発の日を迎える。

4/30

門真駅10:40→伊丹空港11:55→那覇15:15→石垣島(泊)

最初の関門

伊丹空港に直接集合するのはあまりに危険なので、10時半に門真駅に集合することになっていた(関くんは前日に出発していた)。午前8時、T村さんにモーニングコールをする。すでに起きていたようで、自信たっぷりそうだったが、僕は不安だった。僕は10時10分に門真駅に到着し、皆が来るのを待った。10時20分の電車には誰も乗っておらず、10時30分の電車でT澤さんが来る。T澤さんのところにK村さんからメールが来て、ザックが電車の扉に挟まって下車できず、守口まで行ってしまったとのこと。後で聞くと、駅員さんに手伝ってもらって脱出したらしい。いきなりハプニングだが、笑っている場合ではない。10時40分にK村さんが戻ってきた。T村さんも当然のように遅れてやってきた。すでに購入しておいた切符を彼女たちに渡し、モノレールに飛び乗る。11時半に空港到着。飛行機の離陸時間は11時55分だ。搭乗手続では、島さんのチケットを譲り受けたK村さんがひっかかるかどうか心配だったが、これは難なくクリアした。ところが荷物検査でひっかかった。問題となったのはガソリンコンロ、ペットボトル、ライター、ガソリンタンクだった。ガソリンタンクは奇跡的にというか、K村さんとT村さんの機転で無事だったが、ガソリンコンロについては、ガソリンを抜くよう指示された。空港の人が用意してくれたペットボトルにガソリンを入れるが、なかなか最後までガソリンが抜けない。そうこうしている間にも時間は刻々とすぎていく。僕はもうこれくらいでいいだろうと思ったが、係りのお姉さんはまだダメだといって、自らガソリンを抜き始めた。しかしやはり最後までは抜けず、同僚に確認のうえ、放免となった。そこから係員と全速力で乗り場に向かう。もちろん我々が最後の搭乗客だった(が、つれが来なかったらしく一旦チェックインしておきながらキャンセルした人がいて、その人の荷物を下ろすために、さらに10分ほど待った)。こうしてようやく沖縄へ出発したのであった。

T村さんの活躍

飛行機では機内食が出ず、僕はこの日用に準備していた非常食(!)をたべ、K村さんはなぜかすでにぼろぼろになった行動食で胃袋を満たす。約2時間のフライトで那覇に着き、さらに1時間で石垣島に到着。天気は曇り。南国の湿度の高い空気が体にまとわりつく。ここからのT村さんはまるで別人のようだった。我々は彼女のあとについてバスで市内へ向かい、図書館の前で関くんと合流し、バスに乗っている間にT村さんが手配した宿へ向かった。「パークサイドトモ」という素泊まり2000円のその宿はT村さんの定宿らしい。荷物を置くと、まずは買出し。なんとここにもMax Valueがあった。ほぼ何でも揃ったが、やはり品揃えは本土と違う。
皿うどんが調達できず、急遽沖縄そばにメニューを変更した。夜食用に刺身屋でグルクン(沖縄の県魚らしい)やまぐろの刺身を仕入れる。一旦宿に戻り、晩ご飯を食べに街にでる。歩き出してすぐに現れた「栄福食堂」を訪れる。ド派手な店構えで、一瞬入るのをためらうが、意を決して中に入る。中には赤木圭一郎という昔のスターの写真が所狭しと飾られている。店主がファンだったらしい。彼にちなんだトニーそばは小300円、大で500円という破格の値段だ。店主はテレビ取材されたときのビデオを見せてくれた。最初から、かなり濃いところに来てしまった。食後は街をぶらぶらして、宿に戻る。談話室にはT村さんの知り合いのおじさんが来ており、彼も交えて夜遅くまで話をする。T澤さんの昔話で盛り上がった。彼女がいかに人生を誤ったのか、おもしろおかしく話してくれた。K村さんは笑いすぎて椅子ごと後ろにこけ、T村さんの友人もすぐに続いた。蒸し暑い夜だったが、タオルをぬらすのがイヤで、シャワーを浴びずに寝た。

いよいよ入渓

ヒナイ川河口の干潟

ヒナイ川河口の干潟。ここから溯行が始まる

7時に起床して各自朝食を済ませ、9時のフェリーに乗った。フェリーは意外と小さかった。かなり揺れると脅かされていたが、波もなく、思ったほど揺れなかった。船浦港は港といっても何もない。誰もいない観光案内所で準備をし、10時半に歩き始めた。最初はアスファルトの道をしばらく歩き、干潟にかかる橋の途中から干潟におりた。ちょうど干潮で、ヒナイ川河口まで楽に歩いていけるが、潮が満ちていると腰くらいまで浸かるそうだ。干潟には様々な生物がいるが、名前がわからないのが悲しい。川の右岸のマングローブの森に道がついている。やがて草原となり、サキシマスオウの奇怪な根がはびこる泥の多い道に変わる。右手にはヒナイ川がゆったり流れ、カヌーが行き交っている。川の渡渉点はカヌーの上陸地点でもあり、多数のカヌーが泊まっていた。そこでお昼とする。行動食に買った「黒糖さーたーあんだぎー」がうまい。そこに荷物を置いて、ピナイサーラの滝(沖縄最大の滝らしい)を見に行く。きれいな滝だが、いかんせん、人が多い。滝つぼでひとしきり泳いでから、荷物のところまで戻り、滝の巻き道を登る。滝の上まで来ると、人はぐんと少なくなる。眺めは最高で、青い海がきれいに見える。ここからいよいよ入渓だ。

泥臭い川

ピナイサーラの滝

ピナイサーラの滝。沖縄で最大らしい

滝から一歩離れると、まったくひと気はなくなる。ようやく沢に来た実感がこみ上げる。水は思ったほどきれいではなく、なんだかにごった感じで、生ぬるい。川の岩は苔むしていて、熱帯の生命力を感じさせる。高度差はほとんどないが、泳ぎが多い。トロの多くはヘドロがたまっていて、歩くと異臭が漂う。お世辞にもきれいな沢とはいえないが、両岸の見慣れない植物が目を楽しませてくれる。とにかくいくら濡れても寒くないのがいい。ところどころ、沢らしいところはあり、太陽でも射せば沢は一変して美しくなる。3時前に15m滝下に到着。エビがたくさん居た。4時前に10m滝下に到着。左岸をすこし入った台地にテントを張る。ここは以前T村さんが泊まったことがあるらしい。今晩は入谷初日とあって、盛大にキムチ鍋を楽しんだ(が、酒はなし)。小1時間にわたって延々と食べ続けた。テント場は若干傾斜しており、全員同じ向きに寝るが、4、5人用テントに5人はかなりきつい。テント内は蒸し暑く、シュラフカバーすら要らないくらいだ。


5/2

泊地8:00→215m二俣8:45→分水嶺10:05→イタジキ川出合12:25-13:30→大ナメ14:30→幻の湖15:55→イタジキ川出合17:00

分水嶺を越える

対岸から出合を望む

対岸から出合を望む

6時にひとり起床し、ご飯を炊く。この山行では、毎朝早くおきてご飯をたくのが僕の日課となった。4合炊くのだが、毎回一粒も残らなかった。8時に出発。渓相はあいかわらずで、淡々と歩き続ける。ときどきナメも出てくるが、あまり長くは続かない。水はツメ近くまで続いている。水が涸れてからトグロをまいた蛇に遭遇したが、後から聞くとハブだったようだ。しかもかなり危ない状態だったらしい。ルートファインディングは簡単で、ほとんど藪漕ぎもなく分水嶺に出た。分水嶺といっても標高は280mほど。そこから沢下りが始まった。相変わらず、トロとドロの多い緩やかな流れだ。途中で滝を一回巻いたが、巻き道はしっかりしており問題はない。同じような景色にうんざりしかけてきたころ、眼前に巨大なトロが出現した。それはイタジキ川本流との合流点だった。イタジキ川の大きさに驚くとともに、本当にこんな巨大な川を下れるのか不安になる。関君の情報では対岸にテント場があるという。彼が単身でトロを泳ぎ偵察に行ってくれた。情報どおり、テント場があったとのことで、みなでトロを泳ぎ渡り、テントを設営した。


幻の湖へ

まぼろしの湖に向けて出発

まぼろしの湖に向けて出発

1時半、幻の湖を探索にでかける。それはこのイタジキ川を遡ったところにあるという。幻といいつつ、インターネット上で写真を見ることができる。泥沼のようだとのコメントがあったので、僕はさほど惹かれていなかった。しかもこれまでドロドロのトロは嫌というほど越えてきただけに。幻とは「幻滅」のことだろう…。イタジキ川はしばらく登ると普通の沢になった。ジャブジャブと気持ちよく歩いていると、大きな長いモノが水中をよぎった。ウナギだった。かなりでかい。そこからはモリを持っていた関君が先頭に立った。その後何度か目撃したが、結局一匹もしとめることができなかった。ウナギはさておき、我々を大いに驚かせ感動させたのは、突如あらわれた大ナメだった。うっそうとしたジャングルが豁然と開け、明るく輝くナメが目に飛び込んできた。川床は随所に奇妙な形の穴が開いており、自然の造形の不可思議さを目の当たりにすることができる。T澤さんは穴の一つにはまったが、足がつかないほど深かったらしい。すばらしいナメは200mばかり続いただろうか、またもとの苔むしたジャングルの小川に逆戻りした。時間が3時をまわった頃、撤退を決めた。幻の湖にそれほど魅力を感じていなかったのも一因だが、疲れておなかがすいてきたのと、T村さんの遅れが少し気になり、帰りに暗くなったら困ると判断したためであった。関君は行きたそうだったので、20分行ってもたどりつかなかったら戻るという約束で行ってもらった。K村さんとT澤さんも彼に続こうとしたが、そこから大岩が連続しており、あきらめてひきかえしてきたので、関君を除く4人でテント場へ戻り始めた。結局、関君は13分ほどで幻の湖に到達し、すぐに合流した。帰りは速く、5時にはテント場に戻ることができた。今晩は炊き込みご飯、お吸い物、まーぼーなす。6時半には食事を終え、まだ日も暮れないうちに寝床に入った。


5/3

泊地8:10→マヤグスク滝11:00-12:00→カンピレー滝14:30-16:00→泊地16:30

マヤグスクの滝、そして滑落

マヤグスク滝

マヤグスク滝

6時に起床し、ご飯を炊く。ご飯が炊き上がり、ラジオ体操の音楽が始まるとみんな起きてきた。T村さんを除く4人は川に向かってラジオ体操をした。ラジオは日本語の放送はNHKがかろうじて入るくらいで、ほとんどは中国、台湾の放送である。イタジキ川はトロの連続で、泳いで泳いで泳ぎまくった。太陽が当たればもっと気持ちいいのだが、曇り空でも寒くはない。ナメ滝があらわれ、川幅が狭まってゴルジュ状になると、もうマヤグスクの滝は近い。ゴルジュの右岸のふみ跡をたどり、末端の木から空中懸垂でマヤグスクの滝の上の広い台地に下り立った。ゴルジュからは圧縮された水が白い飛沫をあげて勢いよく飛び出している。K村さんはここで懸垂の時におちてきた芋のような茎をかじったが、そのせいで舌がしびれてしまったらしい。一方、T村さんは左目の上下を虫に刺され、「お岩さん」状態になっていた(ダニに刺されたが、ヒルには誰も刺されなかった。ただし馬鹿でかいヒルは何度も見た)。滝は左岸を簡単に下ることができる。下りの途中、滝をトラバースしてやろうというバカな考えを起こした。水しぶきを浴びながら、写真を撮ってもらい、もう少しで水流の強い部分を抜けると思ったとき、左手が滑った。そもそもイタジキ川の岩はとても滑りやすく、いったんバランスを崩してしまうと持ちこたえることができずに落ちてしまった。釜はなく、左手と左足を強打した。高さは2mほどだったので、大した怪我にはならなかったが、それでも歩くのがやっとという感じだった。さいわい、滝から下流には登山道がついているので、何とかなった。まさにわが身をはって写真をとってもらったのだが、あとで調べてみると写真がとれていなかった。何のためにあんなことをしたのやら…、ほとほとわが身の軽率さを悔やむ。

月夜と蛍

カンピレーの滝

カンピレーの滝

痛みをこらえて登山道を歩き、カンピレーの滝にたどりつく。滝自体はたいしたことはないが、開放感は抜群である。本来の予定では、この日のうちにギンゴガーラ滝のある沢をできるだけつめておくつもりだったが、僕が登山道を歩くのがやっとということで、マリュドゥの滝付近で泊まることになる。とすればテント場はもうすぐだ。我々はいつの間にか、深い眠りに落ちていった。気がつくと1時間以上経っていた。結局、マリュドゥの滝までは行かず、すぐ近くの東屋で泊まることにした。椅子があるのはありがたい。この日はまーぼー春雨と沖縄そば(6人前)。K村さんはまだ舌がしびれているらしい。ここはもうひと気が濃いせいか、やたらゴキブリが多い(小さくてかわいいが…)。カラスもおこぼれを狙っている。しかし不快なことばかりではなかった。青白い光が宙を舞う。そう、蛍がいたのだ。そして月夜。雲の合間から煌々とジャングルの中の白い岩肌と水しぶきを照らし出す。それはうっとりするような不思議な世界だった。この日、今回の山行ではじめてヘッドライトを使った。

5/4

泊地8:30→展望台9:00→ギンゴガーラ滝10:30→船着場14:00→浦内橋14:45→白浜15:15→船浮15:50→イダ浜16:10

ギンゴガーラ

ギンゴガーラ滝

ギンゴガーラ滝

6時起床。右肩が痛い。足の方は押さえると痛いが、かなり回復した。しかし沢を歩くのは無理なようだ。後半の予定は断念し、下山することになった。全員でマリュドゥの滝の展望台まで行き、そこから僕は船着場へ直行し、残り4名はギンゴガーラの滝を見学しに行った。船着場まではすぐで、川べりに腰を下ろすと、荷物を広げて濡れた衣服を乾かした。まもなく朝一番の船がやってきて、親子連れがあたり一面を占拠した。これには少々辟易し、昼寝をきめこむ。午前中は太陽がぎらぎら照りつけ、日陰でもやりきれないくらいの暑さだ。そんなとき、中国語放送では中国の最北端の村の話をしていた。北極村というらしい。当然のことながら、たいそう寒いらしい。4人は1時半ころ戻ってきた。関君ががんばってくれたとのこと。2時の船で浦内川を下る。片道なのに往復料金を支払わされた。


幻の浜

下山後どうするか、成案はなかった。関君は西へ行きたいといい、僕もそれに同調した。とくに船浮は船でしかアプローチできない村で、とても魅力的なところだ。バスがすぐにあったので、飛び乗った。終点の白浜で降りたが、次の船は2時間半後。途方に暮れていると、臨時の船を出してもらうことになった。しかし、船浮についたはいいが、民宿は空室がなく、テントで寝るしかなかった。集落で唯一の売店で食料を仕入れる。冷凍の豚肉を仕入れたが、賞味期限をすっかり過ぎていた。泡盛も買った。久々のアルコールだ。集落を抜け、坂道を越えて、イダ浜でテントを張った。後にみたパンフレットには幻の浜と紹介してあった。まったく、幻の多いところだ。僕はさっそく海に飛び込んだ。女性3名もそれに続いた。関君は浜辺で貝の採集に専念していた。K村さんは海辺の出身とあって、食べられる貝をよく知っていた。海はとてもきれいで、空が青ければもっときれいだろうに、と悔やまれた。パスタと豚しゃぶ、それにキュウリの浅漬けをつくって食べた。海岸で採取した貝も焼いて食べた。ラジオでは沖縄が梅雨に入ったことを告げていた。そういえば、以前、屋久島の沢へ行ったときも梅雨入りにぶちあたったっけ。あの時は増水のため沢に登れなかったが、今回は沢にいる間は天気がもってくれたのでよかった。

5/5

泊地9:00→船浮10:30→白浜12:05→西表島温泉12:50-15:50→大原16:20

悲しい過去

夜中から雨が降り出し、テントは若干浸水した。暑くて不快な夜だった。6時に起きてはみたものの、雨の中でご飯をつくる気にもならず、7時までだらだらしていた。関君の発案でツェルトを張って食事を作ることにした。9時ころに出発して港に向かったが、次の船は10時半ということで、集落をぶらぶらして時間つぶしすることになった。地図を見ていると要塞跡があることがわかったので行ってみた。犬の「ブー」が一緒についてきた。壕をくぐったところに要塞跡があるみたいだが、壕は立ち入り禁止になっていたので、あきらめて集落の反対側へ向かった。そこでぶらりと立ち寄った資料館は僕の西表島のイメージを大きくくつがえすことになった。炭鉱の町としての過去。奴隷同然に扱われた炭鉱夫たち。そして戦時中には強制疎開させられ、多くの人々がマラリアの犠牲になった。なかでも慰安所の存在は、つい最近「からゆきさん」のことを調べていた僕を驚かせた。後で知ったことだが、慰安婦の中には朝鮮人女性もいたとのことだ。彼女たちの行方は誰も知らない。一見のどかな村に秘められた悲しい過去。それは僕の心の中で目の前に広がる光景――時折雨を降らせるどんよりした暗い空と美しすぎる海――と重なり合った。

最果ての温泉

10時半に船は出港し、白浜に着いた。バスの時間まで1時間以上ある。また村をぶらぶらしながら過ごした。バスの運転手は気さくな人で、船浦で途中下車して荷物を回収したいという申し出を快く受け入れてくれた。最初はガラガラだったバスも、西表島温泉につく頃には一杯になっていた。バス停からは専用の車で温泉まで送迎してもらえるが、あまりに下りる人が多かったので、我々一行は取り残され、第二弾で送ってもらった。日本最南端の温泉は、近代的設備のきれいな温泉だった。まずご飯を食べてから、温泉に入る。一週間近く風呂に入っていなかったので、とても気持ちいい。まさに一皮むけた感じがした。そこからまたバスに乗って、終点の大原へ行った。大原では、T村さんの定宿である民宿やまねこに泊まった。2階の広い部屋を5人で独占した。さっそく食事にでかける。今日は、迷惑をかけたお詫びに僕がおごることになっていた。もともと行く予定だった「大将」が休みだったので、となりのなんごく食堂に入った。ここで数少ないメニューをかたっぱしから注文して食べまくった。

5/6

大原10:40→南風見田浜11:00-11:50→大原→星砂の浜15:10→大原17:00→石垣

恐怖のドライブ

青いヒトデ

青いヒトデ

天気がよければ宿の人がパナリ島へ連れて行ってあげようといってくれていたのだが、朝から小雨。車を貸してもらえることになり、南風見田浜へ行くことにした。運転免許証を持ってきていたのはT澤さんだけだったので、必然的に彼女が運転することになった。彼女は完全なペーパードライバーで、ここ十年余りでこれが2度目、しかも前回は同乗者を震え上がらせたという逸話を披露し、我々を恐怖のどん底に突き落とした。しかし交通量も少なく、信号もほとんどない西表はリハビリにちょうどいい。まずはガソリンスタンドによって給油し(すでに満タンだったので66円分で満タンになり、ガソリンスタンドの兄ちゃんに笑われてしまった)、浜に向かった。その間、助手席に乗ったK村さんは相当神経質になっていた。南風見田浜はきれいな浜だが、この天気では海を楽しむことはできない。膝下までつかったが、あまりの冷たさに、すぐに敗退した。男性陣の敗退後にT澤さんが海に入り、「魚が一杯いる」と叫んだ。この一言で俄然元気が出て、カメラを持って海に飛び込んだ。しかし寒いので長くは持たなかった。一旦、宿に戻り、近くの食堂で昼ごはんを食べ、再びドライブに出かける。波照間島へ向かう関君とはここでお別れとなった。星砂の浜までドライブをし、帰ってきた。

最後の晩餐

民宿で清算をすると、船の回数券を売ってくれた。ぐずぐずしてなかなか出てこないT村さんを放っておいて、我々3人は先に港へ急いだ。もう出港直前だった。チケットを見せると、船会社が違うと言われた。石垣と大原を結ぶフェリーは安栄観光と八重山観光の2社あったのだ。我々の乗る船の出港まであと20分あった。T澤さんはここで車の鍵を返していないことに気づき、宿に戻った。K村さんはお土産を買いにスーパーへ行った。T村さんはどこともなく消えていった。出港時間が近づくと、宿のおじさんが見送りに来てくれた。T村さんがまだ戻ってこないが、とりあえず荷物を船に積み込んだ。出発直前になってもT村さんが来ないので、宿のおじさんが探しに行ってくれた。彼女はぎりぎりの時間に平然と帰ってきた。さすがだ。石垣では再びパークサイドトモに泊まる。宿の主人がいなかったので、ひとまず荷物を置いて休んでいると、あのおじさんが釣りからもどってきた。成果はないとのこと。我々4人は食事にでかけた。食いまくって飲みまくって8千円。K村さんがおごってくれた。宿に戻ってだらだらと話しこみ、11時すぎにようやく就寝した。

5/7

石垣9:30→那覇16:15→伊丹18:10

絵に描いたフィナーレ

市場の魚たち

市場の魚たち

6時半に起床し、タクシーで空港に到着。那覇では約6時間の待ち時間があるので、ゆいレールに乗って首里城へ向かった。首里城をまわった後、T村さんの友だちと待ち合わせる。10分くらいで来るとのことだったが、T村さんの友だちだけあって、10分では来なかった。さーたーあんだぎーで空腹をしのぐ。いい店を紹介してもらう予定だったが、空腹にはかてず、すぐ目についたそば屋に入る。食事を終えてから、K村さんとT澤さんは市場へ行き、僕は県立博物館に向かった。T村さんと友人はまだしばらくそば屋で話をしていた。首里城見学に結構時間をくったので、残された時間は少ない。博物館では、船浮以来気になっていた沖縄の歴史のコーナーだけ見て出てきた。駅へ行く途中の本屋で沖縄の歴史と朝鮮人慰安婦の本を購入した。空港でお土産を買うと、すぐに搭乗口に向かった。我々は万が一のことを考えて、もともとT村さんが持っていた航空券を各自が持ち、荷物券はT澤さんに持ってもらっていた。しばらくしてT澤さんとK村さんがやってきた。搭乗が始まって、T村さんからメールがあり、ぎりぎりになるから先に搭乗手続を済ませておいてくれとのこと。予想されたことだったので、誰も驚かず、飛行機に乗った。出発時間が少し過ぎて、T村さんの名前が機内放送で流れた。やがて乗務員が来て、T澤さんにT村さんは今どこにいるのかを尋ねた。携帯の電源を入れるわけにも行かず、いまどこにいるかわからないと答えるしかなかった。かくて、飛行機はそのまま離陸することになった。大阪に着くと、乗務員に呼び出され、T村さんが関空行きの飛行機に乗ったことを知った。荷物を預かってもらおうとしたが、預かれないと言われ、着払いで送ることにした。かくて西表の珍道中は無事幕を閉じたのである。
翌朝、病院へ行って、右肩(と以前から時々痛む腰)をみてもらった。骨には異常なしとのことで一安心。

参考資料

1. ハブについて

西表の沢で一番気になるのはハブの存在である。しかし沖縄のハブとちがって西表のハブの毒はそれほど強くない。血清はまだ作られていないそうだが、万が一かまれた場合でも、毒を吸い出せば大丈夫とのことだ。とにかく、沢でハブに噛まれて死んだという記録はこれまでにないから、この点は大いに安心できる。カエルを食べるハブは川沿いに多く生息する。夜行性のため、夜に灯りもつけずに行動するのは危険だ。夜中にトイレなどに行くときは注意が必要。とぐろを巻いているときは、臨戦体勢で、いつ飛びかかってくるかわからないから気をつけよう。地元の人は、ハブが道路を這っていると車でひき殺すという。

2. 装備について

共同装備


装備 数量 備考 コメント
テント 1    
天気図用紙 6   結局一度も天気図を取らなかった。核心は放送が受信できるかどうか
ツェルト 1   雨の日の調理では大いに役に立った
医薬品 1   シップを使用
ロープ 2 30m 20m以上2本は必要
ガソリン 2リットル   本流の水はあまり飲む気がせず、行動用のお茶を作った。また米は生米を使用。予備日を含めて2リットルでちょうどくらい
ガソリンコンロ 1 peak1 屋久島や西表の沢では欠かせない
コッヘル 1set    
飯盒 1    
カメラ 1 防水  
ローソク 2   未使用
ラジオ 1    
スリング 適宜 残置含む 未使用
ハーケン 適宜   今回のルートでは不要
ハンマー 1   今回のルートでは不要
携帯電話 4   沢では通じない。K村さんの携帯が水没し使用不能に。

個人装備

装備 数量 備考 コメント
シャツ 2 替含む、長袖  
下着 2 替含む  
タオル 1    
ズボン 1    
軍手 1    
靴下 2 替含む  
1 沢用のみ  
帽子 1 必要であれば  
雨具 1 カッパ。傘不要  
防寒着 1   不要。乾いた着替えがあれば十分
食器、箸スプーン 1set    
非常食 1    
行動食 5    
予備食 1    
水筒 1   テント場が水流から遠かったので、大きめの水とうが役に立った
シュラフカバー 1   シュラフは持っていかなかったが、正解
マット 1    
ナイフ 1    
ザック 1   泳ぎが多いので防水対策はしっかりと
ヘッドランプ 1   今回はほとんど使わなかった
電池 1set    
コンパス 1    
ライター 1 防水  
地図 1 防水。地形図 濡らさず、いつでも見れるように工夫が必要
計画書 1 防水  
ペン 1   今回は全天候型ノートを持って行ったが、非常に役立った
ローペ 1 共同は持たない  
1    
医薬品 適宜 個人的に必要なもの  
洗面用具 適宜 必要であれば  
ゴミ袋 1    
ヘルメット 1    
カラビナ 3    
エイト環 1    
ハーネス 1    
スリング 2    
お金 適宜   郵便局のカードが役に立つ
サンダル 1    
時計 1    
靴紐予備 1    

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