富士山(残雪期ハイキング)

期日 2004年5月1日〜5月3日
山域 富士山
山行形態 残雪期登山
メンバー CL増田、K山、O川、Y本
文責 増田

行程

5/1(土)
京都駅 1700〜2400 富士山須走口五合目
5/2(日)
須走口五合目 600〜1120 八合目〜1400 八合五勺
5/3(月)
八合五勺 600〜720 吉田口浅間神社〜800 剣ヶ峰〜900 八合五勺〜1145 須走口五合目〜〜2200 京都着

所感

5月1日(土)

自宅に鍵をかけていよいよ出発する。はやる気持ちをぐっとこらえて車のハンドルを握った。昨年もこんな気持ちで出発したが、結果は良くなかった。靴を忘れるという致命的なミスで、登頂できなかった。今年はちゃんと靴も乗せた。何か忘れ物をしているんではないかという一抹の不安はあったが、いつまでもそんなことにもこだわれず、出発した。午後5時前に京都駅に着いたら、K山さんがもう既に待っていた。O川さんの現れるのを待って、京都駅を後にした。まず山科へ、インターの前のガスとの前で、Y本さんと合流して、一路富士山へ向かった。高速道路は混んではいたが、さほど渋滞もなく、スイスイと走れた。途中、O川さんがアウターを忘れてきたことが判ったが、私がゴアのレインコートを持ってきていたので、その上着をアウターにすることで了承された。靴でないなら問題はない。午後12時前に富士山須走口5合目の駐車場に着いた。K山さん、O川さん、Y山さんの三人はテントを張って仮眠した。私は車の中で寝た。

5月2日(日)

午前4時起き、午前5時発の予定だったが、実際は午前5時起床、午前6時発になった。私は結構眠れた。一人車の中だったからか、持参した睡眠導入剤の効き目か、どちらもかだろう。辺りに車は数台が泊まっていたが、あまり動きはなかった。少しガスが懸かった感じだったが、真上の空は青かった。雪は6合5勺くらいからありそうだった。昨年は5合目から直ぐにあったが。今年は暖かいせいだろう。本来の登山道を少し外れて上り始める。何故なら、山頂が真っ直ぐに見られる場所だったから。兎に角、前へ前へ進んだ。Y本さんは様々な行動食を用意していて、そのお裾分けを頂いたが、ミカンありコンニャクマンナンありでこちらがビックリさせられた。O川さんは快調でどんどん進む。後の3人はその後に続くが、K山さん、Y本さん、私の順で登っていった。午前11時20分頃に8合目弱(2900m)くらいの地点で休憩をとった。私が遅いのを見たO川さんとK山さんが私の荷物を少し持ってくれた。2Lの水をO川さんが、テントポールをK山さんがそれぞれ分担して持ってくれた。約3Kgが減少したことになる。又、この時Y本さんが眠いと云って仮眠を始めた。A木さんのことを思い出したが、そんなに問題がありそうな感じではなかったので、先に出発した。Y本さんはそれから40分くらい仮眠して、午前12時前くらいから登り始めた。上からその様子を見ていたが、特に問題はなさそうだったので、先に進んだ。3200m位から強風が吹き始めた。少しづつ北に回り込んでいき、風の影響を受けやすくなっている。アウターを着て進む、それまではほとんど無風状態で、快晴のためきわめて暑かった。斜面をトラバースすると小屋がやっと見えてきた。吉田口から登ってきているの10数名の登山客がいた。O川さんが8合5勺(3500m)の御来光館の上に着いていた。私達もそれに続いた。私が着いた時間は午後1時45分だった。まだ、日が高かったが、風が強く、テント張るのに手間取った。Y本さんも午後2時位に到着して、午後2時40分くらいにはテントは出来たが、今日中の登頂はあきらめた。疲れてもいたし、風も強く、又、明日もあるから。ゆっくりとテントの中で休んだ。紅茶を飲んでいたら、Y本さんが新鮮なトマトを出してきた。とてもさっぱりして美味しかった。それにしても良くもこれだけ持ってくれるなと感心させられる。午後5時位より夕食を作り始めた。献立はカレー、α米と福神漬けが用意されており、又Y本さんがお漬け物をすっと出した。食べられないかと思ったが、結局は全部食べてしまった。良かった。行動時間が短く、早めにテン場に到着できたことが良かったようだ。
 後は排泄が残っている。5時50分頃にテントの外に出たら、影富士が見えた。写真を撮って雉を撃ってテントに入った。最後にラジオの天気予報を聞いて就眠した。明日は午前中は晴れるとのことだった。夜中に2度目が覚めた。持ってきたウィスキーと睡眠導入剤と鎮痛剤を2度服用した。

5月3日(月)

午前4時10分前に起床した。私が少し間違えて皆を起こしてしまった。でも少しくらい早いほうが楽しめる時間が多い。朝食はスパゲティーで、これも美味しく頂けた。紅茶を飲んで、いよいよ出発である。テントのポールを抜いて岩をテントの上に置いて、出発した。午前6時頃だった。風はさほど強くはなかったが、最初はみぞれ交じりのガスがかかっていた。そのうちに次第に晴れ始めて午前7時20分山頂の吉田口の浅間神社に着いた時には完全に快晴になっていた。写真を撮って、お鉢巡りに移った。まずは大日岳から伊豆岳から成就岳を通って富士宮口の浅間神社に到達した。そこから剣ヶ峰に登って写真を撮った。途中2名のグループの2組に出会った。お互い仲間でお鉢巡りをそれぞれ反対方向で回っているとのことだった。K山さんが剣ヶ峰を通って先に進む、はしごを経て火口の傍に行く、気象庁の天体望遠鏡があったが、ドームの小型みたいな格好をしていた。白山岳を横目に見て須志岳を通ってお鉢巡りが終わった。午前8時30分に吉田口浅間神社より下山を始めた。下りは早い、あっという間にテン場に着いた。テントを撤収して、いよいよ須走口を目指した。昨日の登ってきたコースを取らず、やや東寄りに下った。3000mからは風は弱まり、無風状態に近く、汗がにじんだ。それでも元気に下って、午前11時45分に須走口5合目に到着した。東富士荘でソフトクリームを賞味して、駐車場に向かった。午後1時に駐車場を出発して、御殿場温泉を目指した。所が下は小雨の中、車の渋滞が待っていた。流石大型連休である、様々なナンバーの車の列に戸惑いながら、カーナビを頼りに本道を外れ脇道から御殿場温泉を目指した。午後3時前に到着、少し早めに上がって、午後3時40分頃に出発、しかし御殿場インターはかなり混んでいるので、裾野インターに変更して、東名に入った。後は渋滞も混雑もあったが、無事に午後10時には山科に着いた。

 私は1999年1月1日に富士山に登頂して以来の登頂で、その間6度もチャレンジして果たせなかった富士登頂を決められたのでホッとしていた。昨年は靴を忘れ悔しい思いもした。しかし、登ってしまえばそんな苦労も吹っ飛んでしまう。車中では様々な話しが乱れ飛んだ。今でも覚えているのはO川さんがタンチョウに興味があるとのことで、北山にちょくちょく行くようになったと云うこと、初め私は丹頂鶴のことかと思っていたが、探鳥であることが分かって納得した。ちょっとした勘違いであったが、初めは京都にも丹頂鶴が居るのかと思った。所で、富士山は快晴であった為、日焼け止めを塗らなかったわたしの顔は火ぶくれで真っ赤だった。それはその後1週間悩ませることになった。初めの3〜4日は悲惨だった。これからは日焼け止めクリームは絶対持って行くことにしよう。

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