【夏山事始め】北岳ピークハント(無雪期縦走)

メンバー CL松田高橋稲野藤田湯浅
期日 2004年7月16日夜〜7月19日
山域 南アルプス 北岳
山行形態 ハイキング

行程

7月16日(金)
22:00京都駅集合 22:20京都駅出発
7月17日(土)
4:50南アルプス市営温泉ロッジ駐車場 〜仮眠〜 6:00起床 7:00山の神バス停 8:15大樺沢出合バス停 8:50広河原(行動時間中、休憩2回計10分)11:30白根御池小屋 〜昼食・お昼寝〜 14:15バットレスへ偵察 16:30テン場着(湯浅・藤田)17:20テン場着(バットレス組)〜夕食〜 20:00就寝
7月18日(日)
6:00起床 9:20テン場発 9:40二俣 11:20八本歯ノコル 11:50吊尾根の分岐 12:25北岳山頂 13:10肩ノ小屋 15:15テン場着 〜休憩・夕食・宴会〜 21:30就寝
7月19日(月)
5:00起床 7:17テン場発 8:20大樺沢出合 〜休憩〜 8:30大樺沢出合 8:45広河原山荘 〜ひなたぼっこ〜 11:10大樺沢出合バス停 12:25山の神バス停 12:50市営温泉施設 13:45京都へ向け出発 22:10京都駅

湯浅の所感

 梅雨もあけたので、晴天の下での稜線漫歩を期待していた。北岳は高山植物の豊かなところだと聞いていたので、花々との出逢いをとても楽しみにしていた。

出発の日である7月16日は、祇園祭の宵山であった。集合時間は午後10時であったが、交通規制等でバスが遅れることを考慮に入れ、9時には大量の荷物を持って家を出発した。幸か不幸か、交通渋滞もなく、15分には八条口に到着し、45分間の暇つぶしに頭を悩ますことになった。浴衣を着て浮かれ歩く人々を眺めていると、登山用の服にサンダル履きという自分の格好が、次第にせつなくなってきたので、高山植物のハンドブックに神経を集中させ、気分を盛り上げていた。10時前に藤田さんが、10時過ぎに松田さんと高橋さんが来られ、10時20分頃に、北岳に向け意気軒昂と出発した。稲野さんは、1時間ほど前に、育さんと木村さんとともに先発されたとのことだった。その後、松田号は育さん号と合流するべく車を走らせたが、距離を縮めることはついにできず、最終目的地である市営駐車場で落ちあうことになった。

 午前5時前に到着し、稲野さんを無事に松田号にお招きしたあと、しばしの仮眠をとる。6時にモソモソと行動を開始し、食料と装備を分担したり、行動食を摂取したりしたあと、バス停に向かう。たくさんの登山者が列を作っており、バス3台でようやく間に合うほどだった。1時間強、バスに揺られていたが、もちろん夢の中である。8時15分に大樺沢出合バス停に到着し、準備体操をして50分には出発した。17日は、とてもよいお天気で、ウキウキした気分で野呂川沿いを歩いていた。しかし、なんと、上空にはヘリコプターが旋回し、吊橋の手前では5〜6人の消防隊員が上を見上げているではないか。「これはもしや・・・」と思っていると、道路のゲートを管理している方が、「バットレスで人が落ちたみたいですよ。意識はあるという話ですけれど。」と教えてくださった。歩き始めて5分もたたないうちに事故の情報を聞き、背筋がピンと伸びるような気持ちであった。

 気を引き締めて吊橋を渡り、広河原山荘の横から登山道を登り始める。沢の涼しげな音を聞きながら登っていった。小さな水の流れを石づたいにまたぎながら渡ったり、急で細い道を這い上がるように登ったりと、とても変化に富んだルートで、歩いていて楽しかった。沢沿いを歩くにもかかわらず、水を背負っていないと不安になる私は、2、5リットルの水をボッカしていた。荷物は重たかったが、比良でのトレーニングが功を奏して、それほど苦痛ではなかったのが嬉しかった。事前に、育さんから、北岳は人が多いとお聞きしていたとおり、中高年の方々のグループがとても多かった。一回目に休憩したのは、ちょうど沢が流れを変えるところで、ツルッとした平らな岩の上に腰をかけて、足元を過ぎる清らかな水の流れを眺めていた。二俣に着くと、多くの人が休憩していたが、写真を何枚か撮ったあと、速やかに白根御池小屋に向かった。(松田さんから、あとになって、よい場所にテントを張るために、ゆっくり休憩をとらなかったとお聞きした。)テン場に早く着いたので、池の上にある小高い場所にテントを張れた。松田さんの眼力はさすがだなあと思った。池のほとりに張ってあるテントを見下ろしていると、ちょっとした優越感を感じたが、「同じテン場料金でいいのかなあ。」「特別料金はないのかしら。」と申し訳ないような気もした。昼寝をした後、皆でバットレスに向けて出発。私自身は、今のところ、岩より花に関心があるので、取り付きまでは行かず、左俣コース上で、高山植物のハンドブックを片手に、花から花へとうろうろしていた。ミヤマハナシノブやタカネナデシコ、ミヤママンネングサなどがとてもきれいに咲いていた。雪渓を通る風はつめたく、手袋と防寒着を引っ張り出さねばならないほどだったが、この厳しい環境の中で、力強く生きている植物の偉大さに静かに感動していた。日に照らされた鳳凰三山や、雲がかかって水墨画のような様相のバットレスを一人眺めていると、とても幸せな気分だった。

 しばらくすると、バットレスに行かれていると思っていた藤田さんが、左俣コース上に戻ってこられたので、バットレス組3人より一足早くテン場に戻った。荷物の整理をして、お湯を沸かしたあと、2人、テントのそばにある大きな石の上に座って、草すべりの急斜面を眺めながらお話していた。1時間ほどたったころ、3人が戻ってこられた。その日は、私の用意した、軽量化を考えていないチラシ寿司と副采に味の薄いすまし汁で空腹を満たし、次の日の行動に備えて早めに就寝した。

 予定では、午前2時30分に起床することになっていたのだが、夜中に降り出した大雨は一向にやむ気配を見せず、その時点で、岩登りはあえなく中止となった。このような状態では、早立ちする意欲も失せ、6時までゆっくり休むことになった。6時になっても、雨の強さは相変わらずだったが、私と藤田さんのピークハントへの思いは変わらず、5人全員で、頂上を目指すことに決まった。それから、私の用意した、またもや味の薄い謎の中華雑炊を食べ、雨具を着こんで、9時20分ごろ出発した。その頃には、少し小雨になってきていた。当初の計画では、二俣から右俣コースを経て頂上に向かう予定であったが、天候を考慮して、最短時間で登れる左俣コースをとった。白根御池小屋から二俣へつながる道は、前日から行ったり来たりしていたが、何度歩いても心がウキウキするルートである。白根御池に近い辺りでは、あたかもお庭を散歩しているような気分であった。その後、周囲の視界を霧に阻まれながら、左俣コースを八本歯ノコルへ向けて登りつめていった。今年は、雪渓が少ないとのことであったが、2〜3メートル程の距離を横切るところが1ヶ所あった。横切ること自体は特別怖いということもなかったが、渡っている最中に、上方から、3人が、覆い被さるように雪渓上を下りてこられたのには驚いた。それから、濡れた急な岩場をヒーヒー言いながら登り、八本歯ノコルを過ぎたあとは、登りやすいのか登りにくいのかよくわからない間隔の広い木梯子を一歩一歩踏みしめて、北岳と間ノ岳を結ぶ稜線上に近づいていった。

 その頃には、高橋さんと私、松田さんと稲野さんと藤田さんに別れて歩いていた。高橋さんから、「稜線に出ると風がきついので、下手に休憩すると体を冷やす」とお聞きした上に、下りてくる人が、口をそろえて「すごい風ですよ」とおっしゃるので、気を引き締めて歩かねばならないと思った。しかし、登るにつれて強くなる風の力は想像以上で、横風に動作の自由を奪われ、脇に据え付けられたロープを握り締めながら歩かないことには、一歩も前に進めない状態であった。3人が、お互いをロープでつないで下りていかれたのを見たときには、これは大変なことになったものだと思った。稜線上の少しひらけた場所で、多くの人が、座って強風をやり過ごしていた。私たちも、とにかく松田さんの到着を待とうということになり、高橋さんの出してくださったツェルトにくるまって、ありえないほどの強風に耐えていた。寒さはやわらいで、少しは気持ちも落ち着いたが、ツェルトが吹き飛ばされないようにと必死に押さえている時間はとても長く感じられた。それにしても、私自身、ツェルトの活用法なるものを本で読んでいたとはいえ、実際に使ったことがなかったので、うまく被ることができず、高橋さんに迷惑をかけてしまった。いざという時のために、道具をしっかり使いこなす練習をしておかねばならないと反省している。

 10分ほどたった頃、松田さんと藤田さん、稲野さんが到着。私たちが座っていたところは、風の集中する鞍部だったので、速やかに、風の通り道から抜け出すべく歩き出した。岩から岩へ飛び移るように歩かないと、体が風にあおられ吹き倒されそうであった。岩に体をぶつけながらも、松田さんの後ろを走るようについていった。普段なら、山でこんなに早く歩くことはないだろうに、人間、いざとなると、どこからともなく力が湧き出てくるものなのだろうかと自分自身驚くほどのスピードであった。しばらくして、風も多少は和らいできたと思った頃に、頂上の立て札が目に入った。大変な思いをして、ようやく辿り着いた山頂である。本当に嬉しかった。同じ場所でやたらと写真をとり、通り過ぎていた高橋さんを呼び戻してまで恒例行事(ヤッホー!)を執り行ったあと、肩ノ小屋に向けて出発した。相変わらず、視界はゼロであったが、心は達成感で満たされていた。肩ノ小屋で沸かして飲んだ紅茶の美味しかったこと。冷えていた体が、内側から温まるようであった。

 小屋を出発してしばらくたった頃、雲が風に吹かれて舞い上がり、鳳凰三山や小太郎尾根(?)が一瞬だけ姿を見せてくれた。その時の高揚感はなんとも言えないものがあった。「姿を現してくれてありがとう」と山にも風にも感謝したいような気分であった。多くの人が同じ気持ちで立ち止まっていたように思う。その後、急な草すべりを、ゆっくりと下りていった。シナノキンバイやミヤマキンポウゲ、トリカブトやコバイケイソウなどたくさんの花が咲いていた。松田さんは、この間、女性3人の植物講師であった。私も、高山植物のハンドブックを持ってきていたのにもかかわらず、知らない花を見つけると、「松田さ〜ん」と呼んで講義をうけていた。高橋さんは、「家の庭に生えている草と同じに見える。」との驚くべき発言をされたことからもわかるとおり、高山植物にはあまり関心がないようであった。このルート上では、私の好きなダケカンバの木がたくさん見られた。ほろ酔い加減のような、うっすらと赤みがかったダケカンバの白い樹皮が好きなのである。今度、北岳に来たときには、草すべりコースを上りにつかおうと思った。草すべりを歩いている間中、目の前に、雲のとれた鳳凰三山がどっしりと横たわっていた。柔らかい優美な山並みがとても美しかった。私は、せっかくなので、育さんと木村さんに向かって両手を振った。出発してから6時間、3時15分にテン場に戻ってきた。

 テントの前で、荷を下ろしていると、若い男性が近づいてくる。誰だろうと思っていると、松田さんと高橋さんが驚きの声を出された。その方は、雪稜伝説の人、Oさんであった。ガイドでバットレスに行かれるとのこと。6時からの宴会に参加する旨の意思を表明されたあと、一旦、お客さんのもとに戻られた。私たちは、雨具を干したり、水を汲みにいったり、お酒を買いにいったりしたあと、5時半ごろから夕食をとった。その後、どこからともなく、大量のおつまみが登場し、自動的に宴会へと移っていった。松田さんが、Oさんを大声で呼び、6人、キャンドル1つのテントの中で、とても楽しい時間をすごせた。松田さんの駄洒落が連発され、「シックなムードの中で一杯のお酒を」というわけにはいかなかったが、ひたすら笑っていたように思う。Oさんは、次の日に備えて9時ごろにテントに戻られ、私たちも、9時半には眠りについた。

 その日の夜は、前夜とちがって、とても暑かった。2時過ぎに目が覚めた時には、松田さんと高橋さんが、テントの中に風を入れる努力をされていた。外では、小雨が降っているようだった。再び、眠りが訪れるのを静かに待っていたが、耳を澄ますと、笛のような音が聞こえてきた。同じ間隔で聞こえるその音は、とても物悲しく、人を呼んでいるかのようであった。「もしかして、道に迷った人が助けを求めているのかしら。それとも、物の怪なのかしら。」と本気で気になったが、「夜があけて明るくなるまで待っていてください。」と念じるうちに、いつの間にか寝てしまっていた。われながら、実にお気楽である。朝になると、その声は、もはや聞こえなかったが、念のために、皆さんに確認すると、鳥の声であるとのことだったので安心した。

 最終日は、5時に起床し、テントをたたんで、7時17分に下山しはじめた。始めはアップダウンも少なかったが、次第に、木の根や段差の多い急な道となった。私は、自然のままの段差や木の根は気にならなかったが、所々に据え付けられた木梯子はあまり好きにはなれなかった。かえって歩きにくかったので、へそ曲がりな行動だなあと思いつつも、梯子の脇を通って下りていった。高度を下げるにしたがって、天気もよくなってきた。上空に見えるバットレスには、今日も雲がかかっており、皆で、ガイド山行をされているであろうOさんに思いをはせていた。左手から沢の音が聞こえ出した頃、左右が切れ落ちた樹林帯の中の細い尾根に出逢った。木の葉を通して日の光を浴びながら、その細い道を歩いているときが最も楽しく気持ちよかった。時間があれば、木の根にゆっくり腰をかけて、この道を眺めていたいなあと思った。出発してから1時間、大樺沢との出合で、先頭を行く高橋さんに、無理やり10分の休憩をとっていただいた。あたりには、シラビソの木がたくさん生えていた。その後、15分ほどで、広河原山荘に到着。皆が無事に下山できたことに感謝した。しかし、最後まで、北岳の山頂を見られなかったことは残念であった。

 すぐにでも、バスに乗って駐車場まで戻りたい気分であったが、残念ながら、次のバスが発車するのは11時であるとのことだったので、2時間以上、バス停周辺で時間をつぶさねばならなかった。せっかくなので、今のうちにテントやフライ等を乾かしておこうということになり、バス停にザックをおいて「席」を確保したあと、近くの駐車場に移動した。私たちも、濡れた装備の横で、実に優雅なひなたぼっこと昼寝(朝寝?)をしていた。私と稲野さんは、野呂川の川原に下り、石の上に座って、靴を洗いながら、1時間ほどお話していた。ようやく11時になったので、バスに乗り込む。バスは、細い道路を、無線で連絡をとりながら走っていった。夜叉神峠のバス停で、育さんと木村さんが、前のバスに乗られるところを発見。無事に縦走を終えられたのだなあと思い、嬉しくなった。お昼過ぎに駐車場に着き、荷物の整理をしたあと、育さん、木村さんとともに、温泉に向かった。温泉施設の横に、クライミングウォールがあったのが不思議だった。13時45分には温泉をあとにし、諏訪湖の横で昼食兼夕食をとった。京都には、22時過ぎに着いた。

 今回の夏山事始めは、想定していた「花を愛でながらの稜線漫歩」とはいかなかったが、とても楽しい4日間であった。夏であっても、これほどまでに荒れるということ、下界と標高3000メートルの稜線とでは天気が全く異なること等、自然の厳しさを実感することができ、とても勉強になったと思っている。また、残念ながら、北岳の山容を眺めることができなかったので、近いうちに、鳳凰三山を歩きながら、北岳の姿を見られればなあと思う。

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松田の所感

 久しぶりの北岳は、バットレスには行かせてくれなかったけれど雨と強風の中、頂上には行かせてくれた。そして、とても楽しかった。よくもまあ、笑えない駄洒落をみんな辛抱して聞いてくれやはりましたなぁ。おまけに元気なOさんにも会えて良かった。ガンバレOさん。われわれもまた、リベンジしよう。

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藤田の所感

 お花のきれいな季節になったので、高山植物の豊富な山行を望んでいたところ、今回北岳に行かれるということで、参加させていただきました。「北岳」は富士山の次に高い山ということを聞いて、はたして皆さんについていけるか心配しながらの参加でしたが、遅いペースで迷惑をかけながらでしたが、無事北岳に登ることが出来、よかったです。
 朝から雨降りでちょっと気が滅入っていたところに、さらに追い討ちをかけるごとく、頂上間近で強風に見舞われ、はたして頂上に辿り着けるのかとよろよろ歩きながらドキドキしていましたが、何とか山頂を踏むことが出来、恒例の「ヤッホー」を叫べた時は充実感いっぱいでした。
 まだまだ歩くのがやっとの状態で松田さんがお花の名前を教えてくださっていたのに、覚えるところまで余裕がなかったのが、とても残念です。雪稜の山行に初めて参加してから1年経ったのですが、あまり成長のない自分に情けないな〜と思いつつ、今後の課題がいっぱい発見でき、有意義な時間を過ごせたと思っています。  皆さん、ありがとうございました。

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高橋の所感

 7/17朝に広河原に到着した時には、ところどころに雲が見えつつも、非常に良い天気で翌日の北岳バットレス登攀に想いを寄せていたものであった。フライシートも要らないか?と思うくらいの天候であった。しかし、白根御池に到着後、日が傾いていくに従って雲行きが怪しくなり始め、夜半からぽつぽつ、そして、7/18起床予定時刻の2:30には、大雨となっていた。まったく、どうしようもない。その後も雨は断続的に降り続いた。やむなく登攀は断念。朝寝をしたのち、朝食を取って、北岳ピークハントに参加。八本歯のコルを過ぎた辺りから、風と雨が強くなり、北岳の稜線との合流点付近で風速は最大となる。吹き飛ばされそうなくらいであった。北岳頂上に到着後、みんなで記念写真をとったが、周りは何も見えず。しかし、みな「ピークを取ったので満足」の表情。その後肩の小屋を経由して草付を下り、白根御池に下った。7/18 夕刻珍客来訪。O氏である。明日、ガイドの顧客2名とバットレス4尾根を登攀とのこと。ご苦労さまである。夜8時過ぎまで、1時間余り、みんなと楽しく!?懇談した。この日の夜から7/19の朝方にかけてもポツポツと、あるいは時に強めの雨が降る。バットレスへの未練を残しつつ、今回はしょうがねぇよな、と納得して、広河原へと下った。今回の成果は、7/17夕刻取付点までいって、自分の目で確認したことである。次のチャレンジの時には確実に生きる。

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稲野の所感

 当初この連休は初の姉妹山行を予定していました。
 出発日7/16金曜の18時半ぎりぎりまで姉と考えていたのですが、新潟に残っていた梅雨により、雨という予報で白馬から雪倉から朝日の縦走を諦めることにしました。
 計画書を松田さんに出していたため、キャンセルの電話を入れました。
 その日は松田さんも北岳のバットレスに行く当日で、用意の真っ最中だったのです。
 「白馬を雨のためやめにしました」と報告したら、松田さんから「北岳どうです??」と声をかけていただき、前々からとても行きたかったので、心がぐらぐらと揺れてしまいました。南アルプスならまだ天気が期待できるかなと思い、当日20時ごろ行くことに決定しました。急遽私のために、一台増車していただき、食料も美味しい食事を分けていただき、本当に皆様には急遽のことでご迷惑をおかけしました。本当にすいませんでした。ありがとうございました。
 縦走のみの用意しかしていなかったので、すぐに登攀道具一式用意し京阪電車8時45分に飛び乗り、樟葉で育さんと木村さんに合流して、私たち3人の育さん号と松田号に分かれて出発しました。

7/17 土曜日 晴れ時々曇り

 広河原までバスで1時間に揺られて到着。たくさんの人で賑わってました。今日はテン場までの3時間ということでゆっくり出発しました。アップダウンも少なく歩きやすい道で気持ちよく歩くことが出来ました。
 テント場に到着したのがお昼過ぎで早かったのかテントの数は少なく、どこにテントを立てるかじっくり検討することが出来ました。結果、ちょっと高台になっていて、芝生が生えている、最良の所にテントをたてることにしました。お昼を食べてお腹いっぱいになり、ポカポカの中みんなで昼寝をしました。とても幸せでした。昨晩寝不足ということもありみんな爆睡で、13時半に起きる予定が14時ぐらいまで寝てしまいました。
 翌日バットレスに行くために、下見に行くことにしました。C沢からつめて十字クラック・dガリーを見に行きました。地図をみながらどれがどの沢か判断するのは難しかったです。岩に赤字で大きくC沢と書いてあったのと、下見に来ていた別パーティに聞き、C沢がどれか判断することが出来ました。
 下部岸壁の取り付きに到着し、どこがどのコースか地図と岩とを眺めていました。だんだん岩に圧倒され、あの岩を登るのかと思うと、怖いと思う気持ちが強くなり、弱気になっていました。  「明日登るんだぁ!!」と思いながら取り付きをあとにしテン場に戻りました。

7/18

 起床2時を予定していましたが、雨の音がしていてやみそうにない気配でした。
 バットレスの中止が決定し、6時ごろまで寝ることになりました。
 正直とても残念だったのと同時に、まだまだ岩に未熟で、ちゃんと下調べをせず、急遽出発当日にバットレスに行くと決めたことにひっかかっていた私は、これでよかったのかもしれないという気持ちもありました。もしこのままバットレスに行っていても怪我、もしくは、登れたとしても達成感が違ったかもしれないと思いました。
 バットレスがなくなり、雨は降っていましたが、私たちは、北岳のピークに行くことにしました。景色は何も見えなかったものの、北岳のピークを踏むことが出来てうれしかったです。お花も綺麗に咲いていて楽しむことが出来ました。また、市営北岳山荘への分岐からだんだん立つことも困難なぐらい強風が吹き、視界が悪くなり、松田さんと距離があいたときは不安な気持ちになりました。そんな中どうしたらいいかということを教えていただき、勉強になりましたし、いい経験をすることができました。  あと、松田さんの親父ギャクと鼻唄を聞きながら、笑いに笑ってみんなで歩くことができて、とても楽しかったです。

7/19

 ゆっくり起きて、下山。
 天気は朝方雨が降っていましたが、だんだんお天気は回復し、鳳凰三山が綺麗に見えてました。でも北岳は最後の最後までガスがかかっていて頂上をみることは出来ませんでした。

 雨で今回バットレスにいくことはできなかったですが、みんなで楽しくピークを踏むことができてよかったのと、いい経験をすることができ、勉強になりました。
 バットレスは岩を練習して、リベンジに行きたいです。下見が活かせたらいいなと思ってます。
 本当にありがとうございました。

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