鳳凰三山(無雪期縦走)

メンバー CL湯浅荒木日笠榎本
期日 2004年9月17日夜〜2004年9月20日
山域 南アルプス 鳳凰山
山行形態 無雪期縦走

行程

9月17日
京都駅21:00
9月18日
市営芦安駐車場3:00−山の神バス停5:50−(山梨交通)−6:40広河原6:50−(市営バス)−7:20北沢峠7:32−北沢長衛小屋7:40−仙水小屋8:15−仙水峠9:00−10:50栗沢山11:00−12:15アサヨ峰12:40−早川尾根小屋テント場14:40−夕食16:00−就寝17:30
9月19日
起床4:10−早川尾根小屋テント場6:20−広河原峠6:45−7:45白鳳峠8:00−8:55高嶺9:10−赤抜沢の頭10:00−10:10賽の河原10:20−地蔵岳往復−10:50賽の河原11:00−赤抜沢の頭11:15−12:47観音岳12:55−13:30薬師岳14:15−南御室小屋テント場15:10−夕食16:30−就寝18:40
9月20日
起床3:10−南御室小屋テント場5:05−5:34苺平5:40−6:35杖立峠6:45−7:26夜叉神峠7:50−8:30夜叉神峠登山口8:46−(山梨交通)−山の神9:10−入浴後10:15帰路につく。−京都駅16:00

湯浅の所感

〇事の始め

 この鳳凰三山縦走計画が持ちあがったのは、8月末の懇親会においてであった。静原荘に向かう途上、日笠さんと2人、9月の三連休について話しているうちに、北岳バットレス組に便乗させてもらって、鳳凰三山へ縦走に行ければいいねえという話になった。その後、松田さんにお話したところ、「どうぞお好きに。」とのことだったので、ハイキング志向の人々に声をかけることにした。すると、荒木さんと榎本さんが早くも参加意思を表明して下さった。あっという間に、山行計画が出来上がってしまったというのが実感である。

〇プラン会

 9月11日の夜、比良ボッカトレを終えてから、食事をとりながらプラン会を催した。それまでに、おおまかな計画書と装備表を私が、食糧計画表を日笠さんが作成して、メールやファックスでやり取りしていたので、1時間ほどで終えることができた。コースとしては、北沢峠から夜叉神峠まで縦走するプラン・と、夜叉神峠から入って広河原峠で下りる軟弱プラン・を考えていたのだが、皆で相談して、プラン・でがんばってみようということになった。

〇出発

 とうとう、9月17日である。様々な経緯で、北岳バットレス組とは別パーティーとなっていたので、私たち4人は、早々と21時に京都駅を出発した。日笠さんと榎本さんが、交互に運転して下さった。私は、リーダーデビュー山行というわけで、やや緊張していた。しかし、それまでの準備段階で、皆で山行計画を作り上げていく充実感を感じることができ、とても楽しかったので、既に、妙な達成感があった。(日笠さんと榎本さんには、「これからやで!」とつっこまれたが。)

〇市営芦安駐車場

 榎本さんが、白根ICで、市営芦安駐車場への道順を書いた地図をもらっていたので、迷うことなく到着できると思っていたが、それほど、事は容易くなかった。至るところに案内標識がある京都に住んでいる身では、山梨県の実にシンプルな案内標識には太刀打ちできなかったのである。さらに、「ここは、一度来たことのある私が、道案内役をしなければ!」などと余計な配慮をしたのが、そもそもの間違いであった。「この道に見覚えがあるわ。」といい加減な発言をして、さらに、事をややこしくしてしまった。暗闇をうろうろと徘徊した後、ようやく目的地に着いたときはホッとした。

〇北沢峠までの長い道のり

 5時35分発のバスに乗るべく、30分には山の神バス停に到着したのだが、バスは既に満員であった。7月に北岳に来たときには、3台のバスで、十分座れたのだが、今回は、5〜6台のバスが待機しているにもかかわらず、乗れるかどうかさえ心配になるほどであった。山梨交通の人に、「時間があるのならば、1時間後のバスを待ってください。」と言われたが、そうすると、乗り継ぎのバスの関係で、北沢峠に到着するのが2時間後になってしまうので、それはできない相談であった。広河原までのグネグネ道を、1時間以上立ったままで行くというのも、寝不足の身体には辛かったが、やむを得ないので、無理やり乗せてもらった。小学校で教わった「5分前行動」は、三連休の山では通用しないことを学習した。

〇北沢峠から仙水峠

 北沢峠でバスを降りた人は、結構多かったのだが、皆、仙丈ケ岳や甲斐駒ケ岳に向かうのか、始めから、他のパーティーに気を使うことなく、のんびりと歩くことができた。北沢長衛小屋で、冷たくて美味しい水を汲んだ後、沢に沿って、樹林帯を登っていった。仙水小屋を過ぎて、しばらく行くと、所々に杉の木が横たわっている、休憩にもってこいの開けた場所があったので、早くもおにぎりを食べてゆっくりしていた。辺りは苔で覆われており、朝の弱い光をうけた木々や地面を眺めていると、神聖な世界に迷いこんだような気分になった。その場所を出発すると、すぐに、ガレ場と言われる地形に遭遇した。私は、これほど多くの岩が、斜面を覆い尽くしているとは想像していなかった。左手上方に続く岩の斜面の上に、黄緑色の明るい樹林帯が見えることと言い、右手下方の谷筋に、ハイマツと色づきかけた背の低い木々が見えることと言い、とても印象に残る地形であった。振り返ると、柔らかい山容の小仙丈ヶ岳の後ろに、仙丈ケ岳の頂上が見えた。仙水峠からは、摩利支天と甲斐駒ケ岳が真正面に見えた。それらは、覆い被さるかのような迫力を持って、私たちを睥睨していた。山肌の蒼ざめたような白い岩壁を見上げていると、背筋がすっと伸びるような気がした。

〇仙水峠から栗沢山

始めから、期待通りの急坂であった。人1人しか通れない程の細い道を、寝不足の体に鞭打って、少しずつ登っていった。何度も振り返っては、甲斐駒ヶ岳と摩利支天を眺めていたが、次第に、東の方から雲が上ってきて、その姿を隠そうとしていた。栗沢山の方向に目を移すと、黄葉が始まっているようで、ハイマツの緑に映えたダケカンバの黄色はとても美しかった。(近くで見ると、涸れていたのだが。これは、暑すぎた夏のせい?)何度も休憩して、栄養補給しながら、やっとの思いで、栗沢山の頂上に立った頃には、辺りは、完全に雲の中となっており、残念ながら、展望は望めなかった。しかし、頂上でお会いした御夫婦に、「早川尾根は、静かで展望の良い最高のコースですよ。」と励まして頂いたので、その後を楽しみにして歩こうと思った。

〇早川尾根

 相変わらず、私たちは、雲の中の住人となっており、360度の景色を足下に眺めながらの稜線歩きはできなかったが、時折、雲が風に吹き飛ばされて、ポッカリと、雲の中から黄色に色づいた山肌や稜線が姿を現すと、それだけで心がウキウキした。アサヨ峰までの道では、ハイマツが、名に背いて、丈高く生えていたので、緑の海の中を平泳ぎで進んでいっているような気分であった。途中、なぜか、10年以上前に流行した歌(題名は忘れたが、「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じぬくこと、ダメになりそうな時、それが一番大事」という歌詞の歌)の楽譜が落ちていて、榎本さんと、今回の山行のテーマソングにしようかと話していた。それにしても、このような山の上まで、楽譜を持って上がってきた人の意図が不明であった。アサヨ峰の頂上は、風が強く、寒くて雨具を取り出した程だったが、日笠さんは、岩とザックを背にお昼寝をしていた。よほど眠たかったのだろう。その後、何度も何度も地図を見て、現在地を確認しながら、歩いていった。榎本さんが、読図の勉強をした成果を発揮して、10メートル単位で、「何メートル上って何メートル下る」と言われるので、私も、しっかり地図を読もうと思った。4つも5つも小ピークを越えていかなければならなかったが、今、自分たちがどこにいて、後どれだけ歩けばよいかを把握できていたので、気持ちの上では、とても楽であった。早川尾根小屋に、予定より早く到着できて嬉しかった。

〇山の上でフランスパン

 テントを張った後、外で夕食を食べる予定であったが、パラパラと小雨が降り出したので、中で準備をし始めた。今夜のメニューは、フランスパンにキャベツとウィンナーをはさんだホットドッグと、シーフード入りのクラムチャウダーである。夏合宿の帰りに、山の上でフランスパンを食べる計画を話していたことが忘れられず、今回、日笠さんに、わがままを言って、計画を実現してもらったのである。パン大好き人間の私としては、この夜の食事が、何にもまして(大袈裟?)楽しみであった。フランスパンを片手に、スープを飲み、無駄にボッカしてきたサングリアを飲んで、とても幸せな気分であった。ただ、皆、寝不足と疲労で無口になっており、硬いフランスパンを噛むのは、もしかしたら苦痛であったかもしれない。ハードな山行では、フランスパンを持っていくのは避けたほうがいいと思った。

〇早川尾根小屋から白鳳峠

 朝起きると、曇ってはいたが、雨は降っていなかったので、テントをすばやく片付けることができた。また、テントのフライを、日笠さんが持ってくれることになったので、前日より、遥かに楽であった。皆、ぐっすりと眠ることができたので、昨日と打って変わって、すこぶる元気であった。白鳳峠までは、気持ちのよい樹林帯を、緩やかに登ったり下ったりする道であったので、順調に進んでいった。薄暗い白鳳峠で、その日の核心箇所である高嶺に向けて、心の準備をした。

〇白鳳峠から高嶺をへて赤抜沢ノ頭へ

 白鳳峠を出てしばらく行くと、ハイマツまじりのガレ場が待っていた。樹林帯を歩いていた時には気にならなかったのだが、森林限界を超えると、そこは、強風が吹き荒れる世界であった。7月の北岳で経験した暴風よりはまだましであったが、気を抜くと、体がふらつくような風であった。その中を、急で足場の不安定なガレ場を上っていくのは、決して楽ではなかった。また、行く先を見上げても、身を隠すことのできる木や岩が見られないことや、高嶺から先の尾根がやせ尾根と地図に表記されていたことを考えると、このまま進んでいっていいのだろうかという不安が頭をよぎった。さらに風が強くなるようならば、白鳳峠に引き返して下山することも考えなければならないと思いながら歩いていた。幸い、ガレ場を過ぎて、金毘羅のような岩場を這い上がっていく頃には、風も幾分弱まっていたので、ホッとした。岩を登っていくのは楽しかった。高嶺では、小学校低学年ぐらいの子2人と中学生ぐらいの子を連れたお父さんを見かけた。いかにも登山一家であったが、私たちが登ってきた岩場を下りていくなんてすごいなあと思った。上りよりも下りのほうが、遥かに難しいからである。高嶺を過ぎた後も、気を抜くことなく、慎重に進んでいった。赤抜沢ノ頭に近づくに連れて、白い花崗岩の岩屑が稜線上に現れだした。何とも不思議な形をした白いオブジェが谷に向かって並んでいた。もうすぐ、鳳凰三山の領域に入るのだなあと実感しながら歩いていた。

〇鳳凰三山

 日頃の行いがいいおかげであると思うが、地蔵岳に近づく頃には、厚い雲がとれかかっていた。賽の河原で、お地蔵様に手を合わせた後、地蔵岳のオベリスクに向けて出発した。途中、「オベリスクはアラビア語?」とか「クラックスみたい!」などと騒ぎながら上っていったが、最後のとんがりは怖くて上ることができなかった。日笠さんは、とんがりの途中まで奮闘していたが、設置されているザイルが色褪せていて信用できないことと、ビレイができないことを考慮して、真の意味でのピークハントは断念することにした。そこで写真をとっているうちに、雲は完全に晴れて、待望の青空が姿を見せてくれた。賽の河原の向こうに見える山の斜面は、秋色に染まっており、とても美しかった。秋といえば、紅葉のイメージが強かったが、黄葉も、しっとりと落ち着いた雰囲気でいいものだなあと思った。
 それから、観音岳に向けて出発した。これから向かう稜線も、それまで辿ってきた稜線も、すっきり眺めることができて最高の気分であった。「これぞ、稜線漫歩!」と大喜びであった。観音岳からは、地蔵岳も薬師岳も眺めることができた。女3人、ちょっとした岩の上に立って、今なお雲の中にある北岳を指差す写真を荒木さんに撮ってもらった。日笠さんと榎本さんは、相変わらず、地蔵岳をつまんだり食べたりするバチアタリな写真を撮っていた。
 薬師岳に向かう途上、何度も右手に目を移しては、北岳が見えることを期待していた。薬師岳に着く頃には、稜線の一部が見え出したので、もう少しすれば見えるだろうかと思ったが、結局最後まで見られなかった。北岳は、やはり、300メートルも標高が高いので、雲がかかりやすいのだろう。残念であったが、鳳凰三山の稜線上が、これだけ晴れてくれたことに大満足であったので、もうこれ以上、贅沢は言うまいと思った。
 薬師岳の頂上は、公園のように広々としていた。頂上の標識は、その広場に立っていたが、地図で確認するまでもなく、真のピークは、少し東にある岩の上であったので、荷物を置いて、そちらに向かった。岩は5メートル程あったが、私たちの前に、男性が登っているのを見かけたので、一度、挑戦してみることにした。まず、私から登らせてもらった。ヘルメットなし・ビレイなし・クライミングシューズなしの状態であったが、なんとか頂上に到達することができた。さすがに、狭い頂上で立ち上がることはできなかったが、「青空と私」というテーマで、大喜びしているところを写真におさめてもらった。ただ、登るのは楽しかったのだが、下りるのが大変であった。さて下りようとして下に視線を移すと、急に怖くなってきて、上ってしまったことを後悔した。一歩ずつ、足を下ろしていって、地面に着地できた時はホッとした。榎本さんと日笠さんも、順番に岩登りに励み、同じテーマで、荒木さんのカメラにおさまっていた。ひとしきり子供のように遊んだ後、薬師岳を後にした。鳳凰三山を歩いている間中、青空を見せてくれていた天に感謝しつつ、速いスピードで南御室小屋までの道を下りていった。その日は、皆、やたらと元気で、このまま、夜叉神峠まで下りていけそうだなあと大きな口を叩きながら歩いていた。辺りにはシラビソの木々が生えていた。

〇南御室小屋

 小屋の前のテント場は、とても広々としており、いい場所にテントを張ることができた。何日もここで過ごしていたいと思うほど快適なテント場であった。小屋のお兄さんも、とても感じが良かった。荷物の整理をしたり、1本600円のサッポロビールを2本買いに行ったりした後、備え付けのベンチに座りながら、豚キムチと山菜ごはんを頂いた。日笠さんの作る料理は、いつも、一工夫が加えられていて、とてもおいしい。感謝感謝。その後、沈む夕日の色を映した薄いピンク色の空を眺めながら、行動食を相手に、残っていたサングリアやビール・紅茶などを飲んでいた。皆、その日の山行に満足していたので、とても幸せな気分であった。あっさりと就寝。

〇南御室小屋から夜叉神峠

 暑くも寒くもなかったのに、なぜかぐっすりと眠れない夜であった。程近くで聞こえる動物の鳴声も、妙に気になる夜であった。日笠さんや榎本さんも眠れなかったようで、次第に、横になっているのが苦痛になり、起床予定時刻よりも早くに行動を開始した。3時や4時では、辺りは、真っ暗であった。漆黒の闇とは、こういう空間を言うのだろうと思った。町で過ごしていると、忘れそうな言葉である。ヘッドランプの灯りでテントをたたんだ後、5時過ぎに、テント場を後にした。まだ辺りは薄暗かったが、なんとか、ヘッドランプなしで歩ける程度にはなっていた。5時30分を過ぎた頃、ちょうど東の方向が、橙色に染まり出してきた。「もうすぐ秋分の日なのだなあ。」と思いながら、水色の空と橙色の雲が交互に重なる不思議な景色を、シラビソの林を通して眺めていた。薄暗いシラビソ林の中で、明るみ始めた空を眺めていると、舞台を眺めている観客のような気分になってきた。先頭を行く日笠さんの速いペースのおかげで、コースタイムよりも遥かに早く、苺平に到着することができた。その後は、右手に見える雲に覆われた白峰三山を眺めながら、林道のように広い登山道をひたすら下っていった。杖立峠の先では、3人のおじさんが、富士山を撮るべくカメラを並べていた。同じ場所で、目的の被写体が現れるまで待っているとは、何て忍耐強いのだろうと思った。とても私のような性格の者にはできないなあと思った。気の抜けない急な坂をしばらく下って、ようやく、夜叉神峠に着いた時は、心からホッとした。後は、登山口まで30分程歩いて、バスに乗るだけである。4人が無事に、ここまで縦走してこられたことに感謝した。

〇終わりに

 こうして、リーダーデビュー山行は、無事に終わりを告げた。シーバーの使い方もよく知らない頼りないリーダーであったが、皆にフォローしてもらいながら、楽しい時間を共有できたことを嬉しく思っている。あらためて、3人に感謝したい。そして、計画の段階で、力になって下さった松田さんと育さんにもお礼を申し上げたいと思う。体力だけでなく、知識や判断力という点で、まだまだ足りないところが多いが、山行を重ねるごとに、ステップアップしていければなあと思っている。

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荒木の所感

 甲斐駒ケ岳は1998年9月に登っている。その駒ケ岳を、今回の山行であらためて素晴らしい山だと思った。仙水峠から栗沢山に向かう途中で振り返って見る駒ケ岳は、摩利支天とともに圧巻であった。アサヨ峰までの急登も、駒ヶ岳・摩利支天の迫力に押されて、難なく登りつめていた。
 2日目の鳳凰三山では、湯浅さん・日笠さん・榎本さんの若さに圧倒された。薬師岳で3人とも5メートル以上ありそうな大きな岩を軽々と登ろうとする姿は頼もしい限り。薬師岳周辺は紅葉真っ盛りで満足満足。
 今回の山行は、計画書から献立、装備、全てに気を配っていただいたリーダー湯浅さんに感謝したい。リーダーとしての責を充分果たされたと思う。日笠さん・榎本さんには、ハンドルを任せっきりで申し訳なかった。次回の山行もよろしくお願いします。楽しい山行でした。

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日笠の所感

 8月の懇親会のあと、鳳凰三山の縦走を4人のメンバーでがんばってみようということになった。ボッカもして、プラン会でリーダーは荒木さんではなく湯浅さんがすることになった。準備も計画書もみんなでやってすごい楽しかった。

9.17(金)

 21時に京都駅を荒木号で出発。白根インターで地図をもらったけど、芦原の駐車場までの道はわかりにくかった。忘れないように書いとくと、百々で左に行くのではなく、その先の交差点が南アルプス街道。もしくは百々の手前の歩道橋の交差点を左に曲がる。榎本さんありがと。着いたら3時で仮眠。

9.18(土)

 出だしが遅れたらしく、バス停は長蛇の列がもうバスの中に納まりつつあるところだった。3連休で人が多かった。なんとか乗れたけど広河原までの1時間で寝不足を解消しようと思っていたのに無理だった。バスの中から、青空の中にくっきりと北岳が見えた。市営バスは座れた。
 北沢長衛小屋で水を補給して、先頭を歩き始めた。登りが遅いので平地は早く歩いたら、リーダーに同じペースで歩こうと言われてなるほどと思った。それから意識して歩いた。仙水小屋を通り過ぎて、きれいな杉の林の中を通り過ぎて、ガレ場に出た。赤ペンキが消えかかっていて道がわかりにくい。そこは、谷側がハイマツで、ガレ場の上に樹林帯があるというおかしなことになっていた。仙水峠に行く道で魔利支天がどどーんと現れた。この世のものでないというか、アニメの映像みたいな感じだった。甲斐駒ケ岳が見えると魔利支天が普通に見えた。
 栗沢山は上の方が黄色く色づいてて秋だった。寝不足と前の週の仕事がたたって体調がよくなく、登りの途中で何度も意識が遠のきそうになってストックを突く手と足がかってに動いた。無口になっていたから心配させてごめんなさい。途中でもしもしかめよの歌が頭をぐるぐる回り始めて気分が悪かった。栗沢山のてっぺんで寝ようとしたけど寝つけず。その頃雲がかかって景色が大してよくなく、夜叉神からきた夫婦に出会って「いいコースですよー。」と聞いて少し楽しみになって、アサヨ峰に向かう。途中はねむすぎてよく覚えていない。アサヨ峰で時間をとってもらって15分くらい熟睡した。そこから登ったり下ったりして早川尾根テン場についた。早川尾根小屋は小さなスペースで、麦茶を頂いて家庭的な雰囲気で400円と値段も良心的。ペグを持ってきていなかったから石と枝でテントを張った。食事を外でしようとしたら小雨が降ってきて中へ入った。ごはんはリーダーリクエストのフランスパン・スープとリーダーがぼっかしてくれたサングリアを頂いた。夜は結構風が吹いたり雨の音がしていた。21時ごろトイレにおきた他4:10まで目覚めなかった。

9.19(日)

 寝れたから体調がよくなった。曇りやけど雨はあがってテントもあっさりたたんで出発した。リーダーと榎本さんは地図をこまめに確認してくれる。二人につられてわたしも見た。白鳳峠まで特に問題なかったけど、高嶺までのガレ場は突風が吹いて、足がふらふらした。ガレ場をすぎると金毘羅みたいな岩場になって、しんどいけど楽しかった。登るのはいいけど、下るのは大変そう。ここが核心みたいなものだった。その後、だんだん土の質が変わって地蔵岳は花崗岩?というのかぽろぽろした感じの岩のオベリスクだった。オベリスクは何語だという話しになった。榎本さんによってアラベスクと似てるしアラビア語か?ということになった。オベリスクは最後にザイルがかかっているけど怖くて最後まで登れなかった。観音岳に向かうころから晴れ始めて、北岳側の稜線が見え始めた。北岳が見えないか期待しながら薬師岳に向かう。そこらへんは高いところが黄色く紅葉していてきれいだけど、木の一本一本はあんまりきれいな紅葉ではなかった。薬師岳のクラックスみたいな偽ピークに、女子3人順番にとりついた。リーダーは上まで行った。そこで荒木さんに「青空とわたし」というテーマの写真を順番にとってもらって道まで戻った。その道のなんにもないところで派手に躓いて後ろ向きに一回転した。見た荒木さんにグロテスクといわれるこけかただった。怪我がなくてよかった。
 そこでかなり楽しんで時間を使って南御室小屋に向かった。南御室小屋はひろーいテン場で張りたい放題だった。トイレも洋式、水洗でとてもきれい。外でごはん作って(豚キムチと山菜ごはん)楽しく食べた。明日、1本早いバスに乗ろうということで予定より早起きすることになって、18:40くらいに就寝。

9・20(月)

 なぜか寝付けない夜で、予定の3時半を待てずに起きることになった。1時くらいにテントをたたんで暗闇で出発する夫婦がいた。明るくなりかけて最初はヘッドランプをつけて5:05に出発した。ペースが少し速かったようで30分で苺平についてしまったのでその後ゆっくりをこころがけた。杖立峠を越えて少し行ったら富士山のシャッターチャンスをねらっているおじさん3人組がいた。その後だんだん下りにあきてきたと思い始めたら夜叉神峠小屋がやっと見えた。そこは眺めがよいスポットだったけど、やっぱり北岳だけが雲の中だった。昨日の夕方は見えていたらしい。そこでコーヒーを飲んで優雅にすごしているお兄ちゃんから景色の解説を聞いてまた下り始めた。そこから、トリカブトや、○○や、○○といったお花が残っていて割りと楽しめた。それから山梨交通バスに乗って、芦安の駐車場まで戻った。

 今回は初めてストックを有効に使えた。それのおかげか、(初日以外)登りがそんなにしんどいと思わなくなったかも。それから先頭を歩かせてもらって勉強になった。同じペースを保って歩くのは意識しないと難しかった。みなさんのペースを乱してしまったかもしれません。そのうちできるようになる気がします。それから湯浅さんのリーダーデビュー山行にご一緒できてうれしかったです。細かいところまで配慮されてて安心していくことができました。その他もいろいろみなさんお世話になりましてありがとうございました。

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榎本の所感

・芦安駐車場までは道案内の標識が少なくて迷った。地図見て予習してたのに...
 →詳細地図を事前に購入orプリントアウトすべきだった。
・駐車場から広河原までのバスは1時間立ちっぱなしで寝不足の身にはつらかった。
 →何事も時間に余裕をもって行動しようと思った。
反省点はこれくらいで,ほとんどが順調にすすんだ楽しい山行だった。富士山は見られなかったけれど,仙水峠から見た甲斐駒は雄大できれいだったし,緑がまじった早い紅葉もとても目に鮮やかだった。地蔵岳や薬師岳で岩登りをして遊んだが,クラックスで練習しとけばもっと簡単に登れたのに...と少し悔しい思いをした。
 山行とは関係ないけど,荒木さんが語る「かっこいい松田さん」の話は興味深かった。日笠さんと私は,松田さんといえば「ドウダンツツジはどうだん?」「北岳にきただけ」等の数々の迷ゼリフのイメージしかないので,余計に興味深かった。
 今回は計画の段階から参加し,連れて行ってもらうのではなく自分たちで行く山行,という意味で自信になるものだった。(ほとんどリーダーがやってくれたのだけど。)早川尾根や高嶺では地図読みの勉強にもなったし,少しステップアップできたかな,と思った。次回はもう少し重い荷物を持てるようにしたい。
 頼りになるリーダー湯浅さん,優しくいつも気配りをしてくれる荒木さん,いつもおいしい食事を考えてくれる日笠さんのおかげでとても楽しい山行でした。ありがとう。

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