大峰・白川又川明芽(みょうが)谷(沢登り)

メンバー CL福澤 梁瀬(関西岩峰会)
期日 2004年9月25日〜9月26日
山域 大峰・白川又川明芽(みょうが)谷
山行形態 沢登り
文責 福澤

 7月に我輩が転落敗退した因縁の沢の雪辱戦の記録である。
 行動時間についての記憶が不鮮明で、曖昧な書き方をしている。へたすると1時間程度の誤差があるかもしれないが、参考までに記録しておく。

9月25日 曇り時々晴れ 一時雨

 前夜発で白川又川林道に入り、ゲートのかかった明芽(茗荷とも書く)谷出合まで車で入り、仮眠をとった。この林道は、7月の明芽谷敗退時も同じところで通行止めになっていた。上北山森林組合に問い合わせたところ、当分開通の予定はないようだ。
 7時ごろ行動開始。前回同様、問題のゴルジュ入り口までは、簡単な滝がいくつかあるのみで、1時間半で到着。前回より水量は多めで、何となく濁りがある。濁るほどの雨がここ数日中に降ったとも思えず、どこか上部で地すべりでも起こったのではないかと思った。
 さて、ここからは気合を入れねばならん。ゴルジュ突破も考えたのだが、大阪わらじの強力チームでも悪戦苦闘しており、我々が突っ込むのは十年早いってんで、前回同様、右岸の枝沢から巻くことにした。
 その前に菊の座がむずむずしてきたので、1時間半遅れの朝のお勤めに出る。
“福澤さん、それってびびってるんですよ”と梁瀬。ヤツはよく嘘をつくが、本ちゃんでは数々同様の経験をしてきたに違いないので、これに関しては本当にそうなのかもしれん。
 前回の我輩のルートファインディングがしょぼかったかもしれないので、今回は,明芽谷初見の梁瀬にルートファインディングをしてもらうことにした。行動再開は9時前くらいだったかな。
 枝沢に入って傾斜が緩くなったところで、右に折り返して顕著な尾根に乗るところまでは、はっきりした記憶があった。ここから先が問題なのだが、お、何となく前より合理的なルートをとっているような気がするぞ。斜面の傾斜がきつくなってきたところで、アンザイレンしようと合意。
 1ピッチ目、福澤。斜面を右に斜上。方向を変えて直上に移る地点にある立ち木でピッチを切る。ここは問題なし。
 2ピッチ目、梁瀬。ここからが悪い。“ASAって書いてある残置がありますよ”と上から声が。何じゃ,浅野さんの残置ってぇことは前回と同じところ登ってるやん。前回は2ピッチ目途中までアンザイレンしなかったのだ。梁瀬が15mほど登って太い立ち木で支点をとる。支点直下はかなり悪かった。前回はこの支点の一段下からアンザイレンしたようだ。
 3ピッチ目、福澤。2mほど右に、前回浅野さんが残置した(我輩の転落後の事後処理のため)スリングを見つつ、2mほど上の狭いテラスまで登る。とにかく安全第一ということで、梁瀬からフレンズを受け取り、テラス足元のリスにセット、太い木がないのでさらに1m上の潅木を束ねてランナーをとる。ここから上はまともなブッシュも木の根もない。右は前回落ちたルート、左は絶望的。頭左上にある細い潅木に残置スリングが掛かっているが、引っ張ってみたらズボズボだ。誰やねん、こんなのにスリング掛けたやつ。その潅木よりさらに2mほど上に太さ10cmほどの枯れ木があったので、そいつに投げ縄をかけて引っ張ってみるが、これまたズボズボ。もう〜何やこれ! “あかん、撤退する”
 苦渋の決断であった。ビレイ地点まで渋いクライムダウンをし、梁瀬に“行ってみる?”と振ってみたけど、“俺リーダーちゃうし・・・”とやる気ゼロ。先週、同じ白川又川水系の奥剣又谷のリーダーを務めた時の気合はどこへやら。
 これにて右岸巻きルートは放棄となった。左岸の尾根は今いる場所からみて高くは見えない。そちらを行くか?
 懸垂2回の後ごぼうで枝沢に戻る。腰を落ち着けて、再び枝沢上部を偵察するも、どこまで追い上げられるか分かったものではない。11時くらいまでこうしてじたばたしたが、こうなれば対岸から巻くしかない。
 大休止を入れてから、枝沢出合から30mばかり下り、左岸の顕著な尾根から巻きにかかる。こちらは何ら危険のない巻きで、岩壁に当たったところで少し右の斜面に回りこみ、傾斜が緩くなったところから左に斜上して顕著な尾根に戻る。踏み跡が明瞭になってきて、稜線通しの道と左の斜面をトラバースする道に分かれていたので左に入る。踏み跡は荒れているがさしたる問題もなく、懸垂なしで沢底に戻ることができた。しかし、ゴルジュの大半を巻いてしまったようだ。この巻きに1時間ほど要した。
 平易なゴルジュを過ぎると680m2股。左股の水は濁っているが、右股は澄んでいる。左股の上で何かが起こったのか。右股に入ると30mくらいの滝がでてくるが右側から簡単に巻いた。しばし歩くと10mほどの斜瀑。アンザイレンして左側の滑りやすそうなバンドをトラバース気味に行く。途中細い木の根に、落ちたらこれ多分抜けるなぁと思いつつ、ないよりはましとランナーをとった。核心を抜けてから左上に回りこみ、立ち木に支点をとってビレイ。
 これで難所は終わり。すぐ上が830m2股。現在地を勘違いして左に入るが、すぐに誤りに気付く。2股に戻りさらに少し下った左岸によいサイトを見つけて、ツェルトを張った。14時くらいだったか?
 日帰りも可能であったが、焚火やりたいしってことで泊まりにしたのだが、薪集めが終った頃に雨降ってきやがった。しかもやむ気配なし。ツェルトの中で、今頃黒倉又谷の角谷パーティは温泉かよと、ひがむ2人であった。
 17時半くらいにようやく雨がやんだので、念願のファイヤー。沢はやはりこうでなくっちゃね。
 梁瀬がアルミホイルにジャガイモを包んで焚き火で焼こうという、およそ彼のキャラクターには似合わぬ猪口才なことをしていたが、何回か薪をかき回しているうちに行方不明になってやんの。2時間後くらいにようやく遺跡を発掘した頃には、彼にふさわしい真っ黒こげの正体不明の炭化物と化していたのであった。

9月26日 くもり

 2股上流部には何も面白い場所はないとのことなので、テン場のやや下流からさっさと左岸のそま道を目指して斜面を上がる。倒木おびただしく難儀したが、何とか明瞭な道に出た。この道は902mコブ東側を巻いて明芽谷左岸尾根を乗越し、白川又川本流Co344右岸に流れ込む小沢(地形図に表記がないが金山谷というらしい)沿いを下るようにつけられている。左岸尾根乗越し箇所には、うわさに聞くモノレールは見当たらなかった。
 林道に出合う直前、枝沢の左岸に小屋があったが、右岸に向かって橋がかけられているのでそちらに向かったら、どんどん登っていくではないか。小屋に戻ると左側裏手に踏み跡が続いており、まもなく林道到着。行動開始から2時間半くらいかかったかな。20分ばかり林道を下り、車止めに到着。
 下山途中より、両足元に何か蠢く物を感じていたのであるが、地下足袋を脱いだとたん、“ご馳走さーん”とビア樽みたいになったヒルが5,6匹ぼとぼと落ちていった。太りすぎて地下足袋のコハゼから出られなくなり,そのままゴロ寝してたようだ。さらに10匹くらいが居酒屋我輩の足でくだを巻いていた。お父さんこんなになるまで飲んでダメじゃないの。酔い覚ましに塩(本来はアマゴを焼くために持参した)をお見舞いしたところ、ヤツらは学生コンパみたいな連鎖ゲロを始め、我輩の車の周囲は血まみれだ。
 この後上北山温泉薬師の湯で汗を流したが,流血が止まらずスリッパと床に付着した血を拭うのに一苦労した。

 結局、7月に落ちたあの泥壁はやはり登れなかった。関西周辺の谷ではこの巻きルートが紹介されているのだが、昔はしっかりしていた立ち木が台風やらなんやらでちびてきて、難易度が上がっているのではないだろうか。一方対岸を登れば簡単だったのだが、ゴルジュの大半を巻いてしまうことになる。関西周辺の谷ではこの谷のグレーディングは4級となっているが、今回の我々の登り方では3級程度である。それも悪場は830m2股直下の10m斜瀑1箇所のみである。
 ゴルジュ突破は非常に難しそう。だからと言って、意地になってゴルジュに入ろうという気にもならないのだ。池郷川中流部ゴルジュとかだったら行ってみたいと思うけど、果たして明芽谷ゴルジュにその価値はあるのか?
とりあへず、自分が落ちた沢をどんな形にせよ登りきったのだからよしとしておくか。

△上に戻る

Copyright (C) 京都雪稜クラブ. All rights reserved.