リトル比良コース交差縦走(無雪期ハイキング)

メンバー 山形・湯浅・山本、(逆コース)増田
期日 2004年11月3日
備考 登山口・下山口を逆にして、車を交換した。

行程

(山形パーティのコースタイム)

 高島登山口6.55―岳山7.50<10>−岩阿砂利山8.50 <10>−鵜川越え9.10−寒風峠9.50−ヤケ山10.10 <10>ー釈迦岳11.20<20>−ロッジ前12.10−北比良峠 12.15<5>−金糞峠12.40−南比良峠13.10<10>− 葛川越え14.00−比良岳14.15<10>−木戸峠ー蓬莱山 15.30−小女郎15.40<10>−権現山16.20−登山口 16.50−駐車場17.10      <>は休憩時間

(増田さんのコースタイム)

自宅:午前6時20分発 
権現山登山口:午前7時5分着 同10分発
権現山:午前8時着
蓬莱山:午前9時5分着
烏谷山:午前10時着
金糞峠:午前11時着
北平良ロッジ:午後0時30分
釈迦岳:午後1時着
ヤケオ山:午後1時30分着
ヤケ山:午後2時着→道を間違え→涼峠:午後2時30分
寒風峠:午後2時50分→鵜川越えに向かう途中で再び道を間違え
→北小松駅に通じる道路に出る:午後3時10分
北小松駅:午後3時30分着→JR
近江高島駅:午後4時5分着
岳山への林道:午後4時20分着
権現山登山口:午後5時10分着 山形パーティーと合流
京都自宅:午後6時着

行動概況(山形)

いいお天気に恵まれました。
平日の間の祝日ということで、疲れがたまっていないか、と思うのもとり越し苦労でしたね。
みなさん、とても健脚の持ち主です。
おかげ様で10時間を切ってゴールすることができました。
すばらしい。
僕は燃費が悪くておにぎり10個、みかん10個、多数の行動食をもっての参加でしたが、
空腹を満たすためのおにぎりも、食べ過ぎると眠気を誘い、行動中何度も眠ってしまいそうになる
場面もありました。おにぎりは2個残ってしまった。歩きながら寝るのは特技だと言われましたが・・・
春から3回目の比良完全縦走、リトル比良コースは2回目。
釈迦岳以降のスピードをどう保つかがポイントでしたが、本当にみなさんよく歩かれました。
増田さんも道さえ間違わなければ、僕たちより早く縦走できたでしょうね。
次回は冬に雪中縦走をしようと思います。
完全縦走ではないですけどね。
湯浅さんの感想にもありますように、血液型B型以外の方もご参加くださいまし。
よろしくです。
以上

報告文(湯浅)

はじめに

 私は縦走が好きである。ただひたすら歩いていることが好きなのか、移り変わる景色を眺めているのが好きなのか、それとも、縦走を成し遂げたときの達成感が好きなのか、自分でもよくわからないが、とにかく縦走という営み(?)が、私の性分に合っていることは確かである。今回のリトル比良縦走でも、そのことを再認識し、山歩きの楽しさを実感することができた。
 10月の始めであったと思うが、山形さんが、ミーティングで、リトル比良コースを縦走するプランを出されたとき、私は、「いよいよ来たか!」と1人で緊張していた。というのも、5月に、権現山から蛇谷ヶ峰までを縦走したときの報告文の末尾に、私は、「秋になった頃に、リトル比良コースを縦走したい。」と堂々と宣言していたからである。「ここで行かなければ女が廃るわ。」と思い込んだ私は、早速、山形さんに参加の意思を表明した。コースタイムが16時間強もあることや、早い日没という条件を勘案すると、最後まで無事に歩けるのだろうかと少し不安にもなったが、この半年の間で、どの程度体力がついたのか、また、現時点で何が足りないのかを知りたいという思いが強かった。

岳山〜釈迦岳

 音羽の登山口を出発したのは、朝の7時前であった。私を先頭に、山本さん、山形さんの順番で歩き出した。山形さんが、「焦ることなく、自分のペースで歩いたらいいよ。」と言ってくださったので、お言葉どおり、マイペースで進んでいった。体が温まるまでは辛かったが、時折、左手に見える山々の紅葉に目を移して気を紛らわせながら、黙々と歩いていった。今年は、台風の影響か、落葉の時期が早く、秋の気配を残しているのは山の中腹より下方のみであった。それより上の部分では冬枯れの様相を呈していた。最初のピークである岳山に着いたのは、出発から55分後であった。割といいペースとのことで、嬉しくなった。
 その後、小さなピークを何度も上ったり下ったりしながら、鳥越峰を越え、岩阿沙利山を越えていった。道の脇に広がるブナの木は、ほとんどが葉を落としており、白い枝の向こうに広がる空は、雲ひとつない青空であった。このような気持ちのよい空気の中を、静かに歩けるだけでも幸せであった。鵜川越では、台風の影響で倒れたと思われる大木を「通行止め」の印と早合点し、直進するべきところを右折してしまった。10メートルほど下ったところで、後ろから「方向が違うのではないか。」という指摘を受けて元に戻ったからよかったものの、そのまま突き進んでいたらタイムロスを起こすところであった。要所要所で、しっかりと、地図を確認しなければならないと反省した。

 それから、アスファルト道を横断し、杉の植林に囲まれた滝山の山腹を通って、寒風峠に近づいていった。山本さんが、登る前に、「リトル比良コースを一人で歩くのは、少し薄気味悪い。」とおっしゃっていたが、確かに、寒風峠までの植林帯は鬱蒼としていて、一人では怖いだろうなあと思った。考えてみると、植林されているということは、人間の手が入っているということなので、自然林よりも安心できそうな気がするのだが、あの暗さには怖気づいてしまった。冬枯れのブナ林の明るさとは対照的である。
 寒風峠では、ヤケ山を経てヤケオ山に繋がる急斜面を眺めて、心の準備をした。山形さんが、「これらの山名の由来は、自棄を起こしそうになるほどしんどいから?」と冗談で言われたが、登りだすと、その説に賛同したくなるほどであった。後に続く長い行程を考えると、ここでバテルわけにはいかなかったので、山形さんの「無理をせずに、極力セーブして登ろう。」という言葉を胸に、ゆっくりと足を運んでいった。楽ではなかったが、高度を上げるにしたがって、それまで歩いてきた山々が北東に、釣瓶岳や武奈ヶ岳が西に見えるようになり、少しずつ前に進んでいる喜びを感じていた。ヤケオ山から釈迦岳までは、標高差100メートル強であったが、「釈迦岳でお昼御飯」「釈迦岳で全行程の3分の1」という2つの文句を、頭の中で、お題目のように唱えながら登ったら、すぐであった。

釈迦岳〜権現山

 釈迦岳で大休憩(20分)をとった。山本さんが振舞ってくださったリンゴが、甘酸っぱくて美味しかった。釈迦岳までのコースタイムは7時間半であったが、実際には、4時間半で到着したとのことだったので、精神的な余裕ができた。残された道のりは長かったが、歩くスピードに対する不安は完全に消えた。そして、蓬莱山を越える体力を残しておくことを目標にして、再び歩き始めた。
 カラ岳に向かう道は、雨中の釈迦岳ボッカトレの際に歩いたはずであったが、あまり記憶に残っていなかった。そのときも、先頭を歩かせてもらったのに、風景を覚えていないとは、我ながら、いい加減なものである。カラ岳を過ぎて、進む方角が南西に変わったと思った頃、前から、男性が近づいてくる。下を向いていたので気付かなかったのだが、「おー!」という声に驚いて顔を上げると、その男性は、増田さんであった。増田さんは、私たちとは逆のコースを辿って、リトル比良を縦走されていた。「途中でお会いできるだろうか。」と期待していたが、こんなに早く対面できるとは思ってもいなかったので、とても嬉しかった。「下りは走っている。」とおっしゃっていたので、この調子なら、私たちが和邇に着くよりも遥かに早く、高島に到着されるだろうと思った。「また、後で会いましょう。」と言い合って別れた。

 比良明神を過ぎて、北比良峠に到着。ロープウェイの閉鎖に伴って、建物も打ち捨てられていたが、幸いなことに、建物の脇にある水道の蛇口からは、勢いよく水が出たので、山本さんと2人、水の補給に努めた。山形さんは、水の安全性に対して懐疑的であったが、その後、お腹をこわすこともなかったので、特に問題はないと思われる。北比良峠から見る景色は、広々としていて気持ちよかった。山形さんは、眠たそうであった。
 その後、歩きながら眠っておられるのではなかろうかと心配になるほど物静かな山形さんを振り返りつつ、金糞峠と南比良峠を経由して烏谷山に向かう。5月に縦走したときには、この烏谷山で足が攣ったので、用心しながら上っていった。荒川峠からの上りは、前回の反対側からの上りに比べると楽であったが、この山を無事に越えられたときは、妙にホッとした。この頃になると、先程までの晴天が嘘のように、厚い雲が天を覆い始めた。当たってほしくないときにこそ、天気予報は的中するものである。あと少しだけ、天気がもつことを祈りながら、比良岳を越え、木戸峠を過ぎて打見山に向かった。

 びわ湖バレイは、小さな子供を連れた家族と犬で賑わっていた。犬も、広々とした芝生の上で走り回れて幸せだろうと思った。どうでもいいことであるが、ゴンドラに動物料金なるものはあるのだろうかと気になった。以前、秦谷さんも書いておられたが、そこは、山の上なのに町の中の雰囲気で、場違いな所に来てしまったという思いに駆られた。そそくさと通過し、とうとう、蓬莱山の上りに入る。ここさえ越えてしまえば、後は何とかなるだろうと思っていたので、気合を入れて、ダラダラとした芝生の斜面を上っていった。手が届きそうなほど近くに沈んでいる琵琶湖を見下ろしながら歩いていった。目を前に移すと、蓬莱山の頂上付近は、沈みつつある太陽の光を背に受けて輝いていた。斜面の芝生も黄金色に染まっており、その中を歩いていく人間のシルエットは、写真に収めておきたいと思うほど美しかった。頂上に着いたときは、「これで、今日の難関は突破した。」と思ってホッとしたが、風が強くて休むには寒すぎたので、小女郎峠まで下りることにした。高度を少し下げるだけで、風の強さや冷たさが随分変わるものであることを実感した。
 小女郎峠に着いた頃、増田さんからの連絡が入った。もう縦走を達成されたのかと思って感動したが、山形さんとの会話をよく聞いてみると、途中で道を間違えて、北小松に下山してしまったとのこと。カラ岳でお会いしたときの様子から、増田さんの縦走達成は間違いないと思っていたので、とても残念であった。峠を出発したのは3時45分であった。それからは、日没(5時)までに下りることを目標に、ひたすら、歩きつづけた。急な斜面では慎重に歩き、なだらかな箇所では駆け足で歩くというように、メリハリをつけて進んでいった。山本さんが言われるように、緩急をつけると、精神的にも楽に下りられることを実感した。ずっと、下りは苦手だと思いつづけてきたので、これからは、その教えを実践してみようと思った。最後のピークである権現山に着いたのは、4時20分であった。タイムリミットまであと40分。コースタイムでは1時間と記されていたので、普段のペースの1、5倍の速度で駆けて下りた。谷に入ると、想像以上に、薄暗かった。山の日暮れは早いものである。結局、下山したのは、4時50分であった。(山形さんは、権現山から猛スピードで下りられたので4時40分であった。)なんとか、ヘッドランプを使うことなく、この山行を終えることができた。内心では、今回が、初のヘッドランプ山行になるだろうと覚悟していたので、半分は安心、半分は期待はずれ(?)というところであった。

おわりに

 5月に、権現山から蛇谷ヶ峰までを縦走したときは、途中で足が攣ったり、エネルギー切れを起こしたりして、メンバーの方にご迷惑をかけた。今回、リトル比良を縦走してみて、以前よりは、成長していることを実感することができた。これからも、年に一度は、比良の山々を縦走する機会を持てればいいなあと思う。また、今回も、参加者は、増田さんを含めて、皆がB型であった。(何故でしょう?)「比良を縦走する人間=物好きの変わり者」という説が定説にならないように、B型以外の方々のご参加を強く望んでいる。

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