【正月合宿】鋸岳ピークハント・戸台川アイスクライミング

メンバー (鋸岳)CL高嶋・SL上田・河原・秦谷・稲野・西澤
(戸台川)CL高嶋・SL上田・松田・秦谷・岡川・稲野・西澤
期日 2004年12月29日夜〜2005年1月3日
山域 南アルプス 鋸岳・戸台川流域
山行形態 積雪期登山・アイスクライミング
文責 秦谷

秦谷の所感

2004年12月29日 出発

年賀状の作成、車の洗車、部屋の掃除と年末恒例の課題をこなしたうえで、22時に京都駅集合と比較的余裕のある出発となった。


2004年12月30日 角兵衛沢の登り

仮眠した道の駅からは路面は真っ白。戸台の駐車場には年末だからか警察の方が常駐している。しばらくは川原歩き、角兵衛沢出合で戸台川を徒渉、後半戦の氷装備をデポ。ここまで重かった。仙丈ピークハント班とはここで別れる。
沢は非常に中途半端な状態。足場はどこを見渡しても脆く、急な傾斜で休み場所もろくにない。先は見えているのだが、やはりたやすくは登らせてくれない。対岸に望むスーパー林道と同一の高さに立って、確かに標高を詰めていると安心する。テントを張れるという途中の岩小屋はいつのまにか通り過ぎてしまったようだ。
16時を過ぎてようやくたどり着いた鞍部は非常に狭い。テントを設営できるスペースはほんのわずかしかない。2名組の先行パーティがいるがなぜか傾斜があり風を受けやすいところにテントを張っていたため、運良く4〜5人用テントと2〜3人用テントを平らな地面に張ることができた。これで今日のテン場は満員御礼だ。
稜線の風を受けて寒さで目が痛い。河原さんは目出帽・ヘルメット・ゴーグルで完全武装している。厳冬期、標高2500mを超える場所で風に吹かれるのは雪稜に入会して初めてかもしれないなと思いつつ淡々と設営。2〜3人用テントはスリングだけの固定では心もとなくザイルを枝に括って確保。組み合わせの結果上田さんと2人で寝ることに。合宿の寝場所でもご一緒するとは、これは何かの縁だろうか。目を合わせて思わず苦笑する。
前半戦の食糧は稲野さん担当。野菜を満載した豚汁をすすってようやく一息つけた。
寝る直前にガスを焚いて、室内が暖かいうちに寝袋にくるまる。折からの低気圧で外張がざわつくが、風を受けずに眠れることを思えばまったく気にはならなかった。


2004年12月31日 鋸岳第一高点から北沢峠まで

5時起床。天候も相変わらず悪い。
もしこのまま稜線に突っ込んでも、甲斐駒ケ岳までは到達できず核心を通過した後の熊の穴沢を下るか、途中でビバークを強いられるだろう。第一高点を空身で往復して、もと来た角兵衛沢を下ることとなる。
第一高点からは、核心にさしかかる昨日の先行パーティを発見。強風と新雪で手を焼いているように思われた。
角兵衛沢の下りも登り以上に悪い。吹き溜まりは下っていて気持ちよいくらいなのだが、大量の雪はおそらく29日から30日にかけてが初めてだったのだろう。雪が定着しておらず注意しないと足場を崩して落石を起こすはめになる。
途中、2名パーティと6名パーティが登ってくる。(うち2名パーティは途中で引き返したようだ)このような渋いルートで人に2組会うとは、やはり年末である。

メンバーを一人赤河原に残して、仙丈ピークハント班と合流すべく北沢峠を目指す。高度さ約700m、夏道で2時間強の行程だ。
寝食の用具を除いてほとんど残してきたのに、足取りは鉛のように重い。がれた沢を下って神経をとがらせた後で緊張感が切れているのだろう。本来ならばフル装備を背負って甲斐駒を経由しなければならなかったのに比べると、はるかに楽ではあるのだが。
北沢峠からやや下ったところにテント場はある。10張強あるテントのなかに、京都雪稜クラブと記されたジャンボテントを視界に捉えて、ようやく一息ついた気分になった。
仙丈も風に吹かれて進むこともままならない状態だったそうだが、ピークは踏んで帰ってきたとのこと。
にしん入りの年越しそばをいただいたあとでジャンボテントでしばしの宴会を楽しみ、21時ごろ就寝。

第一高点を空身で往復して、もと来た角兵衛沢を下る

第一高点を空身で往復して、もと来た角兵衛沢を下る

北沢峠で、仙丈ピークハント班と合流した

北沢峠で、仙丈ピークハント班と合流した


2005年1月1日 休息

5:30起床、7:20出発。赤河原でこの日帰る仙丈ピークハント班と別れ、後半戦から参加する岡川さんと合流。ザック一杯に食糧・飲物を運んできていただいて感謝。
出発の準備をしている間に、高嶋さんに偵察に行っていただく。氷結具合はいまひとつのようだが、赤河原のテント場から最も近い舞鶴ルンゼを目指すことに。30分ほど歩いてたどり着いた舞鶴ルンゼは果たして氷が地面まで届いておらず、上部の滝も足場が悪い。それでも松田さん・高嶋さんでルート工作。ところが高嶋さんの動きがいよいよ氷モードに突入しようというところで繋がったザイルが損傷していることがわかり、残念だがここで本日の氷は終了せねばならなかった。

この日は休息日と割り切って早々に引き上げ、平成6年で営業を休止した丹渓山荘の屋内でテントを張る。外より格段に暖かく旅館さながらにスペースを使うが、それでも、2リットルのペットボトルに入れた水が翌朝には完璧に凍るほど気温は下がっていた。
岡川さんに用意していただいた鍋で新年を迎える。肉・野菜・餃子などの具をまぜた鍋は絶妙だった。しかもビール付で満足。

舞鶴ルンゼは果たして氷が地面まで届いていなかった

舞鶴ルンゼは果たして氷が地面まで届いていなかった


2005年1月2日 鶴姫ルンゼ

5:30起床、7:30出発。
昨日途中で断念した舞鶴ルンゼのやや上流にある戸台川左岸の鶴姫ルンゼに向かう。
F1は、短いがまっすぐ切り立っている。メンバーが「はやく登りたーい」と嬉々としているのをよそに、「こんなんホンマに登れるんかいな?」と一人身震いする。これがヴァーティカル(垂直)というやつなのか。まずは高嶋さんリードでルート工作。
トップロープで取り付こうとしていると、熟練した雰囲気を漂わせた4名パーティが登ってこられる。昨日も鶴姫ルンゼを登っていたそうである。
山岳会を尋ねると「童人トマの風」とのこと。「トマの風」は沢登りや冬山を主体とした関東の山岳会。ひそかに会報を取り寄せてオリジナリティ溢れる山行記録に刺激を受けていたこともあり、「トマ」の名前を聞くや、失礼にも自分の好奇心を露わにしてしまう。トマの風の方からは、フィフィを使って楽にリードする方法、バイルをスリングでハーネスに連結させて不意のミスがあってもバイルを落とさない工夫、ヌンチャクをあらかじめタイオフしたスクリューなど、手堅い氷の登り方や道具を見せていただけた。

高嶋さんにルート工作いただいて以降、メンバーで均等に機会を回していく。原則、ビレイをした後に登ることに。以下は、僕が登ってみた所感。
1本目、左の垂壁をトップロープで登る。高嶋・岡川両氏に続いて3番目に氷を賞味できる幸運。左のバイルが思うように刺さらず1回テンションが入る。やはり無駄に力が入りすぎているとの指摘。落ちる恐怖のあまり、3点で登らねばならないのに4本の腕・脚で壁にべったり張り付いたミンミンゼミ状態になっていた。12月の八ヶ岳の講習会で指摘を受けたことをそのまま繰り返している。
2本目、右側にあるトラバースの課題をトップロープで登る。左の氷に乗り移る核心では心細くなるが、運良く左のバイルに氷を食わせてなんとか乗り越える。こういうところを冷静に登れるようになれば、僕も氷をかじっていますと言えるようになるのかな。
3本目、1本目の壁をもう一度トップロープで登る。「さっきに比べるとだいぶ力が抜けてきたね」お褒めのことばをいただくが、何度も登っているうちにホールドやバイルを打ち込むポイントが自然にできていたので安心だった(失笑)。
4本目、最後に1本目の壁をリードの練習。自己流が抜けきらないうちにリードに移るのも時期尚早かと思われたが、この合宿で僕が氷を味わえるのはこの日しかない。せめて正月はここまでやったという区切りのようなものがほしかった。リードではランナーや支点をセットするため、1本の腕は常に空けた状態にしておかねばならない。悲しい性で、足場が不安なときは力強くて思い通りに動く利き腕(右腕)に身体を預けようとする。案の定、一方に負荷がかかると腕はほどなくパンプ(しびれて言うことを聞かなくなる)、対の腕で氷を刺せなければいよいよ焦りだす。おまけにリーシュ(バイルと腕を結ぶひも)は外れてくれずバイルを腕にぶら下げた状態でヌンチャクにザイルを通さざるをえない。そして中間のランナーで1度テンションをかけてしまう。常に保険のあるトップロープとは違って、短いとはいえリードでは臨み方がまったく違う。氷をやるならクライミングは必須だよといわれたことがあったが、その意味を身体でようやく理解した。
叩きのめされた後、メンバーの動きを注視する。フリークライミングを精力的にこなしているメンバーはやはり背中の姿勢からして違う。くまなく体四方に力を分散させて登っているのがわかる。やっぱり、考えるよりも先に踏み出すのが先だな。
合間に、高嶋さんのフリークライミングのムーブを駆使したあざやかな薄氷登りにため息をつく。これが経験の圧倒的な蓄積だ。
おおむね4巡したところで17時前に日没、時間切れとなる。
僕と松田さんは舞鶴ルンゼの下部にデポしてきたザイルを回収するため先発。支点の回収は高嶋さんと西澤君に行っていただいた。
合宿での目標としていた、(トップロープで確保されていたとしても)スクリューを打つところからランナーをセット、ザイルを通すまでの練習をするところまでは進めなかった。
それでも、2枚のグローブを装着した状態で雪と氷で成長したザイルを使ってビレイする練習もこなせたし、1日の限られた時間で段階的に氷を登り、目の前にある課題をより明確にできたのは収穫といわねばなるまい。
ああ、もう少し時間があればいいのに。

今晩はペミカンカレー。今回の合宿、毎日の食事が豪勢で山に来ている感じが全くしない。上田さんのザックからも毎日のようにお楽しみの一品が出てきて下界で一人食す食事よりはるかに豪華な食事を味わっているような気がする。

本日で山中4泊目。実は、冬山で4泊以上の体験を、僕はしたことがない。
この日まで靴下は替えずにいたが、明らかに湿気で不快を感じるようになってきた。シュラフもブーツのインナーも等しく湿っているとあって、寝ている間に乾かせる範囲を超えているようだ。靴下は替えるとして、上半身のフリースも湿り始めている。さてどうしようかと思案していると、「アウターを脱いで、足元にかけたら暖かいですよ」と西澤君のアドバイス。実践したら、本当に暖かかった。アウターを装着したまま眠ると、インナーの湿気がこもり抜けないからだという。なるほど、ゴアテックスとはいえ完璧に蒸れを逃がせるわけではないし、むしろインナーが湿っているような場合は、いっそアウターは外してしまう方が乾きも早いのだ。

鶴姫ルンゼF1は、短いがまっすぐ切り立っている。

鶴姫ルンゼF1は、短いがまっすぐ切り立っている

リーダーにルート工作していただいた

リーダーにルート工作していただいた


2005年1月3日 旅の終わり

先行して、上田さんと2人で午前中に下山。あとのメンバーは午前中に昨日の氷で練習をした後3日中に帰るとのこと。
突き抜けるような青空、甲斐駒・鋸ともに間近に望みながら下っていく。あと1日天気がずれていればあの稜線を歩けたのかもと考えるとなんとも名残惜しい。
晴れているため冷え込んでいるようで、駐車場でも氷点下8度。車はすっかり雪で覆われており態勢を整えるまで約30分を費やす。最初の急な登りでタイヤが空転して冷や汗をかくが勢いをつけ再度挑んで脱出成功。
車からは木曽駒・空木、甲斐駒・仙丈、南アルプスの連なる山々が白く化粧している様子が望める。ようやく冬本番である。

温泉は木曽駒ロープウェイの始点の近くにある「こまくさの湯」で。TVからは箱根駅伝の実況が流れる。どうやら、世間はいつもどおりに動いているようだ。
駒ヶ根のソースカツ丼で山行の終了をねぎらい、渋滞の高速道路でハンドルを握りながら束の間のように過ぎていった5日間の余韻に浸る。
今年も、安全に楽しく山を続けられますように。

今年も、安全に楽しく山を続けられますように。

今年も、安全に楽しく山を続けられますように。


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