京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
メンバー | 島 (CL、食料)、廣澤(SL、食料)、竹村(装備、会計)、大坂(医療、気象、嗜好品) |
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期日 | 2004年12月28日夜〜2005年1月2日 |
山域 | 南アルプス 聖岳 |
山行形態 | 積雪期登山 |
金谷駅で大坂君を収容。特に懐かしくも無いが、忘れもしない、かしこ面で寝ていた。
しかし、少し進化していたので紹介しておこう。
「島さん、寝ててもいいから運転変わりましょうか?」
嬉しいような悲しいような申し出である。今まで一度も運転する姿を見たことが無かったからだ。
不安にさいなまれながら運転を交代 〜as soon as 〜 不安は的中した。急ブレ-キ、急ハンドル、行先不明だ。運転をしてもらってるとは言いがたいので、申し出は丁重にお断りすることをお勧めする。
大井川沿いを3時間、少しずつ道に雪が積もりだす。沼平で仮眠。
ゲートの小屋は年末年始は登山指導員が常駐している。泊り込んでいるようだ。
登山届けを提出。東尾根は下りには使用しないでほしいとの事。何度か遭難騒ぎが起こっているらしい。
林道を約5時間。15キロの道のりを淡々と歩く。
聖沢の登山口を上り始めて40分。出会所小屋跡手前で2.3メートル位であるが道が崩壊している。
一旦手前に下がり登山道の20メートル下をトラバースし小屋跡手前に上り詰めた。
小屋跡にテント設営。水場は登山道を100M進んだ所に沢あり。小屋跡から少し右上に東尾根の取り付きのリード(黄色のテープ)あり。
4時起床。まだ暗いうちにテント撤収。ヘッドランプで歩き出す。登山道すぐ上の取り付きから平行に薮道を進む。沢と交わったところで右上の尾根に向かってジグザグに登る。尾根に上れば忠実に尾根を詰める。約500M急登を登ると左からの尾根に合流する。さらに300Mで椹島の鉄塔巡視路を登り詰める尾根(岩ゴロ尾根?)とのジャンクションピークに辿り着く。少し緩やかになり400Mで白蓬の頭に付く。このあたりは何処でも幕営可能。しかし、東聖へ登る尾根に取り付いてしまえば稜線は細く、風も強い。幕営も困難なためここにテント設営。途中、兎岳、中盛丸山、大沢岳、百間平、赤石岳へと続く稜線とデッカイ富士山が見えた。今度はあの稜線を行こう。
4時起床。今日は天候悪化が予想される。昨日より10分早く、またもヘッドランプで出発。
2時間ほどで東聖岳へ着く。すでに小雪が降り始め、時折強風が吹きつける。ここから先の稜線は細く強風によろけながら慎重に進むと、大きな壁に当たる。奥聖の壁だ。稜線を進まず、左へ300M少しを緩やかに登りながらトラバースし、最後は200Mの雪壁を胸までのラッセルにあえぎながら直登する。しばらくで奥聖岳の山頂に立つ。あとは、30分ほどの稜線散歩で聖岳の頂上に着く。
1度目は息子と土砂降りの中で登頂。2度目は日本横断でこれまた土砂降り。3度目は去年2月にこのメンバーで晴天の中、時間切れで敗退。4度目の挑戦で登頂は3度目であるが本日は暴風雪なり。3000M峰で未だに頂上からの景色を拝めないのがこの聖岳だけである。21座あるなかで富士山を除けば最南端にあり、しかも1番低い3000の山である。相性が悪いのか、メンバーが悪いのか。こんな時は大坂君のせいにすると丸く収まる。
一旦下山路に立つが、吹き上げてくる風と雪で全く前が見えない。もう一度ゴーグル、サングラスを用意し歩き始める。ワシはどちらも持ってきておらず、スコップを風除けに顔の前をふさぎながら進む。
夏道は歩いたことはあるが、全く道がわからない。広い斜面をジグザグに下り、最後は一番西側の尾根に取り付くことはわかっていた。山頂付近から極力右側(西側)の尾根伝いに下りていった。一瞬視界が開け少し西により過ぎていることが判明。東側の夏道を下山する4人組を発見した。自分達が降りていた尾根を真っ直ぐたどればガケにぶち当たるため、おのずと1つ東の正常ルートへ戻ることにはなるのだが、
目も開けられない暴風の中とは言え、夏の感覚だけで地図を見ないで降りたことは大いに反省である。
聖の小屋には既に先客がテントを設営していた。後から人数は増え6張程度のテントで賑わった。大坂、廣澤とは2年連続の年越しである。正月合宿とは、さわやかなメンバーで行くと、さわやかに年を終え、さわやかに年が始まる。しかし、ワシは…
荷物はテントの外に出し今日は快適に広々眠れるはずであった。しかし、テントの中はドロドロや。大坂君のズボンも靴下も泥だらけである。ヤツはそのまま寝袋に収まった。そして、ワシの顔の前にドロドロの靴下が干されている。そんな無神経がうらやましいような、とっても気持ち悪いような。何故に大坂君がドロだらけでいる事を、年末にワシが悩まねばならんのか…母さん、とっても気持ち悪い年末です。
母さん…ドロと靴下の匂いがハーモニーとなり、風邪気味の水鼻をくすぐる今日この頃。ドロまみれの大坂君と共にワシの大切な新年が訪れました。テントを撤収した後もワシらの床だけはドロだらけです。
ふと見ると大坂君がホウキとチリトリで掃除をしています。心がけは立派です。しかし、「昨日やれよ」と思ったのはワシのわがままなのでしょうか。ヤツの行動に答えを探すと深みにはまります。初めての方はビックリします。しかしヤツの事を考えてはいけません。見なかった事にすることをお勧めします。
聖平小屋を後にする頃、朝焼けが聖岳の下方に当たり赤く染まりました。いい朝のはずだったのに…
聖沢の下山路はわかりづらく、沢沿いを適当に選んで歩く、右からの大きな沢が合流したところで沢から外れ、一旦急登に取り付く。登り下りしたところで再び沢に出る。沢を渡り林道へ。左(北側)へ向かい延々とトラバースが続く。2000M付近から急激に下り聖沢吊橋へ降りる。ここからも延々とトラバースして出会所小屋跡へ辿り着く。そこから登山口へは30分で降り、後は行きの林道15キロを沼平へ向かう。 21時10分到着。
非常に眠く、フラフラ車を進めているうちに道を間違え静岡に到着。食事をすませ銭湯を探すが、ことごとく閉まっていた。入浴を諦め郊外の温泉の駐車場にテント設営。4時就寝。
朝ごはんも非常食のラーメンを作った。そして念願の銭湯へ。銭湯から出てワシはびびった。登山の時にドロドロだったアウター、その下のジャージ、その下のタイツ、上着もそうだ。何一つ着替えないままの大坂君がそこにいた。「勘弁してください。」もう十分に車もよごしたはずなのに…
嫌がらせに、大坂君のザックを車から放り出し置いておいた。大坂君は銭湯からでるとそれを見つけた。
満面の笑みを浮かべ、また車にザックを乗せた。母さん…大坂君は楽しそうです。
風呂を出たそのままの格好で、目の前のおすし屋さんへ。食いすぎて、飲みすぎて、これまた目の前の神社へ初詣して、昼寝して、京都へは22時に到着。
聖岳東尾根は簡単な尾根だ。しかし、誰のトレースもない道を歩けたことは自信に繋がる。冬季3000M峰登頂の1つ目が終わった。次に繋がる山行だった。
久しぶりに山の世界に帰ってきて、しかも久しぶりの聖岳。
直前になっていつもの様に風邪を引き、体調に不安を感じての出発だった。
しんどいアプローチにしんどい登り、それでも嫌な気分になってモチベーションが落ちる事は無い。高度が上がっていくに従い体力が落ちていくのは感じるが頂上を足下にする瞬間が近づくと思おうと嬉しい気持ちがある。生憎、頂上は暴風雨の中だったが前回に晴天の下で自分たちの力のなさから敗退した事を思うと前回よりも遥かに悪い天候の中でよく頑張る事ができたと思う。前回の失敗にリベンジした気持ちと前よりも悪いコンディションでがんばれた事で景色の無い頂上でも十分に満足する事ができた。
昔のように体力にまかせて力づくで登るだけでなく失敗を経験してそれを克服して登る。
そこからいくつかの事を学べたような気がする。
それだけでなく山の大きさ、山登りの良さというのを再び実感する事のできた機会だったと思います。一緒に行ってくれたみなさんにも多謝。
昨シーズン(04/02/10-15)のリベンジで臨んだ今回の合宿だった。
暖かい今冬であるが出発前日の現地状況確認では、12月10日過ぎに積雪訓練に入られた際には3,000M付近でやっと積雪が見られたといったように芳しい情報が得られなかった。ところが大坂くんの運転で沼平までいってみるとちらちら降ってくる真っ白な世界、やっと雪山シーズンが来た、と実感した。結果的にはずーっと雪上を歩くことになった。
登山口まで延々とつづく林道歩きは『歩きぁー終わるねん。』と云いきかせながら、ただ足を前に出すことだけを繰り返し、深く考えるコトを放棄し耐えた。とにかく長かった。闇の復路は鼻歌ふむふむでひたすら歩いた。
めでたく聖山頂を踏むことはできたが、まったくの視界ゼロ。東尾根上を高度を稼ぐにつれて天候は悪化、大坂くんのキリンのような長いマツゲは凍りつき、次々に3人のアイゼンが外れた。唯一、ピークを狙った大晦日だけが荒れた。しかし風はずーっと、とても冷たかった。
聖沢の登山道を出会所小屋から東尾根へ。青空が晴れわたり、少々のヤブ(鹿島のようなしなやかなそれではなく、かなり硬派で支えにしようとおもってもポッキリと折れてタチが悪い)を漕いだ。岩ゴロ尾根との合流とおもわれるところまで来ると聖が、さらに急な登りをかさねてゆくと赤石や富士山が大きく見えてきた。
東聖に近づいてくると尾根は次第に痩せてきた。特に南側からの吹き上げが強く、耐風姿勢をとり前進。北側から向うにえいッと乗越そうとしたとき、突風が私のカラダを撥ね飛ばした。足元はガレ場っぽかったため、石ころといっしょに転がり落ちたがすぐ止まった。ザックは肩に食いこんでるように重たく感じていたが、自然の厳しさを改めて感じさせられた。だが、本当に厳しかったのはこれからだった。前聖に立ち、聖平にむかって下りようとしたが雪混じりの凄まじい風になかなか一歩が前に出ない。ゴーグルを出し、改めて飛び込んだ。スキーの原田選手になったツモリでおもいっきり前傾姿勢をとっても倒れない、逆に猛風におもしろいように転がされた。突っ張ったり、ハイハイしたりとにかくカラダを下へ移動させるコトに精一杯だった。こんなにがんばったらおなかも減るわけで、さっきの休憩で空腹でもなかったため何も口に入れなかったことを後悔した。バテてしまったのである。それだけではなく、ダダっ広い地形のため全くちがう方向に下りてしまいかねなかった。夏道を知っている島さんに追いつくことでコレも精一杯だった。
聖平まで深雪にのた打ち回り、当初は茶臼縦走を望んでいたがすでにキモチは満腹気味。聖沢を下ることになった。年が明けて青空の下を気分好く歩いたが、ルートがわかりにくく、沢を歩いたり、林道と思しきところを探したり。長い長いトラバースの連続を、みんなでラッセルしながら下った。これがなによりもうれしかった。2月の敗退があったからこそおもうのかもしれないが、全員でチカラを合わせて進めたコトがいちばんうれしかった。
闇夜の林道歩きの果てには沼平の登山指導所の小屋の明かりがひどくほのぼのした感じに見えた。年末年始には静岡県警の方が詰めておられるが、21:00をまわった時間に室内からでも気づかれ出迎えてくださった。
前回の反省から読図力の向上と体力の向上を挙げていたが、地図はできるだけ見るように習慣づけていたのだが見当ハズレなコトがしばしば。体力面では捻挫をするまで少し走ったおかげか急登部分でもさほどしんどくならなかった。
行動食をしっかりとるコトをしなかったためかバテてしまったのはこれまでにもあったコトで、反省。
パッキングに時間がかかってしまった。大坂くん、竹村さんはいち早くテントの撤収にかかってくれて、毎度足をひっぱってしまった。
係の食糧であるが、当初の予定だった雑炊からお茶漬に変更した。お茶漬の素でおかず代わりになりそうなモノがいろいろ出ていたためであるが、α米の数を調整しなかった。ため、育ち盛りの男の子が2人もいるのに不足、4日目分を当てることになってしまった。
冷え込んでいたので、七味・しょうがなど、名脇役が活躍したようにおもう。
『進退の見極め』『状況判断』を課題として合宿にのぞんだが、幕営地、前聖からの下山など本当にむずかしかったとおもう。
今後の課題としては、今回のコトで無雪期の偵察:ルートの確認・幕営適地等は(ルートによるのかもしれないが)するべきである、と感じた。少なくとも、私のような経験の浅いモノは必要だとおもった。