八ヶ岳地獄谷 (アイスクライミング)

メンバー CL高嶋、SL松田、稲野、津久井い、狩野、岡川、角谷、廣澤、西澤
期日 2005年1月14日夜〜2005年1月16日
山域 八ヶ岳
ルート 地獄谷
山行形態 アイスクライミング
文責 津久井い

所感〜ラッセル下山の苦悩

会の恒例のアイス講習会であった。また参加表明をしてしまった。最近は行こうか行くまいか迷うことが多くなってきている。それは参加者の年齢がとても若いというとと私の最近の体力低下が大いなる要因となってる。アイス自体は、やる気満々なんだが…。今回はその心配をまざまざと感じさせられる結果となった。それは上記の心配の上に天候も付加されたことで余計に辛いものとなった。

2001年12月にもここ地獄谷権現沢の右俣でアイスをした。このとき雪は出合小屋あたりまで少なかったと記憶している。さすが厳冬期の雪はやっぱり違うなぁ〜、というのが感想だ。 今回は美し森の駐車場にも雪が積もっていて、着いたときにも舞っていた。以前は、林道のゲートまで車が入ったが今回は雪で入れないようなので、リーダーの指示で車を「たかね荘」の駐車場に置かせてもらい10時ごろ出発。

3-40分の余分な林道歩きを強いられることとなった。先行1パーティー男女が途中で追い越していったが他に私たち以外はいない。私は最後からマイペースで進む。出合小屋まで約2時間半かかり、雪のせいかかなり長く感じた。

小屋に不要のものを置き、用意をして12時半に出発したが、ここからがまたまた大変だった。私は、3時間近く掛かったように思う。着いたころには、リーダが展望の滝に取り付いていた。写真を撮る。上部まで2段の長い垂直の滝だ。そこに辿り着くまでに何カ所か小滝をフリーで越え、乗ると崩れる雪に足を取られながら、私はへろへろの状態だった。

それでもアイスへの期待は大きく、トップロープながら1回取り付けた。一通り、1回ずつのトライで時間切れになり小屋に向かった、すぐにヘッドランプが必要になったのはいつものことである。5時頃出発して、6時半頃に出合小屋に戻った。小屋を使わせてもらえるのは、ほんとうに有り難い。 テント設営、食事と慌ただしく進む。明日はどうするかということになったとき、私はもうあのしんどいアプローチから逃れることしか考えていなかった。のんびり帰って、温泉に一足早く入っておこうと決めていた。リーダに許可をもらい、お気楽な気分で私の中ではこの山行は、もう終盤を迎えていた。しかしそう簡単には、厳冬期の山は済ませてくれなかった。私の選択は楽したつもりだったのに、現実には辛いものとなってしまった。

次の日4時半起床。6時過ぎにみんなを見送り、私は気楽にシュラフを出して少し潜り込む。いつもの家族を送り出したあとと同じ開放感を、まどろみながら味わっていた。いい気分である。あんまり暢気にしてもいられないので、テントをたたみ、後かたづけをしてパッキング。9時ごろに外に出た。そのまま、水を汲みに行ったあとのトレースを辿ったら、水場からトレースが何もない、「あれれ〜右やったんや!」と思い直しトイレの方に行くもまた道がない。また元に戻る。

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ ……  

という高村光太郎の道程を思い出しながらどうしたのかなとキョロキョロ。前にこんもりとあるのは紛れもない見えない道であろう。「さぁ〜、覚悟をした。私の道を開いて行かねば…」と地図と磁石で改めて確認する。そしてストック(持っていてよかった)を突き刺すと岩に当たる。雪を払い飛び移る。最初の第一歩である。正面に赤テープが見えた。何だか気持はウキウキしてきた反面、大変だろうなと思いはした。がラッセルがこんなにも時間がかかってしまうとはその時には思わなかった。多少は迷っても遅くとも1時頃には着いて温泉に入って…、なんて内心思いながら、最初は真っ白な雪面に自分の足跡を付けていくことを楽しんでいた。

所々、赤テープが見えてラッセルも膝の上当たりで済んでいたが、テープを見落とすと間違って踏み外し、深みに嵌る。ひどいときには胸あたりまではまり込んで、抜け出るのに一苦労となる。3個目の堰堤をとおりこした当たりだろうか、明らかに右に赤い布が見えたので右に行ってしまったところ、ここは吹き溜まりだったようで、スッポリ嵌ってしまった。やっと岩の上の雪を払いその上に立ち対岸を見ると赤のテープがあるではないか。紛らわしい。岩を飛び越えて対岸のテープの方に行くが、またまた赤テープは無くなってしまった。とにかく谷筋を下ればいいんだ。
堰堤は巻くのが左か右かはっきり覚えていないのでその度に悩んでしまった。そこに辿り着くと、思い出す。

木の階段もスッポリ隠れてしまっている。ストックで探ると木の感触が伝わり、払いのける。時々は地図で確認する。3個目の堰堤の先にもまだ堰堤が3個地図に乗っていた。イメージとしては堰堤は3−4個ぐらいかと思っていたので、ビックリした。「あぁ〜、長いやン!!」と独り言。もうこうなったら、長期戦で行こう。と雪の付いていない右岸の岩の影で大休止をして、カチカチの赤飯をほおばりかみ砕く。そして朝、テルモスに入れて貰った甘い紅茶で飲み下す。何とも言えない味だ。躰が温まり元気が出てきた。

また前方の堰堤に向かって進むがここは真ん中を通ればいいのに右岸の方に行ってしまう。途中で気がついて戻ろうとしたが、細い枯れ木の間は胸当たりまで雪が積もっていて、進むのも嫌になり、そのままルートはそれるが右岸から行くことにした。雪を落としては踏み固めることを繰り返し、やっとの事で堰堤の上に立てた。その下はなだらかなスロープで楽に降りられた。左に樹林帯があった。なんでかわからないが樹林帯を見るとホッとした。ここで4個目の堰堤を過ぎたが、そのあと2個の堰堤がちゃんと地図通りにあった。そして自然と林道の方へと入っていった。これで少しは楽になると思ったら、そうは問屋が下ろしてはくれなかった。今度は足が重い。最初は50回数えてストックに体重を預け「ふ〜っ」と一休みし、息を整えるという繰り返しをしていたが、だんだん50回もたなくなり、回数がどんどん減ってくる。とうとうザックを投げ出し、その上に座り込む。時間が結構迫っている。「今頃温泉に浸かっている頃なのに…」と思いながらも、夕方までには着けば問題ないやとのんびり写真を撮り大休止。どうせみんなもなかなかアイスが切り上げられず、遊びほうけて遅くなるに決まっている、なんてぼんやり考えていた。しかし、じっとしていてもしかたないのでおもい腰を上げ、退屈な林道のラッセルにもどる。途中でもう終わりかなと思い、地図を見たらまだゲートまで半分ぐらいのところだ。ガックリして歩き出していたら、後から「いくさ〜ん」の声。一瞬幻聴かとも思ったが、とてもリアルな声に振り向くと、雪稜ご一行様だった。絶対に暗くなるまで遊んでくると確信していた私は、ビックリした。さすがに若者は速い。それより、リーダーがすっぱりと時間通りに切り上げたことに、驚いてしまった。そこからは最後尾に着かせてもらう。一度に足は楽になる。トレースのあると無いとの違いがこんなにも大きかったとは。
しかしながら、最後のあかね荘への登りは辛かった。

私は、予定を大幅に遅れてしまい、こんなことになるならみんなと一緒に行動した方が疲れなかったのではという思いもあったが、一人でのラッセル下山は、私にとってはとても良い経験をさせてもらったと思う。いつもみんなの後を付いて楽をさせて貰っている分、自分の力で歩いたという実感はあまりなかった。今回のように厳冬期のバリエーションの谷筋にトレースを付けて歩くことは初めての経験だし、これからも多分ないことだろう。

あかね荘に遅くとも1時頃には着くと思っていたのが、4時半頃になっていた。
それにしても、だんだん若い人とは一緒に行けなくなるなぁ〜。

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