御在所・1ルンゼ中叉(アイスクライミング)

メンバー CL高嶋、SL岡川、津久井い、上田、高橋、鈴木、稲野、狩野
期日 2005年2月5日夜〜2月6日
山域 鈴鹿
ルート 御在所岳
山行形態 アイスクライミング
文責 津久井い

コースタイム

2月5日(土)
京都駅21:00時集合→道の駅菰野泊
2月6日(日)
道の駅菰野→ゲート→1ルンゼ中叉取り付き→1ピッチで敗退→帰路

所感

リーダから御在所1ルンゼの計画がメーリングリストに流れた。意図としてはリーダーは自分の相棒を求めて出しているのは理解できた。それは、「今回は会の講習」とはしませんという一文で理解できた。なのに私は「御在所の1ルンゼは前から行きたかったんですが。参加して宜しいのでしょうか?」というメールを出してみた。今までも、こういうときに参加表明して自分の力以上のところに登れたというラッキーなことがあった。中叉は前からトポを見ていたので、リーダーと組ませて貰えば安心して登れるというのは判っていてチャンスだと思った。こんなチャンスに巡り会えるので、私は山岳会はやめられないでいる(リーダー、ごめんなさい)。しかし、驚いたことに参加者は8名になっていた。また私は悩んでしまった。多分、リーダーは経験の浅い人の順で二人組むことは今までの経験上理解できていた。そうすると、私は自力で行かねばならない。またまた、ハムレットだ。「このルートは、私が登れるのか?登れないのか?」私自身は場合によってはミックスになりそうなこのルートを登るには自分は経験不足かなとも思ってはみた。しかし、自分の可能性も少しは試してみる機会も必要だとも思い行くことを決めた。そして、メンバーにあがってるHさんに前もって電話で私の気持を伝え、もしかしたら自分ではどこまでいけるかわからないというルートだけれど、行きたいのでパートナーになって欲しいと話した。それからトポを何度も眺め、2ピッチ目のためにプレートのあぶみも4段から3段に作り替え準備をした。自分では困難でも出来る限りのところまでは、頑張ってみたいと思っていた。そして、いざ出発。

藤内沢と1ルンゼの出合いで、どうするか話し合う。1ルンゼに行きたい人というのは、私も含めて4名だった。しかし、残りの手を挙げなかった人も2ルンゼではリードをする人もいないということで全員で1ルンゼを目指すことになった。

3人1パーティー2組と2人1パーティーの計3パーティーに別れた。私の墜落ということで結果的には敗退となり、完登したリーダのチーム以外のみんなに迷惑を掛けてしまった。こういう結果になったのは、私の力不足を自分でわからず、突入した結果だと思い反省している。私はこの結果、多くのことを学んだ。怪我もなく無事だったことで、神さまが私に下したお仕置きだと捉え、謙虚に自分の力を見つめ直したいと思った。今まで、本ちゃんで墜落した経験が無かったので、かなりのショックも残っている。私は、フリーは別として、アルパインでは墜落は絶対しては行けないと思っていた。そしてこれまでアルパインルートで墜落はしていない。それは岩の場合は墜落しない技術を駆使しているのと自分の力以上のところを登っていないのと、幸運だったからだ。

今回はメンバーが多くリーダーに頼れないと思い、自力で登る覚悟で、こんなにも多人数でそれもパートナーが自分の選択ではなく、ぎりぎりのルートに取り付いたことは大きな問題点だった。いろんなことを考えて失敗の要因を作り上げているのだとおもった。

そして、ルートの選択が安易だった。あんなにもトポを前もって見ていたのに先行パーティーが登っていたところを空いた順に機械的に取り付いてしまった。左から取り付いていたパーティーもあったが、先に右ルートが空いたのと下部の見えているところが、簡単なのだと思いこんでしまった。しかし、それは大きな失敗だった。ルートはしっかり、自分の目で確認して取り付くべきだった。トポのルートは左が正解だった。ルートの取り方のミスが、より登攀の困難さを増した。

右の方に取り付いた私は、ここをリードして行くには私の力ではかなり厳しいことを直ぐに理解した。最初に右の方へ垂直の壁に乗り移るときに、乗った足の氷がばっさりと落ちてしまい、墜落してしまった。この時点で私は氷の質を見抜いて、自分の手に負えないのを自覚して降りるべきだったのかも知れない。しかし、これはたまたま乗ったところが悪かったからだと思い、そのまま登り返して、継続して登ってしまった。このときにかなりのテンションがかかっても、2ピン目のボルトが抜けなかったことで、この氷の質が緩んでいることは全く気が付いていなかった。これはかなりの問題点だと反省している。その次は左にまた乗り移り直上。

そして何とか、リーダーが終了点を作っている右隣の狭いテラスに上がり、リーダーのヌンチャクを借りて自分のセルフをまず取る。そして、落ちついてからザイルを延ばすか否か迷ったあげくに、判断に窮した私は、そこで迷いながらもピッチを切ることにした。

ここでも、ルートが目の前だという思いこみがあったが、実際には左の方に簡単そうなルートがあるのに、私の偏狭な目には見えていなかった。それは狭いテラスに二人立っていたこともあるかも知れない(いいわけかな?)。

1本目のスクリューを入れて、セルフを取り直した。そこで私は一安心して、もう一本スクリューを入れ始めた。「横からリーダーが、もう少し離した方がいいよ」とアドバイス。「どうして?」と聞くと近くだと割れるからという答え。そこで少し離れて右に入れていたが、全く効かない。ここの氷はぐさぐさだと思ったとたんにバランスを失って、1本目のスクリューも抜けて落ちてしまった。

岩にヘルメットの後頭部がぶつかったのが痛みでわかった。その痛みは、登山道で頭の上の灌木に気が付かず激突したときの痛みと同じだった。意外と自分では落ちついていたような気がする。フリーでもそうだが、落ちる落ちると思っているときはとても恐いが、不意打ちで落ちるときは恐さがない。

8メートルほど落ちたようだ。直ぐに頭の痛みも消えて、他に傷も無いことがわかりほっとした。ザックを背負っていたので、クッションにもなったのだろう。私はもう、登攀意欲は萎えてしまっているので、残っている人で行ってほしいと願っていた。しかし、結果としては残っている5名を敗退に導く原因を作ってしまった。これはほんとうに申し訳ないと思った。

私の下手さも理解してくれていた相棒なら、もう少し気持的にも私の負担は少なかったと思う。細かく反省する点は多々あるが、全て経験不足と技術不足だった。

しかしながらいつになるかはわからないが、可能なら正式のルートの左からもう一度挑戦したいという気持もある。しかし、もう少しゲレンでレベルアップしておかないと、ゆとりのある登りは出来ないだろう。もうこん回の二の舞は懲り懲りだ。アイスの目標がまた持てた。近場の岩場でのフリーと冬場のゲレンデにはこれからも通いたいと思う。もっともっと、トレーニングをしてゆかねばならない。

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