八ヶ岳 天狗岳〜硫黄岳(積雪期縦走)
メンバー |
ヒロサワ(リーダー総括・所感)・タケムラ・ユアサ・ヒカサ |
期日 |
2005年2月11日〜2月13日 |
山域 |
八ヶ岳 天狗尾根〜硫黄岳(積雪期縦走) |
山行形態 |
積雪期縦走 |
コースタイム
05/02/11 (晴、夕ガス)
0250 京都-0830 稲子湯【-4℃】0922-0937 唐沢橋 -1003 屏風橋 -1012 渡し橋(沢二俣≒co.1710m) -1055 co.1850m? 1105-1145 ミドリ池 1155-1205 中山峠*夏沢峠分岐 -1255 co.2250m(トラバース始) 1304-1413 中山峠 -1428 黒百合平【-14℃】/2000 就寝
02/12 (明方ガス、次第にスカッと晴)
0418 起床【+4/-6℃】- 0648 泊地発 -0653 中山峠 0703-0748 にゅう(2351m)【-16℃】0806-0851 中山峠*中山分岐 -0916 中山峠 0928-1016 東天狗岳【-15℃】1032-1042 西天狗岳(2645m)【-10℃】1050-1110 東天狗岳 -1149 根石山荘分岐 -1153 co.2965m 1203-1236 テン場(co.2430m)【-14℃】/1915 就寝
02/13 (晴だが薄っすら曇がち)
0400 起床 -0625 泊地発【-14℃】 -0632 夏沢峠 0637-0732 硫黄岳(2760m)【-18℃】 0750-0820 夏沢峠【-15℃】 0840-0915 雲上の湯分岐 -0920 本沢温泉【-6℃】 -0925 ミドリ池*松原湖分岐 -1023 ミドリ池*中山峠分岐 -1029 しらびそ小屋【-4℃】 1050-1120 渡し橋(沢二股≒co.1710m) -1127 屏風橋【-1℃】 -1140 唐沢橋【±0℃】 -1148 稲子湯/京都 2030
リーダー(ヒロサワ)の総括
計画・準備
- ステップアップするための山行経験:期せずしてヒヨばかり揃ってしまった。自分たちのチカラでゆけるところを先輩方にもアドバイスしてもらい候補を絞っていった。南ア・鳳凰三山にも惹かれたが八ヶ岳にゆくことにした。人間クサイ山域ながらできるだけ静かな山をたのしめるルートを選んだ。背中を押してくれた先輩方には感謝感謝。
- 参考記録・小屋への問合せ:主にWEBで検索、関係する記録を洗い出した。小屋へは営業/休業問わず一度は問合せをし、2〜3日おきに主な小屋へは状況等確認をした。降雪がつづいてい、ラッセルが懸念される。直前まで稲子湯入山予定を渋ノ湯へ変更するか否か決めかねた。が、予定通り稲子湯から入ることに。
- 地図作成:資料・確認情報等から平均所要時間、危険箇所を書き入れた地図(概念図)を作成。
- プラン会:装備分けを兼ねたプラン会をおこなった。当日までに装備についてはメールで検討を重ねた、少々の修正。ルートの確認、にゅうはオプションで寄道候補。
しらびそ小屋までの様子次第でココをBCとし、天狗、硫黄をそれぞれ、または一峰をピークハントする。それも困難なときは本沢温泉、稲子湯で湯治か。
天狗‐硫黄の縦走が厳しそうな場合は、天狗をピークハントし北八を周遊。
出発2〜3日前の確認では降雪が続いてい、しらびそ小屋まで入るのもムヅカシイ、などといわれた。間際まで雪の状況を確認して、稲子湯からの入山が困難とおもわれるときは渋ノ湯から入ることにし、北八を周遊することにした。
- 登山届:警察(郵送)、稲子湯登山口、各1部、計2部
0211 初日
- 仮眠後出発:現地で仮眠する場合、どうしてもテントを張らなければならず、少しでも早く歩き出したかったのでいろいろ考えた末、各自宅で仮眠後出発することにした。ユアサ電話から連絡網式にこけこッコール、集合時間前にタケムラがヒロサワ宅前に、しばらくしてヒカサ号がユアサを乗せて登場。
車に荷物を積み込み中、装備係(ユアサ)に装備の最終チェックをしてもらった。コレまでの経験から必要だと感じていたからである。「えーっと、シーバー…」「あーッ!忘れたぁー!!!」いきなりババを引いてしまった。ユアサ流で云うところの「丑三つ時」の京の町に絶叫が響いた。携帯電話が通じるとわかっていた山域であったことから持たずにゆくコトにしたが、仮眠後発でなければ増田邸に立ち寄ってゆけても今回の場合、このチェックはあまり効果をなさなかったか…。
連休の影響からか深夜走行というのに交通量がやたら多かった。右斜線をふさぐ車が行列をつくる、こんな場面がしばしばで走りにくかった。木曽駒の麓を走りすぎる頃、空が次第に明けてゆく。キモチもチョイと焦り気味…。
稲子湯到着後、身支度を整え、登山届を出し即出発。長旅の疲れもさほど感じず、仮眠後発はなかなか好いかもしれない。
- 天気はまずまず、しらびそ小屋までは地図とにらめっこしながらゆっくり前進:ヒカサ号は保険もかねて稲子湯に駐車(\300/日)した。が、稲子湯のさらに奥、林道を走りゲート前にも10台程度駐車可能。樹林の中を歩けば10分ほどの距離。
トレースを追い背の高い木々の間をゆったりと歩く、あぁーキモチ好い。屏風橋を渡る、にゅう経由で黒百合平にゆくならココから石楠花尾根に取付く。が、トレースはなく困難は火を見るよりも明らか、しらびそ小屋を目指す。25千地形図の破線とズレるが屏風橋からは沢に沿ってゆく。前方には稲子岳のユニークな姿が。たびたび地形図から現在地を確認しつつ前進した。しらびそ小屋が近づきスキー客とすれ違う、あともう少し、とゆけば小さなかわいらしい小屋がいくつか見えてきた。オヤジさんに様子を聞く、ひとり先人があるとか。ミドリ池の向こうにはこれから登ってゆく辺りを見上げることができた。明るい雪のなかでひと休みし、中山峠にむかう。
- 雪の状態はバツグン:キュッキュキュッキュ、締まった真っ白な雪は実にキモチ好く歩けた。夏沢峠との分岐を過ぎてもしばらくは木々もまばらに雪原散歩。いよいよ登り始めトラバースしてゆくとトレースの主に追い着いた。ラッセルを交代交代、急登に近づいてゆく。ピッケルを出し、じわりじわりと傾斜も増し、コリャコリャ急ぢゃ…と思う頃、振り返ればすばらしい景色。青空と白い山々が広がっていた。ツボ足で登っていたが、所々氷っている感触のあるところがある。問題はなさそうだが、アイゼンをつけるか微妙な感じ。結局ナシで登りきった。峠は結構なヒトがいた、ここまでの静かな雪山とは一変してしまう…。騒がしさに反して、雪をつけた樹林帯はホンマにうつくしい。
ほどなく黒百合平に。会計(タケムラ)が受付(\1,000/人)にいってくれてる間に設営。周りでは小高い雪丘でソリ遊びに興じているヒトもいてなんともにぎやか。少々時間もあるので今日のうちににゅうへいってみようか、とザックに必要なモノ(ツェルト、火器類、エアマット、レスキューセット等)を詰め準備を始めたが、小屋のヒトは大忙しで質問に掛け合ってくれる状態でなかったらしく、そのうち寒くなってくるわ天気もイマイチ。「やめよ」とゴハン支度を始める。
- テントで:おたのしみのヒカサシェフの食糧である。今夜はポルチーニ茸をつかった「香りシチュー」。初顔合わせのポルチーニ茸は独特の深みのあるシイタケだった。海鮮おこわもおいしかった。
トイレは小屋のを使わせてくれた、暖かくて出られない。テントはかなりの数に増えて、宴会ムードすら漂う。♪〜あぁーおい山脈ぅ…、ヤカマシイ。
0212 二日目
- にゅうへ:少々懸念されたお天気だったが、ガスが多いもののよくなってくる気配。小屋でにゅうへの状況をたずねる。黒百合平‐にゅう間はヒトの往来もそこそこある、にゅう‐白駒池は深いラッセルになるだろうとのこと。にゅうへはハイキングに最適な感じだった。うれしやうれし♪空荷で立ち寄ることにする。中山峠にザックを4つ寄せ合い、木にもたせかけた。小屋で問うた感じから非常装備も持ってゆくのをやめたが、ヒカサは念を入れて手持ちで持った。彼女の慎重さに反省。
中山への路を左に別け、我々は右へ。静かな樹氷の下をゆるやかににゅうへ向かう。ヒカサの調子があまりよくない。途中からゆっくり来ることにし、悪ければ中山峠に引返し待ってることになった。稲子岳の奇妙な姿や向こうの雪をまとった森、樹間から差込む朝日、きらきら輝くダイヤモンドダスト…、気分上々でちょっとした岩場を登ったそこがにゅう(2351.9m)だった。危険な箇所もなくのらりくらりとよそ見しながら歩いていたため、ほどなくヒカサも到着。その展望はすばらしかった、正面右手に富士山、手前にはこれからゆく天狗岳が東と西とカタチも対照的に仲よく並んでいた。振り返れば北八の伸びやかな景色、足元には白駒池が。次第にガスも取れてゆきそうだったが、待ちきれずちょいとコルまで下りて腹ごしらえをしてしまった。
縦走路へ戻る途中、仰向けに大の字に寝転がった。青空がキモチ好い。中山からの路と合流する辺りから人間であふれてきた、ふたたび騒がしい山になった。
- 東天狗へ:中山峠で一服し、天狗にむかう。不本意ながらヒカサの装備を一部、ヒロサワ、ユアサに振り分けた。調子が上がらないためヒカサはゆっくりと東天狗‐夏沢峠へと進み、西天狗には寄らずにゆくことになった。大勢のヒトに混じって九十九折れに登ってゆく。すっかりガスも晴れキモチの好い青空が広がった。人々にまみれながら東天狗に到着、荷を下ろすスペースすら探し回るほど。そんなうちにヒカサも到着。さほどペースも悪くないと思われたので西天狗をどうするか問うがやめておくとのことでひとり先行することに。
- 西天狗:3人で西天狗にむかった。視界が悪い場合はやめようとおもっていたが、このおてんきなら問題なさそう。急降下でコルへ、テントでも張ってのんびりしたくなるような快適空間だった。再び登り返す、脇を頂上からシリセードで猛滑降してくるグループがある。ガイドっぽく、滑落停止訓練をしているようだ。西天狗(2645.8m)のピークはヒトもまばらで広々としてい、八ヶ岳の北も南も、遠くアルプスの山々も見渡せた。しかし、富士山は見えずにゅうの株がグッと上がった。
東天狗に戻ろうとするとヒカサらしき人物がほぼ下りきろうとしてるのがゴマ粒のように見えた。われわれもすぐに後を追ったが、東天狗からの下りは要注意だったことを失念していた。遠目に様子が見えたので無事なことはわかってちょっと安心するが、先行する限界を決めていなかったことを後悔した。なかなか追いつかず、根石岳からも彼女の姿が確認できなかった。また静かな山が戻ってきて、すれ違うヒトもわずか。根石岳の下りで登ってきたヒトに問うてみたが、彼女らしき人物は見てない、という。ただ彼らは根石山荘に立寄ったらしく、すれ違った可能性はあった。間もなく箕冠山へ登りかけてる彼女を発見、根石山荘を横切って追いつき合流。
- 去年と同じ付近(夏沢峠手前)で幕:4人揃って樹林の中を夏沢峠へ向かった。まだ時間も早いことから指定地以外で幕営するのは気がひけるので、どこか奥まったいい場所はないかと物色しながら歩いていたが見当たらず、結局予定していた昨シーズンと同じところへ。前回は気づかなかったがさらにその奥があって、ぐるりをシラビソに囲まれたステキに好い感じのちょうどよいスペースだった。念入りに整地し、トイレも上出来のモノが。まだ陽の高いうちからツマミ食いツマミ食い、のんびりおしゃべりをたのしんだ。そのうち隣人がやってきた。
陽が傾き始め、夕餉の支度―今夜はごちそう麺。主役のたまご麺、そしてビーフジャーキー、燻製卵たちとはいずれも初顔合わせだった。とてもおいしく、ぺろりとたいらげてしまった。
0213 最終日
- 硫黄岳:朱に空がにじんでくる。お隣さんはまだ静かだった。今日は下山、帰路の渋滞も予想されるため急ぐわけではないが時間には気を遣って行動した。速やかに夏沢峠にむかう。小屋の影にザックを並べ、非常装備を手に最後のピーク、硫黄岳へ。
曇がちな空だったが明けてゆく色はなかなかうつくしく、振り返れば独特のカタチで噴煙をたなびかせている浅間山、南ア、中ア、北アまで望めた。どこへいってもちゅんとした穂先を認めたとき、「槍だッ!⇒北アがみえた」と自信を持って理解できる。それ以外はあまりよくわかっていない。
猛烈な冷たい風に吹き付けられながら登ってゆく。パッチを脱いだことをしくじったと思った、去年の南アでの春一番を思い出す。ミトンの中では手袋から指を抜き、ぐーを右手左手と交互に繰り返していた。強い風に時折よろけながら、左に展開する見るからに恐ろしげな爆裂火口壁へ吸い込まれてはならぬと気を引き締め歩いた。ケルンの影で気休めに風を避け、また登り…を何度かくり返し山頂へ。ガスってはいるが、歩いてきた縦走路も、さらに南へ続く赤岳もよく見えた。やはり富士山は見ることはできず、にゅうへの評価はウナギ上りだ。赤岳鉱泉方面から1組登ってきた。写真を撮ってとっとと下りちゃおう、とケルンに隠れて風除けしているヒロサワ、タケムラ。とは反対にたくましくも吹きッ曝しの広い山頂をうろうろ周遊し、南に伸びる縦走路の続きを、赤岳を望むユアサ、ヒカサ。それぞれに満喫し硫黄を後にした。
- 夏沢峠:すっかり冷えきってしまった体にゲンキを与え、いよいよ稜線を後にする。静かな雪山をたのしみつつ、時折騒がしくシリセードを交えどんどん高度を下げる。樹林帯をゆくがたまにパッと開けて硫黄岳がみえた。雲上の湯への分岐を過ぎればまもなく本沢温泉についた。硫黄岳をバックにアジな看板が立っている。野天風呂にぬくもりたいキモチもあったが、道中の心配もあったので次回にオアズケ。ケダモノの足跡が残る雪を歩いてゆく。松原湖への分岐を越え、なだらかになり大きく尾根をトラバースして中山峠との分岐に戻ってきた。なつかしいしらびそ小屋で一本、賢そうな番犬殿が怪しんでいる。ココだけ見たらなにやら雪国の町の一風景のようでなにやらケッタイな感じがした。ここでヒカサを除く3人はアイゼンを外し、稲子湯を目指す。
- 稲子湯:いちばん恐ろしかったのは、稲子湯旅館の周辺だったかもしれない。アイゼンを外してしまった足にカキーンと氷った路面は、四つん這いになろうかと思うほど怖かった。
荷と人間で満載のヒカサ号はチョイとアタマを使って積んでゆく必要があった。できるだけザックに収納し、できるだけもとあったとおり積み込んでいった。
稲子湯は鄙びた温泉宿で、その湯は炭酸泉で飲用するとシュワシュワしていた。チト熱めの透明な温泉でキモチ好く温もった。
担当
- CL:適切な判断ができていたのだろうか、特に空荷でピークハントしたときと別行動をとった場合。
- SL:事前の問い合わせを協力してもらった。
- 装備:メール上で何度も検討を重ねた。忘れモノもあったが、装備分けの時点でも気づかなかった。
- 食糧:研究の成果あり。栄養バランスを考え、工夫を凝らしたメニューだった。もちろん軽量化ばかりでなく、味もおいしかった。
02/11
中山峠:急登をがんばれば樹氷たちがお出迎え。
02/12
にゅう:富士山を遠望
にゅう〜中山峠:ダイヤモンドダスト
中山峠手前:なかよく並ぶ天狗岳
東天狗への登り
東天狗:これからゆく硫黄岳、奥には赤岳がみえる
02/13
夏沢峠
硫黄岳山頂:明けてゆく色はなかなかうつくしかった。
硫黄岳山頂:歩いてきた路を振り返る。
硫黄岳山頂:今度はきっと、あそこにゆこう!
ミドリ池
稲子湯:チト熱めの透明な温泉でキモチ好く温もった
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ヒロサワの所感
動機
- 雪山に足を踏み入れて3シーズン目になる。まだまだ日は浅いながら自分にとって大きな経験だったとおもえるなかのひとつは、昨シーズン・2月連休+α:4泊5日でいった、南ア縦走(易老渡‐茶臼‐上河内‐聖平‐便ガ島)である。厳冬期と呼ばれるこの時季に雪の稜線を歩くことを思う存分たのしんだ。晴天にも恵まれた。
今シーズンもこのような山行にゆきたくてたのしみにしていた、雪山の経験を積む貴重なチャンスと考えているからである。が、企画はなく期せずして自らが出すことになった、大それたコトを…。ではあるが、とても指をくわえて時機を逸っしてしまうなんて耐えられなかった。
- 候補地は、ひとつは雪の鳳凰三山から白峰三山がみたい、とおもっていた。ゆくゆくは白峰三山縦走をやりたいからである。ワタシは未経験ながら参加予定のユアサさん、ヒカサさんが秋にいっておられた。もうひとつは自分がいったことのある八ヶ岳である。ただヒトが多いのが難で、小屋も開いていることから安心ではあるが、静かな山旅をたのしみたい自分としてはなかなか前向きに考えられなかった。
計画
- 先輩方の意見も参考にし、結局八ヶ岳に落ち着いた。はじめこそ北八をハイキング…と考えてはいたが、前述のようなキモチもあり気づけば「静かなところ、ヒト気の少ないところ…」と探し回っていた。手ごろなのでは?と、挙げたのが天狗‐硫黄の縦走だった。渋ノ湯はダダ混みだろうが、稲子湯は静かそうだった。稜線は昨3月に歩いたが、正直全くといっていいほど記憶がなかった。そのときの写真を見たりするがイマイチ、ピンと来ない。小屋等に問合せてみるが、積雪次第、と云うことだった。ネックはラッセルの状況にかかってるようだ。
- 調べていくうちに「にゅう」というピークにぶつかった。記録をみても「にう」とか「ニュウ」とか「乳」とかその扱いのイイカゲンさや、その展望のすばらしさを記述されているものが多く、中には『北八ツの白樺尾根からニュウへの道。これはもう10数年も前から私の心を暖めていた山道であった。…なのに不思議なことに10数年もの月日が経ってしまった。…ニュウへはじめて行くときは冬にしようと前々から心に決めていた。』とその想いを書き綴られているものもあった。「気になるぅー!」それからアタマの中は「にゅう」のことでいっぱいになり、あちこち調べまわった。白樺尾根からはラッセルが深そうなことと、ルーファイが難しいかも、というコトで、にゅう経由で黒百合平に入るなら石楠花尾根からというコトにした。それも怪しいときは黒百合平からピストンすることに。オプションで…、と寄道候補のひとつに挙げたが個人的にはもっともゆきたい場所であった。
- プラン会も開けるか怪しいところではあったが、なんとか集まることができた。このことはとてもよかったとおもう。
担当
- 今回、空荷で歩く機会が多かった。にゅうへゆくとき、小屋の案内から非常用品も置いていこうとしたが、ヒカサさんからもってゆきたいとの判断。この辺がむづかしいとおもった。結局、ヒカサさんの巾着が大活躍で手にぶら下げて歩いたが、硫黄岳へゆくときには手指が冷風に痛かった。このような可能性がある場合はアタックザックを持っていったほうがよかったかも。
- 体調不良から、ヒカサさんの装備を一部振り分けた。痛みがひどければ下山も致し方なし、とおもったが歩ける様子。まだ2日分の行程が残っているし、彼女のキモチを考えると申し訳なかったのだがのみ込んでもらった。ユアサさんにも申し訳なかったが負担をかけてしまった。
- 西天狗を省いてヒカサさんは夏沢峠へ先行することにした。この際、前進の限界点を決めておくべきだった。そこそこで追いつくかぁ、と漠然とおもってしまった。なかなか合流することができずこのことを後悔した。心配と不安で天狗からは、キモチにもゆとりがなくなってしまった。
- 今まで考えたこともなかった部分でたくさんの反省させられる山行になった。
所感
- 成功のカギは、計画段階でお互いの意思疎通を図れたことではないかとおもう。これまで特別よく顔を合わせていた面子でもないし、さらには初心者の集まりであった。些細なことかもしれないが、小さな見えない心配や不安はメールでやり取りを交わしただけで終わらず、集まって検討・確認等をしたことで少なからず解消されていったのではないかとおもう。ヒヨの集まりだったことは、きっと全員がアナタ任せにならず、すべてにおいて理解するように努力していたとおもう。プラン会はとても重要、そして必要だとおもった。
- 会報で研究してくれたヒカサさんが担当してくれた。その成果活かされ、軽量化かつ美味。『粗食の過食』をモットーにしている自分とはあまりにちがい、その栄養を第一に考えてたてられた献立は食材といい、料理といい、カルチャーショックを与えられた。
- ひっそりとした好い山行だった。ヒヨが自力でゆこうとするにはちょうど好いルートだと思った。
- タケムラさんとは雪が降るとご一緒する機会が増える、雪仲間とでも云うのだろうか。彼女のパッキングの素早さには毎度ながらたまげてしまう。いつもは誰かのお酒をお相伴している彼女も、今回はがんばって泡盛を担ぎ上げていた。さすがッ!
- 今回もおてんき続きだった。『嵐を呼ぶ女』ユアサ嬢の威力もワタシの『あッ晴女』にはかなわなかったか…!有難いコトではあるが、悪天の際の対処法がわからない。いつか安全な(?)悪天候経験を経験をしておかないとイザと云うときに困る。バチ当り?でも贅沢で真剣な悩み…。
- 最後のピーク、硫黄岳でワタシとタケムラさんはケルンに隠れて風宿りしてるというのに、テントマットを持ってかないのをあれほど心配していた寒がりのユアサさんとヒカサさんが広い山頂をうろうろ歩き回り、これまで歩いてきた縦走路よりもさらにその先を見ていたこと、赤岳にまっすぐ指差し狙っていたことが、とてもとてもうれしかった。自分が感じたモノが伝わったような気がしてとてもうれしかった。
- 『スゴイトコロ』『ムヅカシイトコロ』では全然ないが、自分たちでゆけたコトはとても大きな経験だった。
- 正月合宿では、個人課題をもって参加したがこんなに早く試されるときがこようとはおもってなかった。が、みんなのオカゲで好い経験ができました。勉強になりました、ホンマにありがとう。
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ユアサの所感
八ヶ岳縦走(天狗岳〜硫黄岳)
- 初めての厳冬期縦走
いわゆる「冬山」という名で表現される山に登るのは、今回が初めてであった。その意味で、冬山の美しさや厳しさ、楽しさ、苦しさの全てが、長く、私の心の中に残るような気がしている。冬山の魅力を知ってしまったということが、幸であるか不幸であるかは謎であるが、転機となる山行であったことは間違いないだろう。
- 事の始め
「2月の三連休に、八ヶ岳か鳳凰三山を縦走したい。」というヒロサワさんの思いを知ったとき、「私も行こう。」と即断していた。プレ冬山のときに、青空を背に白く輝く峰々の美しさを目にして、また雪山に行きたいという思いが育っていたからである。
しかし、雪山に行くには、個人的な難題を解決する必要があった。難題とは、知る人ぞ知る事柄、すなわち、両親と祖母を説得することであった。この年になってと思われるかもしれないが、私の家族は、「冬山=遭難=死」と思い込んでいるため、冬に遠くの山に行くとなると、大騒ぎになるのである。山行のメンバーに名を列ねてからも、「さて、どう言ったものか…。」と考えていたが、結局、正攻法でいくしかないので、「無理はしない。」「絶対に、生きて帰ってくる。」という文句を連発して、ようやく、納得して(諦めて?)もらうことができた。
- 準備
メンバーが確定したあと、ヒロサワさんの家に集まって、プラン会を催した。鳳凰三山の縦走は、私たち4人にとっては、少し難しいだろうということで、八ヶ岳の中部を縦走することに決まった。『日本雪山登山ルート集』を読むと、夏沢峠をはさんだ天狗岳から硫黄岳までのルートは、「静かな山行を楽しめる」と記されていたので、どんどん期待が膨らんでいった。タケムラさんも私も、このような表現に弱いのである。
ヒロサワさんの入念な準備ぶりには、本当に驚いた。2万5千分の1の地形図4枚を貼り合わせたものや八ヶ岳に関する数種類の文章をコピーして渡してくれただけでなく、ネットから、様々な人の記録を拾い出したり、周辺の小屋に電話をして、積雪状況やルートの様子を尋ねたりしてくれていた。このことは、自分たちの行程が、天候や体力、ルートの状況などに照らし合わせて、無理のないものであるかどうかを判断し、さらには、条件が悪い場合に、どのような行動をとるべきかを決定する上で、とても重要な情報源になった。無雪期とは比べものにならないほど、条件によって、行程が大きく左右される冬山では、そのような地道で入念な準備が強く求められることを教えてもらったように思う。
- 装備係
今回の山行では、装備係を担当させてもらった。秋の鳳凰三山で、一度、経験していたが、雪山山行において装備係を担当するのは初めてであったので、任すリーダーも、任される本人も、実に不安であった。プレ冬山での装備表や、雪稜HPに掲載されている正月合宿での装備表を参考にさせてもらいながら、おおまかな装備表を作成し、メンバーとマツダさんにチェックをお願いした。
私は、非常事態が発生したときのことを考えて、燃料にしても食料にしても、多めに多めに持っていこうとしていたのだが、「軽量化が縦走を達成するための鍵であり、全ての装備を、女4人で背負って、少しずつでも前進していかなければならないということを頭に入れておいてほしい。」とのヒロサワさんの意見を聞いて、少しずつ量を減らしていった。皆で相談しながら、最終的には、納得できるものが出来上がって安心した。この過程で、冬山では、どのような装備がどの程度必要なのか、あるいは、なくても大丈夫なものなのかを知ることができて、とても勉強になった。
しかし、装備係を任された者として、反省するべき点も何点かある。まずは、個々の装備の重量を測ることなく、自分のいい加減な感覚で、装備の分担を決めようとしていたことだ。ヒロサワさんが測ってくれた表を見ると、各人の装備の重さに、最大2倍以上の開きが出ており、自分の感覚が、いかに頼りないものであるかを痛感した。のんびり山行では、その場で適当に配分するということでも許されるだろうが、少し厳しい山行になると、客観的な数字にもとづいて、話をする必要があるということを知った。各人の歩荷力に応じた分担を考えるということは、山行自体の成功にとって大きな意味を持つものであるから、いい加減では許されないということを教えてもらった。
さらに、装備を受け取りにいく役目を、増田さん宅に近いという理由で、ヒカサさんに全てお願いしてしまったことも、反省するべきことである。装備表を作っただけで満足して、結局、自分の足で取りに行くという大切な作業をしなかったからである。このことが、シーバーを忘れるという大失敗に繋がった根本的な原因であると思う。私に全ての責任があるにもかかわらず、ヒカサさんをして、「シーバーを取りに行くのを忘れた!」と叫ばせてしまったこと自体、とても申し訳なく思っている。携帯電話のつながりやすい山域であるからこそ、シーバーがなくても大丈夫だろうということになったが、下手をすると、山行自体を中止に追い込むほどの重大な失敗であったことは確かである。何もなかったからこそよかったものの、緊急事態が発生したときに、シーバーを持っていないということは、パーティーの生存にとっても、雪稜クラブという会の名誉にとっても、大きなマイナス要因になるものであることは間違いない。自分の役目を、一つ一つ、手を抜かずにすることが、いかに大切なことであるかを痛感した。
- 行動食
私は、これまで、行動食として、飴やチョコレート、プルーン、クッキーなどの細々としたものを、個包装のまま持っていっていたが、プレ冬山のときに、アウター手袋をしながら個包装をあけるということが、いかに難しいことであるかを学習したので、今回は、工夫をしようと思っていた。手袋をつけたままでも食べられるようにしておかないと、次第に、栄養補給をするのが面倒くさくなって、シャリバテというよからぬ事態に陥るだろうことは予想できたからである。というわけで、今回は、個包装を悉く捨てて、飴とチョコレート、チョコフレークとキットカット、黒糖菓子と甘納豆、おかきとナッツ類というように、種類ごとに分け、ジッパーつきのナイロン袋に入れて持っていった。メンバーによると、「自分自身は、1日分ずつ分けておかないと、食べ過ぎてしまって、最終日に困ることになる。」とのことで、「なるほど。」と思ったが、今回に限って言えば、足りないことも余ることもなく、いい具合に食べることができた。
- 出発時間
慣れた自分の寝床に勝るものはないことと、テントを張ってシュラフを引っ張り出し、またテントをたたんでパッキングをし直す時間を節約することを考えて、午前2時半に出発することになった。たとえ3〜4時間であっても、家で横になれると、目覚めたときに、体が朝モードに切り替わっており、朝型人間の私にとっては、とても素晴らしい案であった。もちろん、この時間帯には、公共交通機関を利用することができないので、集合場所に行くのに、車で来る人に拾ってもらわなければならない。その意味で、この案を実行に移すことができる場合は限られてくると思われるが、夜に出発するより、体が楽であることは確かである。
- 天気に恵まれた3日間
信じられないほど、天気に恵まれた山行であった。思い返せば、2泊3日の山行に行くたびに雨に降られているので、終日、青空の下を歩きつづけることができ、とても幸せであった。聞くところによると、ヒロサワさんが晴女であるらしく、その恵みに浴することができたというわけである。ヒロサワさんの、「自分は、今まで、天気に恵まれたからこそ達成できたと思える山行が多い。なので、荒れた山を経験しなければならないような気がしている。」という意味の発言を聞いて、「なるほど、そういう考え方もあるのだな。」と感心したが、私は、晴れていることがひたすら嬉しかった。
- 素晴らしい景色
雪に覆われた真っ白な世界がこれほど美しいものであるとは、山登りを始めなければ、きっと知らないままであったと思う。中山峠から黒百合ヒュッテに向かう道で見上げたシラビソの樹氷は、怖いほどの美しさであった。ヒカサさんが、「自然の空恐ろしさを感じて、心から美しいとは思えない。」と言っていたのが印象に残っている。この姿を記憶に残すために、何度も振り返りながら歩いていた。また、2日目の朝に寄った「ニュウ」からの展望も忘れることができない。「ニュウ」へは、条件が整えば行くという位置付けであったため、私の中では、それほど重きを置いていなかったのだが、ピークからの景色を眺めたとき、ここに立つことができてよかったと心から思った。雲海の上に顔を出した秀麗な姿の富士山、さざなみのように広がる北八ヶ岳の森、これから向かう双耳峰の天狗岳とそれに続く稜線が、朝の光の中、くっきりと姿を見せていた。360度の展望というのは、こういうことを言うのだなあと思った。ダケカンバの丸みを帯びた枝に付いた樹氷が、とてもかわいらしかった。この木には、妙な味わいがあって、好きなのである。さらに、辺りには、キラキラと光る霧氷が飛び回っていた。最終日の朝に登った硫黄岳からも、まるで、一幅の絵画を眺めていると錯覚するほど素晴らしい景色を観賞することができた。それぞれが特徴のある姿をした横岳に赤岳、阿弥陀岳を目の前に見ることができた。視線を右に転じていけば、南・中央・北アルプスに天狗岳、わずかながら噴煙を上げる浅間山を目にすることができた。
- テント生活
今回、テント生活を通じて、多くのことを学ばせてもらった。その中でも、強く印象に残っていることが2つある。まずは、冬山であっても(冬山であるからこそ)、テントマットなしで生活することができるということだ。共同装備から、テントマットを削除したとき、ヒカサさんと私は、少なからず、恐怖の念を抱いていた。ヒロサワさんとタケムラさんからは、「全く問題ないよ。」と聞いていたが、正直なところ、「ほんまかいな。」と思っていた。起きているときは問題ないとしても、雪の上でちゃんと眠れるのだろうかと心配していたのである。しかし、個人マットの上に新聞紙と雨具を敷き、さらに、フリースの上着を腰に巻いて横になったところ、それほど寒さを感じることはなかった。自分の所持品を総動員して、下からの冷気を遮断しさえすれば、テントマットがなくても、なんとか乗り切ることができることを知って、ひそかに感動していた。
2つ目は、タケムラさんのてきぱきとした撤収の仕方についてである。朝食を食べ終わってからテントを出るまでの所要時間が、私にとっては、驚くほど早かったのである。いちはやく外に出て、テントの撤収にとりかかってもらうことになった。私はというと、荷物のパッキングや身支度にやたらと時間がかかり、迷惑をかけてしまった。経験と慣れによるものかもしれないが、もっと、出発前の準備をてきぱきとできるようになりたいと思った。
- 衣類の調節
冬山では、衣類の調節を、的確にしなければならないことを痛感した。冬に汗をかくのは良くないことだと知っていたが、かいた汗が凍ってしまうという事実には驚いた。考えてみれば、風の吹く氷点下15度の中を歩いているのであるから当然と言えば当然であるが、うっすらとかいた汗のために、雨具の裏側が凍っているのを見たときには、ひとり仰天していた。出発するまでは寒くても、なるべく薄着を心がけ、暑さを感じる前に、面倒臭がらずに、服を脱ぐことが大切だと実感した。また、稜線上で、風に吹かれると、5本指のアウター手袋では、凍傷になる危険があると思った。硫黄岳をピークハントする間中、北西の強風に吹かれており、私だけ、やたらと指が冷たかった。タケムラさんも5本指のものをしていたので、一概には言えないのかもしれないが、歩いている間中、指先や手の甲を太腿に打ちつけていなければならなかった。もともと、末端冷え性の傾向があることも災いし、風に吹かれる西側の手が冷たくなり、しびれを通り越して、感覚がなくなってきたときには、恐怖に似たものを感じた。風をよけられる岩陰に来たときに、皆に立ち止まってもらい、3分ほど、手をぶつけ合っていた。ようやく樹林帯に入って、ザックをデポした夏沢峠に戻り、指の感覚が戻りはじめたときには、ホッと安心した。そして、ミトンの手袋を買おうと決心した。
- 食事
ヒカサさんの料理は、本当に美味しい。私は、ヒカサさんと一緒に山に行くことが多いので、実に幸運である。1日目は、薫り高いポルチーニ茸の入ったシチュー、2日目は、ビーフジャーキーの入った五目ラーメンであった。私は、ビーフジャーキーと言えば、失礼ながら、犬のエサだと思いこんでいただけでなく、ポルチーニ茸などというハイカラ(?)な食材にも縁がなかったので、こわいもの見たさも手伝って、夕食の時間を楽しみにしていた。その結果は、私の中では、100点満点である。軽量化だけでなく、栄養バランスも考えられていて、とても美味しかった。なかなか真似をしようと思ってもできないが、少しでも、ヒカサシェフに近づけるようになりたいと思った。また、ヒロサワさんのブランデーを紅茶に数滴入れてもらったところ、とても、優雅な気分になった。ジャムを少量入れるのもいいかもしれないと思った。
- おわりに
個人的に反省するべき点の多い山行であったが、何事もなく、皆で無事に帰ってくることができてよかったと思う。反省点を、次の山行につなげていきたいと思っている。楽しい3日間を過ごすことができ、パーティーの皆には感謝している。たくさん助けてもらって、どうもありがとう。
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ヒカサの所感
北八縦走の振り返り
- 準備
ヒロサワさんたちと2月の3連休を使って冬山に行くことにしてから、冬山ルート集の初心者ルートを読んで私が行けるところで北八になった。それからとりあえず天気図を山行の日まで毎日見るのと、ネットで山行の記録を何個か読んだ。ヒロサワさんの準備はすごかった。2万5千の地図のコピーの裏にエアリアのコピーも載ってるのや、ルート集のコピーを全員分や、計画書は各小屋の連絡先や日の出、日没の時間が書いてあるし、プラン会をしたときちらっとみたのは、ネットで見た山行記録から、何月に入った人はどれだけの時間かかったか、全部書き出してあって、ほんとに脱帽だった。何回も警察や小屋に問い合わせもしてくれてたし、装備の重さも表にしてあるし、とにかくどれだけ時間がかかったことだろう。
- 係り
軽量化を実践に移すために食料係にしてもらった。食料は過去の記録とかから、できれば4人で晩御飯一回につき1000g弱、朝ごはん一回につき400gを切りたいなと思った。結果的にはちょっとはみ出たご飯もあるけど目標は達成した。それから、夜たんぱく質、朝炭水化物を意識したのも実践できた。ビーフジャーキーをスープに入れるというのは初めての試みだったけど、ふやけてまずくなることもなく悪くはなかった。9回紅茶を沸かして1回カフェオレを作ったけど、砂糖300gは結果的には少なかった。ヒロサワさんの紅茶にブランデーはほんとに美味しかった。みーちゃん泡盛におつきあいできなくてごめんなさい。
- 出発時間
[1] 前夜10時くらい発・稲子湯で仮眠、[2] 前夜10時くらい発・どっかのSAで仮眠・車の中で準備、[3] 自宅で睡眠後深夜2時くらい発・到着後すぐ出発の3案が出た。ふとんで寝られる魅力と、テントの出し入れなどの時間省略ができるという点で3つ目の案になった。高速は予想外に名神でも、中央道でも真夜中なのに軽めの渋滞があって、到着は遅く、出発も比例して遅くなってしまったから早めの出発ならその辺は調節できたのかもしれない。でも3つ目の案は体調がよければ体は楽だったように思う。(途中リーダーが急がば回れ事件に見舞われてしまったのもあり)
- 装備
今回軽量化のためにテントマットが省略された。当初、寒さに耐えれるかに恐怖に近いものがあったのでかなり不安を持ったが、ツエルトを出してもらうつもりで受け入れた。実際はベニヤやスパッツをエアマットの下に敷いて、(ユアサさんは新聞を敷いたみたい)テント内氷点下4度でもあんまり寒くなく、なくても行けることに感動した。それから真ん中に寝かせてもらったのも助かりました、ありがとう。テントの内張りの効果にも驚いた。シーバーについてはユアサさんの記録にまかせますが、責任の一旦はあります、すいません。携帯はvodafoneはどこも圏外で全く使えなさそうだった。シュラフとシュラフカバーをほとんど閉じて寝たけど、おきたときは吐いた息で内側がぐっしょり濡れていた。自分の不感蒸泄に改めて驚いた。2回の使用だったけど、連泊の縦走だと結構辛そうだ。ランタンは装着してあらかじめライターであぶっておいたのに山で出してみるとマントルが破れていて、換えの分を使うことになった。光が出るのも何度かバーナーであぶってやっとという感じで、酸素が薄いせいか?ということになったけど厳しい山行には不向きかもしれないと感じた。
- テント生活
水作りにかなり時間を費やすことを知った。8gほどの水を作るのに2時間以上かけたように思う。それから、カートリッジも水も凍るので、人の間にはさんでねること、火を使っている間は小まめに換気しないとすぐ頭がぼーっとしてくることなどもわかった。荷物の出し入れやパッキングは相変わらず一番時間がかかった。慣れなのかもしれないけど、ユアサさんも書いていたけど、みーちゃんの行動はほんとうに早い。テントに入ったときもそんなに散らかさず、出るときもあっという間にパッキングして出てしまう。なんでだろう、ザックもある程度大きい方がいいのかな。
- 体調
これが今回最大の反省点になった。山行の前の週末に体調を崩してたった1kg強だけど体重が減って取り戻せないまま出発になった。準備運動もろくにしないで歩き始めると息があがって、しばらくしたら左大腿付け根が痛くなった。地図を見たり景色を見たりするけど、ごまかせないほど辛くなって1日目の最後の中山峠の急登はラッセルに参加するどころかリタイアも頭に浮かんだ。2日目、ニュウへの空身での往復時、やっぱり痛みと息があがるのでついてゆけず、自分のペースで行くからと頼んで先に行ってもらった。天気がよかったのもあってリーダーは許してくれた。一人で歩いていると、天気に反してどんどん弱気になっていった。ニュウになんとか着いて、富士山や今回は行かない白駒池を見ることができてなんとか気持ちを持ち直すことができた。中山峠に戻ったとき、リーダーがわたしの装備をメンバーに割り振るように指示した。わたしは自分で持ちたいと主張したけど、リーダーは重量で痛みがひどくなっては困るからと言った。
荷物を自分でもてないことはショックだった。リーダーはそれを聞いて、「わたしも持ってもらったこともあるし、反対に体調の悪い人のを持ってもらうこともあるから。」と言った。わたしはその言葉をもらって割り切ることができた。ふと思い出してそのとき前夜で飲み忘れたビタミン剤とカルシウム剤を飲んだ。その後天気がよく縦走路がよくみえていたこともあって、自分のペースで行くことを許してもらい、東天狗までゆっくり歩いた。そのときは痛みはほとんど感じなくなった。西天狗へは大事をとって残念だったけど行くのをあきらめ、3人を見送って夏沢峠までの道をゆっくり歩き始めた。途中何度も振り返って3人の姿を確認し、やっと、景色を楽しむことができるようになった。根石山荘を過ぎたあたりで3人と合流し、夏沢峠に着いた。この間、リーダーやメンバーに心配をかけましたが、いろんなわがままを許してくれてありがとうございました。3日目は睡眠を取れたのと、ビタミン剤が効いたのか体調がよく空身での硫黄岳往復を満喫することができた。南・中央・北アルプス全部、北八ヶ岳方面の峰峰や行者小屋もよく見えて忘れられない景色となった。ユアサさんと、夏に南八縦走に行くことになった。夏沢峠から稲子湯までは靴擦れが痛くなってきて辛かったけど最後なのでなんとかなった。しらびそ小屋の「お泊まりになりませんか。小さな小屋ですが、リス達とお待ちしています」という看板が暖かくて泣きそうになった。本澤温泉はなんとも雰囲気のあるところで外湯は見れなかったけど、どんなんだろう。稲子湯は熱くてよいお湯だった。帰りの車は3月の連休や、どんな山に行きたいか、何に興味があるかなどの話しで楽しかった。最後にごはんのときに、ヒロサワさんから、フリーで一手が大切なように、冬山でも場所によっては一歩一歩が大切であったり、ザックのおき方など行動の全てに意味があって、それを手を抜かず丁寧にこなすことが冬山の楽しさであると教わった。
同じように、今まで日常生活に少し手を抜いていたように感じる。日頃の寝不足や、食生活のずさんな面が今回の体調不良につながったと感じた。日頃から体調を整えるように気をつけ、日常生活と山と同じくらいに楽しめるようなバランスをとれればよいなと思う。
- 最後に
今回は厳冬期の冬山で連泊するという個人的目標をなんとか達成でき、3人の足をひっぱりながらも学びの多い、ちょっとした転機になりそうな山行となりました。ほんとにありがとう。また一緒に行ってください。
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