八ヶ岳 天狗岳〜硫黄岳(積雪期縦走)

メンバー ヒロサワ(リーダー総括所感)・タケムラ・ユアサヒカサ
期日 2005年2月11日〜2月13日
山域 八ヶ岳 天狗尾根〜硫黄岳(積雪期縦走)
山行形態 積雪期縦走

コースタイム

05/02/11 (晴、夕ガス)

0250 京都-0830 稲子湯【-4℃】0922-0937 唐沢橋 -1003 屏風橋 -1012 渡し橋(沢二俣≒co.1710m) -1055 co.1850m? 1105-1145 ミドリ池 1155-1205 中山峠*夏沢峠分岐 -1255 co.2250m(トラバース始) 1304-1413 中山峠 -1428 黒百合平【-14℃】/2000 就寝

02/12 (明方ガス、次第にスカッと晴)

0418 起床【+4/-6℃】- 0648 泊地発 -0653 中山峠 0703-0748 にゅう(2351m)【-16℃】0806-0851 中山峠*中山分岐 -0916 中山峠 0928-1016 東天狗岳【-15℃】1032-1042 西天狗岳(2645m)【-10℃】1050-1110 東天狗岳 -1149 根石山荘分岐 -1153 co.2965m 1203-1236 テン場(co.2430m)【-14℃】/1915 就寝

02/13 (晴だが薄っすら曇がち)

0400 起床 -0625 泊地発【-14℃】 -0632 夏沢峠 0637-0732 硫黄岳(2760m)【-18℃】 0750-0820 夏沢峠【-15℃】 0840-0915 雲上の湯分岐 -0920 本沢温泉【-6℃】 -0925 ミドリ池*松原湖分岐 -1023 ミドリ池*中山峠分岐 -1029 しらびそ小屋【-4℃】 1050-1120 渡し橋(沢二股≒co.1710m) -1127 屏風橋【-1℃】 -1140 唐沢橋【±0℃】 -1148 稲子湯/京都 2030

リーダー(ヒロサワ)の総括

計画・準備

0211 初日

0212 二日目

0213 最終日

担当

02/11

中山峠:急登をがんばれば樹氷たちがお出迎え。

中山峠:急登をがんばれば樹氷たちがお出迎え。

02/12

にゅう:富士山を遠望

にゅう:富士山を遠望

にゅう〜中山峠:ダイヤモンドダスト

にゅう〜中山峠:ダイヤモンドダスト

中山峠手前:なかよく並ぶ天狗岳

中山峠手前:なかよく並ぶ天狗岳

東天狗への登り

東天狗への登り

東天狗:これからゆく硫黄岳、奥には赤岳がみえる

東天狗:これからゆく硫黄岳、奥には赤岳がみえる

02/13

夏沢峠

夏沢峠

硫黄岳山頂:明けてゆく色はなかなかうつくしかった。

硫黄岳山頂:明けてゆく色はなかなかうつくしかった。

硫黄岳山頂:歩いてきた路を振り返る。

硫黄岳山頂:歩いてきた路を振り返る。

硫黄岳山頂:今度はきっと、あそこにゆこう!

硫黄岳山頂:今度はきっと、あそこにゆこう!

ミドリ池

ミドリ池

稲子湯:チト熱めの透明な温泉でキモチ好く温もった

稲子湯:チト熱めの透明な温泉でキモチ好く温もった


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ヒロサワの所感

動機

計画

担当

所感

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ユアサの所感

八ヶ岳縦走(天狗岳〜硫黄岳)

  1. 初めての厳冬期縦走
    いわゆる「冬山」という名で表現される山に登るのは、今回が初めてであった。その意味で、冬山の美しさや厳しさ、楽しさ、苦しさの全てが、長く、私の心の中に残るような気がしている。冬山の魅力を知ってしまったということが、幸であるか不幸であるかは謎であるが、転機となる山行であったことは間違いないだろう。
  2. 事の始め
    「2月の三連休に、八ヶ岳か鳳凰三山を縦走したい。」というヒロサワさんの思いを知ったとき、「私も行こう。」と即断していた。プレ冬山のときに、青空を背に白く輝く峰々の美しさを目にして、また雪山に行きたいという思いが育っていたからである。
    しかし、雪山に行くには、個人的な難題を解決する必要があった。難題とは、知る人ぞ知る事柄、すなわち、両親と祖母を説得することであった。この年になってと思われるかもしれないが、私の家族は、「冬山=遭難=死」と思い込んでいるため、冬に遠くの山に行くとなると、大騒ぎになるのである。山行のメンバーに名を列ねてからも、「さて、どう言ったものか…。」と考えていたが、結局、正攻法でいくしかないので、「無理はしない。」「絶対に、生きて帰ってくる。」という文句を連発して、ようやく、納得して(諦めて?)もらうことができた。
  3. 準備
    メンバーが確定したあと、ヒロサワさんの家に集まって、プラン会を催した。鳳凰三山の縦走は、私たち4人にとっては、少し難しいだろうということで、八ヶ岳の中部を縦走することに決まった。『日本雪山登山ルート集』を読むと、夏沢峠をはさんだ天狗岳から硫黄岳までのルートは、「静かな山行を楽しめる」と記されていたので、どんどん期待が膨らんでいった。タケムラさんも私も、このような表現に弱いのである。
    ヒロサワさんの入念な準備ぶりには、本当に驚いた。2万5千分の1の地形図4枚を貼り合わせたものや八ヶ岳に関する数種類の文章をコピーして渡してくれただけでなく、ネットから、様々な人の記録を拾い出したり、周辺の小屋に電話をして、積雪状況やルートの様子を尋ねたりしてくれていた。このことは、自分たちの行程が、天候や体力、ルートの状況などに照らし合わせて、無理のないものであるかどうかを判断し、さらには、条件が悪い場合に、どのような行動をとるべきかを決定する上で、とても重要な情報源になった。無雪期とは比べものにならないほど、条件によって、行程が大きく左右される冬山では、そのような地道で入念な準備が強く求められることを教えてもらったように思う。
  4. 装備係
    今回の山行では、装備係を担当させてもらった。秋の鳳凰三山で、一度、経験していたが、雪山山行において装備係を担当するのは初めてであったので、任すリーダーも、任される本人も、実に不安であった。プレ冬山での装備表や、雪稜HPに掲載されている正月合宿での装備表を参考にさせてもらいながら、おおまかな装備表を作成し、メンバーとマツダさんにチェックをお願いした。
    私は、非常事態が発生したときのことを考えて、燃料にしても食料にしても、多めに多めに持っていこうとしていたのだが、「軽量化が縦走を達成するための鍵であり、全ての装備を、女4人で背負って、少しずつでも前進していかなければならないということを頭に入れておいてほしい。」とのヒロサワさんの意見を聞いて、少しずつ量を減らしていった。皆で相談しながら、最終的には、納得できるものが出来上がって安心した。この過程で、冬山では、どのような装備がどの程度必要なのか、あるいは、なくても大丈夫なものなのかを知ることができて、とても勉強になった。
    しかし、装備係を任された者として、反省するべき点も何点かある。まずは、個々の装備の重量を測ることなく、自分のいい加減な感覚で、装備の分担を決めようとしていたことだ。ヒロサワさんが測ってくれた表を見ると、各人の装備の重さに、最大2倍以上の開きが出ており、自分の感覚が、いかに頼りないものであるかを痛感した。のんびり山行では、その場で適当に配分するということでも許されるだろうが、少し厳しい山行になると、客観的な数字にもとづいて、話をする必要があるということを知った。各人の歩荷力に応じた分担を考えるということは、山行自体の成功にとって大きな意味を持つものであるから、いい加減では許されないということを教えてもらった。
    さらに、装備を受け取りにいく役目を、増田さん宅に近いという理由で、ヒカサさんに全てお願いしてしまったことも、反省するべきことである。装備表を作っただけで満足して、結局、自分の足で取りに行くという大切な作業をしなかったからである。このことが、シーバーを忘れるという大失敗に繋がった根本的な原因であると思う。私に全ての責任があるにもかかわらず、ヒカサさんをして、「シーバーを取りに行くのを忘れた!」と叫ばせてしまったこと自体、とても申し訳なく思っている。携帯電話のつながりやすい山域であるからこそ、シーバーがなくても大丈夫だろうということになったが、下手をすると、山行自体を中止に追い込むほどの重大な失敗であったことは確かである。何もなかったからこそよかったものの、緊急事態が発生したときに、シーバーを持っていないということは、パーティーの生存にとっても、雪稜クラブという会の名誉にとっても、大きなマイナス要因になるものであることは間違いない。自分の役目を、一つ一つ、手を抜かずにすることが、いかに大切なことであるかを痛感した。
  5. 行動食
    私は、これまで、行動食として、飴やチョコレート、プルーン、クッキーなどの細々としたものを、個包装のまま持っていっていたが、プレ冬山のときに、アウター手袋をしながら個包装をあけるということが、いかに難しいことであるかを学習したので、今回は、工夫をしようと思っていた。手袋をつけたままでも食べられるようにしておかないと、次第に、栄養補給をするのが面倒くさくなって、シャリバテというよからぬ事態に陥るだろうことは予想できたからである。というわけで、今回は、個包装を悉く捨てて、飴とチョコレート、チョコフレークとキットカット、黒糖菓子と甘納豆、おかきとナッツ類というように、種類ごとに分け、ジッパーつきのナイロン袋に入れて持っていった。メンバーによると、「自分自身は、1日分ずつ分けておかないと、食べ過ぎてしまって、最終日に困ることになる。」とのことで、「なるほど。」と思ったが、今回に限って言えば、足りないことも余ることもなく、いい具合に食べることができた。
  6. 出発時間
    慣れた自分の寝床に勝るものはないことと、テントを張ってシュラフを引っ張り出し、またテントをたたんでパッキングをし直す時間を節約することを考えて、午前2時半に出発することになった。たとえ3〜4時間であっても、家で横になれると、目覚めたときに、体が朝モードに切り替わっており、朝型人間の私にとっては、とても素晴らしい案であった。もちろん、この時間帯には、公共交通機関を利用することができないので、集合場所に行くのに、車で来る人に拾ってもらわなければならない。その意味で、この案を実行に移すことができる場合は限られてくると思われるが、夜に出発するより、体が楽であることは確かである。
  7. 天気に恵まれた3日間
    信じられないほど、天気に恵まれた山行であった。思い返せば、2泊3日の山行に行くたびに雨に降られているので、終日、青空の下を歩きつづけることができ、とても幸せであった。聞くところによると、ヒロサワさんが晴女であるらしく、その恵みに浴することができたというわけである。ヒロサワさんの、「自分は、今まで、天気に恵まれたからこそ達成できたと思える山行が多い。なので、荒れた山を経験しなければならないような気がしている。」という意味の発言を聞いて、「なるほど、そういう考え方もあるのだな。」と感心したが、私は、晴れていることがひたすら嬉しかった。
  8. 素晴らしい景色
    雪に覆われた真っ白な世界がこれほど美しいものであるとは、山登りを始めなければ、きっと知らないままであったと思う。中山峠から黒百合ヒュッテに向かう道で見上げたシラビソの樹氷は、怖いほどの美しさであった。ヒカサさんが、「自然の空恐ろしさを感じて、心から美しいとは思えない。」と言っていたのが印象に残っている。この姿を記憶に残すために、何度も振り返りながら歩いていた。また、2日目の朝に寄った「ニュウ」からの展望も忘れることができない。「ニュウ」へは、条件が整えば行くという位置付けであったため、私の中では、それほど重きを置いていなかったのだが、ピークからの景色を眺めたとき、ここに立つことができてよかったと心から思った。雲海の上に顔を出した秀麗な姿の富士山、さざなみのように広がる北八ヶ岳の森、これから向かう双耳峰の天狗岳とそれに続く稜線が、朝の光の中、くっきりと姿を見せていた。360度の展望というのは、こういうことを言うのだなあと思った。ダケカンバの丸みを帯びた枝に付いた樹氷が、とてもかわいらしかった。この木には、妙な味わいがあって、好きなのである。さらに、辺りには、キラキラと光る霧氷が飛び回っていた。最終日の朝に登った硫黄岳からも、まるで、一幅の絵画を眺めていると錯覚するほど素晴らしい景色を観賞することができた。それぞれが特徴のある姿をした横岳に赤岳、阿弥陀岳を目の前に見ることができた。視線を右に転じていけば、南・中央・北アルプスに天狗岳、わずかながら噴煙を上げる浅間山を目にすることができた。
  9. テント生活
    今回、テント生活を通じて、多くのことを学ばせてもらった。その中でも、強く印象に残っていることが2つある。まずは、冬山であっても(冬山であるからこそ)、テントマットなしで生活することができるということだ。共同装備から、テントマットを削除したとき、ヒカサさんと私は、少なからず、恐怖の念を抱いていた。ヒロサワさんとタケムラさんからは、「全く問題ないよ。」と聞いていたが、正直なところ、「ほんまかいな。」と思っていた。起きているときは問題ないとしても、雪の上でちゃんと眠れるのだろうかと心配していたのである。しかし、個人マットの上に新聞紙と雨具を敷き、さらに、フリースの上着を腰に巻いて横になったところ、それほど寒さを感じることはなかった。自分の所持品を総動員して、下からの冷気を遮断しさえすれば、テントマットがなくても、なんとか乗り切ることができることを知って、ひそかに感動していた。
    2つ目は、タケムラさんのてきぱきとした撤収の仕方についてである。朝食を食べ終わってからテントを出るまでの所要時間が、私にとっては、驚くほど早かったのである。いちはやく外に出て、テントの撤収にとりかかってもらうことになった。私はというと、荷物のパッキングや身支度にやたらと時間がかかり、迷惑をかけてしまった。経験と慣れによるものかもしれないが、もっと、出発前の準備をてきぱきとできるようになりたいと思った。
  10. 衣類の調節
    冬山では、衣類の調節を、的確にしなければならないことを痛感した。冬に汗をかくのは良くないことだと知っていたが、かいた汗が凍ってしまうという事実には驚いた。考えてみれば、風の吹く氷点下15度の中を歩いているのであるから当然と言えば当然であるが、うっすらとかいた汗のために、雨具の裏側が凍っているのを見たときには、ひとり仰天していた。出発するまでは寒くても、なるべく薄着を心がけ、暑さを感じる前に、面倒臭がらずに、服を脱ぐことが大切だと実感した。また、稜線上で、風に吹かれると、5本指のアウター手袋では、凍傷になる危険があると思った。硫黄岳をピークハントする間中、北西の強風に吹かれており、私だけ、やたらと指が冷たかった。タケムラさんも5本指のものをしていたので、一概には言えないのかもしれないが、歩いている間中、指先や手の甲を太腿に打ちつけていなければならなかった。もともと、末端冷え性の傾向があることも災いし、風に吹かれる西側の手が冷たくなり、しびれを通り越して、感覚がなくなってきたときには、恐怖に似たものを感じた。風をよけられる岩陰に来たときに、皆に立ち止まってもらい、3分ほど、手をぶつけ合っていた。ようやく樹林帯に入って、ザックをデポした夏沢峠に戻り、指の感覚が戻りはじめたときには、ホッと安心した。そして、ミトンの手袋を買おうと決心した。
  11. 食事
    ヒカサさんの料理は、本当に美味しい。私は、ヒカサさんと一緒に山に行くことが多いので、実に幸運である。1日目は、薫り高いポルチーニ茸の入ったシチュー、2日目は、ビーフジャーキーの入った五目ラーメンであった。私は、ビーフジャーキーと言えば、失礼ながら、犬のエサだと思いこんでいただけでなく、ポルチーニ茸などというハイカラ(?)な食材にも縁がなかったので、こわいもの見たさも手伝って、夕食の時間を楽しみにしていた。その結果は、私の中では、100点満点である。軽量化だけでなく、栄養バランスも考えられていて、とても美味しかった。なかなか真似をしようと思ってもできないが、少しでも、ヒカサシェフに近づけるようになりたいと思った。また、ヒロサワさんのブランデーを紅茶に数滴入れてもらったところ、とても、優雅な気分になった。ジャムを少量入れるのもいいかもしれないと思った。
  12. おわりに
    個人的に反省するべき点の多い山行であったが、何事もなく、皆で無事に帰ってくることができてよかったと思う。反省点を、次の山行につなげていきたいと思っている。楽しい3日間を過ごすことができ、パーティーの皆には感謝している。たくさん助けてもらって、どうもありがとう。

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ヒカサの所感

北八縦走の振り返り

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