北アルプス 五竜岳〜鹿島槍ヶ岳縦走(積雪期縦走)

メンバー タカシマ, ウエダ, マツダ, ヒロサワ, ハタヤ, イナノ, ニシザワ, ヤマグチ
期日 2005年3月17日夜〜2005年3月21日
山域 北アルプス 五竜岳・鹿島槍ヶ岳
ルート 五竜とおみスキー場〜五竜岳〜鹿島槍ヶ岳〜赤岩尾根〜大谷原〜鹿島集落付近
山行形態 積雪期縦走
文責 ハタヤ (コースタイム:ニシザワ)

コースタイム(抄)

2005年3月17日(金)

21:00 京都駅集合

2005年3月18日(土) 

天候:曇り(稜線上は雪+風、視界はあまりよくないが、地形を見る分には困らない程度)
2:30 テレキャビン駐車場(就寝)
6:00 起床
8:15 テレキャビン乗車
8:30 同下車
8:45 テレキャビン降り場出発
9:00 地蔵の頭
10:50 小遠見先でレスト
13:30 大遠見周辺でレスト
14:00 テン場到着(西遠見の少し手前、白岳への登りの手前、樹林帯周辺)
15:30 テント設営終了
20:00 就寝(稲野、廣澤、別テント)

2005年3月19日(日) 

天候:強風、吹雪、基本的に視界はよくない、一時的に晴れることはあっても遠くまで見渡せる時間は短い
4:10 起床
5:00 朝食(雑炊)
8:00 同発
8:26 アイゼン装着
10:30〜11:30 天候が安定せず、ホワイトアウト+強風のため雪を掘ってレスト
12:00 白岳の山頂すぐ手前、五竜山荘まで進まずに、白岳手前で雪洞をほることに
12:30 雪洞製作開始
14:00 雪洞完成
19:47 就寝

2005年3月20日(月) 

天候:基本的に晴天、稜線上は風強いが、通常の範囲内、視界良好
4:00 起床
5:15 朝食終了(雑炊)
6:09 出発
6:26 五竜山荘
7:29 G1の先のコルにてレスト
8:06 五竜山頂
9:15〜20 鞍部にてレスト
10:56〜11:04 レスト(小ピーク手前)
11:29 「北尾根」の標識あるピーク(北尾根の頭)
12:30 ウエダさん滑落
14:30 キレット小屋確認
15:30 キレット小屋到着
19:48 就寝

2005年3月21日(火) 

天候:7時過ぎまで吹雪、以降快晴
4:00 起床
7:40 朝食準備開始
8:20 撤収開始
9:00 出発
9:27 八峰キレット前半の核心部(懸垂下降手前の最後の登り)
9:50〜10:10 懸垂下降で八峰キレット最低部へ
11:56 核心部終了
14:20 北峰直下、スノーブロックの跡あり
14:50 同発
15:30 南峰山頂
16:35 冷池小屋
16:45 冷池小屋出発
17:00 赤岩尾根源頭
17:30 高千穂平
18:05 赤岩尾根取り付き
18:20 ヘッドランプを点灯
18:45 大谷原 
19:10 林道ゲート
19:45 鹿島集落終端の民家到着、タクシーを呼んでいただく
20:10 タクシー到着
20:40 五竜とおみスキー場到着、車を回収
20:50 五竜とおみスキー場出発
21:30 林道ゲートにて他メンバーと合流。

所感

 雪稜に出入りを始めてからの自分の登山遍歴を振り返ると、正月から3月にかけては中低山の山スキーに興じる年が続いている。
 より味わい深いルートを行くための修練の場として、自分のスキルを少しでも引き上げるきっかけとして、3月の北アルプスの風に吹かれてみたいと思った。

2005年3月17日

 21時に京都駅に集まる。京都東から豊科まで高速道路を走り、2:30に五竜とおみスキー場の駐車場に到着。駐車場の料金等を徴収されることはなかった。

2005年3月18日

 8:15始発のテレキャビンで一気に高度を稼ぎ、8:45にアルプス平を出発。視界はあるが雪のため遠くまでは見渡せない。かすかなトレースがしばらくは続いていたがやがて消えひざ下未満のラッセルに。五竜を目指すであろう単独の方は僕たちより先に幕営されたようだった。
 進むにつれラッセルが次第に負担になる。ヤマグチ君が途中でわかんを装着したところ効果てきめんであることがわかり他のメンバーも装着、距離を稼いでいく。
 烈風のなか、西遠見山の東のくぼみでテントを張る。軽く整地してペグの代わりに輪かんやアイゼンを埋め込んで支点とする。明日も行動中は冬型のようである。

2005年3月19日

 出発後まもなくしてアイゼンを装着する。
 視界は次第になくなり風も昨日より明らかに強い。コンパスと地形図を頼りに大まかな方向を見定めていく。霞の向こうに一瞬五竜岳が姿を見せ、正しい方向に進んでいることを確認する。
 雪庇をまずは警戒、高度を稼ぐことを焦らず、目印と思われる木をポイントに尺取虫のように進んでいく。ところが遠くにあると思われた木も気がつけば目の前にある枝だったりする。遠近感がまったくつかめない。吹きつける風雪に閉口するあまりメンバーの背中を追うことさえ辛くなってくる。足下のトレースだけが頼りだ。どうも前方の視界が渋いと思っていたところ、眼鏡のレンズに氷が張り出していることを指摘される。呼吸で生じる水蒸気が雪をまとい、氷化してレンズに付着しているのだ。多少視界がぼやけることを承知で眼鏡を外し、ゴーグルを装着する。
 延々と続くラッセルに対して大人数のパーティは負荷を分散できる意味で実に心強い。一人あたり10分程度ずつ、ラッセルの先頭を交代していく。後半はヒロサワさんの逞しいラッセルに導かれるように進む。
 平衡感覚さえ怪しい状態では地図を出して現在地を確認する作業さえ億劫になる。これまではポケットに地図とコンパスを忍ばせてきたが、このような状況下では他のメンバーもしていたように首にぶら下げていた方が楽かもしれない。
 高度計は標高2500m近くを指している。正しければもうすぐ五竜山荘の直前・白岳への登りにさしかかっているはずだ。ところが一定の間隔で襲う烈風に阻まれ前進さえままならない。いよいよ耐風姿勢をとらねば進めなくなってきた。進退窮まる前に12:30に雪洞でビバークすることが告げられる。8人が寝られる雪洞を掘ることになる。
 昨年・今年の雪洞訓練に参加したメンバーが多かったためか、意外なほど作業はスムーズに進む。最後はヤマグチ君の大学ワンゲル時代の経験が生きる。仕上げとして、雪を掻き出してきた穴をブロックで埋め、すぐ横にひと一人が通れるほどの穴を掘ればよいとのこと。果たして機密性と静粛性を満たした快適な雪洞が完成。これで今日の快眠は保証された。
 明日の天気は大丈夫だろうか。ヤマグチ君に天気図を書いていただいたところ、明日は全日ではないが晴れる見込はあることがわかる。
 日が沈む頃に吹雪はすっかり止んだようだ。用を足すついでに外に出たところ、雪洞を掘った地点は五竜山荘よりやや低い標高、白岳の登りの途上であることがわかる。やや南向こうには白く雪をまとった五竜岳・鹿島槍が絶対的な存在感を主張している。夕焼けに染まる山嶺を見ながら、いつまでもこの風景を見つめていたいと願う。

遠見尾根のぶなもたくましく生きていた

遠見尾根のぶなもたくましく生きていた

吹雪の中のルート偵察

吹雪の中のルート偵察

雪洞で快適な一夜を過ごした

雪洞で快適な一夜を過ごした


2005年3月20日

 予想どおりの快晴。まずは五竜岳を目指す。トップは04年11月のプレ冬山でこのルートをトレースした経験のあるウエダさん。途中雪の着いた岩稜など注意を要する箇所も若干出るがおおむね問題なく五竜岳の山頂へ。まずは一区切り。立山・剱・毛勝が白く輝いている。今回の目標は向こうに聳える鹿島槍を越えることだ。祝賀ムードもほどほどに気を引き締める。
 下りからはニシザワ君・ハタヤに適宜トップを交代。地形図を注意深く参照しながら南方面を進むが、下るほどに道が悪くなる。正規のルートが遠く離れていることにようやく気づく。どうやら、雪庇を警戒して南方向に忠実に下ろうと意識するあまり、南南西の支尾根に迷い込んでしまったようだ。南南東の急な雪壁を下るのがここは正解だった。いやらしいと思い避けてきた雪に見事にだまされた。冬のルートファインディングは雪との駆け引きなのか。
 ハタヤがトップで進んでいたところ、いやらしく長い雪面のトラバースに突き当たる。このルートで正しいのか逡巡していたところ、ウエダさんにトップを交代し様子を探っていただく。しばらく斜面に相対するバックステップで進まれていたが、斜面に平行に足場を置こうと向きを変えたところ、足場が予想外に悪かったためかアイゼンが決まらず、姿勢を崩し斜面に体が振られ雪面に体を横たえた状態となる。身体はずるりと滑り始め、ピッケルを雪面に刺し重力に抗おうとしていることは見て取れたが、加速を始めるとなすすべもなく視界から消えてしまった。
 僕たちは映画のコマのように過ぎていくシーンを凝視するだけだ。「滑落停止!」「おーい!」谷に吸い込まれていくウエダさんに向かって空しく叫びつづけることしかできない。
 ニシザワ君の機転を利かせた判断により、タカシマさん・ニシザワ君はウエダさんを救助するために谷を下降、残りの5名はひとまず目的地であるキレット小屋を目指し、16:00までに救助の2人から連絡がない場合は、外部にレスキューを要請することとなる。
 このパーティの無線はウエダさんが持っておられた。レスキューを要請するとしてもハタヤ・ニシザワ君の携帯電話がこの寒さで使えるだろうか。連絡手段が封じられた場合、五竜に引き返すのが安全か、鹿島槍を越えるのが早いのか。いらぬ心配が渦巻く。
 残り5名はキレット小屋に急ぐことになった。しかし身体が金縛りにあったように動かない。前の一歩が踏み出せない。つとめて平静であろうとしているが、網膜に焼きつけられた残像は容易にぬぐえるものではないようだ。
 果たして救助の様子を上から見つめる。タカシマさんが谷に下りはじめたとき、ウエダさんが自力で登ってこられるのが見える。聞くと、緩やかな傾斜の場所が途中にあり、そこでいったん停止したそうである。眼鏡をなくし、顔に一部裂傷が認められたが、骨折・脱臼などの深傷は負っていないようだ。戻ってすぐに応急手当、先を進めることを確認する。無事でよかった。

 全員がそろったあと、タカシマさんトップで滑落個所を通過。
 14:30、キレット小屋を認める。50m程度先方に見えているのだが、アクセスに尾根上から懸垂下降するかいったん下ってトラバースするかで逡巡する。前者は雪庇がいやらしく、後者は登り返しが大きく斜面の角度も急でルート選択の決め手に欠ける。タカシマさん・ニシザワ君は後者のルートを探っていたが、マツダさんが前者のルートを偵察、支点を枯れ木で取り、シングルロープで懸垂下降することとなる。
 ルート判断をしている間、東尾根パーティとの交信時間(15時)を迎える。ウエダさんが交信したところ「第二岩峰で渋滞中」との返事が返ってくる。先行パーティが通過に手こすっているようである。次第に天気は下り坂、いつまでも待っているわけにもいかないだろう。
 懸垂下降を終えた者から順番に小屋の正面をテント場にすべく整地する。すっかり氷化しているがピッケルとスコップでしつこく面をフラットに馴らす。
 作業しながら、シングルロープでどうやってザイルを回収するのか気になっていたが、タカシマさんは下で確保された状態でクライムダウンで下降したようだった。
 夕食はすき焼き丼。こういう厳しいときは食事が心を和ませてくれる。ともすれば殺伐としたテント生活を彩りあるものにしてくれるイナノさんには感謝するほかない。
 この日、ハタヤ・ニシザワは別のテントで寝る。
 天気図によると、気圧の谷が中部地方を通過しようとしており、強い風が長野周辺では予想されるとのこと。昨日の天気図ではそのような兆候はなかったのだが。
 標高2500mを超えるキレット小屋の風は半端ではなかった。テントを張った時点から吹雪は勢いを増すばかりだ。吹き付ける雪が底に溜まって室内が徐々に狭くなっていくのがわかる。本来なら起きて雪をかき出さねばならないのだが、とてもではないが外に出る気にはなれなかった。
 明日の核心を前に、不安を押し殺すようにシュラフにもぐりこむ。

ようやく晴れてきた

ようやく晴れてきた

朝焼けの五竜岳

朝焼けの五竜岳

あの山を越えるのだ

あの山を越えるのだ


2005年3月21日

 4時起床。相変わらず吹雪いている。夜中外に出ずに眠れただけでも幸運と思うべきか。
 寒さで手足が思うように動かない。起きてからスパッツを装着してパッキングを仮完了するまで45分もかけてしまう。身体だけではなく思考まで鈍くなっているようだ。
 他のメンバーの寝ていたジャンボテントは出入り口の一部が裂けたほか、頼りをなくしたフライが烈風に翻弄されるようにはためいている。タカシマさんは夜中に起きてテント周りを固定しなおしたらしい。
 今日は晴れるだろうと天気予報でつかんではいる。しかし同じ予報だった昨日も昼から下り坂となり額面どおりには受け止められない。この吹雪はどこまで続くのか。核心はこれからだというのに。この胸を締め付けられるような緊張から早く解き放たれたい。退却できればどんなに楽か。しかしここまで来てしまっては進むも退くも一筋縄にはいかない。
低体温のためかメンバーの体が震えだす。行動食を分けると楽になったようだ。たまらずテントの中でツエルトを張る。布一枚をかぶっただけで意外なことに落ち着けることを知る。
 起床して3時間半後、7:30を過ぎるとようやく風が収まってきた。隙を見て朝食を作り出す。この機会を逃せば悪天に閉じ込められると感じたのか、ここから出発までの行動はこれまでに比べると驚くほどスムーズだった。
 9:20出発。若干風はあるが、雲ひとつない快晴。予報のとおりだ。雪に埋まった鎖をピッケルで掘り起こし夏道沿いに忠実に進んでいく。
 キレットを登りきったところで20m強の懸垂下降で底に降り立つ。第一の核心、これはルート集で抑えていたので想定の範囲である。
 核心はその次、キレットの底から雪壁をトラバースし稜線に乗り換える個所だった。ルートを偵察するがその先が見えない。70度以上の傾斜、眼下には黒部の谷が広がる。足下はサラサラでアイゼンを決めようとすると身体ごとずれる。心臓の鼓動が一気に高まる。横方向に設置されたはしごを数歩過ぎた地点で悟る。僕でこのルートを拓くのは無理だ。懸垂のロープを回収されたばかりのタカシマさんにトップをお願いするほかなかった。
 ニシザワ君が確保、タカシマさんリードのあと、ヤマグチ・ヒロサワ・ハタヤと進む。ヤマグチ君が途中の枝で中間支点を取り、胸近くまで高さのある雪壁の乗り越しをサポートしてくれる。
 雪壁は通過するごとに状態が悪化していき、8名が全員通過したのは、底への懸垂下降を始めてから2時間が経過していた。

 ここからは急な斜面を尾根に向かって登る。午後にさしかかると日差しも強くなり、斜面をトラバースしていて雪面の表層がきれいに剥がれる場面も出てくる。それでもここを通らねば先へは進めない。これまでタカシマさんやマツダさんに教わってきた「どんな場所でも、基本に忠実であること」を念じ続け、気持ちを落ち着かせる。
 稜線に登ったあとは徐々に北峰へ詰めていく。トップで登っていたところ、休憩中にマツダさんから指摘を受ける。「ルートの二点間が岩で短い距離であっても、その間の直線が岩で続いているとは限らず、雪庇の恐れもある。多少の手間を厭っても、慎重にルート判断をしなければならない」先を急ごうとする焦り、楽をしようとする甘えがいつのまにか行動に出てしまい、フラットな面を歩こうとしていた。危ないところだった。
 斜面のトラバースと岩稜歩きを何度か繰り返し、ようやく人の気配のする吊尾根の北峰分岐に到達する。連休の登山者と思しきトレースだらけだ。人の気配のする場所に到達したことで張り詰めた緊張が解ける。同時に今回の終わりがはっきり見えてしまったようで寂しくもある。吊尾根の鞍部には雪ブロックの跡が認められる。同じ時期に東尾根を詰めていた雪稜のパーティがビバークしたときのものではないかと話す。
 五竜から鹿島まで予想以上に時間はかかった。しかし、悪天にあっても僕たちだけでルートを開いてきたことを誇らしく感じていたかった。南峰では五竜岳山頂以来の写真撮影会で心を和ませる。槍ヶ岳・穂高岳・笠ヶ岳・水晶岳といった、積雪期には簡単に拝めない山に囲まれご機嫌この上ない。遥か北方には火打・妙高・焼山の頸城山塊、渋い戸隠山が認められ意欲を新たにする。鹿島槍の吊尾根から大谷原に一気に下る北俣本谷は熱い視線を注ぎたいルートだ。

 南峰を1時間下った冷池山荘からは、五竜とおみスキー場に留置した車を回収するために余力があるニシザワ君とハタヤが先行することに。重めの荷物はタカシマさんらに持っていただき身軽になる。
 赤岩尾根の下降点は雪崩を警戒してやや登った源頭からバックステップで下っていく。
 トレースが完璧についた下山路はもはや高速道路と変わらない。時折もんどりうって雪まみれになりつつもなんとかヘッドライトを点ける前に1時間強で赤岩尾根の取り付きに到着。さてここからは林道歩き、途中からはピッケル・アイゼンを収納してひたすら歩くのみ。
 大谷原を過ぎると路面に雪がなくなる。もしかしてここまで車で入れるか期待させるも、サンアルピナ鹿島槍スキー場との分岐地点で厳重なゲートが。この時期車で進めるのはここまでのようだ。携帯電話での連絡を試みるが寒さで電池が完全にやられていて用をなさない。もう一頑張りとばかりに舗装道路を歩き、ようやく見えた鹿島集落の民家で電話をお借りする。タクシーを呼びたいと伝えるとありがたいことに電話していただけた。五竜とおみスキー場で車を無事回収、林道ゲートで「ちょうど降りてきたところだった」理想のタイミングで他のメンバーと合流。みんなを待たせなくてよかった。
 大町の「すき家」で遅めの夕食をとり一息つき、松本温泉「遊ing」で4日分の汗を流す。塩尻北から長野道へ、京都の自宅に着いたのは6時近く。なんとか仕事に間に合い安心した。

総括

 地面と空の区別がつかない風雪下のラッセル、アクシデント発生時の対応、急傾斜で足場の悪い雪壁のトラバース。今回の縦走のレベルは自分で処理できる力量を明らかに超えていた。
 4日目朝、核心と荒天を前にしたキレット小屋では、時間にして5時間程度だったが、これまでになく精神的に消耗、冬山経験の乏しさを痛感せざるをえなかった。
 それでも、凛とした空気のもと白く輝いた山嶺を間近に望み、自分たちだけで稜線に足跡を刻めた時間がこのうえなく贅沢だったと思えるのはなぜだろう。
 最後に、冬の北アルプスの稜線を歩かせてくれた屈強で陽気なメンバーに感謝したい。

キレットの底から黒部側

キレットの底から黒部側

剱岳

剱岳

吊尾根からカクネ里

吊尾根からカクネ里

南峰から北峰。中央は東尾根のトレース

南峰から北峰。中央は東尾根のトレース


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