北アルプス 穂高・屏風岩東壁・雲稜ルート(無雪期アルパインクライミング)

メンバー iku、t
期日 2005年8月10日(水)〜13日(土)
地域・山域 長野県 北アルプス 穂高岳
山行形態 無雪期アルパインクライミング
地図 山と高原地図:上高地・槍・穂高
資料 日本の岩場(白山書房)アルパインクライミング(山と渓谷社)日本のクラシックルート(山と渓谷社)
文責 iku

山行の情報

コースタイム

8/10(水) (雨のち晴れ)
自宅3:20→沢渡8:25(大雨のため待機)ジャンボタクシー一人¥800/9:55→上高地10:35→明神11:45〜11:55→徳沢(昼食・山菜うどん)雨が降る12:45〜13:30→横尾14:30着・夕食カレーレトルト(銀座カリー)17:00〜18:00・就寝18:30
8/11(木) (晴れ後雨・雷)
起床3:00〜4:10発→岩小屋4:40→徒渉(水量多く靴を脱いで渡り、時間が掛かる)→T4取り付き5:50〜6:40→1P(iku) 6:40〜7:15終了→2P(t) 7:45終了→コンテで雲稜取り付きまで8:20着1P(iku) スタート8:45→2P(t) 9:45〜10:56(扇テラス)→3P(iku) /雨がポツポツ・人工tヌンチャク落とし回収に降りる11:10〜13:15→4P(t) トラバース14:04終了・少し上のテラスで休憩→5P(t) 難しめのスラブで濡れている→6P(iku) →7P(t) 16:20終了・終了地16:55発→樹林帯17:30ビバーク・雷と雨のなか12時間過ごす
8/12(金) (雨・降ったり止んだり)
ビバーク地を雨の中撤収5:30→屏風の頭6:30〜6:40→最低コル7:30〜7:45→涸沢(おでんとラーメン、コーヒーで生き返る)9:00〜9:50→大谷橋10:45(15分休憩)→横尾(テント撤収)12:00〜12:45→徳沢(昼食・月見そば¥700)13:55〜14:45 →明神15:50→上高地16:25〜16:45→沢渡(上高地ホテル風呂)17:25〜18:30→十字路(食事)→みどり湖PA20:30着泊
8/13(土)
みどり湖PA8:00発小川山へ

関連スポット

感想・報告

 ピッチの切り方は「日本の岩場」(白山書房)を参照

プロローグ

上高地から穂高に向かうときに、横尾を過ぎると大きな岩が左手に見える。ずーっと昔に初めてその岩をぼんやりと意識したのは、たしか義兄と穂高に登った時だったと思う。義兄はその途中の登山道で立ち止まって指さし、「あれが屏風岩と言ってね、昔よく登ったんだよ」と義兄の話をぼんやりと聞いていた。それは1995年のことだった。 その時私たちは表銀座を縦走してきて、東京からやってきた義兄と横尾で待ち合わせ、一緒に穂高に登る予定だった。その義兄は、学生時代「獨標登行会」という山岳会で、先鋭的な山をやっていたと夫から聞いていた。結婚してから山は辞めて、お腹周りがポッチャリしている義兄からは失礼ながらピンと来なかった。そして、「屏風を登った」という言葉にも、当時の私の山に対しての意識の低さも手伝って、しょせん他人事だった。 その後、今所属の山岳会に入ってからは(1996年)屏風岩や滝谷などと聞き慣れぬアルパインクライミングの報告にも「へぇー、すごいことしたはるんやなぁ〜」と思うぐらいで、まだまだ屏風岩は私とは無縁のものだった。 少しクライミングに足を突っ込んでからも、会の若い男性が、屏風岩に熱い思いを抱いて報告を書いていても、ますます無関係な世界のことと思いこみ、遠ざける気持はあっても自分から登るなどとは夢にも思わなかったし、また私と屏風を繋ぐ架け橋には決してならなかった。 しかし、年月が過ぎ去り、いろんなことが分かってきて、いろいろ経験するたびに私の意識も変わってきた。屏風岩に特に愛着があったというわけではなく、クライミングを続けていくうちに、機会があれば「雲稜一本は登ってもいいなぁー」という程度の気持にいつの間にか変化してきた。なぜ雲稜なのかというと、フリー化しているピッチが多いからである。私は基本的には、岩に手足が触れて感触を味わいながら登る方が好きなのだ。 そんな折り、「今年は屏風に行かないか?」と夫のtに誘われた。「私でも行けるノン? 簡単?」と私。「簡単だよ! 大したことないョ。」というtの言葉に「それやったら、雲稜に行きたいわ」ということで、決行することになった。本当に行くとなったら、いろいろ調べてみた。クライミング自体よりも取り付きまでと、終了までの行程をどのように日程配分すればいいかが課題だった。最初に考えたのは、横尾山荘に小屋泊まりにして、次の日に登攀後、徳沢、上高地とその日に抜けてしまうという考えだった。地図とにらめっこしていて、登攀を時間的にはすんなり抜けても一日で抜けるのは大変だということに気が付いた。ならば、横尾をベースに涸沢から回って、また横尾でもう一泊しようということになった。それなら、荷物が多少重くても横尾までなので辛くはないだろう。そして次の日一日で屏風を抜けて横尾へ戻るなら、横尾に生活用品はデポ出来、登攀中の荷物も軽くて済む。ということで今回の計画の、10日横尾まで、11日登攀〜涸沢〜横尾、12日上高地へ下山はまとまった。 しかしながら、それでも決して楽な計画ではなかったということは、終えてみて理解できた。まして、その後に小川山に入ってフリー三昧というよくばり計画も付加され、この小川山の結果は自ずと知れたことになる。 最初の計画では一日早い9日に出発する事になっていたが、tは10日の天気予報が芳しくないことを知って、当初の予定を一日遅らせた。 10日早朝(3時20分)に家を出る。沢渡には8時半に着いた。土砂降りである。車の中で、行こうか行くまいか悩み、ぐだぐだしているうちに雨は小雨になってきた。取り敢えず行くことにして用意をしていたら、ジャンボタクシーの運転手に客引きされた。お陰でバス代の往復料金と同じ800円で上高地に入いれた(ちなみに、タクシーは4500円、バスは片道900円)。前に上高地に来たのはいつだったか定かではないが、建物がとても綺麗になっていた。 いつもどおり、明神、徳沢と休憩を挟み、横尾まで歩を進める。徳沢では昼食をとりのんびり過ごす。雨がぱらつくがそう強くはならない。お花の写真を撮りながら、いつもどおりの、のんびり歩きである。 横尾のテン場はそんなに混んではいなかった。雨は上がり暑くなってきた。早めの夕食を済ませ、早く寝る。 11日3時アラームの音で目覚める。外は満天の星がとても綺麗。手を伸ばせば、届きそうに思えるほど大きく見える。朝食を食べていたら、2人と3人組の2パーティーが先にテン場を出て行った。われわれも、4時10分に後を追うように出かけた。 まだ暗くヘッドランプで足下を照らしながらの出発である。しかし、屏風と一般道の分岐にある岩小屋あたりでは、もう明るくなっていた。ここから登山道を離れ、岩小屋の前を梓川の方によじ登ると、すぐに徒渉である。少し下の方で先行パーティーがズボンをまくり靴を脱いで、最後の女性が渡っていた。靴を脱がずに渡れないか、少し上流の方まで行って探したが駄目だったので諦めて入る。水は冷たい。深いところは膝の辺まである。 対岸に渡って踏み後を辿ると、一ルンゼの入り口だ。以外と狭苦しい。岩がごろごろした涸谷を登って行くと、目の前に屏風岩が見えて来て、近づくにつれて大きくなっていく。途中で左岸に岩小屋がある。ビバークには最適な感じだ。 T4尾根が、目の前に迫ってきたところで、右の草付きの踏み後を辿るとすぐにT4尾根の顕著な取り付きに着く。1ルンゼはまだ雪渓が、頑固に残っていた。とにかく暑い。渡りやすい場所を探して徒渉するのに手間取り、出発して1時間20分掛かった。ルンゼの登りは急で、暑さも手伝い朝早くからしんどい行程だった。しばらく、休憩して気を取り直し予定通り1P目は私からリードさせてもらう。

T4尾根1P目 iku 4級  30m 6:40-7:15

トポには、左はスラブ状で3級と書いてあるが、岩屑を落としやすいので登らないほうがよいと言うことなので、クラック沿いに行く。ところどこにお花が咲いている。快適に足を上げていく。特に難しいと思う箇所はない。自然と終了点に導かれていく。tも快適に登って来るのが終了点から見下ろせる。

T4尾根2P目 t 5級- 40m  7:15-7:45

このピッチはtと交代する。私は、セカンドで登る。トポには「かぶったクラックから凹角」と書いてある。セカンドでいくと、よくこんなところをリードで行ったなぁ〜、と思うことがよくある。トップを行っているときは無我夢中で必死に行っているのであれやこれやと考えていないのだが、セカンドの時には結構いろいろ考えながら登っているようだ。このピッチの出だしは、すぐに3mほどのフェイスが立ちはだかり、「これどこからいったんや〜」と一瞬考えてしまったが右の壁を使って登ると楽に登れた。上に乗っ越して少し左に行くと、そのまままっすぐに凹角を直上すると終了である。ここも1P目より少し難しめかなと思う。

T4ルンゼから雲稜の取り付きまで コンテ 100mルンゼ-40m(3級) 7:45-8:20

2P終了点でザイルをまとめ、1ルンゼから見上げた時に顕著に見える樹林帯に入り、ルンゼをコンテで登る。T4の手前は簡単なスラブ状の登りになり、そのままコンテでゆくが、少し緊張。登り切ったところが、やっとこさの、雲稜の取り付きである。とにかく暑くて参ってしまう。T4はわりと広いテラスとなっている。またまた、休憩。このたびたびの休憩がのちほどの時間の遅れに繋がったと帰ってから反省。

雲稜ルート1P 5級 50m iku 8:45-10:00

tは2回目なので、今回私は自分の行きたいピッチをリードさせてもらった。登りたいと思っている一番はこの1ピッチ目である。5級なので自信はあまりないのだが、50mという長い凹角のフェースは見上げると、登りたいという意欲をかき立てる。t曰く「小川山のレモンルートの1ピッチ目と同じようなものだが、少しだけ最後のハングは難しいかな?」という言葉にやる気満々だった。
しかし、登ってみたらだんぜんこちらの方が厳しい。核心のハングではとうとうセルフをとって休憩。「どこからいくんやろ」と思案していたら、下から「早く行き〜」と檄が飛ぶ。「どこから行くか考えてんねんや〜、行けそうやけど、勇気が…」なんて、返事を返していたら、「いい加減行けよ〜」。といわれる。「落ちても知らんでぇ〜」と言うと「落ちてもいいよ!」と返事を頂き、しょうがないから思い切ってフリーで乗っ越した。必死だった。これがゲレンデのフリーだとそう難しく感じないのだろうが、荷物を持っての50メートル上空でのムーブはさすがに怖くて緊張してしまった。そしてやっと登ったと思ったら、最初のピナクルが立ちはだかる。これもやっかいだった。もう、いろいろ考えず、A0で突破。目の前にもう一つピナクルがあって、あとで見上げたらその横がテラスになっていて、終了点が見えた。なのにピナクルの途中の終了点で終了してしまい、不安定な状態でのビレーとなった。混んでいるときのための終了点が各ピッチにあり、惑わされてしまう。やれやれである。今日の屏風は我々の貸し切りのようだ。誰の姿も見かけない。

雲稜ルート2P 5級+ 40m t 10:10-10:56

そのまま、半端な終了点を追い抜いて、tにいってもらう。ピナクルを右から巻いてからザイルが延びない。どうしたのかなと思って声を掛ける。「ちょっとまって」という声。私がセカンドで行ってやっと理解できた。ピナクルを右に少しいったところで、非常に細かいフェースを直上となるが、上に立ち込むのが怖い。私はA0で抜けたので簡単だったが、リードしてフリーだと私も自信がない。登り切ったところが、扇テラスだ。前にtが来たときには上高地からここまで一日の行程で来て、扇テラスでビバークしたそうだ。テラス自体は狭いが左下にテントを張るスペースがあるそうだ。私がたどり着いた頃には空は灰色に曇り、ポツリポツリと雨が降り出してきた。

雲稜ルート3P A1 35m iku 11:10:10-13:15

雨が降り出さないうちに抜けてしまいたいと思い、急いでゆく。この雲稜ルート唯一の人工で抜けるピッチでもあり、メインのピッチでもある。フリーだと5.11aだということだが、ここをフリーで抜ける実力は持ち合わせていない。まっすぐの、ボルトダラーである。
前から何かに付け聞いたり報告などで話題となっている話で、リングボルトがすっ飛んで無くなってしまった穴に、3ミリの細引きの輪っかが代わりに通されているというところでもある。靴ひもが通されているなどと、書いてあるものもあったと記憶しているがそれはなかった。ほんの1-2個だと思っていたが、その数はすごく多い。細引きは古いのと新しいのがある。どうしてもアブミに乗るのも慎重にならずにはおられない。掛け替えは最上段に乗れば、私の身長でも楽に出来るボルト間隔ではある。最上段に乗ることは、アブミの内側から踵を入れることで、怖く無くできた。
ちゃんと細引きの新しいのも用意していったが、何とか掛かっているのでこわごわ用が足せた。今回の失敗はボルトダラーでかなりのヌンチャクが必要となり、いつちぎれてもおかしくない細引きの恐怖で、全部とっていっていたら足らなくなったことだ(20数本はあった)。中間ぐらいから足らなくなりそうなのに気が付き、そこからはプロテクションの取り方に工夫がいるようになった。間を一つ抜いたり、カラビナだけでとったりしながら終了点まで何とか足りた。
下から「終了点が右に見えるだろう。それは違って終了は左の方のハングの下だよ」とアドバイスを受ける。登っているときは夢中なので聞き流していたら、右の方に終了点が見えた上部を見ると今までボルトダラーだったのが、そこからすごく遠くにシュリンゲが見えるだけ、あわや右手の終了支点に行きそうになったが、真上を見上げると左の方のハング下の終了点が見え、さっきからtが下でわめいていた意味を理解した。左のリッジ上のところに乗り移らねばならないようだ。乗り移る時の怖さは格別だった。3メートルほどのこのスラブのリッジはぼろぼろで怖い。最後がハング下の狭いテラスで縮こまって終了である。一人腰掛けたら一杯だ。ひやひやしたこのピッチが終了して、ほっとした。ザイルを上げようとしたら、とても重い。だいぶ疲れているようだ。tにコールして上がってきてもらう。だいぶ行ったところで「ヌンチャク、落とした〜」という声。私なら諦めるところだが、tは諦めなかった。そこから下ろして回収に行く。また登り返す。根性があるなぁ〜。登攀しているいと、性格の違いがいろんな場面の対処で違うなぁ〜と実感した。
ここの終了点で、セカンドを引き上げていたら、T3方面からT4に3人やって来た。どこから来たのかは不明だが、そこから懸垂して一端降りていったが、T4尾根の樹林帯の尾根に一人残して、二人で登り返している。東稜にでも取り付いていたのだろうか? 何だか不可解な行動のように思えた。私たちが次のトラバースに入った後のことは判らない。登攀中に見たパーティはこのグループのみである。

雲稜ルート4P 5.10- 40m t 11:10:10-13:15

終了のテラスが狭いのでトラバースはすぐに行ってもらう。足場はわりとあるが見ているだけでも怖そうなトラバースだ。プロテクションにスリングが掛かっていて足場の方に付いているので、何だか不思議だと思っていたが、このルートはもともとはアブミだったようだ。下の壁にアブミを垂らして、横に掛け替えて渡ったようだ。フリーで行くとこの頭がつっかえそうな不安定なトラバースになるので下のプロテクションは、なんとも怖さを増長させる。しかし、セカンドで行くと見ていたよりも、足場も広くホールドもしっかりとあり、思ったほども怖さがなかった。高度感だけはすごい。トラバースの終わったところでtがビレーをしていた。草の中の不安定なところである。次のピッチをトポで確認。目の前の直上は悪いと書いてある。右にテラスが書いてあるので取り敢えずそこまで行ってもらう。やっと落ち着けるだけのスペースである。かなり疲れてきた。食べ物をとって、また休憩する。

雲稜ルート5P 5級+ 40m t ここから時間の記録無し

私はだいぶ疲れてきたので、5級プラスのリードに自信がもてずtにいってもらう。tもだいぶ疲れが出てきたようで、時間が掛かっている。私もセカンドでいって、ここもかなり嫌らしいと思った。雨は大して降ってはいないが濡れている。t曰く前はもっと快適に登れたスラブだったという。私はA0しまくりで突破。

雲稜ルート6P 4級  30m iku 時間の記録無し

ここは実際上の最終クライミングなので、頑張って最後の力を振り絞りリードした。4級だということなので簡単だろうと思っていたが、意外と嫌らしい。プロテクションもなかなかない。所々草の中などから見つけるが、かなりかなりランナウトしている。もうだいぶ疲れているので余計に厳しく感じるのだろう。やっとの事で、終了点たどり着きやれやれであった。

雲稜ルート7P 3級  25m  t 終了16:20

6P目の終了から大きな岩をのっこすと少し行くと右にも終了点があり、そこから左にぬるぬる草付きを登る。するとこれもぬるぬるの岩場になり、そこを滑らないように慎重に行くと立木でビレーをしているtのもとにたどり着き、やっと本当の終了だった。そのまま駆け上るとかなり広いテラスに出る。ここはかなり広くテントも十分張れそうだ。雨がだいぶ降ってきた。たいした降りになる前に抜けられてホッとした。しかしこれからが、涸沢まで長い道のりである。

終了してから  16:55-17:30

片付けをして屏風の頭へと向かう。右手の大きな木に古いザイルか巻き付いているその木の根っこをよじ登っていく。雨は本格的に降りそうな気配がする。しばらくは、クライミングの延長のようなところが出てくる。大きな岩をよじ登り、疲れた体が重く感じる。尾根に出ると左眼下に横尾のテントがかすかに見える。今日はあそこのテントには戻れないという予感がその時の私にはした。このまま雨がひどくなると、涸沢に着くのにもかなり遅くなるなぁ〜、とぼんやりと思っていた。途中の道も雨が降って夜ともなれば危険でもある。どこか安定した樹林帯でビバークを持ちかける。tは涸沢まで行ってしまうつもりでいたらしい。しかし私の提案したビバークで、押し切った形となった。
このビバークは、本来ならたいしたことにはならなかったはずだが、いろんな悪条件が重なり最高に辛いビバークとなった。問題点とは、ツェルトがかなり古かったために雨が漏った。そして古いレインウエアを岩登り専用にしていたために、これも雨漏りするレインウエアだった。このことは、ツェルトを木に固定して、座ったとたんに雨足が強くなり、そんなに時間が経たないうちに失敗であることに気が付いた。山道具は一度そろえるとあまり買い換えないが、その間に新しい商品はどんどん出ている。このツェルトはもう15・6年以上も前のものだった。いつも長年山に持っていっているが、こんな状態で使ったのは初めてのことだったと思う。
何の役にも立たなかった。レインウエアも然り。長い間山に入っている間に、なめてしまっていたように思う。この2点は後悔しっぱなしである。おまけに予想以上に雨が強く、雷に悩まされ続けて夜が明けた。こんな状態なので、私たちが全身ずぶ濡れになるには、そう時間は掛からなかった。着られるものはすべて着込んで膝を抱えて、1時間ごとに時計を見ながらの長い夜が始まった。ちょっと横になろうとすると、体が冷える。一番いい姿勢が座って膝を抱え、背中を合わせるという状態のようだ。tはザックカバーを外し、頭からお尻まですっぽりとザックカバーの中に入れ、丸虫のように丸こまっている。雨の中にいるのと少しも状況は変わらない。雷がまるで昼のように明るくツェルトを照らす。そして、大きな音を轟かす。食べ物は夕食も朝食も行動食のロールパンをかじる。この状態は朝まで続いた。時どきはまどろんではいたようだが、寝られるわけはない。
こんな状態が、明け方まで続いた。その間願うのは雨が止んでくれることだけだったが、無情にも明け方明るくなっても雨は止まなかった。こんなところにいても仕方がないので、雨の中出発準備をする。雷だけは遠のいてくれたようだ。
なお一層重くなったザックを肩に、重い足をせいいっぱい上げながら屏風の頭に向かった。13日5時半である。約一時間後の6時半に屏風の頭に着いた。ここからは、山々の谷間から雲が湧き出て山がまるで生きているようにうごめいて見え、幻想的な眺めであった。身の丈ほどのケルンが2個目印に置かれた頂上である。眼下に目指す涸沢ヒュッテやテントが小さく見える。やれやれである。
そこから最低コルまで下り、パノラマコースを辿って涸沢へと向かうが、この道はびっしょりと濡れていると嫌らしい道だ。一睡もせずお腹を空かし疲れた体では、思ったよりも時間がかかった。ここをビバークしないで暗くなってから通ったとしたら、あぶないと思った。9時に涸沢着(ビバーク地点から3時間半かかった)。雨は小降りだが降ったり止んだりしている。涸沢では嬉しいことに、ラーメンとおでんとで食事が出来た。ラーメンがこんなに美味しく感じたことはない。コーヒを飲んで、もう生き返ったように元気が出てきた。9時50分横尾に向かって出発。本谷橋でしばらく休み、登山道を進むと、途中で雄大な屏風岩に出くわす。ここまでの行程を思うとき、屏風岩も改めて大きく見える。名残が惜しくて、しばらくは眺める。ガスで幕を張ったような屏風岩が、「またおいで」と優しく言っているようにも思えた。東壁から見た屏風とはまた違って、中央壁、北壁、右岸壁と見える屏風岩はほんとにでっかい。前日横尾からこの岩をよじ登り裏側からぐるっと周遊してきたと思うと、離れがたい愛着を感じてしまう。
12時頃、横尾に着いた。テントの数は出発したときより少なくなっているようで、またテントも入れ替わってしまっていた。
テント撤収をして上高地に向かうが、まだ行程はこれからも大分ある。まだ雨は降っているが、帰りは黙々と歩くのみ。ザックもなぜか、肩に食い込み辛い。徳沢で帰りも食事をする。行くときに、蕎麦にうるさいtが美味しいと言っていたので月見蕎麦を食べる。まだまだ続く雨の中の行進で、明神、上高地とたどり着く。時間は4時頃を過ぎていた。バスで沢渡の駐車場に戻り、上高地ホテルで風呂に入る。もう乾いてはいたが、やっとずぶ濡れだった服は着替えることが出来、さっぱりした。食事をするところを探していたが、なかなか見つからなかったが、ずっと前に入ったことがある「レストラン十字路」という店が目に入り、ここに入った。ヒレカツとカルビの焼き肉定食をすごいボリュームに少し抵抗を感じながらもぺろりと平らげてしまった。そして高速に入り、一番近いみどり湖PAにて車で仮眠。爆睡して一夜を明かした。起きてみたらかなり、車の音のうるさいPAだったが、疲れ切った体には全く気にならず眠れた。小川山で合流予定だったMは会合宿の北岳バットレスに雨で登れず、一足先に清里のユースで待っていた。雪稜の北岳バットレスは、なぜか例年雨で「来ただけの北岳」という言葉が毎年流行語のようになってしまってる。私たちは、雲稜に登れてよかったと思う。いろいろあったが、ものは考えようたで登れたと言うことはラッキーだった。

エピローグ

屏風岩は、自分にとってどういうものだったかというと、「やっぱりアルパインだった」と思い知らされたルートだった。それはアプローチ(入山)と下降路(下山)も合わせると、まさに本ちゃんという厳しさがあった。
ルートグレードが4級上となっていたが、けっこう私にしたら登攀自体も難しめであった。屏風は人工ルートが多い中、この雲稜ルートは扇テラスからの3ピッチ目だけが人工であとはフリーで行けるというのも魅力のあるルートとなっているのだと思う。 全体では、思っていた以上に時間がかかった。それは年齢的にも体力が低下してきて、休みを取ることが多くなってきたのと、登るのもゆっくりだったのだろう。各ピッチの前に、テラスがあると、つい長居をしてしまう癖も考えたほうがよさそうだ。 加齢と共に、今回のようなクライミングは何とかさけるようにした方がいいとは思う。天候の悪化もビバークに備えて前後の天気も気にした方が良さそうだ。そして最悪ビバークとなっても、対処できる装備と食料も考えておく必要もあるだろう。
山は、あらゆる可能性に備えた装備が必要だと、初心に返って反省した次第である。そして、装備の投資に惜しんではいけないということも学んだ。
最終的には、屏風岩雲稜ルートを登れてよかった。それもクライミング自体、私は満足できるものだったのが、たとえ自己満足だったとしても嬉しいことだった。充実した山行だった。

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