京都 大文字山(無雪期ハイキング)

メンバー イナノ、マツダ
期日 2005年8月27日(土)
地域・山域 京都 大文字山
山行形態 無雪期ハイキング

コースタイム

10:30出発→11:05大文字火床→11:40頂上 12:00出発→12:50下山

所感

イナノ

リハビリ山行第3弾。本当はリハビリの山として一番最初に行こうと思っていた山だった。
大文字は小学校の遠足以来14.〜5年ぶりだった。何かとても懐かしい思いと、うっすらとした記憶が残っていてどんな山だったかなぁと思いながら登りはじめた。
登り口や火床までの道はまったく覚えていなかった。最初は太陽の光が時々差し込み、木々の葉がキラキラと輝いてる林道を登っていくのだけれど、大きな樹がおおいしげって日陰になっているのでなんとも涼しい。最後に火床のそばの、大文字の「大」の字にそって作られた階段を登っていけば、「大」の字の中心に着いた。そこからの眺めは京都市内全域が見渡せて、なかなかいいものであった。
そこから30分ほどで大文字の頂上についた。そこはすこし小さな広場になっており、ここからも京都市内がよく見える。この日はお天気もよかったので、「大」の字辺りでもたくさんのハイカーに出会ったし、ここ頂上にも何組かのハイカーが弁当を広げていた。
横になって空を眺めるととても気持ちがよくて昼寝をしたい気分だったが、後のこと(静原荘での懇親会の集合時間)があったので、暫らく頂上にいて下山した。
今日のハイキングは、何だかとても懐かしく、まさかまた大文字に登りにくるとは思ってもいなかったので、歩いた距離も時間もわずかだったのに満足度の高いものであった。

マツダ

大文字山は私にとってとても思い出のある、懐かしい山です。
大文字山に登ったことのある人は、「大」の字に沿って階段状の歩道とその横のコンクリート水路があるのをご存知でしょうか。実は、あの歩道や水路の材料は、学生時代に、何人かの鳥取県からの出稼ぎ農民の人と私とで下から運んだものなのです。
階段の素材はコンクリート製のL字溝で長さ60cmのものです。そして水路の素材は、これもコンクリート製のU字溝で30×30×60cmのものです。また、水路の水勢を落とすために間石(けんち)という、本来護岸工事用の4角錐状の花崗岩製の石も上げました。いずれも重さは30kgです。それを銀閣寺の裏から一つ一つ肩で上げました。当時、土方のアルバイトをよくしていたのですが、「牛で上げようとしたけれど牛が嫌がって動かないので人力で上げてくれ」ということで、他の現場で働いていた私がかり出されました。初めは、素のままで肩に担いでいたのですが、肌が赤くなるので、やや厚い生地の切れ端を家から調達して、それを肩にあてて登山口から「大」の字のところまで上げました。セメントも上げましたが、そのころは今と違ってこれも30kgありました。2年がかりで夏休みに上げました。当時、常雇土方の日当が1500円でしたが、自分たちは「受け取り」でやったので一日3000円になりました。今で言えば30000円ぐらいでしょうか。一年目は一個250円(二年目は300円)で一日12個上げました。それも昼の1時か2時には終わって、登り口の小さいダム(今回見ると、場所は同じところだけれどダムの様子が違う)で汗を流して帰りましたので、貧乏学生にとってはとてもいいアルバイトでした。それから、夕方の5:15から翌朝まで府立植物園の宿直のアルバイトをしていましたから、夏休みは24時間アルバイト学生でしたなぁ。
もうひとつ、思い出があります。それは、大文字焼きを犬文字焼きにほんとにしたのです。今も、その現場の情景が瞼に残っています。これは自分が生徒であった洛北高校山岳部時代の事ですが、今日は、時間切れでこれでおしまいにします。肝心の山登りの感想文になってませんなぁ。

 

「大」の字の中心からは、京都市内全域が見渡せた (I)

 

大文字山は私にとってとても思い出のある、懐かしい山です (M)

 

大文字の歩道や水路の材料は、学生時代に私たちが運んだものなのです (M)

 

歩いた距離も時間もわずかだったのに満足度の高いものだった (I)


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