京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
メンバー | タカシマ、A、Y |
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期日 | 2005年8月23日〜31日 |
地域・山域 | Mt. Rotui, Moorea, Tahiti(ロツイ山(タヒチ)) |
山行形態 | 無雪期ハイキング |
文責 | タカシマ |
11時間の飛行を終え、昼過ぎにタヒチに着いた。紺碧の空を期待していたが、そこに広がる空は日本でも見慣れたくすんだ灰色の空だった。わずか1時間ほど前に空から見下ろしたボラボラ島は、まるで大海原に埋め込まれた真珠のように、あでやかな翠の環を浮かび上がらせていた。これだけ大枚をはたいてはるばるタヒチまで来たのだから、やはり海の美しさで名高いボラボラBora Boraへ行くべきだったのか。後悔の念がよぎる。空港で両替を済ませ、タクシーに乗ってパペーテPapeete港へ。くすんだ空のせいか、港で見下ろす海はどことなくくすんでいる。ここから船に乗ってモーレア島Mooreaへ向かう。この船はかつて日本で使われていたらしく、随所に日本語の表示が残っている。約1時間でバイアレVaiareの港に着く。粗い岩肌をむき出しにした山が海に迫る。椰子の葉が雨でぬれ始めた。一台しかないタクシーをつかまえ、ホテルへと急いだ。海ですこし遊び、夕食をたべ、午後9時頃、蚊帳の中にもぐりこんだ。誤算はここから始まった。朝までゆっくり寝れば、時差ボケは解消されるはずだった。実際、いい具合に眠気が襲っていた。ところが、である。時差など全くわからない2歳前の子どもが寝るのを嫌がってなき始めた。あれこれなだめても泣き止まず、夜中の3時頃までぐずりつづけた。
目覚めると10時半、朝食の時間は終わったばかりで、12時まで飢えた胃袋をかかえてじっと耐えねばならなかった。子どもが一緒だと食事に行って戻ってくるだけで1時間半から2時間は平気でかかってしまう。海で少し遊んだら、もう夕方だった。翌日の山登りに備えて、自転車を借りて買出しにいった。フレンチポリネシアは物価が高いことで有名である。東京よりも高い。ちょっと買い物をしただけで1万円近くになってしまう。ホテルの夕食は毎晩二人で1万4千円ほどした。近くに食べるところがないから仕方がない。まあせっかくリゾートに来たのだから、たまにはこんな贅沢もいいだろう。
今回、登ろうと考えていたのはタヒチ島にあるアオライAorai, 2066mという山である。Amazon.frで購入したBalades en montagne: Tahiti-Mooreaに詳しい説明があり、事前に検討していたが、片道10キロ、標高差1400mという行程に少しためらいを感じていた。著者は1日目の午後に途中の小屋まで登り、翌朝登頂することを勧めている。なぜなら、この山は午後には決まってガスに覆われ、眺望がなくなってしまうからだ。しかし、子連れで小屋泊まりということになれば、いろんな装備が必要になってくるが、そんなにたくさん持っていく余裕はない。ガイドを雇うのも面白くない。(なんとタヒチにはアルパインクラブがある!)そこで標高は低いが手軽なモーレア島のロツイ山Rotui, 899mを目指すことにした。本には陽をさえぎるものがないから、水は必携だと書いてある。標高0mからスタートするのが気に入った。
モーレア島は交通が不便なところで、ホテルから15km先にある登山口まではタクシーを使うか、自転車しかない。もちろん、自転車でいった。前日に聞いたところでは8時にレンタルバイクの店が開くとの事だったので、この日は6時半におきて準備をした(子どもがいると準備にも時間がかかる・・・)。8時に行ってみると、店はまだ閉まっていた。壁にモーレア島の地図が貼ってあった。それによれば、マウアプタMouaputa, 830mという山にも道がついている。(ちなみに、タヒチ島の地形図は日本で入手できなかった。現地の本屋には売っていたが、道は記入されていない)こちらはロツイとちがって、谷沿いに道がついているらしく、途中に滝のマークが書いてあった。しかもここから登山口まで7キロほどである。無理せずこちらにすべきかと思ったが、僕は自転車に乗っていくのも面白そうだということで、A子はロツイは両側が湾になっていて景色がきれいそうだということで、元通りロツイに行くことにした。しかしこの選択は、山頂に立つことを目的とするならば、完全に間違っていた。20分くらいたって、ようやく人があらわれた。時間にあくせくするような場所ではないものの、朝の涼しい時間帯は貴重だ。ここタヒチはいま冬で、朝晩はけっこう冷え込み、動き回るにはちょうどいいのだ。
自転車でのアプローチはそれ自体が楽しい。美しい海を見ながら、のんびりと自転車をこいでいく。雲間が切れ始め、南の空が戻ってきた。急に暑さが身にしみてくる。マハレパMaharepaの町というには小さすぎる町をすぎ、道が南へ大きくカーブするとクック湾が目に飛び込んでくる。白い客船が浮かび、その背後にはロツイの荒々しい山塊がそびえたっている。クック湾の一番奥にはパオパオPaopaoの集落がある。学校では小さな子どもたちが元気よく走り回っていた。教会をすぎると坂道になり、そこをクリアしてしばらく進むと、シェラトンホテルの入り口である。『地球の歩き方』に掲げられている地図によれば、登山口はこの辺りである。ここまで1時間半。
しばらく進んでみるが登山口がよくわからない。引き返して、ホテルの門番に聞いてみると、三本目の道を左だとのこと。これがまた分かりにくい。ホテルから150mほど進んだところで左に曲がる。いきなり人家に行く手を阻まれる。道を間違ったか?ともかく準備をする。10時半。すでに猛烈な暑さだ。民家の周りをうろうろして犬にほえられながら、ようやく道を発見。民家の右側に木があって、そこにRotuiと書いてあるがかなりわかりぬくい。最初の数十メートルこそ背丈より高い潅木の中で、わずかながらも日陰というものがあるが、そこを過ぎると完全に炎天下。しかも上をみあげると、途中に一箇所木陰らしきものがみえるほかは、上までずっと日陰がない。道は滑りやすいところもあるが、さほど悪くはない。ところどころ出てくる岩は熱したフライパンのよう。唯一、背後に果てしなく広がる青い海が気持ちを休ませてくれる。標高をあげるに連れて、海がぐんぐん広がり、色に深みが増す。
子どもを背負って歩いている自分自身もつらいが、黒いザックと汗だくの背中に挟まれた子どもはもっとしんどいはずだ。親の趣味に付き合わされてかわいそうに。とにかく木立まではがんばるぞと自分に言い聞かせ、休憩しながら徐々に高度を上げていった。木立は稜線に出たところにあり、涼しい風が吹き抜けていた。いままでの苦しみもどこへやら、幸せな気分に浸った。ここまでが急登であとはアップダウンを繰り返しながら細い稜線の上を頂上までゆるやかに道が続いていた。すでに1時、標高はやっと300m。行けそうな気もしたが、最終的には断念した。持ってきた食べ物が食べられなかったのだ。果物はおいしく食べられたが、クッキーやパンは暑さのせいで喉を通らない。食べずに登るわけにもいかず、残念ながら下山することにした。しかしやはり悔しいので、先に見える小ピークまでいった。後でみた地形図によれば384mのピークである。そこで子どもにクッキーを食べさせ、写真をとってから下りはじめる。半分くらいおりたところで、西洋人のカップルとすれちがった。物好きがいることに驚いた。頂上までどれくらいかかったかと聞かれたので、暑くて途中で下りてきたと答えた。
下まで一気にくだったが、自転車のところでしばらく休まずには動き出せなかった。シェラトンホテルに入り、ビーチのレストランでロツイ山を見上げながら昼食をたべた。どこまでも乾燥した大地は、想像していた恵み豊かな熱帯の山とはかけ離れていた。子どもはすごい勢いでジュースを飲んでいる。さぞかし疲れたことだろう。しばらくして、山ですれ違ったカップルがやってきた。結局彼らも暑くて下りてきたのだという。彼らはこのホテルに泊まっているようなので、どうして朝の早い時間にいかなかったのだろうか不思議でならなかった。ともかく、こんな日に登る山ではなかった。ビーチでひとしきり遊んでから、自転車にのってホテルに戻った。皮肉なことに、この日は日没の時刻までタヒチの山がはっきりとみえた。7日間の滞在中で一番はれた日であった。運が悪かったと言うほかない。
今回のささやかな収穫は、最後の晩にふらっと立ち寄った本屋でVerticalとAlpinisme & Randonneeという山の雑誌を買えたことである。