北アルプス 新穂高温泉〜雲ノ平〜飛越トンネル(山スキー)

メンバー L アサノSL キリサコハタヤ、ニシムラ
期日 2006年5月3日(水)夜〜5月6日(土)
地域・山域 岐阜県 北アルプス
ルート 新穂高温泉〜双六小屋〜双六岳〜樅沢(滑降)〜弥助沢(登高)〜鷲羽乗越〜雲ノ平〜黒部川源流〜赤木岳〜北ノ俣岳〜飛越新道〜飛越トンネル〜和佐府集落手前
山行形態 山スキー

コースタイム

5/4 快晴

新穂高温泉6:25−ワサビ平8:45〜9:02−弓折岳14:30〜14:40-双六小屋15:55

5/5 晴のち薄曇り

双六小屋6:26−双六岳南東2811m7:20〜7:37−(樅沢滑降)−弥助沢出合8:00〜8:05−鷲羽乗越10:20〜10:46−黒部源流11:00〜11:20−雲ノ平肩12:00〜12:25−雲ノ平キャンプ地13:24

5/6 晴のち曇

雲ノ平06:19−黒部川赤木沢出合上流08:00〜08:15−黒部五郎岳北西稜線10:20〜10:42−北ノ俣岳12:00〜12:15−(飛越新道)−和佐府手前2km付近15:50

△上に戻る

報告と所感

アサノの所感

 最近は山スキーも2極化してきたように思う。荷物を軽量化し日帰りで厳しい斜面を攻めるエキストリーム系。そして、重い荷を担いでひとつひとつ山や谷を越えて行く山旅系。私はスキーがうまいわけでもないし、どうも登った同じところを滑るというのは性に合わない。やっぱりどんどん先へ歩を進めるタイプの山スキー旅が好きなんだよね。今回は雲ノ平の大パノラマの中に一夜を過ごし、春の黒部川沿いを探検することが目的の山旅である。有名ピークはほとんど踏まない。谷から谷をつないでの裏街道の旅である。
 入山前、天候が気になっていた。初日、2日目は晴れだが、3日目雲ノ平から神岡新道へ下山する日に悪天の予報。さてどうするか?広大な地形の中、ガスられるのは厳しい。頭の中で色々シミュレーションする日を過ごした。しかし、出発当日予報は天候悪化の遅れを伝えた。3日目もまだ晴れるというのである。神がくれた最高のプレゼントだ。

初日(5月4日)

初日はおだやかな晴天であった。これぞ春山。例年より多い残雪に早めのシール登行ができた。ワサビ平小屋も1m以上の雪に埋もれている。小屋の先はすさまじいデブリをいくつか越えることになった。どれほどの雪崩が起こっていたのかと想像するゾッとする。小池新道に入るとひたすらの登り。こんなとき、歩に合わせて頭の中を歌がめぐる。どんな歌だったか思い出せないが同じフレーズがグルグルめぐる。
山の中に入れば私たちはなんと小さな存在であろうか。しかし、小さな私たちのわずかな歩みも3時間続ければ稜線に至るのである。不断の努力が報いられる、この感覚はとても好きだ。稜線上では槍,穂高、そして明日登る双六岳が迎えてくれた。広い稜線から双六小屋へと滑り込む。広々とした双六谷をつめると小屋のまわりのテント村に到着である。今日は入山祝いだ。ニシムラ君のタンタンナベとビールで楽しいお祝いができた。

2日目(5月5日)

2日目もおだやかに晴れた。双六岳の固い斜面をアイゼンで登る。つぼ足でもいいのだがせっかく持ってきたアイゼンだ。彼の顔もたててやろう。この天候であればこのあと彼の出番はないだろうから。
 双六岳のピークから槍を臨む。きのうより霞んでいる。おや…槍のピーク付近に気になるものが見える。上に凸のレンズ雲ではないか。あれが出ると早めに天候が悪化する。3年前の夏などはあれを見た2時間後に雨は降り出した。とりあえず樅沢を滑って鷲羽乗越まで行ってみようではないか。この山行で最初の滑降、我々は心弾ませ樅沢へと滑り込んだ。斜面がまだ固い。波状になった斜面に悩ませられながらの滑りであったが大斜面に喜びを刻んだ。谷底が近づくにつれて雪は腐ってきた。谷底は暑いくらいだ。腕まくりをして弥助谷を上り返す。またひたすらの登り。最後は急斜面になる。スキーを脱げばいいものを稜線までスキーでいこうとしたから…ほらみっともない。アサノ君は10mほど滑落して登りなおしである。
 鷲羽乗越からもう一度槍を臨む。霞も薄れ空は青さを取り戻していた。さっきのレンズ雲はこけおどしだったのか?はたまた早朝の空気の気まぐれだったのか?天候の崩れの兆しがうせて、私の心から不安も消えた。心の中は雲ノ平しかなかった。鷲羽乗越から緩やかに黒部川源流へと滑り込んだ。黒部川は春の日差でいっぱいだ。もう一度入念に日焼け止めを塗り、雲ノ平への急斜面を登り返す。膝上ラッセルでアサノがトップをつとめたがほんの10分ほどで
「代わりましょうか。」
 後ろのハタヤ君がやさしく声をかけてくれた。私はあっさりお願いしたが、若きパワーは私とキリサコさんのベテラン(中年のおっさんたち)を残して一気に登りきってしまった。
祖父岳のなだらかな裾野から雲ノ平へトラバスする。延々とトラバスし祖父岳を横切った。水晶岳、黒部五郎岳、薬師岳、名峰に囲まれた祖父谷源頭の稜線上を今日の幕場に選んだ。ここから見ると祖父岳も立派に見える。こんなことなら祖父岳を巻かずに登って滑った方がルートとしてよかったかもしれない。今日の行程が完結した今となっては、だれひとり登る気持ちは失せていたようだ。テントを張って雲ノ平の大平原の上でプチ宴会。ウイスキーを雪で割って行動食をつまみに車座でひとときを過ごした。その夜は静かだった。風ひとつない。朝のレンズ雲のことなどもうすっかり忘れ去っていた。明日も快晴…それを疑うものはだれもいなかっただろう。

3日目(5月6日)

快晴。風もなく山々は静かに鎮座している。当初祖父谷へ滑り込む予定であったが、広い源頭から急激に狭まっていく谷を臨むと不安がよぎった。水流が出てはいないだろうか?両岸せまった中で水流が出るといやだな…。そこで急遽ルートを変えた。祖父谷をトラバスし広い尾根状のところを滑り込んだ。まだ雪面が固く滑りにくい。おまけにブッシュがこんできて、まるで奥美濃の山みたいだ…というのが一致した意見であった。ブッシュ帯から最後に祖母谷に入った。すると水流が出ているではないか。スキーをかつぎ水流を避けて谷を出た。黒部川はもうすぐだ。わずかに滑り込んで広々とした祖父平に出た。黒部川に合流する祖父谷はすでに割れている。黒部川の水流が現れるのも時間の問題であることを予見するのは容易であった。案の定、五郎谷を過ぎるとすぐに水流が現れた。右岸通しに行こうとするが意のままにはいかない。ときおり左岸に渡りスノーブリッジでまた右岸に戻る。赤木沢まで行きたかったが、水流に阻まれ北の俣岳への稜線をめざした。赤木沢と水域を分ける馬沢をめざして登り、馬沢を右に見ながら稜線をめざした。黒部川から2時間程度で稜線に着いた。ここからは稜線のアップダウンを避けてトラバスを続ける。真っ白な世界である。異次元を歩いているいるような錯覚にとらわれる。赤木平の柔らかい曲線に吸い込まれるようにスキーを滑らせた。やがて北の俣岳、ここからは長い滑降、最後の滑降が待っている。雪は柔らかいザラメ。スキー操作がなんとた易いことよ。神岡新道を一気に滑り降り我々の春山は終わりを告げた。
 3日間の好天をくれた神様、よきメンバー、そして下山を車で助けてくれたサトミ君パーティーに心から感謝いたします。

 

△上に戻る

キリサコの所感

 今回、雪稜クラブに入会してはじめての合宿である。はじめてといっても、アサノ君とはもうかれこれ四半世紀のつきあいで、ニシムラ君は秋の立山で同行。ハタヤ君は山行こそはじめてだが、これまで何度か情報交換などもしていたので、はじめてという違和感は全くなかった。

 初日、装備は重く肩に食い込む。秩父沢から弓折岳への登りが辛い。アサノ君、ハタヤ君、ニシムラ君がマイペースでどんどん高度を稼ぎ、少し(大分?)遅れてボクがそれに続く。槍が間近に迫り、穂高の連山が美しい。弓折岳からは小さなアップダウンを繰り返し、緩やかに双六小屋に滑り込む。ここが今日のテントサイトである。

 2日目は双六岳への登りからはじまる。雪面が硬く、アイゼンでの登高である。頂上手前から、樅沢に滑り込む。小屋の下はモミ沢でこちらは樅沢である。あー、ややこし。快適に滑り込み、のち弥助沢の急登にあえぐ。稜線には小さいながらも雪庇が出ており、注意が必要である。ちなみに某氏が少し滑落した。下はボウル状の雪面なので、あまり心配はしなかったが。鷲羽乗越から黒部源流に滑り降り、雲ノ平へ登り返す。ハタヤ君のラッセルが強力である。雲ノ平の肩から、祖父岳へ登る案もあったが、疲労も大きく、直接テントサイトへ。サイトは水晶岳を正面に眺める絶景の地であった。早速宴会が始まり、結局、祖父岳には登らず。

 3日目、雲ノ平核心部を経由して、祖父谷、祖母谷の間の台地を滑降。下部で祖母谷に入るが、流れが出ており、高巻いてそのまま黒部川へ。以前、この付近から上流に向かってスキーを走らせたが、今回は下流に向かって進む。ところどころ雪が割れ、流れが出る。しかし、ここでは黒部の流れも優しい。赤木沢出合までと考えていたが、高巻きついでに稜線に向かって高度を上げる。なだらかな斜面を上がると、黒部五郎北西の稜線に出る。赤木岳はほぼ水平に巻く。このあたりは真っ白な世界。以前ある誌面で「マイルドセブンの白の世界」と表したところだ。やがて北ノ俣岳。ここからシールをはずして飛越新道へ。はじめは心地よい雄大な斜面が続くが、やがて樹林帯の小さなアップダウンの続く尾根に。疲れた体には厳しい。飛越トンネルはまだ半分雪に埋もれ、林道も雪道である。和佐府集落から約2km手前の雪の切れたあたりで、サトミ君の友人の車に便乗し、携帯のかかる場所で下ろしていただく。感謝、感謝であった。あとはタクシーで新穂高に戻り、露天風呂につかって帰宅の途に。

 今回、山スキーを使っての縦走で、かなりの距離を走破することができた。おそらく徒歩ではこうはいかない。しかしスキーなのだからもう少し滑りの要素が多くても良かったかとも思った。もっとも、滑ったらその分登り返さねばならなく、一番バテバテのボクがそんなことを言っても何の説得力もないが(笑)。それでもあえていうなら、弓折岳から双六谷に滑り降りたかったし、雲ノ平の肩から祖父岳に登り、滑ってテントサイトに行きたかった。それから、トラバースなどの水平移動は、小さなアップダウンが伴い疲れるので、いっそうのこと、緩やかに滑って緩やかに登った方が、早く?そして楽?できたとも思う。
 ボク自身、テント泊の山スキーの縦走は3月の澄川に続いてなのだが、じつはここ十数年そのような山行はしていない。たいていがベースキャンプ方式か小屋利用であった。体力の衰えを実感できた山行でもあった。これからも時々、重荷を背負っての山行をこなさなければ、と思った次第である。メンバーの皆や関係諸氏に感謝する。

△上に戻る

ハタヤの所感

出発まで

残雪期の雲ノ平はどうなっているのだろうか。
この目で見たい好奇心が沸き立ち、今年もアサノさんのパーティに混ぜていただくことにした。
メンバーは、行くたびに新たなことを教えてもらえるアサノさん、アサノさんの先輩で山スキーのベテランのキリサコさん、今年も何度か山行を共にしているニシムラ君。
果たして、最後までついて行けるだろうか。

5月3日

20時に京都駅に集合。新穂高温泉には2時頃到着。無料駐車場で空きをなんとか見つけテントを張り4時間程度仮眠する。

5月4日

5時起床、7時出発。
左俣林道を歩き出して間もなくスキーを履く。
笠新道の分岐の看板はまだ半分ほど埋まっている。小池新道の手前で下抜戸沢、新道に入って奥抜戸沢を横断。随分前の雪崩だろう、デブリが堆積していて歩きにくい。それぞれの塊は大きいほどでもないが量が半端ではない。上から襲われたらひとたまりもないだろう。この周辺は雪が不安定な時期に入るのは危険なようだ。
いよいよ北アルプスのスケールを感じさせる真っ白な大斜面を登っていく。先行する山スキーヤがごまの粒のように見える。すぐそこに目標は見えるがなかなか近づかない。だがそれがうれしい。
鏡平は経由せず小池新道から北の尾根を直登、弓折岳山頂に突き上げる。新穂高温泉から標高差1500mを登り切った。手を伸ばせば届く位置にある槍ヶ岳。雪庇が張り出しまだ厳しい表情を残す笠ヶ岳への稜線。展望に色を添える乗鞍岳と焼岳。小さなピークはトラバースしつつ、シールを着けたまま運動場のような双六小屋のキャンプ場へ。雪のない夏山と雪の残るGWとでは同じ山域でもこうも印象も地形も変ってしまうのかと驚いてしまう。小屋利用者が多いのだろう、小屋の前にはゲレンデスキー場を思わせるほどの山スキーヤの華やかな板で溢れている。
天候は、少なくとも明日は晴れるようだ。小屋でビールを仕入れ、入山祝いの豪華な夕食(坦々鍋@ニシムラ君)をつついて明日の雲ノ平入りに備える。

5月5日

4時起床、6時過ぎ出発。
双六岳まではアイゼンを履いて斜面を直登。山頂からは槍ヶ岳の山頂に張り出したレンズ雲を観察、進むべきかどうかこれからの行程を検討するが、とりあえずは雲の平の手前まで行くことに。さてシールを外して山頂から樅沢を弥助沢の出合まで標高差700mのスキーを楽しむ。日射しが差し込みちょうど雪がゆるみ始めた時間帯にあたったせいか、ゆるめの斜面を終始快適に下る。
弥助沢から鷲羽乗越(鷲羽岳と三俣山荘の鞍部)までは標高差500mのシール登高。最後だけ斜度が急でスキーを担いだがおおむね快適に高度を稼ぐ。さすがGW、いくつかのシュプールが認められた。
ここで11時過ぎ。天候も安定しており雲の平に突っ込んでも問題なさそうだ。黒部源流に分け入り標高差200mを穏やかに滑降。このあたりからいよいよ日射しの照り返しが強くなってきた。日焼け止めを塗りたくって黙々と行軍を続ける。「白い砂漠を行く」と表現するに相応しい。源流からは雲の平の台地まで急な斜面、標高差200mをツボ足ラッセルで登る。適宜トップを交替しつつこの日の核心をやり過ごす。
誰もいない平原でテントを張り、槍ヶ岳・水晶岳・黒部五郎岳・薬師岳といった北アルプスの名峰に囲まれる。明日取り付く北ノ俣岳方面の山腹は、遮るものも何もない、真っ白な斜面だ。天候は昼間になっても無風の快晴、これ以上贅沢なロケーションはない。テントを設営した後、外でプチ宴会。キリサコさんにウイスキーを振る舞っていただく。そういえば、ウイスキーを雪で割って飲むのは初めての体験だった。
夜中ガスが張り出し冷え込んだようだが、この日も快適に眠る。

5月6日

4時起床、6時過ぎ出発。
テントを張った地点は雲の平山荘のやや西南西の方向だった。早朝で雪の状態が固いため、黒部川までは急な祖父沢をダイレクトに下るのは避けて、祖父沢と祖母沢の間の緩やかな尾根を選んで下る。1箇所祖母沢が割れておりスキーを担いだ場面があったが、アサノさんの巧みなルートファインディングで難なく下れた。
黒部川はさすがに割れていたが、適宜右岸と左岸を切り替えつつ歩いていける。地形図上は河原なのだが実際には緩く高巻きせねばならない箇所もあり、河原沿いのルートなど雪の状態によっていかようにも難易度が変わっていくことを肌で感じる。赤木沢出合の手前の沢の直前で左岸を高巻きせねばならない場面に出くわし、ここから北ノ俣岳に向けて稜線を上がることに。右手にウマ沢を覗きながら真っ白い斜面を稜線に向けて登っていく。ほどなく2578ピークと2565ピークの間の鞍部に飛び出す。背後の黒部五郎岳の大斜面が美しい。赤木岳は東側斜面をトラバース、白い砂漠をあえぐようにとぼとぼ歩く。
北ノ俣岳の分岐には薬師岳方面から帰る山スキーヤが大勢休んでいる。ここからは飛越トンネルに向かって下るのみ。ビンディングを締めてでは行きましょう。寺地山への登りまで標高差500m、一枚斜面の滑降。雪が緩んでいるため不自由は感じない。白山を正面に望んで下る。振り返れば黒部五郎岳。ああ、来てよかった。
途中、薬師岳方面を滑ってきた同じ山岳会のサトミ氏一行に偶然出会い、林道の除雪終点から国道まで長い距離を送っていただく。おかげでタクシーを待つ時間を相当短縮。新穂高温泉と国八食堂を楽しんでも、めでたく全員が終電までに自宅に戻ることができた。
翌日は一日放心状態であった。

山行を終えて

尾根をトレースするだけでなく、谷をつなぎながらルートを結んでいく。これぞスキーツアー。
快晴の中、山の新しい楽しみ方もまた一つ覚えることができて、すべてが順調かつ充実した山行となった。
どこまで行けるかわからないが、もう少し先を見たくなってくる自分はやはり貧乏性なのだろうか。
むしろ、今回一番感謝しなければならないのは、この楽しみを共有できる人たちがすぐ近くにいることに対してだろう。

ルート図

雲ノ平スキーツアールート図

雲ノ平スキーツアールート図
(クリックで拡大)(別ウインドウ)

行動中の写真

 

小池新道を弓折岳へ

 

弓折岳の稜線の雪庇

 

槍ヶ岳。左は北鎌尾根、右は飛騨沢

 

笠ヶ岳への稜線。まだ厳しい表情

 

双六小屋へ。奥は鷲羽岳

 

5月5日。双六岳山頂から滑降

 

樅沢岳と樅沢

 

雲ノ平の台地。手前は祖父岳

 

雲ノ平で幕を張る

 

5月6日。水晶岳から日が昇る

 

黒部川源流。穏やかだが所々割れていた

 

稜線へ。背後は黒部五郎岳

 

今までのルートを振り返る

 

寺地山から北ノ俣岳を振り返る

 

飛越トンネル。まだ雪の中だった


△上に戻る

Copyright (C) 京都雪稜クラブ. All rights reserved.