京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
メンバー | ヒロサワ:CL(K)、コンドウ:SL*装備(K)、アラキ:SL*記録(A)、タキノ:食糧(A)、キムラ:装備(K)、タニモト:装備(A)、コウ:記録・会計(K)、サイトウ:食糧(A) 以上1泊2日 ※ (A)/(K):テント割 ユアサ:SL、オオキ:記録、ミヤシタ:食糧 以上日帰り |
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期日 | 2006年6月24日〜25日 |
地域・山域 | 比良山系 |
行程 | 1泊2日:霊仙山−権現山−小女郎峠−蓬莱山−木戸峠−烏谷山−金糞峠:C1−中峠−西南稜−武奈ヶ岳−釣瓶岳−地蔵峠−蛇谷ヶ峰−朽木 日帰り:霊仙山−権現山−小女郎峠−蓬莱山−木戸峠−志賀 |
山行形態 | 無雪期縦走 |
夏山本番を前にテント泊を始め一式を、これから山姥・山男になろうという面々を中心に比良でやってみよう、とおもった。できれば縦走したいな、ワタシはまだ全山を抜けたことがない。テン場にはワサビ峠と中峠との間にある口ノ深の源頭部は幕営適地だなぁーと先日来物色していた。
企画を出したところ、顔出し中のヒトの手が挙がった。プラン会はMT後に2回、あとは主にメールのやりとりで進めた。段取りは近所の山とはいえ、遠出するときと変わりなく進めた。担当もテント泊経験者と初めてのヒトを適当に組み合わせ、なにかの役目をやってもらうことにした。
初回のプラン会。ルートはメンバーのわがままをできるだけ取入れたいとおもったので話し合って決めることにした。武奈ヶ岳に登りたい、とミヤシタさん。西南稜から武奈へ、山頂からご来光をみたい、とタニモトさん。蛇谷ヶ峰は蓬莱、武奈とあわせて関西100名山なので、この3峰は踏みたいとコウさん。ぢゃ、朽木のてんくうで汗を流して帰ろう。装備表を片手に持っているものを確認してやっと終わったのが、23:30。雨のzigzagを後にした。
直前のプラン会では共同装備を振り分け、最終確認をした。予報はあいにくの梅雨模様、前日に最終判断することになった。テント泊の予行演習だけはやりたい、とのことなので雨なら坊村の駐車場に張って、翌日、西南稜から武奈、金糞峠からイン谷へ下山。比良とぴあでさっぱりしようというサブプランを立てた。
果たして、前線は南のほうへ押し下げられみごとに青空の見えるおてんきになった。暑い暑い。
京都駅から湖西線に乗る。駅のコンビニは07:00を過ぎないと開かないらしく、キオスクで間に合わせることになってしまった。山科からミヤシタさん、和邇駅でアラキさんと合流。タクシー屋に連絡すると和邇地域は1台しかないのでピストン運転になる、とのこと。アラキ号で1往復し、タクシーで残りを運んでもらうことにした。親切な運転手さんで、アラキさんが戻ってくるのを待ってくれて助かった。コンビニはあるかわからなかったのでキオスクでとにかく買ったが、R161に出れば徒歩5分くらいであったようだ。
登山口で届出を出す、背の高い樹間を意気揚々とイザ出発!
林道を気ままに歩く。コンドウさんがもしかして1本谷筋ちがわない?と地図をみていて気づいた。ちがわないようだが、当初の計画では霊仙山口からピークに向かうハズが沢に沿ってズコノバンへ向かっていた。タクシーを降りてそのまま林道を歩かなければいけないところを、吸い寄せられるように登山道へ入ってしまったようだ。戻って登り返すか、空身でアタックするか。時間的なことを考えて後者をとることにした。なんとも、この先を暗示するような…
ちょうちょを追いかけてるおじさんがいた。名前は聞いたけど忘れてしまった。信州辺りから飛んできて、比良を北上し、さらには台湾まで渡るらしい。なんともロマンあふれる話だ。
ズコノバンで荷を下ろし、空身でひとつめのピーク霊仙山へアタックにゆく。おしゃべりしながらハイキング。展望を期待してピークに辿りつけばそこは樹林に囲まれていた。ホンの隙間からびわ湖がチョロリと見える。ユアサさんの一声で、まずはみなさんにわが会の洗礼を…せぇーの、『ヤッホーっ!』
ズコノバンへ戻り、ここからは日帰り2人のユアサ組、テント割でアラキ組とコンドウ組の合計3チームでそれぞれかたまりになってもらう。チームごとにローテーションでSLをトップに歩いてもらい、殿はヒロサワが歩くことにした。権現の登りは会に入って間なしの頃に1度歩いているがそのときはとってもつらかった。今回は幕営装備にもかかわらず、みんなテンポ好く登ってゆく。脇にはまるで線香花火のようなコアジサイがいっぱい咲いてた。
権現を越える辺りからクマ笹に囲まれたキモチ好い登山道になる。びわ湖や北山の方がみえてきた。アタマの上はぽっかり開いてるので陽射しが暑い。ツツジがいっぱい咲いてる、笹ゆりもみつけた。
芝生の上でしばし休憩。アラキさんはまるで居間でくつろいでるようなお姿だった。ユアサさんはタキノさんにパッキングのレクチャー。オオキさんとキムラさんはお昼寝タイム。芝生の坂道をなんかのフンを踏まないように下りてゆく。レストランやリフトはまだ営業していないようだ。
キャンプ場を横切り日帰りのユアサ組と体調のすぐれないミヤシタさんは木戸峠から下ることになった。今夜の食事の準備をしてくれたのにザンネン。 我々もまだ今日の行程は残っている、前進前進。コウさんはスギゴケ(?)のカタチがおもしろいらしく、写真を撮っていた。
気温はまだまだ高い。烏谷山はきゅっと登ってぐっと下る、キモチばて気味で山頂へ。サイトウさんとタニモトさんはまだまだゲンキっぽい、さすがッ。
時間が遅くなった、ココで幕とする。まずは奥ノ深まで水をとりにいった。沢から水を汲むのが初めてのヒトもいて、カモノハシにうまくはいらない。瀬を利用してようやくほぼ満タンに満たす。
大きな石をどけてマキシム(4〜5人用)*2張分のスペースをつくる。アラキさんはとってもチカラ持ちで今回は肉体労働でも活躍してもらった。そんなワケでよそ見してる間にコンドウ組のテントはポールを突っ張ろうとしていた。そのうちアラキ組のテントも組み立てられ、フライを張る。大きな石がゴロゴロしていたのでペグはほとんど使わなかった。設営完了、お茶を沸かす。
風はワリと抜け、すぐに涼しくなって寒いくらいになってきた。紅茶を飲みながら夜ゴハンの準備にとりかかる。献立はタキノさん、ビーフストロガノフである。デザートにはサングリア。郷でも食べたことのない代物だ。食材の準備はミヤシタさんがしてくれた。ウシ600gッ!タキノさん、タニモトさん、サイトウさん、キムラさんを中心にテキパキと協力的に準備してくれた。生クリームをテルモスにいれて担いできてくれたのだが、なんとかたまりかけていた。「撹拌すると凝固するって書いてあった!」と料理長。お箸で掻き出し、無事、完成。
とっぷり陽も暮れて、テントの中で食べることにした。腰を下ろすと石がゴロゴロ、テントを据える前に充分、石を取り損ねてしまったみたい。床下に腕を突っ込み、届く範囲で撤去した。夜ゴハンはというと、とってもおいしかった。マスタードを入れたらさらにおいしかったようだ。デザートのサングリアはほっこり暖まって、ぜいたくな1品。
トイレにゆきかけて「こんばんは」、イン谷方面から登ってきた2人パーティに出会った。イヤハヤ驚いた!あぶないあぶない。比良は夜間ハイクが盛んとみえる。
すっかり遅くなってしまった。22:00前、やっと寝床をつくって、短すぎる睡眠時間に焦ったが、暑くてシュラフカバーで寝た。
一瞬で目覚まし。お茶を沸かし、行動食を簡単におなかにつめて撤収にかかる。 今回の目的の目玉のひとつである武奈からのご来光を拝むため、ヘッドランを装着して金糞峠を後にした。殿をアラキさんにおねがいする。奥ノ深に沿ってしばらくゆき、向こうへ渡る。とたんに迷った、右?左?地形図を眺め、チョイと様子をみにゆき、右へゆく。
こんな調子で迷走状態がしばらく続いた。さらに渡渉の連続で思いの外、時間は経過した。やっと沢から離れ登りだしたころ、白みかけていた。コンドウさんにトップをおねがいする。
中峠を越え口ノ深源頭部へ辿りつくころにはもはやヘッドライトの用は済んでいた。すでに日出には間に合わなかったが、空はぶ厚い雲に覆われていた。幕営予定地であったが、いつかココにはゼヒ一度テントを張ってみたい。
いよいよ西南稜である。開けたところで一本し、タニモトさんにトップを歩いてもらう。おてんきはイマイチだが、風が心地好い。振り返ると遠く蓬莱が見える。みんなで「歩いたなぁー」とココまでのがんばりを確認した。
ペース好く登頂。記念写真を撮るのにコウさんの三脚が登場。その出来栄えは如何にッ!!!
風を避けて朝食のラーメンをつくる。お湯を沸かしながら、各自コッフェルに水を入れてこちらはメタで沸かし、コーヒーを飲む。予想以上に早いと感じるヒト、なかなか沸かないとおもったヒト、時間差があったようだ。
ラーメンは野菜たっぷりでおいしかった。雨がパラパラ落ちてきた、先を急ぐ。この辺りは徘徊しているサイトウさんにトップをおねがいする。
なんとか曇空でいてくれる。が、疲れもだんだん出てきた。
登りのガンバリはタキノさんにおねがいする。読図もたのしみながら、現在地を確かめたしかめ前進。
とうとう雨が降り出した。が、樹林帯のアーケードが屋根になってカッパを着ることなく歩いた。
トップはキムラさんに。起伏の少ない広い尾根が続く。うっかりしてると分岐を間違えそうになる。単調になりがちだが、時折、地図を広げみんな熱心だった。木に咲く白い花、なんだろう。
最後の急登である、ココはコウさんにいってもらう。足の長い影響もあって(!?)ペースが速い。雨でまっ白の最後のピーク、蛇谷ヶ峰を踏んだ。〆の『ヤッホー!』をやってこれまた長い下りへ。正直、登山道の階段はツライ…。通行止めルートあり。
雨除けの木々もなく、すっかりズブヌレになってしまった。林道をうねうね歩いてやっとやっと温泉である。露天風呂で疲れを癒し、さっぱりした。
タイミング好くシャトルバスがきて、学校前バス停からは安曇川方面、出町柳方面に別れた。雨も好い具合にやんだようだ。
2日間の超・ハードスケジュール、お疲れサマでした!
(食糧:タキノ)
JR和邇 7:30全員集合
霊仙山登山口 8:20−ズコノバン 9:20−霊仙山 9:50−権現山 10:55−ホッケ山 11:50−子女郎峠 12:10−蓬莱山 13:05−打見山 13:20−汁谷 13:50(ユアサさん、オオキさん、ミヤシタさん、日帰りで下山)−比良岳 15:15−烏谷山 15:40−南比良峠 16:20−金糞峠 17:35{テント設営 18:20、夕食 19:00、就寝 22:00}
金糞峠 1:00起床
テント撤収 2:30出発−中峠 4:50−武奈ヶ岳 5:45(朝食ラーメン) 6:50出発−細川越 7:25−釣瓶岳 7:50−地蔵山 9:35−滝谷ノ頭 10:00−荒谷峠 10:50−蛇谷ヶ峰 12:10(着時間予想ごっこでヒロサワさんぴったり賞アイスクリーム)−グリーンパーク想い出の森 14:10−同温泉 14:30−シャトルバスでバス停へ 16:30解散
(記録:アラキ)
06:32-07:02 JR京都→JR和邇 (京都:ヒロサワ、ユアサ、コンドウ、サイトウ、タキノ、キムラ、タニモト、オオキ、コウ 山科:ミヤシタ 和邇:アラキ)
08:24-09:18 霊仙山登山口→ズコノバン
09:31-09:47 ズコノバン→霊仙山頂上
09:51-10:08 霊仙山頂上→ズコノバン
10:21-10:56 ズコノバン→権現山頂上
11:21-11:45 権現山頂上→ホッケ山
11:50-12:11 ホッケ山→小女郎峠
12:11-12:37 小女郎峠→蓬莱山頂上
13:06-13:16 蓬莱山頂上→笹平
13:27-13:38 笹平→打見山
13:47-13:58 打見山→汁谷 日帰り組下山
14:09-14:41 汁谷→比良岳(?)
14:53-15:37 比良岳(?)→烏谷山
15:47-16:09 烏谷山→荒川峠(?)
16:21-16:34 荒川峠(?)→南比良峠
16:34-17:34 南比良峠→金糞峠
18:10 設営完了
19:50 夕食準備完了
21:15 夕食終了
22:00 就寝
01:00 起床
02:28-04:13 金糞峠→中峠
04:20-04:52 中峠→ワサビ峠
04:57-05:41 ワサビ峠→武奈ヶ岳
06:53-07:48 武奈ヶ岳→釣瓶岳
08:05-08:48 釣瓶岳→笹峠
09:05-11:08 笹峠→須川峠
11:15-12:08 須川峠→蛇谷ヶ峰
12:13-14:07 蛇谷ヶ峰→登山口
14:07-14:35 登山口→思い出の森温泉
16:15-16:34 思い出の森温泉→朽木学校前(シャトルバス)
(記録:コウ)
CLへ、臨機に隊列の変更はありがたかった、1本とりましょうかの掛け声ありがたかった、最後のピーク蛇谷ヶ峰までの着時間予想ごっこは疲れをまぎらすのに格好のアイデアでたのしかった。ぴたり賞はCLへ アイスクリーム!そのほかリーダーに感謝することはいっぱいでした。
コウさん、カメラマンありがとう出来上がりがたのしみです。タキノさん、キムラさん、タニモトさん、サイトウさん、オオキさん、皆さんそれぞれ担当を果たされ、しかもテント設営、撤収、食事の準備などリーダーの指示どおりテキパキとつとめられご苦労さんでした。ミヤシタさんおいしい夕食ありがとうございました。
次回、皆さんと一緒に山行できる日を楽しみにしています。
準備に時間が掛かり、前日極端に短い睡眠となってしまいました。さらに山行中も睡眠が短くなってしまったため、とても疲れてしまい、後半、注意力が下がってしまいました。前日の準備を効率よく進めることを考えていきたいと思いました。
先頭も経験させてもらえ、地図を必死に見る良い機会になりました。
最近、運動不足だったので、いい歩荷になりました。
ヘッドランプを付けて早朝真っ暗の中を歩きました。予想以上に時間が掛かりましたが、とても良い経験だったと思います。
なんと、スタートから読図を間違ってしまいました。全山縦走の始めからつまずきそうになりましたが、分岐から霊仙山ピストンでなんとか「全山」になってよかったです。
皆様が、「先頭を信じずに、地図を読もう!」という教訓を得てくださっていれば幸いです…。ごめんなさいね。
私は日帰りのみの参加でしたが、久しぶりの大人数で楽しかったです。またご一緒しましょう!
今回の山行は私にとって初めての事だらけ。
泊まり
テント泊
食糧担当になり、ごはんのメニューを考える
ごはんを作る
夜が明ける前に起きてヘッドランプつけて歩く
睡眠時間3時間のまま歩く
といろんな体験をさせてもらった山行でした。
途中つらくて何度も帰りたい〜って思ったけれど下山してみれば楽しかった事の方が覚えているのでした…
今回初めてのテント泊で、2日で36?も歩くというのも初めての体験でした。驚いたのは、睡眠3時間で夜中の2時半に出発したということ。
いったい何の為に!?と思ったけれど、ヘッドランプをつけての夜間歩き体験の為ということで、納得しました。ありがとうございました。
出発から朝食までの数時間は頭が朦朧としていましたが、朝食のおいしいラーメンを食べてからはいきなりしゃんとしました。
それでもなんとか体力があったのは蛇谷ヶ峰までで、その後の約2時間は話すことはもちろん、表情を変えることも難しくなり、ただただ無心に歩き続けました。林道に出てから温泉までの道のりの長く感じたこと!
しかし温泉でかなり疲れが取れ、やはり温泉とはえらいものだなぁと思いました。
反省点は沢山ありますが、とにかく水分は多めに多めに持って行くということと、ヘッドランプはきちんとつくのか確認、替えの電池も忘れないということ、これはもう身にしみたので、今後同じ失敗はないと思います。みなさま、御迷惑をお掛けしました。いろいろとありがとうございまいした。
前から比良山を一度縦走したいと思っていました。だから、今回の企画がでたときはすごくうれしかったです。今までは霧で何も見えない武奈と西南稜しか行ったことがなかったので、今回は両方行けるということですごく楽しみにしていました。
一日目は暑くて暑くて水をいっぱい飲みました。水がこんなに貴重だとは思いませんでした。テントのたてかたや撤収の仕方など丁寧に教えてもらえて勉強になりました。2日目の西南稜からの景色は本当によくて気持ちよく歩けました。霊仙山からずっと西南稜からの武奈を楽しみにしていたので、少し曇ってはいましたが大満足でした。ただ、そこから蛇谷への道のりがとてもとても長く感じました。特に蛇谷の下りは階段、階段、階段、階段…で足が痛くなりました。さらに下山した「ふれあいの森」から温泉までの道のりが遠かったです。一番しんどかったかもしれません。
食事係さんのおかげで2日間とてもおいしいごはんが食べれました。装備や計画書のことなども勉強になりました。2日間とっても楽しかったです。今度は少しでも自分で地図が読めるようになったらいいなと思いました。
ありがとうございました。
写真撮影がきっかけに山を始めましたが、残念ながら身の周りに、写真と山、両方好きな仲間が殆どいません。そのため、一人で重い撮影機材を背負って、写真を撮りながら、歩きに急ぐ小屋泊のマイペース山行が殆どでした。今回のような集団登山は、去年の元日に台湾で参加した玉山の登山ツアー以来です。パーティー全体の行動を邪魔するから、自由に写真が撮れませんでしたが、去年の2月に同じ比良山で2回遭難しそうな体験もあるし、寂しくて心細い単独行では得られない楽しみと安心感が味わえました。皆さんのいろんな話を聞かせてもらって、食事もなかなかのご馳走でした。そして、山自体に雄大な景色などはあまりなかったと思いますが、梅雨の真っ只中にもかかわらず運良く24日はお天気で、25日も小雨にすぎなくて、念願の蛇谷ヶ峰の頂上も踏めて、爽やかな新緑もとても綺麗でした。山を始めて日が浅くて、一人で模索して無謀なことをやってきて、去年の夏に大変な事故まで至ってしまいました。しかし、だからといって、山を止める気はしません。今回もテント泊の注意事項、多人数での行進、炊事の仕方、山でのマナーなど、いい勉強になりましたが、これからもいろいろと勉強させていただきたいです。
夏空アリ、曇天雨模様あり。おてんきもバラエティに富んだうえに、極度の睡眠不足を強いられてツライ行程だったとおもう。慣れないコトを次から次からこなさないといけない上に、長時間行動。ホンマにお疲れサマでした。
総勢11人パーティのリーダーなどコレまで経験なく、こんな機会は恐らく今後もないだろう。3人のSLを始め、メンバーのみなさんの協力があったオカゲで無事に山行をたのしめた、ありがとうございました。特に、早暁の行動などみんなに助けらた。つくづくパーティの好さ、おもしろさ、ありがたさを痛感した山行になった。自身にとっては貴重な経験を積ませてもらった。ゆき届かないところ、説明不足なところも多々あったと思う。スンマヘン。
西南稜から蓬莱を振り返り、自分たちの足跡に驚いてる新鮮な表情をみたとき、来てよかったぁーとおもった。
今後の山行のなにかの踏み台になれば、と考えてはみたが、「こんなにしんどいモンなのか…」とトラウマになっていなければいいけれど。
計画段階からいずれかの担当について、準備してもらった。メールでのやりとりはわかりにくい部分もあっただろうけど、がんばってやってくれた。また、失敗や気づいたコトは今後にきっときっと活かされるハズと信じています。