南アルプス 白峰三山(無雪期縦走)

メンバー ヒロサワ(L・食料・会計)、ユアサ(装備・記録)
期日 2006年7月14日〜17日
地域・山域 南アルプス
目的 高山植物と3,000峰5座をたのしみながら、雪山に想いを馳せて…
山行形態 無雪期縦走

行程

7月14日(金)

23:00京都発〜(名神+東名)

7月15日(土):晴れのち曇りのち雨(15時〜)+遠くで雷

5:40奈良田着7:50〜(バス:山交タウンコーチ)〜8:35あるき沢橋登山口8:40〜稜線10:45〜2063ピーク11:20〜池山小屋11:30〜(水場往復)〜池山小屋12:45〜城峰14:05〜砂払15:30(C1)〜就寝19:00

7月16日(日):雨のち曇り,一日中恐ろしい風

起床4:30〜出発6:20〜ボーコン沢の頭6:50〜八本歯のコル7:50〜吊尾根分岐8:45〜北岳頂上9:05〜吊尾根分岐9:25〜10:15北岳山荘10:45〜農鳥小屋13:15〜西農鳥岳14:00〜農鳥岳14:50〜大門沢下降点15:40〜17:55大門沢小屋(C2)〜就寝21:45

7月17日(月):大雨

起床6:30〜出発8:15〜小コモリ沢増水のため、その手前で大門沢小屋に向けて引き返す判断をするも、八丁坂上部でそれも困難と判明し、小コモリ沢を渡ることにする。〜第三堰堤手前12:00〜奈良田第一発電所12:25〜奈良田温泉駐車場12:45

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計画

 いつか冬季縦走にゆきたい、日本で2番目に高い北岳を筆頭に3000m峰5座を次々に踏破してゆく白峰三山の縦走はちょっと先の目標のひとつである。
 広河原から入るヒトが多い中、雪の季節のメインルートである池山吊尾根はきっと静かな山歩きをたのしませてくれるだろう。いろんな記録や報告をみてみてもその展望はスバラシいらしく、目、足フル回転でココロもカラダも満腹になりそう。
 梅雨空も気になるところだ。が、しかし前回に引続きおてんきには期待できそうにないけれども、よほどの荒天でなければ決行とした。積雪期の縦走に臨むにあたって、先日の強風下での稜線歩きが課題のひとつと考えられたからである。まさに[耐風訓練]の予感。
 池山吊尾根は水場も2箇所ほどあるようだ、絶景のテン場が期待される。雪が多かった昨シーズン、残雪具合が気になるが、大門沢ルートにはほとんどない様子。
 ちょうど別ルート(広河原入山−大門沢下降)で白峰三山の計画がアラキさんから出された。合流は予定ではなかったが、それぞれに違うたのしみ方で同じ山へ入るのはなんだかウキウキしておもしろい。相乗りを快諾していただき、一路奈良田へ…。

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報告(ユアサ)

 夏冬を通して私がこれまでに経験した中で、最もハードかつ濃密で、それ故、最も教訓の多い山行となった。自然の力は恐ろしいものである。その中に自ら入ろうとする人間として、自然がもたらす危険に対して、もっと敏感にならなければならないことを教えられた3日間であった。

(1日目)

 奈良田温泉を出発してから30分。あるき沢橋登山口で下りた乗客は、私たちの他に釣人2人だけであった。ほとんどの人が広河原まで行く様子。空は青く、太陽がまぶしい。バス停から20歩ほど南に歩くと、右手に登山口。赤い標識が立っているが、何とも存在感の薄い登山口である。始めからエラク急で、一睡もしていない身には堪える。リーダーによると、広河原からの登山道が開かれるまでは、こちらが北岳への主要ルートであったそうだが、今ではそれが嘘であるかのようにひっそりとしている。結局、この日は、誰とも会うことはなかった。木々に遮られて、日が直接地面に届かないのが幸いであるが、風が通らず蒸し暑い。倒木や繁茂する下草で、時折、登山道が不明瞭になるが、赤テープが程よく付けられているため、迷う心配はない。先頭を歩いていると、これでもかと言うほど蜘蛛の巣に引っかかった。これも、人があまり通らない証拠か。静かな山歩きを好むならば、我慢我慢である。
 1時間も登る頃には、背後に、鳳凰三山の稜線が姿を見せていた。観音岳山頂付近の白い花崗岩が明るく光っている。標高1700m地点で2度目の休憩。稜線手前までの苦しい登りもあと150m程である。リーダーが地元の役所に確認してくれた所によると、稜線に上がるまでのトラバース中に水場があるとのこと。この水場を頼りに、2人とも、その日の行動用の水(1.5〜2.0L)しか持って上がっていない。この点にもっと気を配って、水場へのルートを探すべきであったのだが、赤テープを追いながら黙々と登っていくと、いつの間にやら稜線に上がってしまっていた。どうやら稜線通しで付けられている冬期用の赤テープに導かれて上がってしまった模様。正しくは50m下辺りから右手にトラバースする必要があった。「さて、どうすべきか?」「戻るべきか?池山小屋北方の水場(エアリアによると往復1時間、役所の情報によると足場がよくない。)を目指すべきか?」沢の音は微かながら聞こえていたので、戻ったとしても時間的なロスはそれ程大きくなかっただろう。後から考えると、元に戻った方がよかったと思われるが、その時は、池山御池北方の水場で水を汲む判断をし、万一それが不可能であった場合は、明日、北岳山荘に到着するまで、手持ちの水でもたせることを考えようと言いながら歩いていた。ああ、恐るべし、早くもサバイバルの匂い。
 11時半に池山小屋に到着。小屋の横の池に水はなく、一面、淡い黄緑色の下草が生えている。辺りは光に満ちている。まるで、どこかの避暑地に迷いこんだよう。静謐な雰囲気が漂っている。池の横の木には、赤ペンキで「→水場まで10分」の文字が。「おっ!?エアリアには往復1時間って書かれていたけれど、往復20分で行けるわ!」騙されやすい2人は、それぞれ、熊避けの鈴と地図を持ち、プラティパスを片手に、嬉々として水汲みに出発。道は役所の言うとおり、確かによろしくない。急斜面の上に、倒木や棘のある草に行く手を阻まれる。「でも、まあ、10分って書いてあったし…」と言いながら延々と斜面を下りていくが、一向に沢の音は聞こえない。赤テープもわずかながらあるので、間違ってはいないはずだが、10分どころか20分経っても着かないので、次第に不安になってくる。さらに、獣の屍とも御対面。大自然の真っ只中に身を置いていることを痛感する。30分も経っただろうか、ようやく沢の源頭部に到着。「ふ〜、これで干からびずに1日を過ごすことができる!」石の間から染み出すように流れる水を有難く汲む。さて、ここからが大変。急斜面を這い上がるように登ること約40分、ザックを置いた小屋の横に到着したのは、なんと12時45分であった。往復1時間どころの騒ぎではない。小屋の横に書かれていた「水場まで10分」とは一体…?
 時間的かつ体力的なロスは小さくなかったが、気を取り直して出発。ついでに、池山小屋の内部も確認しておいた。毛布がうずたかく積まれていた。小屋からしばらくは、ゆるやかな尾根をのんびりと行く。明るい樹林帯である。お散歩気分で歩いていると、鳥が低空飛行で突進してきて驚いた。そのままのんびりと歩いていければ幸せであったが、次第に斜面が急になってくる。城峰(2372P)に登る最後の斜面は、まるで砦のようで、おそろしく急であった。急登と言われている合戦尾根も比較にならない。「これまで登った中で一番急」という結論に、めでたく落ち着いた。
 城峰到着が14時過ぎ。ここもテント適地ではあったが、次の日の行程を考えると、もう少し先に進んでおく方がよかったので、15時半をリミットとして、樹林限界である砂払辺りまで前進することに決定。この頃から雲行きがあやしくなっており、時間と雨と雷を考えながらの行動となった。左手には、間ノ岳へと続く稜線が、後方には鳳凰三山へと続く早川尾根が見えていた。登ったり下ったりを繰り返して前進、1箇所、小さな展望台のような場所があり、そこからはボーコン沢の頭辺りののっぺりとした姿が見えた。あそこまで行けば北岳バットレスが目の前に見えるとのこと。明日が楽しみである。15時を過ぎると、雨がポツポツと降り出し、遠くで雷さえ鳴っている。テントを張れそうな場所を探しながら進むが、決め手となるような最適な地形はなく、当初の予定通り砂払まで上がることになった。そこは、周りを低木で囲まれており、雨風を十分に防いでくれる快適な場所であった。急いでテントを張り、16時からの気象通報に耳を澄ます。どうも、東北地方にかかっている前線が南下してくる模様。天気が悪化しつつあるのは疑いようがない。果たして、明日、稜線を歩ききることができるのか。風と雷が心配である。心配しつつも、心置きなく栄養補給と水分補給に努め、明日に備えて、19時には就寝。本格的に雨が降り出した。外はまだほの明るい。

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(2日目)

 2時半起床4時出発の予定であったが、なぜか目覚ましが鳴らず、気付いたのが4時半。寝過ぎである。夜中、上空で強い風が吹き荒れている音が聞こえていたが、テントは樹林に守られて無事であった。風は少しずつ弱くなっているような気がするが、樹林帯でこれなのだから、吹きさらしの稜線に上がったらどうなることやら…。雨は相変わらず降り続いている。「さて、どうすべきか?」北岳の風の強さを2年前に経験している身としては、「下山してもいいなあ。」という気分に傾きつつあったが、リーダーの決意は固かった。ここ最近、強風を主たる原因として途中下山を繰り返してきたこともあり、ルートを歩きとおすことに対する想いが強かったのである。というわけで、軟弱な私も、「風に対する耐性を身に付ける」という目的のために、前進することに同意。無事に稜線を抜けられますように…。
 6時過ぎにテントを撤収して出発。下草が露に濡れて青々としている。雨も小雨になってきた。少し登った所に、何張りかテントを張れそうな地形があり、嬉しいことに富士山が姿を見せてくれていたが、ちょうど樹林帯から抜け出した所で、風はかなり強く吹くことが予想された。南の空には少し青空も見えていたが、反対側に目を転ずると、靄で真っ白であった。ハイマツの隙間に堂々と咲く白いシャクナゲの花を眺めながら緩やかに登ること30分、ボーコン沢の頭に到着。ここからの北岳バットレスの眺めは圧巻とのことだが、白い靄に囲まれて何も見えない。「たぶん、あの辺にバットレス様はいらっしゃるはず…。」と言いながらも、見えないのでさっさと前進。起伏の少ない尾根を黙々と登ったり下ったり。風はまだまだ許容範囲。すると、向こうから男性が1人。池山吊尾根で会った唯一の人である。「このルートを下山するのかなあ?それとも、お天気が悪いのに、ボーコン沢の頭までバットレス目当てに足を伸ばすのかなあ?」この尾根は登るためのルートだという独断と偏見を持っていたので、なんとなく不思議な感じがした。しかし、15分もしないうちに謎は解けた。後ろの方から笛の音が聞こえてきたのである。何の曲かは2人ともわからなかったが、切々とした曲で、慰霊のために雨の中ここまで足を伸ばしたのだろうということは察することができた。しばらく行くと、八本歯ノ頭に一人用のテントが張られていた。
 八本歯のコルへ下りる最後の箇所は、エアリアでは危険マークがついており、確かに落ちると無事では済まないが、金毘羅の岩場を上り下りしていれば特に問題はない。雨と風を心配していたが、慎重に手足を動かしていれば心配はなさそうである。稜線上の岩の隙間や切れ落ちた左手の山肌に咲いている高山植物がなんとも美しい。緊張しながら歩いていたからだろうか、岩稜に咲いていた黄色や青紫やピンクの花は(毎年、名前を忘れる…。)今でも目の奥に焼きついたままである。
 八本歯のコルで、大樺沢からのメインルートと合流。一気に人が増えた。ここからは、木や鉄の梯子を登って行く。雨で濡れているので、滑らないように慎重に足を運ぶ。昨日、農鳥岳までピストンしてきたパーティーの話を聞くと、素晴らしいお天気の下、素晴らしい展望に出会えたとのこと。羨ましい…。1日違えば、エライ違いである。北岳山荘へのトラバース道との分岐を越えて、北岳頂上を目指す。大きな岩の上を、渡り歩くように登り、砂混じりのジグザグ道を行く頃には、風も強くなってくる。「確か、2年前の今日も、この場所で、強風に吹かれていたなあ。」と思いながら、姿勢を低くして歩く。そのとき、暴風に吹き飛ばされて死ぬかと思った吊尾根分岐は、今回もやっぱり暴風で、さらに、そこが一番風が強いコルであるにもかかわらず、多くの人が前進を諦めて座り込んでいるのも、当時と同じであった。とにかく、風が集まるこの場所から抜けなければということで、よろめきながらも頂上を目指す。リーダーのストックを1本借りてピッケル代わりにすると、体勢も随分落ち着く。リーダー曰く、「何かにつかまるのではなく、できるだけ、自分の体だけで耐えられるように!」。20~30メートル歩くだけでも、風圧の違いは歴然としている。20分で北岳頂上に到着。今回も、景色はさっぱり見えない。時期が悪いのか、雪稜クラブと北岳の相性が悪いのか、それとも私と北岳の相性が悪いのか。とにかく残念である。次来るときは、天気の良い日を選んで、広河原から一気に頂上まで登ることにしようと決意。三度目の正直になりますように…。
 頂上はじっとしていると寒い程だったので、北岳山荘へ向けて出発。所々の斜面で、黄色い花が一面に咲いていた。3000メートルの稜線なのであるから、風が強いのは仕方がない。意識して腰を落として歩いていた。10時15分に北岳山荘に到着。中で休憩させてもらう。快適そうな小屋である。2人とも、防水機能の低下した年期の入った雨具を着ていたので、頭から爪先まで濡れており、中のストーブが有難かった。ちょっとの休憩の予定だったが、ストーブの誘惑には勝てず、衣類を乾かすために必要という賢明な判断の下、しばらくストーブの側でゆっくりとさせて頂いた。ここで、アラキパーティについて話し合う。「当初は、1泊目にこの北岳山荘、2泊目に大門沢小屋を予定しておられたはずだが、この悪天でどうされていることやら。予定通り縦走中か、白根御池小屋まで下山か、一気に広河原まで下山か。」「もし縦走中であれば、私たちよりも前にいらっしゃるはずなので、ルート上なり小屋なりで会えるだろう。」小屋のテレビが伝えていた天気予報によると、昼過ぎに最も天候が悪化し、夕方過ぎから回復に向かうとのこと。行動中の悪天は覚悟しなければならない。夏山を楽しむという目的だけであれば、間違いなく、縦走をあきらめて広河原に下山する道を選んだであろう。縦走を決意した時点で、経験することになる試練(!)はある程度予想していたが、現実はそれ以上のものであった。
 暖かい小屋から意を決して出発する。稜線には鐘。きっと素敵な音色を響かせてくれるのだろう。青空の下、北岳を仰ぎ見ながら鳴らしてみたいものである。時刻は10時45分。当初、今夜は農鳥小屋で泊まる計画を立てていたが、今日よりも明日の方が天候は悪化するようなので、できることなら今日中に大門沢小屋まで下りてしまいたい。雷のことを考えると、なおさら、稜線から下りてしまった方が安心である。農鳥小屋から大門沢小屋まで5時間かかると考えて、農鳥小屋13時半をタイムリミットとして進退を決することとする。
 西から風が容赦なく吹き付けてくる。稜線は比較的ゆったりしているので、風が原因で滑落するような心配はほとんどないが、それでも、風のために自分の体がコントロールできないというのは大きな恐怖であった。その上、風に吹き飛ばされないように、常に下半身に力を入れていなければならないので、想像以上に疲労する。もはや景色どころの騒ぎではない。というわけで、農鳥小屋に着くまでのことは、ほとんど覚えていない。印象に残っているのは、間ノ岳の頂上で数パーティーと会ったことと、高山植物が美しかったことぐらいである。高山植物の生命力には本当に頭を垂れたいような気持ちになった。この強風の中、花弁一枚たりとも吹き飛ばされることなく、しなやかに咲き誇っている小さな花々には、延々と生き抜いてきた種の強さを感じさせられた。
 農鳥小屋に着いたのが、13時15分。テントを張っているパーティーもいくつかあったが、私たちは前進する判断をする。念のために、アラキパーティーのテントを探したが、見当たらなかった。ここから西農鳥岳を越えて農鳥岳に至るまでが最も辛かった。天候が最も悪化する時間帯であったからだが、風は益々強くなっており、前に一歩を踏み出せないことしばしばであった。こうも風に吹かれ続けていると、茫然自失というべきか、頭の中は真っ白となり、とにかく無事に稜線を抜けることだけを考えて歩いていた。顔に当たる雨粒が痛い。記憶が混濁しているが、リーダーが先頭を交代してくれたのはこの辺りであったと思う。風に立ち向かっていく後姿はとても頼もしく、経験と精神的な強さを感じた。
 ようやくの思いで農鳥岳へ到着。ここで、奈良田から一気に登って来られた中年の御夫婦に会った。一日で農鳥小屋まで行かれるのであるから、よっぽどのツワモノ御夫婦と思われた。余計なお世話ながら、恐ろしい風が吹いていることを伝え、お互いの無事を祈りつつ別れた。農鳥岳を越えると、ルートは稜線の東側につけられているので、風は随分ましになった。まだ安心はできないが、心からホッとして、涙が出そうになった。風がないって何て素晴らしい!ここで時間を稼ごうと、高山植物を愛でながらも、わっせわっせと歩いていた。すぐに大門沢下降点に到着。ただ、ここは、ちょうど農鳥岳と広河内岳の鞍部になっているため、とどめをさすような暴風が吹いていた。追い立てられるように、稜線から下りる。最初から最後まで、強風に吹かれ続けた稜線歩きであった。
 このとき15時40分。エアリアでは、大門沢小屋まで3時間となっているので、遅くとも19時までには到着できるだろう。ハイマツ帯を通過して樹林帯に入ってから休憩。念のために、ヘッドランプを出して首から下げる。16時過ぎであっただろうか、樹林を通して、富士山が見えたときには本当に驚いた。南東の空には、うっすら青空さえ見えている。「なんで〜!」2人揃って叫んだのは言うまでもない。そう言えば、いつの間にやら雨はやんでいる。最も、上空は相変わらず黒雲に覆われており、よく見ると、富士山に笠雲がかかっていたので、天気が回復しているとは言えなかったのだが…。しばらくは、木の根が縦横無尽に地を這う急な斜面を下りていく。樹林帯に入って、1日を終えたような安心感が心に広がりつつあったが、ここは慎重に。足は相当くたびれている。ようやく地形も緩やかになった頃、広河内沢の源頭部付近にひょっこり出た。ニッコウキスゲが2〜3輪咲いていた。優しい色をした花である。沢の最上部には今にも崩壊しそうな雪渓が残っていた。恐ろしい景色である。あまり長くは見ていたくない。そこからは、沢を見下ろしながら、緩やかに下りていく。この辺りで、遥か下の登山道を歩く男性1人を発見。あの強風吹き荒れる稜線をたった一人で抜けてきた強さに尊敬の念を抱く。私には、とてもそれだけの精神的な強さがないからである。まだまだ修行が足りない!?
 所々で「この付近、ドコモ通じます。」という看板を発見(movaのみ)。沢沿いなのに素晴らしい。最も、わがパーティーにはボーダフォンとエーユーしかないので、あまり意味はないのだが…。延々とおしゃべりしながら歩いていると、いつのまにやら、前を歩いていた男性に追いついてしまった。年の頃は50代後半?よく見ると、どうも片足を少し引きずりながら歩いておられる。挨拶をすると、「申し訳ないが、携帯電話をお持ちならお借りできますか?」と言われる。残念ながら、ドコモではないのでお役に立つことができない旨を伝え、何か事情があるのかを問うたところ、今日の17時を最終下山時刻に設定しているので、できるだけ早く留守本部と連絡をとりたいが、携帯電話の電池が切れてしまって無事を伝えられないとのこと。時計の針は17時30分をさしている。年齢を考えずに重たい荷物を持ってきてしまった結果、予定どおりの行程を歩くことができなかったともおっしゃっていた。足の具合を尋ねると、そちらは何とかなるとのこと。となると、最善の方法は、私たちが先に大門沢小屋まで下山して連絡をとることだと思われた。男性の名前を確認し、御自宅の電話番号をお聞きして、奥様に留守本部へ連絡していただくことにした。リーダーは、荷物の分担も提案したが、そちらは心配ないとのこと。迷惑をかけて申し訳ないと恐縮していらっしゃったが、困った時はお互い様である。安心してゆっくり下りていただくように伝え、走るように下りていく。小屋まではそう遠くはないはず。道も緩やかである。この間、最終下山時刻を何時に設定するかについて話しながら歩く。今回の件を、早くに設定しすぎたことが原因とすることも可能だが、万一の事態が起こっていた場合には早く対応してもらえることにもなる。季節やルート、人数によって変えるべき性質のものだが、なかなか難しいものだなあと思った。黙々と下りること25分、18時前には小屋に到着することができた。小屋の前には、夕食を終えてくつろいでいる人がたくさんいた。私がテントの受付をしている間に、リーダーが、小屋の携帯電話を借りて、男性の御自宅に連絡を入れる。事情を説明し電話を切った時には、2人ともホッとした。小屋の人に、この後、男性が1人下山してこられることを伝える。また、宿泊台帳を見て、アラキパーティーがいないことも確認した。やはり、縦走はせずに、広河原に下山されたのだろう。今日中に下山されているかどうか。いずれにせよ、次の日の12時半に奈良田で合流する予定であったので、それまでに下山すればよいかと話し合う。
 テントを張り、荷物の整理等をして、水を汲みに小屋まで足を伸ばす。テントからは富士山が真正面に見えた。相変わらず頂上付近には笠雲がかかっていた。今こそ雨はやんでいるが、明日の天気はよろしくないのだろう。小屋の前で、蛇口から流れる冷たい水を汲む。心置きなく水が使えることの有難さを感じる。山に入ると、日常は忘れ去っている小さな事柄に大きな幸せを感じることができる。ふと見ると、先程の男性が、小屋の前に座っておられた。時計を見ると19時前。無事に下山されて安心した。電話代として500円も頂いた。今夜はテントを張る気力が残っていないので小屋に泊まらせてもらうとのことだった。私たちは、それから、ゆっくりと夕食をとる。1日の行動がハードだった分、余計に幸せである。外は真っ暗で、周りのテントはすでに灯りを消している。私たちが床についたのは22時前であった。

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(3日目)

 6時半に起床。夜中から土砂降りの雨が降り続いている。奈良田まで3時間半で下山できる安心感から、朝遅くまで休んでいたが、結果的には、このことが、その日の試練を呼ぶこととなった。私たちは、何時間も降り続いているこの土砂降りの雨と沢沿いの登山道を下山することに対して、もっと敏感でなければならなかったと思う。7時過ぎにつけたラジオの天気予報は、昼まで大雨が続くことを告げていた。
 8時過ぎにテントを撤収して出発。他のパーティーは、1パーティーが私たちの15分程前に出発したことを除いては、早くにここを去ったようである。小屋の前を通ると、小屋の主人が出てきて、「この大雨で沢は増水しているが、登山道は問題ないはずなので、気をつけて帰るように。」と声をかけて下さった。気を引き締めて歩き出す。確かに、横を流れる沢は、恐ろしい濁流と化しており、眺めているだけで目が回りそうである。登山道自体はかろうじて無事であるが、降り続く雨で小沢のようになっている。しばらくすると、荒れ狂う奔流から遠ざかり、南アルプスらしい鬱蒼とした樹林帯をトラバースしていく。雨の中、幻想的な雰囲気が漂っている。この辺りを歩いているときが、最も平和なひとときであった。
 急な八丁坂を下り、大コモリ沢の河原に着いたときには、愕然とした。この沢をどうして渡ればいいのか。普段であれば、小石づたいに飛んで渡るのだろうが、増水しているために、足を置く何物も見当たらない。沢の幅は中洲を挟んで3mと5m程度、さらに中洲を挟んで15mという感じであった。沢はすぐ左手で本流である広河内沢に合流していた。15mの沢の方には丸太の橋がかかっていたが、一部分、橋の上を濁流が奔っていた。さて、この沢を渡るべきか否か。リーダー曰く、「私たちの15分前に出発したパーティーが無事に渡っているのだから、どこかに渡れる所はあるはず。」渡りやすそうな場所を探すが、やはり、通常のルート以外には渡れそうなところはなかった。リーダーは、万一の場合の証人として、濁流の写真を撮った後、一歩ずつ歩を進めていった。耐風姿勢と同じ要領で、ストック1本を中心に腰を落として少しずつ足を横にずらし、無事3mと5mの沢を渡り終える。次は私の番である。生きるか死ぬかの瀬戸際で、血圧は200位に跳ね上がっていたと思うが、「耐風姿勢と同じ!」というリーダーの励ましを受け、「落ち着いて落ち着いて」と自分に言い聞かせながらカニ歩きをする。水圧は強かったが、腰を落としていれば、何とか耐えられた。次は、丸太の橋である。橋自体は比較的しっかりしている方だったが、一直線の橋ではなく、途中で横にずれたような格好になっていて、ちょうどその部分が浸水しているために、乗り移る時に恐ろしい思いをした。
 ふ〜、無事に渡れてひとまずはホッとした。奈良田に帰るまでは安心できないので、お互い、黙々と歩く。このまま問題なく下山できることを祈っていたが、事はそれ程甘くはなかった。しばらくすると、向こうから、男性1人女性2人のパーティーが登ってくる。年の頃は、私たちと同じと思われた。始めは、これから登る人たちだと思い、登山道の状況を伝えなければと思ったが、なんと、その人たちは、私たちよりも15分早くに大門沢小屋を出発したパーティーであった。話を聞くと、この下の小コモリ沢にかかる橋のうち向こう半分が流されかけており、浸水している上に水圧も強いため、引き返す判断をし、大門沢小屋まで登り返すとのこと。大コモリ沢も渡れなくなると、2つの沢の間に閉じ込められ、外部に連絡ができなくなってしまうので、一刻も早く大コモリ沢を渡りたいとのことであった。彼らは、入山時もこのルートを登ってきており、小コモリ沢さえ渡れば、吊橋のかかったしっかりとした道に出ることを知っていたが、それでも引き返す判断をしたということは、やはり重みのある判断と言えるだろう。自分たちの目で確認したい思いはあったが、リーダーは、彼ら3人とともに引き返すことを即断。下山できないのならば、合流を予定しているアラキパーティーや留守本部、家族や職場への連絡をしなければならない。となると、大門沢小屋まで、何としても登らなければならない。その後は、行動を共にし、大コモリ沢を再度渡った。彼らによると、1時間ほど前に渡った時よりも確実に水の量は増えているとのこと。雨がやむ気配はない。
 八丁坂を登り返している間、様々なことが頭を横切る。最終下山時刻は次の日の20時になっていたとは言え、これまで下山できなくなった経験はなく、そのことに対して、少なからずショックを受ける。「こうなったら、もう一泊を山で過ごす覚悟をしなければならない。まずは、無事に小屋まで戻ることだけを考えるべきである。」と自分に言い聞かせながら黙々と歩く。上から、昨日、北岳山荘で出会った東京在住のフランス人3人が下りてきたので、下の登山道の状況と私たちの行動について説明。彼らは進退について相談しているようなので、私たちは前進。急坂を登り返してトラバース道にさしかかった頃、6〜7人の中年男女パーティーが下りてこられた。再び私たちの行動を説明するが、彼らは、「上の沢にかかっている橋も、もう渡れなくなっていると思う。」とおっしゃる。確かに私たちが渡った時点でも危なっかしい箇所は何箇所かあったので、今となっては、もはや渡れる状況ではなくなっているのかもしれない。小屋にも辿り着けず、下の沢も渡れないとすると、ここでビバークするしか道はなくなる。さて、どうすべきか。ここで、リーダーが、下の沢から引き返した3人パーティーに、橋のうち流されかけていた向こう半分の距離を確認したところ、3m程度とのこと。「ザイルがあればなんとかなりそうですけど…。」とつぶやく。これを聞いて、水圧は強いかもしれないが、3m程度ならば、手持ちの手拭いや細引きを撚ってつなげてザイル代わりにして渡れるのではないかと提案。さらに、登山道の急な箇所に設置されているトラロープを拝借することも思いつく。ともに、ザイルの強度には遥かに及ばないが、何もないよりはずっと安心である。さらに、相談している間に、雨が小降りになってきている。すぐに水がひくわけではないが、何とかなるのではないかという思いを後押ししてくれた。
 そうと決まれば、一刻も早く出発を。登山道に設置されているトラロープの中で、なくても問題なさそうなもの3本(5〜10m程度?)を回収。「絶対下山する!」という思いを噛みしめる。大コモリ沢まで下りると、先程のフランス人3人が呆然と立ち尽くしていた。総勢15人、無事に奈良田まで戻れますように。1人ずつ慎重に水の中に足を入れ、次に丸太の橋を渡る。先程見えなかった部分の丸太が姿を現している。少しではあるが、水量が減っている。次が問題の小コモリ沢である。確かに、橋の向こう半分が流されかけている上に浸水している。しかし、ここもまた、3人パーティーが引き返す判断をした時よりは、水量も幾分減り始めているようであった。始め、パーティー間の意思疎通がとれず、どういう方法で渡るのかがわからなかったが、くの字型に曲がっている橋の中央にリーダーが中継として入り、両岸からトラロープで確保するという態勢が整った。後は1人ずつ渡るだけである。最後に、リーダーが渡り終えたときには全員から拍手が起こった。このときの安心感と達成感は言い表せない。お互いをねぎらいつつ、奈良田への道を急いだ。
 このように、幸い無事に下山することができたが、もしかすると、ビバークにより下山が1日遅れたかもしれず、さらには、増水した沢に流される可能性も多いにあった。遭難の一歩手前であったという解釈は十分に成立するだろう。その意味で、幸運に感謝して終わらせるのではなく、何が問題だったのかを反省しなければならないと思う。結果的には、朝の出発が遅れたことが、試練を招くこととなった。真夜中から降り続く雨、沢沿いの登山道、昼までは天候の回復見込みなしという情報を持ちながら、それらがもたらす危険性に対して、私たちは鈍感でありすぎた。早朝に小屋を出発した数パーティーが無事に小コモリ沢を抜けていることからも、悠長に朝遅くまで休んでいたことは反省しなければならない。さらに、そもそも、大雨が降ることが事前にわかっているのならば、沢沿いの登山道を歩くこと自体を考え直さなければならないように思う。
 12時45分、ようやく奈良田に到着し、アラキパーティーと合流。昨日下山して奈良田でゆっくりしておられたとのこと。心配していただきどうもありがとうございました。こうして、ハードすぎる山行は無事に終了した。個人的にも、コンパスを忘れたり、地図が中途半端であったりと、山に対する姿勢につき反省すべき点の多い山行であったが、池山吊尾根は楽しく、風に対する免疫も少しは身につけられ、とても印象深い山行となった。頼もしいリーダー、どうもお世話になりました!

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所感(ヒロサワ)

 自分にとって、今回は教訓的な山行になった。
 加えて、初モノ尽くし。
 自分はまだ富士山には登ったことがない。コレまで登ったイチバン高いところは奥穂(3190m)で、北岳(3193m)は自己高所記録更新。岩岩した奥穂と比べてみると北岳はお花がいっぱい咲いていて、まことにハナヤカだった。ガスでなんにもみえなくても、決してお花マニアではないがココロはウキウキ。かやうなお花畑はみたことがなかった。自然の中でせいいっぱいに咲く健気な姿には、胸打たれるものがあった。
 山行中、これほど雨に降られたのは初めてである。着がえはコレまでもザックに入れてはいたが、非常用に絶対濡らさないモノとして使ったことはなかった。今回、初めて着てしまったが、やはりイザというときのためのお守りにとっておくべき、とおもった。

 課題としては、まず読図。
 近頃、ルートミスが重なっている。池山吊尾根はリードはたくさんついていて、迷う心配は薄い。ただ、それが冬道/夏道入り乱れていたのだろうか?大きく右に折れ、トラバースして尾根にのるはずだったが、直登したところをみると冬道のリードを追いかけて歩いていたようだ。トラバースするキッカケを判断できなかった。
 また、つづら折れをくり返し、吊尾根上にのるまでに沢から取れる水場があるはずだが、水場を案内する標識に出会わなかった。ハッキリした地点もわからなかったため、地形図からも追いかけられなかった。結果、避けたかった池山御池北方の水場で水を得ることになる。事前情報にいろいろ時間的な差があったが、実際にはだいたい往復60〜75分くらいかかった。その道もリードはところどころにあるもののわかりにくく、急斜面のガレ場から水がしみ出しているところで取るのは危なっかしい。
 さらに、池山小屋から城峰に向かう途上、地形図の道と実際とはちがった(ようにおもう、きっと…)。地形図の----をみて進もうとするため、リードとはちがう方向へ向かっていた。地形を読み違えたのだろうか。
 次に、雨による沢筋に対する警戒心の欠如。
 予定ではC2は農鳥小屋であったが、天候が悪くなりそうなことは初日の天気図からわかっていたので、2日目はツェルトとヘッドランをすぐ出せる状態で出発した。一気に稜線を駆け、大門沢まで下ることを考慮してである。主稜線は予想通りの暴風雨で北岳山荘で大休止をした後、大門沢まで下ることに計画を変更し、小休止をはさみながらヘッドランは使わずに小屋着。ここまではよかった。奈良田までは3時間チョイで下山可能なので、少々崩れても問題ないはずだった。すでに濡れた衣類まで着替えてしまったうえ、グッドタイミングで温泉につかろうなどというゴホウビに目がくらみ、行動をのんきにさせてしまった。しかし、未明より降り始めた大雨は沢の表情を一変させた。帰路の林道が通行止めにならないか、と気になる以前に下山の心配に気づくべきであった。果たして、メンバーに濁流の中を渡渉させるという危険に曝すことになってしまった。昨年あった遭難事故が頭を過る。その水圧にも恐れ入ったが、昨日目にしてる雪渓の崩壊や落石が恐ろしかった。下山予定日に下れなかったこともなければ、非常時で非常食に手をつけるのも初めての経験になってしまう。
 ここでもうひとつの反省、水である。
 大門沢のテン場を後にするときに、カモノハシに入っていた水を行動分だけにしてしまった。上下の沢に寸断されやむなくビバーク、しかし水がない。今回は天水を集めればなんとかなったのかもしれないが、非常用の1.0Lはもっていなければいけなかった。
 林道に下り立ち、駐車場に迎えに来てくれたアラキさんとタチバナさんの笑顔をみたときにココロから好かったぁ、とおもった。

 リーダーである自分が自然に対してあまりにも鈍感であったことがパーティーを危険に曝してしまった。なんとかゲンキで下山したものの、多大な心配をアラキさん、タチバナさんにはかけてしまった。…が、強風の中、ゆらゆら揺れるちいさくても強いたくさんのお花に囲まれて、稜線を歩き通した。初モノと反省だらけの3日間ではあったが、自分の力で山に登りたい以上、我々ふたりにとってはとても教訓的で経験上必要不可欠な山行のひとつになったのではなかろうか。敗退敗退のボーダーラインからホンの一歩、前進したような、ホンのちょっと強くなれたような気もする。もっとも今後の山行に活かしてこそではあるが…。
 懲りてない!とお叱りを受けるかもしれないが、またこのルートは挑戦したい。静かな池山吊尾根は深い樹林帯を抜ければ、武奈ガ岳西南稜のスケールをでっかくしたようなボーコン沢ノ頭からの稜線漫歩、周囲はきっと白峰三山をはじめとする南アの近景、富士山を望み、遠くは槍穂も見晴らせるだろう。今回は登頂した山の姿さえタダのひとつも見ることができなかった。ゼヒゼヒとも、晴天大展望をたのしみに再訪したい。ザンネンであったのは、ルート上、いたるところでビンの破片が散らばっていた。入物を移し替えれば軽いし、たいしたゴミにもならない。その手間を惜しむのであれば、担いできた重たいゴミは、あきらめて担いで下りる覚悟のうえで持ってくるべきである。

 ともあれ、「おウチに帰るまでが遠足デス」の鉄則を忘れたバチがあたった。「ただいま」を云うまでは気を引き締めていなければ。
 ユアサさん、アラキさん、タチバナさん、ホンマにごめんなさい!


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