奥美濃 石徹白 初河谷〜倉谷(沢登り)

メンバー イナノ サトミ ヒカサ タケムラ(ミ) フクザワ マツダ ヨシダ
期日 2006年9月22日(金)夜〜9月24日(日)
地域・山域 奥美濃 白山 石徹白川 初河谷遡行から倉谷下降
山行形態 沢登り

報告と所感(イナノ)

出発まで

 今回の予定は初河谷を遡行して、1500m付近の左からの枝沢に入り、コル1659m付近を乗越しして倉谷に入渓(1450m)して下降するルートを考えていた。初河谷がどんなルートなのか調べようと思ったがまったくインターネットでヒットしなかった。唯一倉谷を遡行している詳しそうな記録が1件あり、下降する沢だったのでその記録を読んでみた。といっても写真がメインだったので倉谷の雰囲気をみて、あとは日本登山体系を参考にした。ネットで調べた時に「上流部のナメはとても素晴らしく、ナメだけではなくナメまでにいくつかの滝があり、それを直登することができればもっと楽しいだろう」というコメントを読み、面白そうな滝もあるのかぁと期待が膨らみこの沢にさらに興味をもった。 今回、リーダーをさせていただき当日までとても緊張していた。(実際、下山するまで緊張の連続だった。)

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9月23日

 6時起床→7時半神社出発→出合駐車場まで移動→8時10分初河谷出合出発。
 上流のナメまでに大きな滝が4つあり、その滝を右岸・左岸から巻いていくと登山体系に書いてあった。最初の滝は地形図にも名前が載っている「八反滝」である。駐車場から八反滝までは登山道があり、沢屋以外も簡単に見に行くことが出来る。
八反滝までには堰堤が5つあり(地形図記載)、登山体系どおり3つ越しで入渓した。しばらく歩くと4つ目の堰堤がでてきて巻くことが出来なかったので登山道に戻り、結局5つ越しから入渓することにした。(8時50分)
 しばらく行くと八反滝に遭遇。(9時10分)40〜50mはありそうな大きな滝だった。さすがに直登は不可能。登山体系には「滝から少し戻り左岸の草付きから高巻く」と書いてあった。「左岸から巻けそうな箇所なんかあったかなぁ」と思いながら戻る。どこを見ても岩はもろそうで、濡れていて壁はズルズル状態だった。滝から少し戻ったあたりに確かにここから巻いていくのだろうなっていう箇所はあった。しかし、足場はかなり悪そうで、途中のバンドからは草つきになっていて滑りやすそうだった。草付き付近の足場がどうなっているかまったく見えない。しかも支点をとる木もなければ、ナッツは絶対かかりそうにない。ノープロテクションで上部まで行くのはかなり勇気がいる。しばらく悩み危険という判断でそこから巻くのをやめた。さてどうして八反滝を超えるか検討する。策としては左側から藪こぎで地形図に記載されている仕事道1100m付近まであがりトラバースして越えるか(この仕事道が今もまだはっきり残っているかどうかこの時点ではわからない)、他に左岸で高巻きできそうな箇所を探して登るかどちらかしかなかった。どうしようかとしばらく行動食を食べながら考えた。するとサトミ君が左岸から登れそうな箇所を探してきた。一緒に見に行ってみる。「うーん確かに本来の箇所よりは登りやすそうには見える。支点をとるための木がさっきよりは近くにあるが、岩がもろそうなのは変わりない。」先ほどの箇所を再度見てどうするか悩み、サトミ君が見つけてきた箇所から一度取り付いてみることにした。やっぱり力をかけると岩が抜けそうで勇気が出ない、濡れている岩を力いっぱいきつく持ち続けていたため、だんだん指が冷たくなりしびれてきて感覚がおかしかった。フクザワさんに「その一歩が出ないならやめたほうがいい」と言われた。出したいが出ない。岩が信用出来なかった。結局登れず敗退して左側から藪こぎをして超えることに最終決断をくだした。(10時半過ぎ、1時間半も悩んでいたのか・・・ここで時間をくってしまいこの日はほとんど進むことが出来なくなった。)
 みんな藪こぎが嫌で左岸から巻けるところは無いかと探していたが、ここまできたら諦めるしかない。さぁ気をとりなおして藪こぎだ。トップでいかしてもらった。うひょ〜と思いながら藪と戦った。思うように進むことが出来ない。途中からマツダさんがトップに行ってくださった。すいませーん。登っても登っても仕事道なんてでてこない。藪の中で休憩をとり現在地点を確認した(11時50分)。おそらく1100m地点にいるはずということで藪こぎをしながら尾根を越えて高度を下げて反対側の枝沢に向かった。滝を越えているか確認するためにナメ谷を下りていく。超えているのを確認して谷へ下りるために2段20mほどのナメ滝を懸垂した。とても綺麗なナメ滝の枝沢だった。(12時半開始、全員下りて13時頃)いきなりすごい巻き。この後に続く滝はどんなんだろうと少し不安になる。
 次に2個目の25mの滝(13時20分)。登山体系には「左岸の側壁の潅木の繋る凹角を登って巻くがかぶり気味で苦しい」と書いてある。それらしき凹角地点を見つける。先ほどよりは登れそうかもしれないが上部が苦しそう。ここも登山体系通りには巻くことができなさそうだ。もう少し戻ってみて巻けそうな地点を探してみた。右岸から行きやすそうな地点を発見。ここはどうかとみんなに聞くと賛成を得た。ザイルを出して準備しようとしたらマツダさんが左岸からいけそうな地点を発見。かなり滝から戻った地点だった。おそらくある程度の高度まで登り(1200m)、トラバースをしてルンゼを超えてさらにトラバースをするという予想だった。とりあえず行ってみることにして、途中までマツダさんがトップで行きみちびいてくださった。あとは交代してトップで行かしていただいた。1個目の滝と同様、藪こぎトラバースしてルンゼに出たら一度下降して滝を越えているか確認し、超えてなかったのでさらに藪こぎトラバースをした。すると滝の落ち口に出た!!すごーい!!後ろからフクザワさんのアドバイスを受けながら進み、「なるほどぉこうやって巻いていくのかぁ」ととても勉強になった。(15時)
 しばらくゴーロ状を歩き3個目の滝に向かおうと思ったが、すでに15時半頃になっていた。今日の当初の予定は4個目の滝を超えた地点の地形図で少し広くなってる所(1400m付近)でテント場を探す予定だった。しかし4個目の滝を越えることは時間的に厳しいし、疲労もあったので今日はここら辺で泊まり明日頑張ることにした。
 テン場はとても明るくて快適だった。対岸に2箇所整地して男3と女4で分かれて寝ることに。男性はきっちりツェルトをたてていたが、女性はめんどくさくてツェルトをかぶって寝ることにした。まぁ私とヒカサさん、めんどくさがり屋が2人もいては・・・。でも寝るとき超綺麗な星空を見ることができて幸せだった。素晴しい星空だった!!
 焚き火で盛り上がりいろんなものを焼いてたべ、たくさん笑って疲れをとった。そして19時半ごろ寝た。今日は爆睡できるぞ〜と思い星空を見ていたらあっという間に寝てしまっていた。心地よく寝ていたのに22時ごろ人の叫び声で目が覚める。何何何??すぐヒカサさんに声をかける。男性のツェルトも起きてるようだ。怖い!!しばらく怖くて寝れなかった。そして朝になり5時半起床。昨日の出来事についてマツダさんに聞いてみると酔っていたフクザワさんがトイレに行って戻ってこれなくなり大声で叫んだらしい。まじですかぁ!!めっちゃ怖かった。かなり酔っていたようだ。笑い話ですんで良かった。来週米子沢に一緒にいくけど、また叫ばれたらどうしよう・・・。

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9月24日

 5時半起床→7時半出発。
 今日の行程は長いので下山時間が心配だった。3個目の滝(12m)に着いた(7時45分)。登山体系には右岸より巻くと書いてある。ここは書いてあるとおり右岸より巻けそうだ。ただいつもどおりの藪こぎ。ふぅ〜朝から藪こぎですか。よっしゃ頑張るぞ!!いつものように滝の高度分を登りトラバース。藪を足や膝で押さえながら進む。「タケムラみー来てるぅ?」と確認しながら藪に負けずに沢に向かって下りていく。見えた。滝の落ち口や!!完璧ドンピシャ。とても嬉しかった(8時10分)。
 ゴーロを進み小滝を超え進んでいく。4個目の滝(10m)に(8時半)。ここも登山体系どおり右岸の水際から直登できる。ザイルを張り、フォローはプルージックで登った(全員登攀終了9時)。岩は難しい箇所は無い、安定していて快適。これで滝は終了、あとはナメを楽しむのみと思いきや最後の5個目の滝がすぐ後にあった(9時5分)。直登できるかなって思い登るが落ち口にホールドはなく水流がきつくて危険。右岸より登ることにした。この滝を越えるとその先は素晴しいナメが待っていた(9時20分)。見たかぎりでは5個目の滝を越えた付近に快適なテント場がありそうだった。昨日はやはりここまで来るのは難しかった。
 「ナメはなめたらあきまへんでぇ」というお言葉をいただき、みんな藪こぎから解放されナメを満喫した。
 次に倉谷へいくため乗越しをする左の枝沢を探す。地図で確かめながら10時50分ごろ枝沢発見。北西へ進んでいくことを確認して乗越し開始。沢をつめ藪こぎをして11時10分頃いったん藪からでる。コルを目指してさらに藪の中へ進む。右へ行きすぎてはいけないと思いながら進むが、コル付近にでるとかなり右へ来ていた。左へトラバースして倉谷へ藪の中を下降。とりあえずどんどん歩きやすい藪の中を下りていく。12頃倉谷に出た(1400m)。30分ほど休憩し先を急ぐことにした。おそらくこのままではヘッドランで沢下降になりそうだと思った。
 倉谷の上部は素晴しいナメ、次に30mの滝が2本、2段20mの滝、6mの滝と滝が連続する。懸垂を何度かしなければならない(14時頃)。懸垂を繰り替えし、ゴルジュ付近まで下りてきた。ゴルジュは右岸から巻いた。これがかなりハードで巻きの中で一番足元が悪くて全員が突破するまでにかなり時間がかかった。ザイルを持っていた私とヒカサさんは後続が来るまでにザイルを張るために先に巻いて谷へいったん下りて懸垂できる地点までトラバースして、ゴルジュを越えただろう付近で木で支点をとり懸垂の準備。ザイル2本をつなげてヒカサさんがトップで下りた(15時頃)。無事ゴルジュを超えた付近に下りることが出来たようだ。ザイルは30mぎりぎりでかなり緊張したと言っていた。後続がしばらくして来て順番に下り、下りた者から先へ進み次がどうなっているか確認する。
またもや滝。強い力がかかれば抜けそうな枝で支点をとり懸垂。緊張するなぁ(16時頃)。
時間がかなりおしてきた。地図で確認するとまだゴルジュは抜けてない、今からか・・・。暗くなるまでにここは抜けたい。とりあえず少しだけ休憩をとってエネルギーを入れて出発。変わった石模様の小滝軍を抜けてひたすら下った。するとテントが見えた。沢屋か。今日倉谷に入ってきた人のようだ。その方に聞くと30分ほどで滝(2m)があり、右岸より巻かなければいけない箇所があると。もう少し頑張らなければいけない。薄暗い中、教えていただいた箇所を超えた。ヘッドランプをつけないといけない見えにくくなってきた。(17時過ぎ)しばらくすると真っ暗になり、足元がみえにくく危険だったがみんな頑張って進んだ。
すると登山体系に書いてあった6個中の6個目の堰堤に遭遇。あと5個超えなければいけない。5個目・4個と簡単に超え、3個目は右岸より巻かなればいけなかった。トップと最後の距離が少しあいていたのでここで全員が揃うのを待った。
あと少しと気合を入れて巻き道へ。とても歩きやすい林道だった。また沢に戻り沢を下降かと思っていたが倉谷出合いまでこの林道を下ることが出来た。車道が見え無事下山。そこで荷物を片付け、初河谷の出合いの駐車場まで歩き20時ごろ戻ってきた。
本当にみなさんお疲れ様でした。最初の八反滝での判断が遅く、2日目の下山に影響してしまいました。時間がおしせまり、ヘッドランでの危険な沢下降、精神的不安な状況となりすいませんでした。私にとって反省と学びの多い山行でした。ありがとうございました。

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ヒカサの所感

出発まで

 去年から、マツダさんの口から何度か聞いていた石徹白初河谷に行く機会ができた。9月の泊まりの沢に参加は夜寒そうだったけど、イナノさんのせっかくの計画なので乗ることにし、サトミさんいちおしのファイントラックの服を買って備えた。(これよかった!!リーダーも会長も着てた)

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9月23日

 八反の滝はトポでは右に巻ける予定だったのに、状態がよくなくリーダーたちが2時間検討した結果、左から藪こぎの結構な大巻きとなった。藪こぎは最初はかなり消極的だったけど、やってみると冒険というか探検というか少しだけ楽しいと思った。(先頭じゃないからなんとでも言えます)きれいな滝のある支流からおりてくることができた。
 2つ目の滝は、地図からは全然読み取れない結構周囲も崖の滝で、右からの高巻きとなった。これはどんぴしゃで滝の落ち口に出たので驚いた。リーダーすごかったよー。
 一日目は全然予定のところまで進めなかったけど、さっさとテン場を決めてもらって、寝不足のわたしは正直助かった。夜はマツダさんが提供してくださった飯ごうで炊き込みご飯を炊いた。飯ごうで炊くとおいしいなあ。手に入れたくなってしまったぞい。サトミさんがビールを3kg担いできたことに驚いた。さらに、どんどんつまみが出てきて驚いた。沢の泊まりにみんながなんで行きたがるのか・・・これだったんですな。ごちそうさまです!!焚き火を囲んで、なんでも焚き火であぶって食べて楽しかった!!
 満点の星を見ながら心地よい眠りについた。はずが10時ごろ、突然叫び声というか怒鳴り声が響き渡って目がさめた。それから人の話し声が小さく聞こえ静かになった。びびったわたしとイナノさんは恐怖の中で再度眠りについた。
 朝、恐怖の正体は、酔っ払ったフクザワさんがトイレからツエルトに帰れなくなって叫んだらしいことが判明。もう、お願いしますよー・・・ほんとにびびりましたから・・・

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9月24日

 2日目、初河谷の上流を目指して出発。天気がよく開けた感じできらきらしていて気持ちよかった。初めてナメというものを見たが、ほんとうにきれいだった。その後、倉谷方面にまた藪こぎ(またもや先頭の人ありがとうございました)し、顔に傷がついた。ブラックジャックみたいだ、とか凄みが・・・とか好きなことを言われたけど、こんなんじゃお嫁にいけないわ・・・と同じく顔に傷がついたイナノさんと嘆いた。ら、マツダさんにまだ嫁に行く気かと言われてさらに傷ついた。
 倉谷は出だしから滝の下降がいっぱいで、なかなかリーダーさん大変そうだった。小姑がいろいろ言って困らせてごめんなさい。何度かロープぎりぎりの懸垂とか危ないトラバースをして、時間だけがどんどん過ぎ、「あー明日朝仕事間に合うかな」と思う瞬間が何度かありつつ、リーダーとみんなと協力しあって、ヘッデンを出して仕事に行ける時間に下りてくることができた。
 変な話ですが、いつもは仕事中は腹黒くなりがちなのですが、今週は仕事ができることや仕事の環境に感謝したり、仕事仲間が非常に愛しく感じたりありがたく思ったりすることができたのも、沢の副産物です。
 リーダー、お疲れ様でした。大変だったけど、とっても楽しかったです。また、参加させてください。みなさま、お世話になりました。ありがとうございました。

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サトミの所感

出発まで

 石徹白には、大学のクラブ所有の小屋があるので何度も訪れていたのですが、初河谷はノーマークでした。ミーティングで何度かその名を耳にして、どんな沢なんだろう・・とずっと気にかかっていました。で、企画が固まると早速乗せていただきました。

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9月22日

 いつも通り、京都駅八条口に集合。名神から東海北陸道を繋いで、白山中居神社前で仮眠しました。この夜はものすごく寒かった!売るほどお酒を担ぐ代わりに装備の軽量化を図り、シュラフカバーのみの私。ファイントラック社製の高機能・超軽量ジャケット「ブリーズラップジャケット」を着ていなければ、きっと一睡もできなかったに相違ありません。

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9月23日

 明け方、釣りに行く中高年男性たちが次々と車で乗りつけて、大きな声で話しているので起こされました。眠い目をこすりながら朝ご飯。マツダ家特製のおはぎを美味しくいただきました。  さあ出発。目的地まで、車ですぐです。初河谷の出合には立派な駐車場があって驚きました。平流を少し歩くと、最初の滝・八反滝が現れました。何とか左岸から取り付こうと試行錯誤するも、岩が脆い上に傾斜がきつく、支点も取れないので結局断念して、右岸から大きく巻くことにしました。久々の藪こぎ。最後尾を歩かせてもらっていていたので、他の方々に比べれば楽だったかも知れません。後から思えば、雪山のラッセルみたいに交代すれば良かったですね。ごめんなさい。  1日目は、こんな具合で巻いて漕いで、また巻いて漕いで・・の連続でした。天気が良かった上、谷筋から離れての大巻きが多かったので、暑かったです。大人数なので幕営地探しにちょっと苦労しましたが、ツェルトを分散して張ることができ、焚火もできるところが見つかりました。フクザワさんが手早く焚火を起こしてくれて、マツダさんの飯盒でご飯を炊きました。それからは各々持ってきた食料を出し合って串焼き大会(?)。際限なく食べ続けて、苦しいほどでした。満天の星空を見ながら焚火のそばで飲むビール、格別でした。やっぱり沢は泊まりがいいなあ。お腹がすっかり満たされて眠くなったので、早めに就寝。背の高い雑草を刈り、クッション代わりに厚く敷き詰めた寝床は快適でした。

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9月24日

 夜中にちょっとしたハプニングがあったものの、たっぷり眠って、元気いっぱいで朝を迎えました。この日も良い天気でした。しばらく進むと、噂のナメ帯が姿を現しました。このナメは実に見事で、断続的に数百メートルも続いており、それまでの渓相とのあまりのギャップに驚きました。昨日藪を漕ぎながら「こんな沢二度と来ね〜よ!」と言っていたフクザワさんも、赤木沢より綺麗なナメかも、と感心していました。ナメ帯を過ぎると穏やかな平流になり、そこから支尾根を乗っ越して、倉谷を下降しました。倉谷も滝が多く、何度も懸垂下降を強いられました。人数が多いと、どうしても時間がかかります。ロープを使わない巻きも結構シブい箇所がありました。そんなこんなで苦労しながら林道に戻った頃には、とっぷりと日が暮れていました。無事到着したことを皆で喜び合いました。  愉快な仲間たちと楽しい山行ができてよかったです。SLらしいことが何もできなかったのが今回の反省点です。目配り、気配り、心配り。まだまだ精進が足りません。とても勉強になりました。少しずつ経験を重ねて、いつか自分で沢企画を出してみたいと思います。お世話になった皆さん、どうもありがとうございました。

マツダの所感

今回の初河谷は47年前の思い出の谷である。1959年、私が高校1年の秋、10月初旬に文化祭をサボってこの谷にやってきたのが3年生のリーダーと1年生2人の3人パーティーであった。そして、初河谷の詰めで初雪に遭い敗退した。そのこともあったが、とにかく思い出の多い山行であった。たとえば、当時既に日本にはなく東南アジアなどに残っていると教えられてきた焼畑をこの石徹白で初めて見てびっくりした。そのときは小豆が植えられていた。また、谷の詰めで珍しい谷相を見たがそのときは判らなくて、あとでわかったのが「滑」であった。世の中にはこんな不思議な、見事なものがあるもんだなぁと思ったものだった。また、行きしなに泊めてもらったのが石徹白千代介という名の家で、地名どおりの姓でこれも何かしら感じるものがあった。あとで知ったのだが石徹白千代介というのはこの地の支配者で代々おなじ名前で受け継がれているということや、明治初年に石徹白騒動なる事件があったのもこの山行の記憶をさらに確かなものにしたと思う。 
 さらに、敗退しての帰路に泊めてもらった小学校で見た弥生時代の石器や陶器の破片などの出土品も記憶を強くした。

当時の計画は、丸山の稜線を越えで尾上郷川に下り、そこで樹を伐採して筏を作り尾上郷川を下るというものだった。谷周辺は国有林なので「国有林ちゅうことはわしらのもんや」と、意気盛んな高校生の我々には樹を伐採することになんのためらいもなかった。筏造りのための綱は最近まで手元に残していた。その後、全部処分したと思っていたが、探したら今も少し残っていることが判った。もちろん、鉈や鋸も用意して持っていった。尾上郷川に段差5メートルくらいの滝があるので、その上流で筏を止めるためにどうするかが、メンバーの考えどころであった。結局、井戸で使う小さい碇に紐をつけたのを各自持っていって、それを、川の横の樹木に投げて巻きつけて止めようということになった。そのため、今は国際会館のある宝ヶ池で樹に投げて巻きつける練習もしたりした。駅は駅で国鉄の越美南線(えつみなんせん)の最果ての終点駅である「北濃」であった。そこから旧峠を越えて歩いて行った。何処の村にもある柿がないので村人に聞いたら、「石徹白は寒いので柿は育たないが梨は小さくて美味しくないがなんとか育つ」という話しだった。実際、小さな実をつけた梨の木があった。その後、ここで出身高校の山岳部の冬合宿(山スキーや雪洞掘りやイグルーつくりが中心)の地にもなった。当時、この辺りにはスキー場は全くなかったのである。このようにもし、私に文才があれば小説がかけるかと思われるほど思い出の詰まった初河谷であった。その後、昨年も含め、何度か計画したがいずれも実現しなかった。今回その谷に、やっと来れたのである。
初河谷の出合いからして大きく変化していた。真っ直ぐ素直に入れる出合いではなく、山というか岩というかちょっとした出鼻を回って谷に入れたと思う。そこから暫らく行くと確か、右岸の崖の中腹をトラバースする滝があった。下を見ると冷たそうな水がかなりの急流で流れていた。「水温は4℃前後ぐらいだろうから落ちたら心臓麻痺になるかもしれんど」とリーダーが慎重に行くように注意したのを覚えているが、今はない。堰堤のための工事用道路を造るときにその滝を壊したのだろうか。暫らく行くと「八反の滝」である。ここは左岸から巻いたと思うが、今回は右岸から巻くことになった。ちょっとしたジャンジャン(藪こぎ)であまりジャンジャンの経験のない人には良かったのではないだろうか。
もっとジャンジャンを経験しようぜ。ジャンジャンは山の醍醐味のひとつでおます。もっとも、登山道ばかりの山行では無理やけどなぁ。

時間的には若干余裕があったが今日の行動はここまでということになった。沢の前後を考えるとちょうど良いテン場であったと思う。みんな!飯ごうの飯はもっとうまいもんやでぇ。炊き込みご飯もうまかったけど、白飯は米そのもののうまさが出てもっと美味しいでぇ。米は洗うのではなく研ぐことを忘れないようにしたら米本来の美味しさを味わえまっせ。そして、でてくるはでてくるはアルコールにあて。ご馳走さんでした。会によっては、山ではお酒ご法度のところもあるんやでぇ。うちはかまへんけど。ただし、飲みすぎんように、特に冬は命取りになることがあるんやでぇ。
 そういえば、夜中に誰か吼えてたなぁ。なにか霊におびき出されたんとちがうかなぁ。本人は否定してるけど、怖いでぇ、ほんまに。気ぃつけやぁ。
 
2日目は例の滑がとてもよかった。前に来た時は、滑をいくつか越えた頃、雨が降り出したのと時間もちょうど良かったので、そこで泊まりとした記憶がある。しかし、今回、その場所は的確には判断できなかった。渓相も変わっているやろし仕方なしというところか。その頃は、軽テンと言って今のタープのビニロン製のものを持っていっていた。簡単な設計図を「一澤帆布」に渡して作ってもらっていたのである。この時はそれを2枚持って行っていた。夕方からの霙が夜には雪になり、風もあって軽テンの横から雪が中に入ってきたのを覚えている。しかも、もう1人の1年生は唯一の寝具であるシュラフカバーを持ってくるのを忘れていた。そこで、シュラフカバーのある、残りの2人がなけなしの余分の衣類を彼に渡して、且つ、我々が両外側に、忘れた本人を2人の間に入れて寝た。その翌朝になっても、雪はやまず、積もってもいたので、服類はほとんど綿製のものであった我々は仕方なく谷を引き返した。特に冷たいとは思わなかったが、下山して脱いだ綿の軍手の下から出てきた手はみんな真っ赤であった、がなんともなかった。10代はとびきり元気である。いいなぁ。

今回は、奥の深谷にあるのと似た傾斜の緩い滝を越えて少しいったところで倉谷に向けて支谷に入った。ジャンジャンの中では見にくいものだが、先頭を行くリーダーの方向感覚はなかなかのものだった。この詰めの土の斜面ではみんなちょっと苦労したなぁ。あそこは我勝ちに行かずにみんなで助け合うべき場面やでぇ。ザイルだしたらもっと簡単に行けたよ。
そして、やさしい細枝谷を下って倉谷の本流に出たが、見ると本流のすぐ上流にも、行ってみたくなるような滝が見えたなぁ。あとはアップザイレンを何度か繰り返したり、巻いたりして下った。アップザイレンでは最近、岩にはまっている約2名がなかなか頑張っていたなぁ。ここというところでは焚き火マンがよく相談にのっていたなぁ。ご苦労さん。
 そのうち堰堤がいくつか出てきたので、工事用の道路が残っているはずだと思ったら、そこから車道の廃道だった。あとはすたこらすたこら車まですぐだったなぁ。帰りの温泉にも間に合ったし、仕事にも間に合ったし、みなさん、よかったなぁ。八反の滝で2時間短縮できてたら夕方5時には車に戻れてたから、全体としてはコース取りはばっちしやと思うでぇ。
書きたいことはまだまだあるんやけどこのくらいでやめとこ。

直前までエントリーを待ってくれたリーダーに食料係り、次のリーダー層を育てるべく奮闘した焚火名人、軽装してまでみんなのためにアルコールを運んだ貴重な走り屋さん、目一杯頑張られたおっかさん? そして、電車のない深夜帰りなので2台で手分けしてみんなを送ることになり、これで最後という向日市のメンバーを下ろす直前、「さっき降りるとき車に財布忘れました。それがないと仕事にいけません」と携帯を鳴らして私を四条大宮近くまで呼び戻した豪傑女子。さっすがやなぁ。
メンバーの皆さん、ほんとに楽しい山行をありがとう。みなさんのおかげで約半世紀振りに再訪することが出来ました。でも、私の課題は残りましたぞ。角ちゃん、どうする?

 

5個目の堰堤を超えて入渓

 

八反滝

 

八反滝を巻いて、ナメを懸垂

 

ゴーロが続く

 

2個目の滝

 

またまたゴーロ

 

テント場

 

3個目の滝

 

記念撮影

 

4個目の滝

 

5個目の滝

 

ナメ開始

 

 

 

 

藪こぎ いったん藪から脱出

 

倉谷下降

 

 

 

 

 

 


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