京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
山行名 | SUMMER!!20代最後の思いで作り!!滝谷登攀・穂高縦走 |
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メンバー | L:H笠 I野 |
期日 | 2008年7月31日〜8月3日 |
山域・ルート | 滝谷登攀・穂高縦走 |
山行形態 | 無雪期岩登り |
ちょうど5年前の夏に山岳会に入会して、夏合宿「槍〜奥穂高大キレット縦走」に参加した。初めての穂高・槍だった。縦走班と登攀班で北穂高まで一緒に行った。翌日登攀班は第4尾根を登るべく谷の中へ消えていった。当時、どんなところに登攀組がいったのかまったくわかってなかった。そして5年後、自分がまさか登りに行くとはまったく思ってもいなかった。
相棒と昨年チンネ左稜線を終えて翌年どこへ行くか検討し、クラシックルートとして一度は登っておきたい滝谷の第4尾根に決めた。それから一年間、フリーにほとんど通ってなかったので岩の成長はなく逆に落ちた気がする。本チャン練習も御在所前尾根と小豆島のみ。しかも7月に入って室内ボルダーで着地に失敗して捻挫をしてしまい、クライミング時に足に力が入らず、こんな状況で登れるだろうかと不安だった。
このことからだけでは無いが総合的に主に体力面から相棒と検討し、4尾根へ行くことは今回辞めた方が良いと判断した。何故なら、第4尾根取付きへはガレガレのC沢を下らなければいけない。しかも雪渓がのこっていればチンネと同様アイゼン・ピッケルが必要。相棒と私の現状から判断して4尾根へ取付くだけの体力が無く、体力が無い時にあのC沢を下降するのは危険だと判断したからだ。ドームだけであれば半日で終わってしまうということで、昨年登られているドーム北壁北西カンテ2ピッチを登ることにした。
この日は東北からの出張帰り。かなり疲れていた。今年夏の我々のテーマソング「竹内まりや」と「サザン」を聞きながらドライブが始まった。
始発4時50分はさすがに早いので5時に起きて急いでパッキングして5時50分に乗り込んだ。上高地に着くと登山者でにぎわっていた。さぁ登山届けを出して出発。横尾までの3時間は平坦な道をいく。1時間おきに小屋で休憩をとった。
横尾から登りとなる。とりあえず本谷橋まで頑張ろうと思いながら歩き始めた。今年のGWも歩いたが雪がついてる時と印象が違う。橋につくとたくさんの方が沢沿いで休憩していた。我々も疲れた身体を癒した。荷物は多分22,23キロほどで、アプローチシューズだと足首が少しぐらついた。足の裏も横尾で既にいたかった。相棒は着くやいなや、アプローチシューズを脱ぎ、ソールと靴下を乾かしていた。笑
橋から涸沢までの登りもきつかった。相棒は私より辛そうだ。途中で1本休憩をとりながらなんとか涸沢小屋に到着。テラスにはビールやそうめんやきゅうりを食べながら一日の行動を終えた登山者で賑わっていた。あ〜羨ましい、私達はここからまだ3時間も登らなければ・・・。相棒は床に寝そべって休憩をとっていた。30分ほど大休止して出発した。最初の歩き出しが足にくる、呼吸もみだれて辛い。歩き続けると呼吸もなれてきて自分のペースができあがってきた。1時間おきに休憩をとりながらまだかまだかと思いながら歩き、ようやく北穂高小屋が遠くに見えた。もうすぐだ。最後の力を振り絞り17時頃北穂高南稜に着いた。やれやれ、よく頑張ったと自分で自分を褒めた。テントを設営し水をくみにいかなければ。雪渓がのこっていたので、小屋までいかなくても雪渓から水が取れるところは無いかと探す。が、無い。仕方なく小屋まで10分少々登って買いに行った。これが辛かったぁ〜。200円/1?、テンと場500円/人・泊。夜と翌朝と行動水を買い込みテント場に戻って、お向かいの稜線、常念や燕などを眺めながら夜ご飯を食べて、翌日の登攀を予習してから寝た。
ドーム取付きまで遠くないのでのんびり起きて行くことにした。5時起床して朝食ぺペロンチーノを食べた。大蒜食べてもりもり頑張ろうと思い、このメニューにした。少し量が多くてゲップしたら大蒜が・・・。
担ぎ上げた30リットルのサブザックひとつで行くことにした。アプローチで懸垂がある為、最初からハーネスを着けて出発。相棒にザイル1本とギアをもってもらい、他はザックに詰め込んで出発。稜線に出ると槍や富士山や八ケ岳など見えた。涸沢岳のほうへ少し進むとチェーンがでてきた。このあたりで男性2人組のパーティがハーネスをつけていた。おおお登攀者だ。ドームにいかれるらしい。谷のほうを見ると踏み跡らしき道が見える。上からアプローチを確認して彼らより先に進んだ。チェーンを使ってクライムダウンをしていよいよ登山道から外れて谷の中へ。緊張するなぁ。落石をしないように気を付けながら、何度かクライムダウンとルンゼをトラバースして懸垂支点を見つけた。
ここだ。綺麗なペツルが打たれていて、残置ビナとスリングが着いていた。20メートルほど懸垂下降をして、後は踏み跡をたどるとドームの取付きについた。テント場から約1時間ほどだった。取付き点は広いテラスで快適。我々がトップだ。登攀の準備をして登りだそうとした頃に後続が来た。さぁどちらから登りだそうか。岩を見上げると緊張と興奮が入り乱れた。1ピッチ目を登りたくなり、相棒に譲ってもらった。
下部は簡単で上部がチムニーになっていて抜け口がチョックストーンとなっていた。チムニーに入る前にしばらく岩を眺めて悩んだ。左のフェイスからか右のチョックストーンからか。下から相棒にチョックストーンを潜らないで欲しいといわれた。もちろん潜るつもりはないが、チムニーの奥にランナーをとるとセカンドはザックを背負ってるのでくるしいだろなぁと思い、左のフェイスを見ると登れるだろうかと身体に緊張がはしる。結果、少しチムニーの中を進んでから、左のフェイスに乗り移ることにした。身体の摩擦を使いながら少しずつ上がり、左のフェイスにでるときに外に身体をふって、両足広げてチムニー登りをしてチョックストーンの上へでた。おーーー鳥肌がたった。素晴らしい高度感と景色だった。おたけびをあげようかと思ったけど、ちょっぴり恥ずかしくてできなかった。そこからカムでランナーひとつとってガバをつかみながら登ると大テラスに着いた。支点は無くピンクルとカムで終了点作成してビレーをした。セカンドの相棒、やっぱりザックがひかかり、身体を外にだして登ってきたとのこと。
核心ピッチ。がんば!!登ってすぐのところが核心で残置ハーケンだけでは怖いのでカムでランナーをとった。核心へ入った。さすが、身体を右にキュッと振ってのぼっていった。上部のスラブも緊張したなぁ。ピナクルとカムで終了点作成。
コンテでもいけるかもしれないが、ザイルをだして進んだ。特に問題なし。
フェイスのルートで上部チョックストーンを掴んでレイバック気味に登る。少しハング気味に感じた。
あまり寝れず何度も目が覚めた。その度にhikakoの寝言を聞いた。長い夜が辛かった。やっと2時半となって起床。朝は冷え込んで寒い。朝食を済ませてパッキング。意外に早く用意ができた。ジェイカはおきてるんだろうか。hikakoが起こしに行くと、「もう起きてるよ。あと10分で出発できるよ」と返事が返ってきた。てことで、テントを撤収して予定より30分早く4時に出発することにした。
ヘッデンをつけながら歩き始めた。朝の空気は冷たくて、フリースとレンパを着てちょうどだった。北穂高から涸沢へは我々以外誰にも会わなかった。涸沢から数人すれ違ったぐらいで、景色・岩を楽しみながら歩いた。何度かアップダウンを繰り返しながら1時間40分で涸沢岳ピークに着いた。ピークは風がきつくて寒く、写真を撮ってすぐに穂高山荘へ向かった。穂高山荘に着くと人が多いこと。奥穂高岳への登りも渋滞している。ぐーーー人だらけ。初日からだったが、韓国人が異様に多かった。韓国の山に登りに来たのかと思うぐらい韓国人がいっぱい。少し小屋前で休憩をとり、岳沢の情報を聞いた。水場は上高地まで無いとのこと。奥穂高が最後ということで1リットル少々持って下山した。
奥穂高岳までずっと列をなしていた。ピークに着いても人だらけで、前穂高へ向かえば減るかと思いきや、紀美子平、重太郎新道と上高地まで人は絶えず、たくさんの登山者だった。さすがアルプスです。久しぶりに人ごみの中を歩いたなぁ。
岳沢ヒュッテ跡前ぐらいだったか、hikakoが使っていたストックを借りてひたすらhikakoについていった。集中力が切れたというか。最後のほうはジェイカと私はダレダレだった。ふ〜。着いた!!予定より1時間ほど早かった。河童橋へ着くと、観光客やら山屋やらさらに人は多かった。梓川で少し遊んでからバスに乗り込み、あかんだな駐車場へ戻ってきた。
あ〜今年の夏のアルプスは終わった。そして20代最後の夏も終わった。ちょっぴりさびしいなぁ。登攀は5ピッチと短く物足りなかったけど、岩をやっていれば一度は訪れたい滝谷で登れたことはとても嬉しかった。また、あの高度感とアルプス山々の中で登れたことに感動した。更に、トップでドーム取付きを探しながら進み、岩に取り付けたことが良かった。今年も相棒ありがとう。とても素敵な想い出を作ることが出来ました。さぁ来年はあそこだね!!
去年から引き続き、いなこと本ちゃん計画を立てた。当初、運転が短くて済みそうな新穂高温泉から白出沢を上がって涸沢岳経由で考えたが、白出沢が7時間・・・げ、やめた。涸沢ベースで行くことも考えたが、ふと、会に入る前の憧れの縦走のチャンスを思いつき北穂高まであがることにした。
会に入るきっかけとなったのは、20代前半に学生時代の友達と、蝶ケ岳登山に行って朝日に染まる穂高連峰を見て「あたしもあっち行きたい〜!」と思ったのがきっかけである。その後、学生時代の友人は一人・二人とお嫁に行ってしまい、一緒に行く友達がいなくなってしまったのだった。それから@嫁に行くA穂高に行くが私の2大目標となり、とうとうひとつ目標を達成するチャンスが今年訪れたのだった。
毎年、8月の第1週目の天候が一番安定していると見込んで本ちゃん計画をたてている。
今年も職場の行事を無視し、地域役員の仕事も振り切って山行に挑んだ。
初日、憧れの上高地の地をスタートし、歩き始めるが、徳沢で足の裏の筋がぴきぴきといやなつっぱりを始め、横尾で、今日北穂に上がりたくない、いやむしろ上がれないと思った。ところがいなっちはそんなわたしの苦しさを見てみぬふりをしてあっさり、涸沢から出発してしまった。いなっちを目で追うと、標高にして有に50メートルほど差がついている。途中から竹内まりやの不倫の歌が頭をぐるぐる回り始め、会いに行ってはいけない人を追う心境となりそれのおかげか無我の境地になった。ちなみに今年のテーマソングはサザンとユーミンではなく竹内まりやでしたけど、いなこさん。
ちなみに北穂のテン場は殺人的だった。水を求めてピークをひとつまたがなければならないのだ!「こんなに雪渓が残っているんだから、どっかに水が、水が、水が、あった〜!」と思って残りの力を振り絞って斜面を下ってみると、あ"―雪渓のすぐ上に○んちが!!!誰やねん、トイレまでいげよ"〜(泣)水を泣く泣くあきらめ、小屋にほうほうの体で買いに行った。
2日目。おそーくに起きてのんびり準備。あー、やる気あるのかいまいち緊張感が沸かない。ま、行ってみよー!憧れの稜線から、ふみ跡をたどってドーム中央の取り付きへ。懸垂地点が少しわかりにくい。下っていってとりあえず、リッジの向こうを覗いてみましょう。その後は、引き続く男性二人のパーティにおしりを急かされながらものんびりクライミングして3時間ちょいで終了。その後、十分時間もあるし、北壁の北西カンテらしきラインに取り付くが、脱水か高所のためか電解質の異常か久々すぎるためか年なのかよくわからないが手の指が全部内転するようにつってしまい、とても気力が沸いてこない。ラインもよくわからないし、ハーケンはぐらぐらだし、よーし、撤退しよう!ということでクライミング終了。小屋で神戸のパーティの男性と親交をはかり、テン場に戻ったら、ロシア人の若人と親交をはかって就寝。
3日目。多分今日核心になるだろうと思って出発。ごつごつの道を登ったり下ったりしながら行列のできる登山道を歩いた。つり尾根のへんで、西穂に救助らしきヘリが上ったり下ったりしているのがよく見える。7・8月で死者4人、8月で2人という話を途中で聞いた。少し気が引き締まる。その後もがんばって歩き、憧れの穂高の稜線と岳沢を下り上高地に戻った。ちなみに上高地に来たら、河童橋の西側のホテルのタイル画をひとつ購入することにしている。今回も一枚いなことお揃いのタイル画を購入し自分へのご褒美とした。
あー、来年はアプローチの短いところにしようぜ〜・・・いなこはん。けど、梓川のあの冷たさで登攀のために渡渉できるかなあ。ウエットスーツがいるんちゃうかしら。それかチロリアン張ってくれ、本気で。
ちなみに私の最終目標は、上高地の帝国ホテルに泊まって、ひらひらのワンピースを着て、つばの大きな麦わら帽子をかぶって、折れそうなヒールのサンダルを履いて、プードルを連れて散歩することですから、そのへんよろしくいなこさん。