京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
山行名 | 飯豊連峰縦走 |
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メンバー | Y浅、U多 |
期日 | 2008/8/2〜8/7 |
山域・ルート | 奥胎内ヒュッテ〜大石山〜御西岳〜大日岳往復〜飯豊本山〜三国岳〜川入 |
山行形態 | 無雪期縦走 |
8月2日の夜、京都駅から新潟交通の夜行バスで新潟に入った。私は7月の猛暑に加えて普段の寝不足と運動不足で疲れ気味だった。新潟駅前のロイヤルホストでゆっくり朝食を摂り、JR白新線で村上行きの電車に乗る。電車には高校生らしき姿が多く、これで夏休みになったのだなとようやく実感出来た。恥ずかしながら私はまだ「盆休み」よりも「夏休み」の言葉の方がしっくりするような8月を毎年送っている。ただし、夏休みといっても何もしなくて良いわけではなく、大学の授業やその他の雑務から解放されて研究に集中出来るという意味である。
車窓から米どころの風景を眺めていると約1時間で中条駅に到着。タクシーで胎内川上流へと向かう。目的地の奥胎内ヒュッテまではタクシーで約1時間。タクシーの運転手さんは発音の訛りがない。この辺りは県内では雪の少ない地域なのだという話などをして下さった。ただし少ないと言っても50〜60cmだというから、数m積もるような豪雪地帯の暮らしがどんなものなのかは私にはちょっと想像がつかない。タクシーの中からは人の姿も他の自動車もほとんど見かけなかったが、途中にはホテルやスキー場もあり、道路は綺麗に整備されていた。奥胎内ヒュッテで身支度をして出発。一般車両通行止めのゲートを抜け、足の松尾根取付まで川沿いの舗装道路を歩く。幸い虫はいなかった。
取付から大石山までは尾根を約1,200m登る。傾斜のある岩ではないが、途中には岩場もある。気温が高かったためかなり水を飲んだが、しんどい登りだった。日帰りで?差岳を往復する人や縦走して来た人など、20人以上の下山者とすれ違った。尾根の上部では主稜線が少し見えたのだが、大石山まで来ると濃いガスで何も見えなかった。?差岳を往復する時間はなく、そのまま頼母木小屋へと急ぐ。稜線上に建つ頼母木小屋へと到着。テントを張っている人は見当たらなかった。小屋は避難小屋だがこの時期は管理人の方が常駐しており、去年の中央アルプス縦走の時と同様、営業小屋に素泊まりするような感覚だった。水も小屋の流し場まで引かれており、トイレも綺麗で快適である。その日の宿泊者の中では私たちが一番遅かったようだ。関西から女性2人パーティーが来るのは珍しいらしく、非常に歓迎された。外は一面の霧で何も見えないが、小屋の前の空き地でのんびりと夕食と食後の蕎麦茶を頂いた。寝ている間は、朝まで降り続いた雨と雷で何度か目が覚めた。
2日目はのんびりした稜線歩きだ。ただ一箇所不安なのは「天狗の庭」付近での雪渓のトラバースである。一週間前に滑落事故が起こったと聞き、気持を引き締める。門内岳、北股岳など小さなピークを越えて行く。梅花皮小屋から飯豊温泉方面へ下る石転び沢を見たかったのだが、ガスのため全く見えなかった。門内小屋で大阪から来た単独の男性登山者(http://www.eonet.ne.jp/~wagayama/20080803iide.html)と会う。車体は別だが、同じ路線の夜行バスに乗っていたようだ。様々なジャンルの経験がある人のようだが、飯豊に来たのはやっぱり百名山踏破が目的とのこと。御西岳の手前までその人から花の話などを聞きながら歩いた。しだいにガスが薄くなったので、周りの景色がようやく見渡せるようになって来た。標高はそれほど高くないにもかかわらず雪渓が多く残っている。
御手洗の池を過ぎると雪渓の上部を横切るようにして歩く場所が現れた。滑り止めの砂なども撒かれていないので、そろそろとゆっくり渡る。2箇所ほど雪渓を越え、天狗岳の登りが終ると御西小屋が上の方に見えて来て、もう少しだと思いながら歩くと小屋に到着。何事もなく2日目の行程が終了して良かった。小屋は新しく、壁に断熱材を入れているとのことで2階は、ほかほか。管理人のおじさんは水場や服を乾かす場所を親切に説明してくれる。夕日を見る絶好のスポットなども教えてもらう。近くの雪渓で水を汲んだり、御西岳の方の岩場から夕日を眺めたり、オコジョの写真を撮ったり、ブロッケン現象を楽しんだりと1日の最後に一息ついて静かな時間を楽しめた。
3日目朝は軽装で大日岳を往復。オンベ松尾根を往復するという単独の方は、長い林道を自転車に乗って来たらしい。この大日岳と御西岳の周辺が一番花が美しかった。小さいけれど濃い藍色が朝露に映えるイイデリンドウや、乳白色の花びらのチングルマ、ニッコウキスゲ、ハクサンイチゲなどが見頃を迎えていた。大日岳の下りでは数十人のツアーの団体とすれ違う。昨夜の本山小屋はこの団体客で満員だったそうで、1日目と2日目と地元の登山者が多く静かな山という印象を受けていたので、どこか奇妙な光景に出会ってしまったような気分になる。私も数年前に9月中旬の富士登山のツアーに参加したことがある。その時は案内人の強力のお兄さんから楽しい話も聞けたし、富士山に対する愛情がすごく伝わって来たので、富士山以外の山登りなどはしそうにない人たちに混じって歩くのも悪くないなと思った。単独の登山者は大勢いても20代女性のみの登山者はほとんどいないのが現実だし、山に来て奇異な目で見られるのもあまりいい気分ではない。私自身も1人では山に行く自信がなかったから山岳会に入ることを決めたのであり、ツアーに参加する人と似たようなものかもしれない。
それでもこの光景を見るとちょっと寂しい気持にならざるを得ない。
そんなことを考えながら飯豊山の山頂を通過する。山頂からは長いダイクラ尾根が見えていた。本山小屋では紅茶をごちそうになり、少し下った所にあるテント場近くの雪渓で水の補給をしつつ、歩き続けると切合小屋まで来た。この辺りまで来るといつの間にか樹木が増え、様子が変わって来たのに気付いた。稜線歩きともそろそろお別れのようだ。途中で、山中2泊3日で南北を縦走するという健脚の中年御夫婦と会ってびっくりする。地蔵岳への分岐を注意深く過ぎ、小ピークをいくつも越えてだらだら歩くとようやく三国小屋に到着した。県営の三国小屋を管理している小屋番さんは、ステレオタイプな見方かもしれないが、無愛想ないかにも山男といった風情の人だ。宿泊者はY浅さんと私と、泉州山岳会に所属する大阪から来た女性の3人だけで、のびのびと手足のストレッチをしたり濡れた服を乾かしたりして過ごした。これだけ足を伸ばして休むのは、やはりぎりぎりのスペースしかなく雨が降れば外に出るのもままならないテント泊では出来ないなと思う。
4日目は川入まで1.200mあまりの高低差を一気に下る。振り返ってみればそれほど時間はかからなかったのだが、鎖場を通過するまでと、そして通過した後の下りのどちらも私には長い道のりに感じられた。昨夜降り続いた雨で道がぬかるんでいたせいもあり、滑らないように、それに膝を痛めないようにかばいながら歩いているとブナ林を楽しむ余裕はあまりない。下るにつれて増えて来たアブが顔にまとわりつくのが気になり始める。この道は飯豊山への表参道だが、けっして楽な道とは言えなかった。しかし、時間より少し早くキャンプ場に到着した。ここからが大変な目に遭った。バス停への林道を歩いている途中で、数十匹のメジロアブの大群が顔に襲いかかって来た。手で払いのけるがとても追いつかない。あまりにしつこいので精神的に追いつめられそうになるが、集落が見えて来たのでほっとする。人家のある所では不思議とアブは減る。10時半のバスに間に合いそうだ。民宿もあるようだが細々とした集落からさらに道を下ること数分、無事にバス停に到着した。
出発を待っている間、道路脇に見えた廃校になった小学校らしき建物に何気なく入ってみると、そこが川入の民俗資料館だった。学校の中は生徒が作った工作や表彰状が残っていて、まさに時が止まったようだった。昔の山道具やマタギの人々が使用した道具、江戸時代に描かれた飯豊山への参詣絵巻の複製など、展示されている資料も興味深い。バスを途中下車して「いいでのゆ」で入浴する。露天風呂には防虫ネットが張られていた。磐越西線は本数が限られている。そのため、昼食にお蕎麦を頂いた後は電車の時間に合わせて夕方のバスまで昼寝をしたりして過ごした。福島県は桃などの果物の生産地らしく、地元の新聞には皇室に献上される「献上桃」の写真などが紹介されている。美味しそう。地元ネタで満載の記事を読んで過ごした後、再びバスで山都駅に行き、電車に2時間揺られて新潟駅に到着。夜行バスの出発まで時間はあまりなかったがお寿司屋さんにも入れてお腹一杯になって満足だった。アルファ米を食べ続けたためか、新潟のお米はやはりひと味違うのかわからないが、ご飯が絶妙な炊き加減で本当においしかった。
今回の山行に当たっては、「飯豊朝日連峰の登山者情報」と地元役場から情報を収集した。特に、残雪と水場の状況については気を配った。以下、山行中に他の登山者や小屋の管理人さんから聞いた情報も含めて、参考のために記載する。
今年は梅雨時に雨があまり降らなかったため、例年よりも多かった。ルート上では、「亮平の池〜天狗の庭」と「草履塚〜切合小屋」において断続的に残雪が見られた。アイゼンがなくても問題はなかったが、前者区間のうちの1箇所だけは、遥か下まで雪が張り付いている急斜面をトラバース(5m程度)していく必要があり、「ここで滑ったら終わりだなあ」と思った。事前に、私達が行く1週間前に、その付近で滑落死亡事故があったことを知っていたので、残雪が出てくる度に、かなり緊張して歩いていた。
残雪状況に大きく左右されると思うが、残雪のためにルートがわかりにくい箇所が 1箇所あった。この付近は、滑落防止の観点からも、視界の悪いときに歩くのは避けた方がよいと思う。
距離は結構あるが(下りで15〜20分)、特に危険な箇所2〜3箇所には鎖がかか っており、ホールド・スタンスもしっかりしているので、クライムダウンで注意して下りれば問題ない。ただ、今期に入ってから、滑落死亡事故が2件も起こっているらしいので、要注意。縦走したいが岩場が苦手という人の場合、私達と逆コースをとって南から入山されることをお勧めする。その場合、剣ヶ峰も飯豊本山南側の御秘所の岩稜も上りになるので、少しは気が楽である。
振り返ってみると、アプローチは長いが登山道には危険な箇所は少なく、随所に新しい避難小屋があったので気を付けて行けば安心な山なのではないかと思った。私は体力強化と資料集めの両面で準備不足も甚だしかったが、Y浅さんがしっかりと調べた上で確信を持って前を歩いて下さったので終始安心だった。もし私が一人で行っていたら、管理人の方にどんな風に言われたやら・・・。山を通して成長して行くためにも、今後は自分でコースの状況や水場の有無を調べられるように気をつけたいと思う。
飯豊連峰は、2,000mの山とは思えないスケールと味わいのある山々であった。主稜線に上がるまでは、体の水分を搾り取られるような登りが続くが登ってしまえばこっちのモノ。なだらかな稜線に豊富な残雪、雪に削り取られた荒々しい山肌、イイデリンドウを始めとする高山植物、かわいらしい小屋、人情味あふれる管理人さんとの触れ合い、その一つ一つが心に深く残っている。京都からは遠い山には違いないが、いつか、「大熊尾根〜エブリ差岳〜権内尾根」と「オンベ松尾根から大日岳往復」の旅に出掛けようと思う。