槍ケ岳北鎌尾根山行

北鎌尾根=加藤文太郎という図式。小説「孤高の人」の主人公が頭に焼き付きそう考えてしまう。
それは、この山行のきっかけの一つとなった。

1996.12.28 電車でごろ寝

JR京都駅烏丸中央口みどりの窓口前で集合予定(21:30)。ザックの上にどっかと腰掛け、道ゆく人々をボンヤリと眺める。いつもながら感じることだが、山行の格好をすると、日頃見慣れている風景も、やや違ってみえるものだ。例えば今年の冬は、黒を基調とした女性が多いことに何となく気付く。年末のせいか足取りも急ぎ気味だ。今のうちに見ておこうかな。年末のこの時間帯でも、安全第一の黄色のヘルメットをかぶり働いているオジサンもいる。お疲れ様です。そうこうしているうちに、3人が集合した。

ちくま91号に乗り込む。8割方登山客らしく、自由席もすいており、1人当たりワンボックス(4人掛け)を占拠する形だ。暖房も程よく効いている。ときどき、別の線路をシュプール号(少し豪華、スキー客ばかり)が通過。その色とりどりの華やかさと、当ちくま号の難民キャンプのような、大きい荷物と好き勝手に通路にも寝ころぶ男性中心のむさくるしさに、しばし苦笑。

1996.12.29 快晴 ひたすら歩く

ウトウトするうちに、JR松本駅に着。電車待ち合わせ中の約1時間、ボンヤリと朝食をとったり、所用を済ませたりする。駅構内は相変らず登山客が隅の方で陣取っている。ほどなく乗車し、朝日を迎え、車窓から晴れあっがた山々を眺める。天気は上々だ。名も知らない尾根が白く眩しい。だが、雪は少ないようだ。

JR信濃大町駅を下車すると、地元の警察官が登山者を捕まえては登山届を提出するようにと、注意を促しいている姿。京都の岩峰会の人々は、鹿島槍の東尾根に行くとのこと。次回に行きたいものだ。お互いの無事成功を祈りつつ別れ、駅から七倉までタクシーに乗る。バス路線は3年前に廃線となったとのこと。う〜ん高くつく。

七倉に着。快晴。タクシーの運ちゃんによると、例年と比べ雪は、やはり少ないそうだ。七倉登山センターによると、今日だけでも北鎌に約10パーテイー入山とのこと。高瀬ダムまでアスフアルトの道、トンネル(内部は電気点灯)が続く。雪は大方除去されているものの、所々氷がうず高く張っており、またトンネル内部の上部割れ目からツララがぶら下がっており、注意が必要。高瀬ダムから次第に林道、登山道となり、雪道らしくなってくる。道中、割と多めの日本猿に出会ったりして、湯俣山荘を通過し、吊橋を渡り、水俣川と黒俣川の分岐点。ここら辺で、加藤氏が遭難したのだろうか。そこには、小さな神社があり、伊藤新道方面には、天然の温泉だろうか湯気がモウモウとたっている。ここまでの道は、しっかりしており、上下差もあまりなく快適であった。しかし、あまり休憩もとらず、夜行あがりで山行初日とあって、少々ばて気味。分岐点から、水俣川左岸沿いに進む。川は適当な水量で流れている。しかし、草土混じり氷のついた岩場や川中を、固定ザイルや固定ワイヤー(サビており、固定度やや不安)を頼りにトラバースする箇所が数箇所あり手間取る。なるほど、隠れた核心部とされているのもうなずける。N氏が、川へピッケルを落としたり、前半のハイペースが効いたのか足をつったりして、日も暮れだし、千天出会より少し手前の河原でテントを張る。

1996.12.30 快晴 アイゼン装着

テン場を出発し、いきなり渡渉。7ミリの固定ザイルが上部に張ってあるが、気休め程度で、川中の飛び石(ちょっと滑る)伝いに渡る。思い切って渡らないと、そのまま滑り、足の付けね付近まで川に漬かってしまう可能性があるのだ。ヒヤヒヤしながら渡渉し、千天出会へ。やっと、北鎌尾根末端部が見えてきた。天上沢右岸沿いを進み、再び渡渉。今度は、丸太が架かっており、かつ、飛び石表面が凍ってアイゼンもがっちり効いて、先程よりは難無く渡渉。

P2登山口に取り付く。そこに、約5箇所テン場跡あり。

しばらく樹林帯の急登。背後から8人パーテイーの人々あり。途中、草土岩場と木根に氷が混じった急登があり、アイゼン、ピッケルを効かし(木が傷んだ。ゴメン!)、木根を掴んで猿の木登りのように登る。仮に、ここを下降する場合、懸垂下降用としてザイルが必要だ。樹林帯の少しひらけたP2、そしてP3、P4をほぼ尾根上に通過、途中トラバースもする。雪質も割にしっかりしており、風もなく快適だ。また、槍ケ岳はまだ望めないが、左側に燕岳や大天上岳、右側に硫黄尾根、振り向けば高瀬ダムと北鎌尾根末端部も眺められる。P4とP5のコルで、テントを張る。

1996.12.31 快晴 やや北西の風 巻雲あり

いきなり、天上沢へトラバース。ここは進退の判断の区切りであろう。前夜の風で、場所によってはトレースがほぼ埋まっている箇所もあり、膝下程度のラッセルを強いられるが、朝方の低温で雪がしまっており割に快適に通過。雪崩易い地形のため、雪がくっさていると苦労すると思われる。また、トラバースの取り付き点以降は少し急な雪壁なため、取り付き点付近の一抱えある岩を支点に懸垂下降するのが、より安全だ。P5・6のコル、P7まで、Pをふむことなしに主に天上沢側をトラバースする。P7から稜線上を下降し、北鎌沢のコルへ。今年の夏の無雪期は北鎌沢右俣を詰めて、当コルに到達して北鎌尾根の稜線に出る箇所だ。テン場の跡がみられる。さて、ここからは、夏に偵察しておいた道だ。P8・9(天狗の腰掛け)まで急な長い登り。ひたすら登り、思い出したようにフト周囲を眺めると、右手に硫黄尾根越しに剣岳も先端をのぞかせてきて、何だか嬉しくなってきた。天狗の腰掛けにつくと、その頂上にスキーストックがさかさまに刺さっている。そして、そこから独標が目の前にそびえており、登山道も樹木がすっかりなくなり岩と雪と氷のミックスである。独標直上ルートには、何パーテイーか取り付いている様子。とりあえず、その基部まで行き、混んでいるようなら千丈沢側にトラバースし回り込んで通過しようと考えたが、生憎トラバースのトレースが不明瞭である。先行パーテイーは、約7人という多さとザイル使用中であり時間がかかっているようだ。休憩も兼ねて待機していると、後ろから、平均年齢47歳(本人たちいわく)の元気なおじさん3人組(静岡から)に抜かされた。約1時間後、行動開始。取り付き部分は約20mの急な雪壁。そこは人が多く通過したせいか雪が深くえぐれており、深く手を突っ込み、アイゼンも深く蹴り込んで、場所によっては頼りないブッシュも手掛かりにしないと、そのまま天上沢へサヨウナラになってしまう。ヒヤリとしながら通過。次にやせた岩稜(約10m)と、チムニー混じりの岩稜(約30m)を通過し、雪稜をつめるとやっと独標頂上。北西の風がやや強くなってきた。ここまでくると、右手に剣岳が随分顔をのぞかせ、後ろを振り返ると高瀬ダムからここまでの道のりが眺められる。行く先には、イカニモという感じで岩壁色の槍の穂先が青空に映えており、これからの一歩一歩がワクワクして疲れもさほど感じない。晴れて良かったな。ここから尾根沿いに岩稜・雪稜・ナイフリッジの連続で、主に千丈沢側を巻く。途中、尾根から千丈沢側へトラバースする際、急なチムニー状の岩混じりの雪壁を約15m懸垂下降する。日も落ちるころ予定より遅れて北鎌平下のテン場へ到着。お目当てのテン場(風があまり当たらない岩壁の近く)は先行パーテイーで占められていたので、その手前の尾根上(風がときおり吹く)でテントを張る。

今日は大晦日。ささやかながら、インスタントの年越しそば、量の多いアンコロモチを食べる。シェラフに潜り込み、渦巻く風の音、強風でバタバタとはためくテントの音、時折モソモソと動くメンバーのけはい、少し食べ過ぎてもたれている腹を感じつつ、ボンヤリと様々考えているうちに、いつしか眠り1996年が過ぎていった。

1997.1.1 晴 登頂 他パーテイーと出会う 下山 温泉?

眠たげな声で新年の挨拶をかわす。相変わらず風が強い。バタつくフライを開けて空を見上げると、星が瞬いている。上空に寒気団が強い風を吹かせているようだ。今日いっぱいはもちそうだ。撤収をし、出発するころになると、左手の八ヶ岳方面から朝日が昇る。空が透明感のある赤色に染まり山々のシルエットが美しい。カメラの故障が残念だ。夜間の冷え込みで雪もしまっている。約20mの雪壁を登ると北鎌平。そこで47歳おじさん3人組も出発の準備。ここから槍の穂先まで何も遮るものはなく、目標が明確だ。しかし、穂先下部から何パーテイーかザイルを出して取り付いているようで時間がかかりそうだ。途中、1パーテイーを追い越し左へ回り込んで残置ハーケンのある所からザイルを出す。チムニー状の岩混じりの雪壁をプルージックで1ピッチ登り、階段状の岩稜を約15m登と槍の祠の横に出て、無事登頂完了。皆で握手して喜ぶ。そこには、10人前後の人々。背後には、北鎌尾根に自分たちがたどってきたトレース、その左手には硫黄尾根が眺められる。次は、あそこだな。日本海側には、天候悪化の兆候として温暖前線の雲が広がりつつあるので、一息後下り始める。肩の小屋まで、どうぞ使ってくださいというばかりの鎖やハシゴに助けられる。途中、松田さんに声をかけられ、無事、槍ヶ岳ピークハントパーテイーと合流。冬期小屋で、有り難く熱い飲み物をいただく。ここまでくれば、大分安心だ。後はバス最終時刻と温泉(無料)に入浴する余裕をみながら、雪崩の心配はないだろうという予測のもと、西鎌尾根、中崎尾根、宝ノ木、槍平経由で下山。雪面に照り返す日射が暑い。早く温泉に入りたいものだ。ところが、新穂高温泉に到着後、温泉は早めの閉店(午後4時まで)ををしてしまい、入れずじまい。そうそううまくいかないものだ。残念。帰りのバスは混んでおり、後部にザックを満載してどうにか座れた。おもしろいことに大部分の乗客が北鎌縦走組。そのせいか、バス内はちょっとした一体感をかもし出していた。もう少し時間と実力があれば、西穂高まで縦走したかったな〜と思いつつウトウトと眠る。

「まとめ」

今回の無事山行は、天候に恵まれたこととトレースがあらかじめついていたことが大きい。そのため、さほどの危険や困難に行く手を阻まれることはほとんどなかった。仮に天候があまり良くなかった場合、より体力的、技術的な総合力が求められ、思い返すと引き返す可能性が大きかった。そういった意味で北鎌尾根のほんの一部分しか理解できなかったことが残念だ。よって、今後よりしっかりした準備のもと、あまり人が入山しない時期にきたいものだ。

最後に皆さんお疲れさまでした。

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