黒部川横断山行(1999.4.28 - 1999.5.3)

ルート:鹿島槍東尾根〜鹿島槍ヶ岳〜牛首尾根〜S字峡〜ガンドウ尾根〜小窓〜三の窓〜剣岳〜早月尾根〜馬場島
期間 :4月28日〜5月5日(予備日1日)の予定 → 〜5月3日
メンバー:L小林、越後谷夫妻、成田 の 計 4人(チーム84所属)※敬称略

1999.4.28(水) 小雨

帰社後、自宅で山行の装備の確認。いつも、その場にならないと中々準備しないのに、珍しいことに昨晩のうちに装備のパッキングをしていたのだ。これも久々のちょっと長期の山行に対する緊張感の表われなのだろうか。インターネットで積雪状況を昨年よりは多いことを知る。なぜか本格焼酎:さつま白波(900ml)を買い足し小雨の中、JR川崎駅に向かう。 

南武線でJR立川駅に向かい、ホームにてJR新宿駅 23:50発の急行アルプス(既に指定席を購入してもらっていた)を待つ。他3人は、JR新宿駅から乗車とのこと。電車は小金井の線路で置き石があった影響で、約15分遅れて到着。指定席・自由席ともに約8割がた埋まっており連休にしては空いている感じだ。約半分は登山客。それに車両も特急仕様のようで嬉しい。指定席に行くと3人が手を振って迎えてくれる。この3人とは初めて一緒に登山をするのだが、3人とも経験豊富で僕とほぼ同年齢なので、あまり心配をしていなかった。八王子駅、甲府駅で人が乗り込み車両は一杯となり長野方面へ向かう。

1999.4.29(木) 小雨→曇 or 小雪

早朝、松本駅、穂高駅で半分以上の乗客が降車し、5:00ごろ信濃大町駅に到着。関西と違い電車一本で来られるのは便利だ。駅では、例年のごとく、朝早くからタクシーの運ちゃんが登山客を待ち構え、やたら声をかけてくる。また、駅前に学校机をだした臨時の登山補導所では、計画書の提出を呼びかけ、設置テレビでは県警ヘリからビデオ撮影した近郊の山の積雪状況を上映していた。それによると、上部は雪があるらしい。タクシーで大谷原へ。運チャンによると、今年は雪が昨年よりは多かったにもかかわらず、スキー、登山客などが少なかったとのこと。不況、ブームが去ったせいだろうか。また、20年前よりこの辺りの積雪が半分以下になったとの話。地球温暖化の影響が端的に出ているようだ。大谷原に着くと、この前きた3月下旬より確実に雪がない。橋の付近では、成城大学(?)のロゴ付きの大きなテント(運動会で使用するやつ)が張ってあり、今年(正月?)、鹿島槍で遭難した遺体の捜索をしている。どこかの沢に落ちたらしい。自分も気を付けよう。

7:30に出発。赤谷尾根へ向かう林道を通り、約10分後、道がS字に曲がる付近で右手の木の幹に張ってある赤いテープを目印に、東尾根に取り付く。登るにつれ、3つ4つとまとまったカタクリのやさしい色の赤い花が出迎えてくれる。踏み跡のついた薮道を快調に進み、1,500m付近から雪が出てくる。一ノ沢ノ頭に到着。小雪も舞い、新雪約3cm、その下の積雪もしっかりしている。トレースは定かでなく、微かな痕跡は少なくとも5日前のものらしい。どうやら、僕たちが連休初日のパーテイーのようだ。この前(3月下旬)より、少なくなった雪のなか雪庇に注意してアイゼンをサクサク効かせ二ノ沢ノ頭に到着。ここから、次第に急な登りが出始め傾斜した雪壁を登る。比較的低温で、アイゼンとピッケルが効くのが幸いだ。曇または小雪で暑くも寒くもなく快適。このペースだと、鹿島槍を通過し、牛首山まで行けるんじゃないかと欲も出てくる。第一岩峰。ブッシュと露岩と雪で急な傾斜。2ピッチ。2ピッチ目のトップである越後谷夫が、2ピッチ目の支点から約10m上の離れた所に腹ばいになった黄色の大型ザック(60〜80L)を見つける。みたところ比較的最近のもので、新雪も積もっている。遠目に、バックル付近は、横たわった登山靴に見えなくもない。先週の土日に入山者があった形跡もある。これは、ひょっとして…。瞬間、パーテイー内が静まりかえる。恐る恐る声をかけてみるが、ピクリとも反応がない。ほかっておくわけにもいかないので、越後谷夫が確保をしつつ近付く。ピッケルで突ついても反応がない。どうやらザックだけのようだ。おまけに近くの潅木でザイル確保がしっかりしてある。何らかの理由で意図的にザック残置をしたのだろう、と解釈しホッと胸をなでおろす。ここで思わぬ時間(約40分)をくってしまった。

続いて第二岩峰。2ピッチ。核心部は凹状のチムニー。半分かぶっている。荷物を背負っている身にはツライところだ。残置シュリンゲを利用してA0で重力に逆らいウンセと体を持ち上げる。

あとは、真っ白な雪稜が続き荒沢の頭へ。もう17:30。結構、平で快適そうなので、ここでテントを張る。天狗尾根に2人組パーティーだけが眺められる。晩飯(成田用意)は、ペニカンカレーと海草サラダ。外に出ると、信濃大町の明かりがキラキラ輝いている。21:00就寝。風が比較的強く、5月にしては寒い。

1999.4.30(金) 晴れ

5:00起床。テントの隅にころがしておいたポリタンの水が凍っている。皆、寒くてよく眠れなかったようだ。東の空が朝焼けで赤く染まり青々と晴れ渡った中、鹿島槍頂上へ向け進む。前日の冷え込みで、アイゼン、ピッケルがキュ・キュときまり気持ち良い。頂上(2,889m)へ到着。今年の3月もきているので、特に目立った感慨はない。以前と違う点の一つは、360℃の展望があること。剣はもちろん、槍・穂高連峰、富士山まで眺められる。あそこまで行くのか・・・と、剣方面のルートを半分途方にくれた目でたどる。下部は藪々、上部は岩と雪・のっぺりしテラテラ光った雪稜で一筋縄ではいかないよいうだ。 

牛首尾根を黒部川S字峡へ向け下る。牛首尾根は、名前のとおり、なだらかな尾根で周りの景色を楽しむ余裕があるところだ。途中、昨晩のテント跡がある。昨日の朝あった「赤岩尾根〜牛首尾根〜大滝尾根〜八ッ峰」をゆく小林氏の知り合いの2人組パーティーのものらしい。途中、尾根左へ十字峡に向け下るトレースを見つける。快調にとばし一気に1,800m付近まで下る。ここからが核心の一つであった。1,600m付近から積雪も少なくなってきた。忠実に牛首尾根をたどるのが正解だが、地図をみても等高線が密集し急な様子。おまけに樹林帯で藪だらけ。トレースも見当たらない。あちこちに支尾根が派生し迷うところ。わずかな踏み跡らしきもの、地図、コンパスと高度計だけが頼り。右に左にルートをとり、懸垂下降もまじえ下る。ここで、小林氏のルートを見る確かな目が冴える。次第に温度が高くなり、ジオ・ライン1枚でも暑いくらいだ。そして、関西電力の建物(ダム・送電塔建設のとき使用したらしい)の土台跡に到着。この下に黒四地下発電所があるはずだ。ここから、黒部川、送電塔、吊り橋が眺められ、暑さのせいで早く川の中に飛び込みたい気持ちに駆られる。それにしても、よくもあんな所にダムやら送電線を建設できたものだと先人の業績に感心をする。と同時に景観を損なうので作って欲しくなかった気持ちが交錯する。一息後、東谷出合を目指して下降。樹林帯では現在位置もよくつかめず、先ほどと同様に、周辺の様子、時計に付属の高度計を頼りに地図とにらめっこをし、右に左にルートをとる。やがて、黒部川がすぐ近くに見えたので、たまらず左にあった積雪のある沢を50mを2本つなぎ1ピッチで懸垂下降。16:00ごろ、東谷出会より少し上流のS字峡河原に着く。当初の目的地よりちょっと上流へ来てしまったようだ。すかさず、冷たい雪解け水をがぶ飲み。

少休憩後、吊り橋のある方向(下流)へ移動するため、東谷出会へ向かおうとしたが、その手前が深い淵でとても行けそうにない。高巻きも随分高く登らなければ、ほとんど不可能に近い。仕方がないので、一気に黒部川(川幅30〜40m)を渡渉することにする。吊り橋を軽快に渡る姿を想像していたが、見事に崩れ落ちる。ご丁寧に、谷に太陽の日が射さなくなり、だんだんと寒くなってきた。短パン・Tシャツ姿の小林氏が空身で杖をつき腰まで水につかりザイルを対岸まで渡す。彼が対岸の残雪に立った姿は、いかにも寒そうである。ここで衣類・装備を濡らしたら後が大変なので、下半身はパンツ一丁もしくはカッパを着用し腰までつかり渡渉。川床の石がゴロゴロして歩きにくい。下半身は冷たさで、い・いたい。対岸に到着後、半分麻痺した足指を開いたり閉じたりして血をかよわす。一番背が低い越後谷妻は、流されまいとザイルにつかまり必死だ。全員こけもせず、無事渡渉。17:00ごろなので、残雪の河原にテントを張ることにする。

数十分後、後続の2人組パーティーが東谷出会に忠実に下降し、東谷を渡渉(膝上)。彼らが正しいルートのようだ。そして、吊り橋の下にテントを張っていた。そこは、古いエアリアマップのその付近に温泉マークが記してあったが湯気はたっていない。地面は暖かそうだ。そして、ここから眺める東谷は切り立ったゴルジュ帯が連続し、もし間違えてあそこに下降したらかなりの困難が予想された。晩飯(小林氏用意)は南欧風リゾット(雑炊)。ケチャップ色のスパイシーな味。何故かウンコの話題(お下劣ですいません)で盛り上がる。標高が下がった(約900m)せいか、昨晩よりは暖かく、風もなく、水も川から確保でき、快適だ。さつま白波(焼酎)もいける(明日は登りだから、ちょっとでも軽くするため)。ラジオの天気予報で日本付近は移動性高気圧に晴れが続くことを知り、感謝しつつ眠る。

1999.5.1(土) 晴れ

4:30起床、6:00出発。今日は、ひたすらガンドウ尾根の登りだ。トレースはない。吊り橋の付け根まで行き、雪面を左へトラバースして送電塔へ向かう巡視道を行く。途中で、上部の送電塔へ向かう残置ハシゴを設置した脇道を直上。最上部の送電塔から道を離れてガンドウ尾根を登る。樹林帯、薮、積雪、露岩混じり。やせ尾根のところは露岩と薮の境目が、微妙なスノーブリッジになっており、崩れるんじゃないかとその上を恐る恐る渡る。ある箇所は露岩を両足で挟んでズルズルと8mばかり進んだりもした。1,500m付近から部分的に雪稜が現れはじめ、1,700m付近では、急斜面の途中に、今にも崩れそうな不安定な幾つものブロックが行く手を阻み、緊張する。そこはザイルで確保しながら左にトラバースし直上。陽射しが強くなりサングラスをかける。それに伴い気温が高くなったせいか、雪稜に細いクレバスが走り部分的にはまり易くなってきた。大滝の頭に到着。視界が開けてきた。前方には、これから登る急な雪稜、右側には仙人尾根、左側は剣沢が眺められる。やはり、この角度でも剣大滝は見えない。後方には、昨日いた牛首尾根と鹿島槍。そういえば、あそこから一気に標高差約2,000m下降し、また約1,000m登ったのだ。まだ約1,000m登らなければならない。ふ〜。すぐになだらかな細い雪稜となりちょっとした露岩混じりの下降。慎重を期してザイルを1ピッチ出す。後は、トレースのない雪稜をひたすら足首したのラッセル。白黒まだら模様の雷鳥もすぐ近くまでよってくる。自分たちのトレースをつけられるのが嬉しい。雪面に反射した陽射しが容赦なく顔面をジリジリと焼け付ける。急な雪壁を登り南仙人山へ16:30に到着。ここから、剣の岩峰群全容、小窓・三ノ窓雪渓が見えてきた。ここでテントを張ろうかと思ったが、皆と相談をし風が強くなることも考慮して仙人池ヒュッテまで行くことにする。 

17:20、雪に埋もれた仙人池ヒュッテに到着。小屋は閉鎖中でトレースもなにもない。小屋の間が雪も少なく風もないのでここでテントを張る。写真でよく見る「仙人池に映る八ッ峰」は雪に埋もれているし、薮、樹木もしかり。当然、水面に映った八ッ峰もない。これ幸いと、水面になった気持ちで仙人池のど真ん中とおぼしき所で大の字になり、寝そべったまま、八ッ峰を眺める。昨年、9月に登ったチンネもある。そうか…こんな素晴らしい景色なのかと、何だかすごく贅沢なことをしている気分になってくる。急いでテン場に戻り、小屋の屋根からしたたり落ちる滴をコッヘルなどでかき集めて水を確保。これで、燃料の節約になる。無線で三ノ窓にいる予定の84別パーティー(4人組)に連絡をとる。彼らは、チンネ登攀、雪渓をスノーボードで下降の計画だ。しかし、真砂沢にいるとのこと。結局、メンバーの時間的都合で、黒部ダム→内蔵助谷→ハシゴ谷乗越→真砂沢→長次郎雪渓→剣岳→三ノ窓雪渓→真砂沢できて、明日、黒部ダムへ下山とのこと。もう一つの源次郎尾根の壁パーティー(2人組)とは連絡がとれなかった。晩飯(越後谷氏用意)はスパイシーカレー。パキスタン仕込みの訳の分からないスパイスでの味付けが何ともいえない。干しシイタケ、干しエビまでいれる。要するに、カレー味のやみ鍋みたいなものだ。多く作りすぎたが、残さずしっかり食べる。ポップコーンも作る。風もなく快適で、一昨晩ほどは、寒くはない。夜、用足しにテントを出ると、一面の星空。下界は山に阻まれて街の光すら見えない。その分、白黒写真のような山々が幻想的で美しい。考えてみると、これほどの標高で街の光が見えないことは、日本では珍しいことではないか。我々以外に誰もいない。山深く入ってきた感慨にふける。ラジオでは、低気圧が近づきジンワリと天候が下り坂とのこと。それで、明日は早めに起床し核心をぬけ、早月小屋に行くことにする。

1999.5.2(日) 晴れ

4:00起床、5:30出発。日の出とともに、仙人山をトラバースし池の平小屋へ。朝は、雪が締まっており歩き易い。だが、その分ひと滑りしようものなら、小窓雪渓へさようなら…。気はぬけない。越後谷妻はプラブーツが足に合わず一苦労。池の平小屋は雪に埋もれている。ここで、小窓雪渓へ下り、当雪渓を小窓まで登るルートの案も出たが、せっかくの晴れで展望もあるし池平山経由で行くことにする。のっぺりした雪稜を無心にひたすら登る。危険箇所は特にない。スキーで池平山から小窓雪渓まで滑降した跡がある。さぞ気持ち良かっただろうと想像し自分もスキーが上手ならばと思いをはせる。池平山よりちょっと右の2,555m地点で北方稜線と合流。その稜線にはトレースがあり、そこを通過してきた法政大学山岳部の5人組パーティーに会う。山岳部らしく各人スコップを持ち、ビーコンもありそうだ。少し行くと、岩・雪・ハイマツ混じりの急斜面を、50mザイル2本を結合して、3ピッチの懸垂下降。ここで迂闊にもヘルメットを落とす。遥か下までころがってしまい形も見えず回収不可能。3ピッチ目は雪面がやや不安定なため左の露岩へ振り子トラバースで着地。少休止後、小窓雪渓を登る。日が昇り、陽射しが反射し、テカテカと肌を焼きつけてきた。小窓雪渓には、スキーパーティーが3組ほど登ってきている。このとき、雪渓の下にある空洞にはまり左膝を少しひねり、最大限の踏ん張りが効きにくくなった。小窓の王の基部に回り込み、50mザイル2本をつなぎ1ピッチの懸垂下降。そして、トラバースし13:00に三ノ窓へ。がやがやと何組ものパーティーのテントが設置してあり、人間臭い。チンネには順番待ちと思しき人のシルエットが見える。ラーメンのにおいにつられて、あるパーティーを眺めると、どこかで会った人がいる。元京都雪稜クラブの大橋さんだ。現在、京都山岳会?に所属し、小窓尾根〜剣岳〜早月尾根の予定で6人組?で山行中とのこと。元気そうである。今日はここでテントを張るとのこと。その後、池ノ谷ガリーを登り、八ッ峰終了点へ。4組ほどのパーティーがおり盛況だ。高速道路と化したトレースをたどり剣岳へ16:00到着。展望はあるものの、雲が出てきた。鹿島槍を眺め、きたルートを確かめる。富山湾もしっかり見え、おいしい魚料理が頭の中に浮かんできた。鹿島槍をバックに、パチリと記念写真を撮る。あとは、早月尾根を下るのみ。50mで1ピッチ、50mを2本つなぎ1ピッチ懸垂下降し17:00に早月小屋へ到着。テントは7つほどで、何だか少ない印象を受けた。晩飯は残りの食料全部。五目寿司、マーボ春雨、スープなど。アルファ米も一人一個(200g)。行動食も食べ、腹一杯となる。何だか、一気に太った感じだ。

1999.5.3(月) 晴れ⇔曇

明るくなってから起床(たぶん7:00)。アイゼンをはずし早月尾根を一気に下降。左膝が不調で踏ん張りがあまり効かなかったので、何度もこける。1,600m地点で少休止し、後は松尾平へ。途中、越後谷妻に名前を教えてもらったイワカガミという桃色の花が下山する我々を迎えてくれた。また、高山植物の名前の範囲が広がった(とはいっても、全部で10種類しか知らないが…)。

11:00ごろ馬場島へ到着。そこはもうキャンピングカーで一杯。春の陽射し。家族連れ、カップルなどがアチラコチラにいる。随分、整備されたものだ。下山中に一緒になった2人組に相乗りを依頼し、計6人でボックス車に乗り込み富山電鉄の上市駅へ。民家の軒先に柚餅子(ゆべし)がぶら下がっている。駅近くの温泉に入り、他の客がいないことを良いことに湯煙の中ビールを飲む。体重計に乗ったら、やはり昨夜の馬鹿食いの影響か入山前と変化がなかった。

電車に乗り込み、田植え真っ最中の田園風景の中、富山駅へ14:00着。今日中に東京へ帰れるのだが、夜行の急行で帰ることにする。なぜなら、関東の人は、あまり富山側へきたことがなく、行きたい飲み屋もあるそうだ。また、早く下山て急ぐ理由もないし、高い特急券を買う気もない。そこで、夜まで富山市観光をすることに。とりあえず、昼飯を食べよう、やっぱり富山にきたら魚料理だよな〜と意見が一致しキトキト市場へ行く。この市場のキトキトラーメン食堂で焼き魚定食を食べる。刺し身定食でも良かったのだが、晩飯の方に資金をつぎ込むことにしていたからだ。周囲のお客はラーメンを食べている人が多い。どうやらここの名物はラーメンらしい。おいしそうだ。ちょっと失敗したと皆で悔やみ次回は是非ラーメンを食べようと決める。市場で買い物をし、夜行電車の乗車券・自由席急行券を買う。そうこうしているうちに時間が経過し駅近くの目的の飲み屋へ行く。ここは、かわいいおばさんが一人で営業している庶民的な店だ。店に入ると席はカウンターだけで10人も座れば一杯。18:00に行ったら席を移動してもらい何とか座れた。客筋も地元の人ばかり。天井からは、さきほど見た柚餅子が幾つもぶら下がっている。ビールは後ろの冷蔵庫へ自分で取りに行き自己申告制。メニューは小さなホワイトボードにさらさらっと書いてあるだけで値段表示はない。時価の恐怖に少しばかりおののいていると、実際は結構安いとのこと。隣りのおじさんも、「これがおいしいよ」と教えてくれる。家庭的な料理でおいしい。周囲の人も富山弁で気さくに話しかけてくる。その中で、「キトキト市場は観光用だからたいしたことないよ」と教えてもらう。最後は、柚餅子をいただき、あれだけ食べて一人当たり約4,000円で済んだ。また、こよう。4人とも酔ったまま22:30?富山駅発の急行に乗り込む。連休明け前で座れた。

1999.5.4(火) 雨

ぐっすり寝て翌朝5:00に東京着。川崎駅につくと、小雨がぱらついており、日頃の行いがたまたま良かった?ことを感じた。

まとめ

今回は天候に恵まれ、山焼けが激しかったものの、たいしたケガもなく快適な山行だった。また、連日、11〜12時間行動で目一杯動いた。人があまり入っていない分、ルートが不明確でルートファインディングの技術、体力が問われる。主にトップだった小林氏は素晴らしいルートファインディングの目を持っていた。そこで、僕も読図、ルートファインディングの技術を上げる必要性を感じた山行だった。

次は、北方稜線へ行こう。

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