京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
JR上野駅ホーム改札口にて雄山氏と待ち合わせ。23:55発(だったはず)の急行・能登(上野→富山・指定席:8.910円)に乗車するためだ。久々の上野駅でキョロキョロとあちこちを眺める。基本的な構造は戦前とあまり変わっていないそうだ。その雰囲気から、いくつかの演歌のコブシが効いた歌詞がふと口に出てくる。今回のパートナーは雄山さん。黒部・奥鐘山西壁を冬季単独で初登攀した大ベテラン。僕はついて行くのがやっとかもしれない。時間通りに出会いホームに行くと、雄山さんのザックの横に、なにやらスキー板が二つ付いた手作りソリ(約1m四方)のようなものが置いてある。これは雄山さんのもので、伊折から馬場島まで凍り付いた舗装道路で荷物を積んで引き、馬場島でデポし、帰りにまた使用するとのこと。これは良い。車輌はほぼ満員。乗車率約130%。喫煙席で少々煙い。残念ながら予約したとき指定席はここしか空いていなかったのだ。煙草嫌いの雄山さんは、マスクをしている。ビールを飲み簡単な打ち合わせのあと、カタンッカタンッという規則正しい振動に揺られながら、うつらうつらと眠る。
5:30ごろ、JR富山駅で下車。積雪なし。駅構内の売店・コンビニで朝食を買い込み、すぐ隣の富山電鉄に乗車し上市駅へ(運賃560円)。車輌は数人しかおらず、我々の他に登山客は誰もいない。上市駅で装備分け後、タクシーに乗り馬場島まで行けるとこまで行ってもらう(約6,000円)。だんだんと積雪が出てきて、伊折の車止めの開いたゲートを過ぎ、青年の家近くでストップ。馬場島まで約4kmの地点。小雨が降っており、暖かい。そのおかげで積雪もグズグズで、雄山さんのソリもズリズリッと滑りが今一つ。堪らず、途中の林道にソリをデポ。装備が濡れて、その後の寒気でガチガチに凍り往生することを考えると少々気が滅入る。冬なのに、ここから傘をさし歩き始める。何やら新聞社の車が数台。訳を尋ねると、今回、最年少で厳冬期・剣岳(早月尾根経由)登山する小学6年生の取材だそうだ。カメラの先を眺めると、先の方に、親子2人連れが歩いている。近づくと、父と子。ちょっと会話をすると、急行・能登に乗車(一緒の電車)し、魚津駅で富山電鉄に乗り換えたとのこと(こちらの方が、上市駅到着が早い)。子供は聖(サトル)君という名前で秋に一度登り偵察済みとのこと。バイル・ピッケルをさした荷物が重そうだ。自分の小学6年生の年末年始は、おそらく大掃除と正月料理をたくさん食べ、たいした事をしていなっかたように記憶。それと比較し聖君はなんと充実した時間を過ごしているのだろうか。
馬場島の山岳警備隊事務所で、入山届け。ヤマタンと警備隊への緊急連絡先用紙(警備隊の無線・携帯電話の番号記載)を受け取る。尋ねると、小窓尾根は2日前に6人パーティーが入山とのこと。いらない荷物をそこらにデポして入山。積雪約1m。小雨が小雪に変化。即席ヘリポートを右手に見て、白萩川左岸沿いに進む。トレースは高速道路のようにしっかりついており、橋を渡り右岸に出て、取水口手前では、赤谷尾根から下山してきた弾むような足取りの富山大学山岳部(4人パーティー)に出会う。ここからワカンを装着。膝下のラッセル。取水口前の渡渉がてら水を補給し左岸に出て、タカノスワリ手前で右岸に渡渉。雨で増水を心配したが、飛び石伝いで問題なし。川を高巻き、池ノ谷と大窓谷の分岐点で、大窓谷の左岸へ渡渉。小窓尾根末端に出る。池ノ谷を覗くと、上部は曇ってよくわからないが、急峻なゴルジュが雪をまとって陰惨な雰囲気。こんなとこに落ちたら一たまりもない。しかし、山は穏やかな姿よりこれくらい畏怖の念を感じたほうが何だか好きだ。雄山さんの木製ワカンの調子が今一つで何度も修理。雷岩から取り付くが、樹林帯の急斜面で所々雪崩の跡。デブリがそこかしこにあり、あまり気持ちの良いものではない。トレースもかき消されよくわからない。当然のように胸まであるラッセル。かきわけかきわけ進むが一向にはかどらない。10日分の食料もザックを通じて肩・腰・脚に伝わりズッシリ。おまけに湿気を含んだ雪がまとわり付き、靴底に雪がこびり付き重いし、汗をかいて暑いしソックスも濡れてくる。途中、見えないシュルント(約3mの深さ)に僕が落ち、雄山さんに落ち口からザックを上げてもらい別出口から這い出す。その約30秒後、親指ほどの雪の固まりがパラパラと斜面をころげ落ちてきたかと思うと、雪崩がそこの部分をめがけ襲いかかってきた。2人ともザックを残したまま、すかさず脇の支尾根に逃げる。いきなり雪崩の洗礼。落ちた箇所は雪崩で埋まっている。じわ〜っと冷や汗。判断ミス。反省。知らぬまに沢筋に迷い込んでいたのだろう。まだまだ(いや、ずっと)、ヤマタンの機能を発揮させたくない。ザックは何とか流されずに済んだ。思い直して、未トレースの支尾根をあえぎあえぎラッセル。その間、すぐ脇を小規模ながら都合5回ほど雪崩があった。ラッセルで思うように距離をかせげず、予定の1,600m台地より手前の尾根上に出たところ(標高約1,400m地点)でスコップを使って整地後テントを張る。湿度を多く含んだ雪は、水分の密度が濃い分、水を作りやすいことが良い。替わりに、行動中の衣類やテント内は湿気でベタベタ。これで、テント本体を持つ僕の重量が増えた…。天気図を作成すると、気圧配置から年末までは天気がもちそうだ。重い食料を一気に食って軽くなりたいところだが、今後のことを考えるとそうはいかない。夜行疲れで早々に就寝。
4:30起床。尾根上に出たとはいえ、まだまだ交替でラッセルは続く。膝下くらいであろうか。トレースも薄っすらと表面にあり、その下に踏みしめた固い雪面をあてにするが、何度も裏切られズッポリとはまる。2,121m地点で東から南東方向に進路変更し、一度下ってから雪壁を薮の潅木などを掴みつつ登る。ここから、アイゼンに履き替えた雄山さんが快調にとばしはじめ、僕は遅れ気味。「ザイルが必要と思うところでは待っててください〜!」と念を押す。さほどラッセルも必要になくなりヤセ尾根が多くなる。時々、空に晴れ間がのぞく。霧も部分的にとれ、早月尾根、本峰などが霧の中からポッカリ浮かんで幻想的。薮・岩・雪・氷混じりの急斜面で右足のアイゼンがないことにに気付く。どこかで落としたらしい。安全地帯でザックを下ろし、アイゼン捜しで少し遅れることを説明しようと雄山さんを呼ぶが、声が届かないほど遠くへ行ってしまったのか返事がない。この先、アイゼンがないと話にならないので、アイゼン捜しに空身でクライムダウン。50mほど下ると、先程、通過した急斜面の潅木に引っかかっていた。アイゼンバンドも切れていない。原因は、左足のアイゼン後爪が、右足アイゼン内側バンドに引っかかりはずれたと推察。もっと過酷な状況でこんなことが発生すると、大変なこと。注意が必要。きっちりバンドを締め直しザックのところまで戻ると、僕が滑落したのでは?と雄山さんが心配して戻ってきてくれていた。お手数おかけします。ニードルの手前では池ノ谷側を約5mの懸垂下降。その先に通過点の三ノ窓やチンネが眺められる。ほどなくドーム頂上?(約2,400m地点)に出て本日はここまで。
天気図を作成して、天気予報を聴くとやはり元旦はあまり天気が良くない様子。そこで明日の予定を相談。三ノ窓でノンビリ過ごす、剣岳本峰直下で雪洞とも考えたが、予定の三ノ窓から早月小屋へ変更することに。天候悪化の前に、できるだけ安全地帯まで降りていていたいからだ。5月に小窓尾根にきたときは2日で三ノ窓に達していた(しかも昼過ぎ)ことから、冬の剣はまた異質なものと少し実感。天候が良くなければ、もっと異質だろう。夜空は満天の星が明日の好天を約束してくれ(ギラギラしていなかった∵寒気が入るとギラギラする)、富山市方面は町灯が快適な空間を約束するように輝いていた。
4:30起床。朝から気持ち良い晴れ。相変わらず雄山さんは快調にとばす。僕はそのペースについていけず遅れ気味。マッチ箱を通過するとアップダウンの岩稜混じりの雪尾根。左手に北方稜線。いつかは行きたいルート。稜線が青空に映え美しい。小窓ノ王の基部に到着。残置支点に8mm×50mのザイルが懸垂下降用にぶら下がっている。雄山さんのものだ。下をのぞくと、下降点より少し行ったところに三ノ窓に向かう雄山さんの姿。5月のときは、ザイル50mをダブルで懸垂下降したのに大丈夫だろうか。その下は池ノ谷に真逆さま。けれども、雪質は比較的安定しており問題なかった。ザイルを回収し少し進むとシビレを切らした雄山さんが迎えにきてくれた。
10:30。三ノ窓は、誰もいない。テント及び雪洞の跡もない。この時期・天候にしては何だか珍しい。当然雪を付けたチンネにも人影はなし。こんな好条件でもったいないし、自分でも今すぐ登りたい気分だ。雄山さんがここ数年デポしてある一斗カン(食料・燃料など一杯)のところまで2人で行き、保存してあった行動食をいただく。また、これからあまり必要ではないと、持ってきたワカン(2人とも)・ザイル(8mm×50m)・燃料(灯油700ml)を新たにデポ。これからザイルは6mm×30mの1本のみとなり何だか心細い。池ノ谷ガリーはクーロワールと化してはいるがアイゼンがしっかりと効き登り易い。池ノ谷乗越に出ると雄山さん以外の人。富山大学山岳部以来の他パーティーだ。尋ねると、八ッ峰を登ってきた東京Y・C・Cの5人パーティー。彼らは、無事登攀できて満足そうだ。本峰稜線上で背後からきた彼らに抜かれた。いやはや彼らは体力がある。
剣本峰。12:00ごろ。天下無敵のドカッ晴れで、富山湾(ホタルイカがうまそうだ)から富士山まで見渡せる。日本列島が鳥瞰図的に理解。しかもほとんど無風。こんな条件下はめったにない。幸せ。祠は屋根の先の一部がチョコと見えるだけ。特に感慨はない。何時の間にか次に行きたいルートを目で追っている。源次郎尾根にトレースは見当たらない。八ッ峰はトレースがあり、・・・のコル辺りにボンヤリと人影?黒部別山方面には小野さんたち(ユ84)、槍ヶ岳方面には松田さん(京都雪稜)、大塚さん(京都雪稜)の各パーティーがいるはずだが、目を凝らして眺めてもさっぱりわからない。あちこち眺めているとあれもこれも行きたいルートが増えてきた。とりあえず北方稜線は片づけておきたい。早月尾根からは、馬場島であった親子連れが無事登頂してきた。これで、厳冬期剣岳最年少初登頂。早月尾根は本日最初のトレースとのこと。これで、頂上は全部で9人。富山湾の先から雲々がこちらに接近中。もう少しいたいところだが、安全地帯まで早々に下山開始。道標に従い早月尾根へ。雪質と天候が良かったせいかトレースもしっかりしており、雪壁も階段上になっていて、結局ザイルを使用しなかった。下りで何とか東京Y・C・Cについていこうとしたが、彼らのザックを揺する跳ねるようなペースにはついていけなかった。馬場島まで下山とのこと。途中、天気が良いので小屋手前の見晴らしの良いところで休止。僕らも馬場島まで行けないことはなかったが、さほど急ぐ必要もないので早月小屋周辺でテントを張ることにした。
小屋に到着。徐々に谷から雲が発生。小屋前は、約10張りのテント。僕らもその辺りでテントを張る。時間があったので明日のタクシーなど交通機関チェックのため、小屋のご主人に尋ねに行く。2階から出入り。やっぱり内部は暖かい。1階の食堂に行くと皆さん(山岳警備隊・ガイド・お客)くつろいでいる。ガイドの鈴木昇己さんがいた。尋ねると、小屋自体は今年10月に建て直したばかりとのことで小奇麗。素泊まり 5,000円/泊/人。ビール 500円/350ml。冬は年末年始のみの営業。食事もあり、今晩の夕食は「刺し身」とホワイトボードの文字がやけに印象に残る。下山したら、たくさん食べよう。タクシーは上市タクシー元旦休業。富山交通は元旦も営業しているが富山市から呼び且つ富山市まで乗車(片道約1万円)しなければならないとのこと。ちょっと高い。外のテントは全員明日登頂予定だそうだ。小屋の宿泊者に明日下山者が2人だけいるというのでその部屋に行くと、先ほどの親子。彼らもタクシー利用とのことで同乗することに。また、食料がたくさん余り明日持ち帰るのも面倒なのでと、いくらか食料をいただく。テントに戻ると、雄山さんができあがってご機嫌。大切に持参したウィスキー(500ml)を、もう下山だからとお先に飲んでいたのだ。僕も持参したウィスキーを取り出しささやかな飲み会。燃料も惜しみなくガンガン使用(MSR:灯油)。これまで、僕が惜しみながら使ってきたので、雄山さんが嬉しそう。食料もアルファ米2個/人とオカズなども大量に食べる。酒も全部飲みほす。明日の荷物をちょっとでも減らそうと。夜、一面霧となり降雪。水分を含んだシェラフに体を滑り込ませる。テントにあたるカサカサという雪の音。2000年元旦の瞬間は寝てるまに過ぎていった。
起床 4:30。積雪約30cm。テントをたたくとテントに積もった雪が、ガサッガサッと落ちる様子。ラジオでニュースを聞くと2000年問題も特に問題がなかったらしい。これで下山できる。テント内は内張りが下部で本体に引っ付いて凍り付いている。おかげでテントを撤収するとテント袋にテントが入りきらず、無理矢理ザックにつめるはめになった。他のテントは停滞を決めたのか半分くらい寝静まっている。霧のなか、下山開始。前日のトレースもばっちりでしかも下りなので随分楽だ。昨年5月に眺めたカタクリの花もまだまだ雪の下。途中、同乗する親子を抜かし先に行ってますと告げ馬場島着。
気温2℃。この時期にしては暖かい。デポした荷物をとり、下山報告をしに警備隊事務所へ。受付事務所前でお茶をいただき親子を待たせていただく。事務所内の公衆電話で富山交通に電話すると、営業中で入れるところまで迎えにきてくれるとのこと。その間、警備隊の方と話しををする。すると、本日の下山予定は、我々と親子の計4人のみ。年末年始の剣岳山域登山届け者数は、38パーティー・約160名で昨年より少ない。2000年問題でうまく休みが取れなかった人がいたのだろうか。その内訳は、半分くらいが長野県側からの入山で内容が濃いとのこと。因みに、小窓尾根は7パーティー。一覧表を見せていただくと、その中で一番長いのは、富山登攀クラブ3人パーティーのもので、唐松岳八方尾根〜欅平〜小黒部谷〜北方稜線〜剣岳〜早月尾根の計画。12月25日ごろ入山し、1月上中旬に下山予定。予備日を含めると、1月26日近くまでの計画となっている。彼らが下山してくるまで警備隊の方は、ずっと馬場島駐在。公務とはいえ、お疲れさまです。親子が到着し、警備隊の方から正月祝い・無事下山祝いを兼ねて御屠蘇(日本酒)をいただく。雄山さんご機嫌。聖君のザックを持つと雄山さんのザックより重くビックリ。親子と話しをしながら伊折へ向かう。すると、親父さんもクライマーで、聖君の累積登山回数は約160回、ヒマラヤ(約6000m)・ヨーロッパなども行ったことがああり登攀中心とのこと。フランス山岳ガイドの学校へ入りたいそうだ。本人が自主的に活動している様子がうかがえ頼もしい。途中、デポしてあった雄山さん手作りソリが、ここぞとばかりザックを乗せ活躍。また、奥まで入ってきた新聞社の方が出迎えを受け(もちろん親子の取材のため)、ついでに伊折の集落まで新聞社所有のランドクルーザーに乗せていただく。途中から小雨。今回は行きも帰りも雨。それだけ暖かいのだろう。車中、昨年年末の北日本新聞社会面に、ザックを背負って歩く親子のカラー写真付きで掲載された記事を見せていただく。新聞社の富山県カバー率が約75%からすると県内では有名人のはず。タクシーを待つ間、伊折集落の中村酒店でビール(聖君はアップルジュース)で乾杯。さっそく、聖君はその店のオバサン、通りがかりの登山者お姉さんに御馴染みとなっていた。彼は女性にもてる。雄山さんは手作りソリを聖君にあげた。聖君も嬉しそうな様子。今後、もしかして、アプローチの長いルートではこのソリを引っ張っている聖君に会うかもしれない。首尾よくタクシーに乗車し富山市へ(約9,700円/4人)。富山駅は晴れ。富山駅で親子及び雄山さんは東京へ、僕は実家の名古屋へ向かった。
今回は、好天に恵まれ快適な登山であった。本来の厳冬期の剣岳はこんなものではないはずだ。おそらく今回は剣岳の半分もわかっていないと思う。また。機会があれば実力をアップし別のルートにいってみたい。
以上