青春の詩 1 (中川 ピン)

序章

 垂直の岩壁とは、自然が作ったひとつの絶望である。人間にとっては、それは自然の拒絶であり沈黙となる。しかし、その垂直の表情と出逢うたびに内なる本能を揺り動かされ、岩に挑むという行為に、どうしようもない血のさわぎを覚えてしまう者もいる。
 クライマーには、自分の体力と精神力と技術しかない。運命、宿命というものは、自分の力と腕で切り開く事も出来るし、閉ざしてしまうこともある。切り開けば生があり、閉ざせば死が口を大きくあけて待っている。

第一章  アホな男(空想のドラマ、失恋編)

 ある女は言った、「男はアホや、一週間も十日も山に行って自分の好きな事ばっかしして、疲れて帰ってくる。ちょっとは、待ってるもんの事を考えてんの?」少し最後は涙声になっていた。それでも男は、「男はなぁ、待つ女が好きなんや、ごたごた言うな。ちょっとくらい辛抱せんかい」と女の顔色を気にせずに怒鳴り続けた。数日後、女から「いつもの店で待ってるわ」と電話があった。昔はにぎやかだったが、いまは客もまばらである。

 今夜で別れと知りながら、シャワーを浴びたの哀しいでしょう?

 あなたの瞳に私が映る、涙で汚れてひどい顔でしょう? 

 最後の最後の化粧するから、私を綺麗な思い出にして。

 席を立つのは、あなたから後姿を見たいからいつも、あなたの影を踏み、歩いた癖が直らない。

 これが最後の言葉だった。

第二章  アルコール

 タバコは吸いすぎても、犯罪にむすびつかない。酒は呑みすぎると、頭がおかしくなったり犯罪を犯したりすることもある。私にとって、酒は女性と同じくらい人生を狂わせたり、誘惑したりする。

 私は、家で呑んでも二日酔いになることが多い。なぜ酒を呑むのだろうか、いまだに自分でもわからない。本当にわからない。

 (しかし、現在は生活改善、進行中)

第三章  岩と雪

 大津にある登山店ではない。「いわゆき」と呼ばれる雑誌である。橋川さんから、創刊号から85号までが東京の古本屋で売りにだされていると聞いた。価格は約十二万円、迷ったすえに購入した。重量は約24・である。いまでは私の宝である。雨の降る休日など、酒を呑みながら一日中、読みふける。酒の酔いも手伝い気分は最高になる。行きたい山が、ひとつ増える。もっと勉強しなくてはならない、もちろん山と人生をである。

第四章  手紙

 私は手紙を書くのが好きである。季節の挨拶やお礼の手紙などは友人によく出す。電話はあまり好きではない。会話が終わり、受話器を置いたときの虚しさがあるからだ。

 さて、ここで書き方だ。葉書、絵葉書などがあれば最高である。

 万年筆で書く。インクの色は青(ブルー)が私は好きだ。ボールペンはあたたかさがないので、好きになれない。字は下手くそでも大きく書く。流れるように、さりげなく書く。相手がしたしい人ならもらった手紙から、どのような心遣いかを感じてくれるだろう。
 鴨川の水のせせらぎ、東山の蝉時雨残暑御見舞い申しあげます。

 その後、いかが御過ごしでしょうか。

 上高地、いかがでしたか。

 夏休みの宿題の絵日記、しっかりとあなたの思い出というページに書くことができましたか。

 御身体を大切になさって下さい。

なかがわ

第五章  惚れたら最悪? (空想のドラマ、青春編)

 独身である私を先輩が、食事に誘ってくれる。この先輩もアル中で、酒呑童子の私でも恐怖というものを感じてしまう。しかし、ちゃんと奥様と二人の子供さんがいるので、不思議である。

先輩 「おい、お前も早よ結婚せいよ、山ばっかり行ってんと」

奥様 「はじめちゃん、こないだも行ってたやろ? テントとか色々なもん干してあったしわかったで」

中川 「そうです、前穂北尾根にクラブの人と行ってたんですわなかなか良かったですよ」

奥様 「いつも、何日くらい行くの?」

中川 「係長に頼んで、休みをもらえたら五日から七日くらいですわ」

奥様 「そんな行くの?」

先輩 「彼女はおらんのか?」

中川 「いませんよ、ワシは忙しいんですわ。そんなん、かもうてる暇あらへんのですよ。まだまだ、行かなあかん山があるんですわ」

先輩 「朝の五時まで呑んでるやつがか」

中川 「まあ、呑んでください」

 ここでわたしは、話題を変えるめに色々考える。酒の入った脳ミソでは咄嗟におもいつかない。

奥様 「なぁ、まえ付き合うとった彼女どないしたん」

中川 「山、行きすぎたら逃げられました」

奥様 「もったいないなぁ。もうチャンスあらへんで」

中川 「うぅ、今日はあかん完全なインケツや、目標があるんですょー」 

奥様 「どんな?」

中川 「継続、継続登攀ですよ」

先輩 「どんな山登りや」

中川 「ただ一本を登るのと違うて、壁から尾根へ尾根から壁へとつなげ、頂を目指すんですよ」 

奥様 「しんどないん」

先輩 「アホ、気合や。気合!」

中川 「そうです、男は気合です。最近の男が忘れてるもんですよ。奥さん、呑んでください」

奥様 「はじめちゃん、そんなことに気合を入れんと、お嫁さんみっけたら」  

先輩 「そうや、岩登りはやめとけ。ハイキングのほうでええんちゃうか」

中川 「先輩、さっき言うたことと反対ですよ」

先輩 「酔うたんかなぁ、そんなん言うてへんぞ」

奥様 「そら彼女もにげるで、そんなこと考えとったら。もう少し行く日数をへらしたら? はじめちゃんに惚れたら最悪やで、山しかアタマにないもんね」

 この日は、三人で二升五合くらい呑んだと記憶している。酔っていたが、このての話は妙に記憶に残るのである。それは、私が心のどこかで気にしている何かがあるからだろう。

 翌日、酒臭い布団から這い出てヤカンをかけながら、「きのうはええ酒の肴にされてしもた」と思った。しかし、心地良い二日酔いである。湯が沸いたので、緑茶の葉をヤカンの中に入れた。緑茶は二日酔いの身体を回復さすのに最適である。喉が乾いているのでイッキにヤカンの半分くらい飲んだ。後はドンドン用足しにいってオシッコを出すだけだ。

第六章 継続登攀

 今春に友彦さんと前穂北尾根に行ってから、継続という二文字が特に気になっている。今夏は屏風から北尾根、前穂、奥穂への継続を考えている。なぜ、継続登攀でなくてはならないのか。垂直という異界を越えて尾根へ、尾根から異界の壁へ。

 最近の社会は「形」だけのものが多い。すべて「結果」が大切なのである。どんなことをしても、結果が良ければいいという感じを受ける。失敗を敗北と考えたりカッコ悪いと考えていることが多い。私は何事も、どのようにしてそこにたどり着いたかが大切であると考えている。あえて苦しいことをしてたどり着かなくても、楽な方から行っても、同じ場所に着いたという結果はおなじであると考えている人が多いと思う。しかし、充実感や満足感が違うと私は思う。外面より内面を大切にしたい。今の荒んだ社会だからこそ、あえて厳しい道を歩み頂を目指したい。 (九八年は敗退)

第七章  百合と石楠花

 四月、ひさしぶりにハイキングに参加した。北山の衣懸坂、石楠花と伏条台杉めぐりである。市内から見ると山々は表現することが困難なくらい新緑が美しい。秋の山は「燃えるようだ」とよく表現されるが、初夏の山は私の勉強不足で表現の方法がわからない。山中で見る石楠花は、うすい桃色で綺麗だ。写真等でしか見たことがないので「ワー」とか「オー」などしか言葉がでない。紅葉や新緑など山全体が色づくものは、街からでも見ることができるが、ひっそりと咲く花などは見ることができない。自分の美しさを自慢することなく、足を運んでくる者にだけ微笑みかけてくれるのだ。

 どんな花が好きですかと聞かれたら、私は間違いなく「百合の花です」と答えるだろう。それも、ひっそりと人知れず山に咲く百合の花。なんとも言えない美しさがあり可憐だ。しかし、今回の石楠花も綺麗だった。すこし控えめであり、美くしかった。厳しい冬を乗り越えて美しい花を咲かし、街の花屋で見る花のようにつくられたものではない美しさは忘れられない。 百合の花には悪いが、来年も石楠花に逢いに行こうと思っている。けっして浮気ではないんだよ、わかっておくれ。きみと同じくらいに綺麗な人を見つけてしまったんだよ。

第八章  ハーケンとハンマー

 岩登りのテキストには、「ハーケンが歌う」という表現が使われていることがある。さて、どのように歌ってくれるのだろうか。軟鉄とクロモリでは素材が違うので歌いかたも違ってくる。ハーケンを打つには、ハンマーが必要だ。ハンマーの柄、すなわちシャフトの素材の違いによっても差が出てくる。金属素材のシャフトは堅く手に重い感じを受けるが、木製のヒッコリーのシャフトは弾力性があり、しなりが良く手になじみやすい。私の愛用のハンマーの柄も木製のヒッコリーだ。しろかった色も今は汗を吸って褐色に変化している。うれしい涙と悔しい涙も少し吸っているかもしれない。 

 ハーケンよ歌っておくれ。君が澄んだ声でラブソングを口遊むほどに、君の歌が私の勇気になるのだ。私は、歌ってくれ効いてくれと願いながらハンマーを振るう。君が澄んだ声で歌ってくれると私は安心するのだ。なぜかと聞かれると困るが、私は君を信用しているし、君が歌ってくれないと、墜落と言う恐怖に負けてしまうのだ。

第九章  私の夏夜

 私の部屋には、テレビ、クーラーと言うものはない。今年の夏も暑かった。平均気温三十四度くらいの日が続いたと思う。しかし、不思議なもので慣れてしまうと、平気なのである。反面、クーラーの効いた部屋に長時間いると、膝とお腹の具合が悪くなる。

 ここで、「お前はどんな生活しとんねん」と疑問を抱く人もいるだろう。生活全部の秘密を明かすことは出来ないが、一部を紹介してみよう。山の本を読む、徹底的に読む。『岩と雪』『岳人』などの雑誌や技術書、文庫本。またエッセイや岩場のルート図など、なんでも目を通す。もし、ある山域に出掛けるなら関連した本を読む。ただ、ガイドブックを読むより、知識は広がるであろう。少し能書きが多くなってしまったが、本を読んで次ぎなる山を考えているのである。これから秋の風を感じながら、少し濃い酒を呑み、読書なんかお洒落じゃないですか。

おわりに

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。この偏執的な文章を皆さんは、いかがでしたか。私の私生活の一部であり、嘘半分もあります。それは、読む人に任せます。

 今、私は一人だ。彼女もいない。両親からは、「お前、どうすんねん」と言われるが、どうしょうもない。目標は、冬季の屏風から北尾根、奥穂への継続だ。この登攀を成功させてから色々考えたい。

 色々と書きましたが、私の登攀と言うか、山に対する考えを少しは、理解していだいたでしょうか。社会での生活と山での生活を私は区別していない。なぜなら、ザイルをともにする人には私の本当の姿を知ってほしいのです。生命を預ける人として。

 文士とアル中とは紙一重と言いますが、私の今回の文章も特に考えたものでは無いのです。私の、日常の記憶、想像から生まれてくるものです。

 

平成十年九月

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