青春の詩 3(中川 ピン)

序章

 四月になり、京都でも桜の開花が始まり淋しかった街も淡い桃色に染まっている。 私は目標であった冬季登攀を終えて、写真を眺めながら冬の山を思い出している。今年は三月に入ってから、積雪が増したようである。唐沢岳幕岩、黒部丸山東壁は雪に苦しんだ。
 春の日差しは、雪深い山にも春をもたらしていく。
 山里でも桜が咲き、山の木々が若葉の薫りを運んでくれる。今シーズンも、マニァツクで過激な登攀に挑戦するぞ。
 春の日差しが、私を元気づけてくれる。

第一章 墜落・明星山でのこと

 私の眼下には、小滝川が山の紅葉を映しながら流れている。パートナーの岡村さんは、だらしなくザイルにぶらさがっている私をみながら、細い目を細めて笑っている。

本チャンで墜落するのは三回目である。屏風の大スラブ、錫杖の左カンテ、墜落の回数が増すごとに墜落距離も大きくなっていく。今回は十メートル位は墜落したであろう。私はフリーが苦手なので、前進の手段として残置ピンを利用してのA0で突破するのであるが、今回はキャメロットを用いた。クラックにキャメロットはしっかりと効いたように思った。ショクテストを行い、右手で持って伸し上がった。次の瞬間、キャメロットは外れた。原因は真下にかかる力には耐えるが、斜めに引っ張ってしまったからである。ザイルとハーケンが衝撃を吸収してくれたためか、身体へのショツクは無かったが、心臓は力一杯に拍動している。

 今でも、困難なピッチにくるとこの時の記憶が頭の中から心臓へと信号を送り、私を弱気にさせてしまう。

第二章 黒部丸山東壁・ビバーク日記

 私たちは、やっとのことで丸山東壁の基部に辿り着いた。壁に雪は付着していないが、中央バンドは雪で覆われている。今回は、緑ルートを登攀する予定である。一ピッチ目は、雪で埋まっているため取付きを発見する必要がある。左岩稜の基部にザックを置いて緑ルートの取付きへと向かった。頭上にリングボルトが鈍く光っているのがみえるが、その下には、ボルトラダーを見つけることができない。ピッケルのブレードで掘り返すが、なかなかボルトは出てこない。そのうち、岡村さんが一本のボルトを見つけだした。ここが、明日のスタート地点である。ボルトに赤いスリングを結んだ。

 テントを持って来ていない私たちの、今夜の城はツェルトである。岩壁の基部は急雪壁になっている。スノーシャワー、上部からの落氷雪、雪崩の余波を避けられる所を選ばなくてはならない。私たちが選択した場所は、左岩稜の基部で上には木が生えていた。しかし、急雪壁になっているため切り出しには苦労した。スコップでガンガン堀り続けて、二人がゆっくりと座れる場所を確保した。スコップを使って雪を削るのは容易であるが、ピッケルのブレードだけでこれだけのスペースを確保するのは、苦労するであろう。しかし、強いクライマーたちは、ピッケルのブレードだけで雪洞を掘ることができるらしい。また、ある者はコッフエルやヘルメットで雪洞を掘ることができるというから、驚きの技術である。

 私には、まだまだ訓練の必要性がありそうである。今年の冬は練習しょう。技術を習得出来たら、みんなと比良あたりに行ってビバークを楽しみたいものである。   

 私たちはツェルトを被り、早速コンロに火をつけた。ゴォーという音とともに、私のメガネが曇りツェルト内の温度の上昇を告げている。コンロは私の大腿上で、岡村さんがコッフエを持っている。狭いツェルト内では、こうした方が安全なのだ。湯が沸いてきたので、ジフィーズに湯を注ぎ食べた。

 食事を終え身体が暖まっているあいだに、眠ることにしょう。夜の寒気は、何回となく私たちに覚醒ということを強要するであろう。その覚醒は快楽ではなく、窮屈な姿勢・寒気による身体の震えという苦痛の覚醒である。今回も何度となく目が覚めた。私たちが発した呼気により、ツェルト内はバリバリに凍てついている。気温の下降をしめしている。コンロに点火すると蒼いガスの花が咲き、暖気をあたえてくれる。 幾度目が覚めたことであろうか、時計はやっと午前四時を告げている。私たちは、ジフィーズに湯を注ぎあわてて食べた。暖かいものを食べる幸せを感じながら、血液が全身を流れるのを感じながら食べた。

 街の燈もなにも見えない黒部丸山東壁、アウターのみで一夜を過ごすのは辛かったが気分は最高であった。 シュラフカバーを使用せずに耐えたことは、自信につながることであろう。しかし、なによりの収穫は寒気にたえながら考えたことである。街の生活で同じことを考えても、あまり良い結果がでなかったり、ついつい自分を甘やかす楽な方向に物事を考えてしまう。丸東では違っていた。昨年末の祖母の死、老いていく両親の姿、仕事に対する情熱の低下、もっと山に登りたいと思う気持ち、どれもこれも素直に考えられる。反省、自己の欠点、言い訳に対する恥ずかしさ……。

 この時だけは、いつもの私ではなかった。寒さのため早く朝がくることは望んでいたが、寒気が私を包み込んで目が冴えるほど素直になれた。この気持ちを社会でも、持つことができたなら私が成長できた証拠であろう。

第三章 屏風への想い

 雨に煙る中、横尾から屏風を初めて見たのは十六歳の夏であった。壁は大きく、人間を拒絶しているようであった。その後、幾度となく涸沢を目指して行く途中で屏風を見上げたが、さほど気になる存在ではなかった。ピークハントからバリェーションルートへと興味をもち始めた私に、衝撃を与えた雑誌があった。

 「岩と雪・一二六号」であった。連載記事であり「ビック・ウォール・コメンタリー」という、日本の本チャンルートを細かく紹介しているものであり、一二六号は穂高・屏風岩東壁が中根穂高氏により紹介されていた。その中に気になる文章があり、「できればシュラフとコンロを持って岩場でビバークすれば最高。雨の心配のない岩小舎もあるし。最近、こういう登攀が忘れられがちだけど、星空のビバークっていいもんです。酒なんぞちびりとやってね……」と書かれていた。私は「これしかない!」と感じた。一目惚れであり、屏風を攀りたい、テラスでビバークしてみたいと、熱は上がるばかりであった。

 雪稜クラブに入会させて頂き、パートナーにも恵まれて、毎年のように足を運んでいる。喜びの完登、悔し涙の懸垂下降、星空のビバーク等、思い出と感動を与えてくれた屏風岩。私の一目惚れに間違いはなかったのか? 私が一方的に惚れてしまったのであるが、屏風は期待を裏切らない。しかし、恋の上手い女性が「私も好きよ」と言葉で言わず、女性らしい仕草で男を惑わすのと同じような感じで、騙しているのかもしれない。

 山の魅力でも街の恋でも、「惚れたら」それしか見えなくなるが、「惚れさせる」という術を持っているものは、偉大で美しいと私は思う。

第四章 街の星屑・空想ドラマ三

枯葉ごしに山の道を辿り、急なコンクリートの石段を駈け上がれば、京都市内の夜景が一望できた。夕方に銀閣寺の市営駐車場の近くの喫茶店で待ち合わせ、いつものように大文字山へ、世間話をしながら歩いていく。時間にして三〇分くらいか。三十路を越えた、男と女にとてはおきまりの散歩コースであった。

 夏から秋そして初冬へと移る季節は、早くも夜の気配を感じさせる冷たい風が木々の間を吹きぬけていく。しかし、暖房が早くもきき始めた喫茶店にいた二人にとっては、ちょうど心地良いくらいの風であった。

 「どうせ、登っていたら汗をかくだろう」と男は思った。

 「いつ見てもきれいやね」と女が嬉しそうにカン高い声を上げ喜んだ。二日位前に冷たい雨が降り、空の雲を洗い流したためか、いつもよりきれいに見えているのは事実であった。こんなうれしそうな声をきくのは、男にとって久しぶりであった。鬱蒼と茂った森のむこうからは、京大の学生の吹くトランペットの悲しい音色と、対照的な応援団の大太鼓を叩く力強い振動を伝える音が、澄んだ夜の空気に乗って聞こえてくる。

 男は、「いつ来ても、ええやろ。ここは歩かんと来られへんし、茶髪の変なヤツもおらんで」と、この場所から見える夜景の美しさを知っている事を自慢するように言った。もちろん、自分自身もここから見る夜景が好きであった。

 京都市内には、いくつかの夜景の見えるスポットがあるが、どこも自動車を利用して行けるところばかりなので、好きになれないのだ。山から見る夜景が好きな男にとって、観光地のように人が大勢くる所は、興醒めするのであった。

 女が問い掛けてくる。「ここで私らが懐中電灯を照らしたら、下から誰か気付くやろか」白い歯を見せて、いたずらをする子供のように視線を送る。出町柳の加茂大橋からは、大文字山の「大の字」は大きく見える。信号待ちで停車した車から、私たちの二つの小さい懐中電灯の光に気付く者などいないであろうと、男は思った。

 時々頭上から、下の鬱蒼と茂った森へと強い風が滑り落ちていく。そのたび、女の髪の毛も同じ方向へと流れる。

 「今年、なんぼになったんや」と男が問う。 

 「もう、三十二歳よ。昼間に働いて、夜に週二回、祇園に勤めに行っているうちに、歳をとったわ」と、溜め息まじりに言った。

 「あなたも、もう三十四歳でしよ。前にも言ったけど、男の夢は女を不幸にするのよ。以前も山に行きすぎて失敗したんでしょ。お酒と山ばっかりやん」と、諭すように男を見つめた。

 山と酒しか楽しみがない訳ではないが、カッコエエことは何もできない男であった。

 「そやけど、まだまだ登りたいねん」ボソボソと男は言った。

 「そろそろ、祇園も止めようか」と問い掛けるように、女が言う。いつも嫌なことがあると、女からでる愚痴である言葉であった。

 「夜に祇園で働いていると、昼間の人は変な目で見るでしょ」いつも、夜に働いていることを後ろめたく感じているようであった。

 しかし、男は気にしていなかった。山ばかりに行っている、自分のほうが社会から変な目で見られいると感じていたからだ。親父からは「道楽」と違って、「もう、極道と同じや」とまで言われていた。

 「そんなことあらへんて。自分のペースやで、綺麗事やけど自分の生活・人生やんか。気にせんとき」と男は自分の生活を正当化する意味も込めて言った。

 星が輝き、夜間飛行の飛行機が赤い光を点灯させながら飛んでいる。先程の言葉が、なぐさめになっていなかったのは、解っていたが、「私は、女やもん」と言う言葉を聞いて今日はいつもの愚痴でないことを、男ははじめて気付いた。夜の湿った空気が、二人を包んでいく。

 「そろそろ、いつものオデン屋も人が空くころやし、酒でも呑みに行こか」と言った

 「うん、熱燗がええよ。キンキンに熱いやつ」と言い目尻をハンカチで拭きながら、右手で男の肘をつかんだ。

 街へ降りよう。雑踏へ踏み込めば、二人も人の流れにまぎれて、通行人になるであろう。そしてまた、悲しいトランペットの音色が聞こえてきた。夜空の星屑、街の星屑、今日も何もなかったように輝いている。

第五章 手紙文例 新緑

前略

  連休の飛騨高山の旅は、いかがでしたか。

  山里は、遅い春の色に包まれていたことでしょう。

  街を歩くと団地のベランダから干された布団の波

  から、鯉のぼりが申し訳なさそうに泳いでいます。

  本当に泳げるものなら、大空に放してやりたいも

  のですね。

  私は来週末から、屏風に行きます。

  帰ってきたら食事にでも行きましょう。

草々
なかがわ

第六章 登攀について

パートナーと目指す岩場が決まったときから、緊張は始まる。ひと月前でも一週間前でも緊張の糸の張り具合は変わらない。準備することは、然程多くないが落ち着かない。

 登攀具の点検、計画書の作成、留守本部の依頼、食料・行動食の購入等を流れ作業のように進めていく。そして、ルート図のコピーを撮る。ルート図は暗記できるくらいに読む。ピトンの効きの甘い人工登攀、ザイルの流れに注意……読んで読んで自己を疑似体験的な空間にもっていく。いままでの経験をあわせると、いっそう現実的になっていく。私は登攀を開始するまで、何度も何度もこの行為を繰り返す。

 出発当日、もう一度ザックの中を確認する。ポリタンに水を入れてザツクに収める。部屋の中を小綺麗にかたずけて、電気・ガスの確認をする。最後は、冷蔵庫にビールが何本あるかを確かめて、部屋のカギをかけるのである。出発前の緊張感、何とも言えないものがある。心地よい緊張であり、目標とする登攀のために避けて通過出来ない苦痛である。登攀が厳しい所になればなるほど、苦痛は大きくなる。

 出発前の精神のコントロール、上手く自己を操作する方法は無いものだろうか。現在のルールのあるスポーツで、みんな「死」を意識して挑んでいるだろうか。柔道だろうが、空手だろうが、試合中に死んだ事例など、最近は耳にしない。しかし、フルマラソンは例外であると、私は思っている。私のしている登攀などは、卓越したクライマーから見ればちっぽけなものである。

 しかし、大袈裟な表現ではあるが、私は登攀に挑むときは「死」を意識している。それは、悪戯な表現ではなく当然、頭の中に働く考えではなかろうか。絶対に死なないと思うけれど、いつも出発前の緊張の中には、このことが存在しているのである。

おわりに

 大型連休の最終日、階下の公園で遊んでいる子供の声を聞きながら、原稿を書いている。津久井編集長から「ピンちゃん、早く原稿だしてね」と言われていたが、色々あって進めることができなかった。もうすぐ夏である。穂高屏風継続登攀にむけて、そろそろ体調も整えていかなくてはならない。今年こそは、屏風から槍ケ岳まで継続させたいと思っている。最近、よく思うことは「いつまで、クライミングを続けるのか」と言うことである。この言葉は、「いつまで、続けられるのか」とは大きく違うのである。

 私は頭の回転が良くないので、つぎからつぎへと挑戦したい山が出てくる。社会の天秤というものは不思議なもので、私の登攀欲が満たされるたびに社会での大切なものを、ひとつずつ無くしていったように思う。

 人と人、男と女、こうして各人の「幸せのバランス」が保たれているのかもしれない。私はまだまだ登攀という行為を続けるであろう。しかし、両親や最愛の人に「涙」をみせられたら、少しは考えようと最近は思っている。

 今回で三回目の連載となりました。最後まで読んで頂きありがとうございます。毎度のことですが、私が経験したこと考えていることを書きました。

 読みづらい文章ですが、これからも贔屓にしてやって下さい。

夕方の雨を待ちながら

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