中岳西尾根
2009年 3月 31日 | 北アルプス, 積雪期岩登り当初の予定はT嶋さんとS築さんでアイスクライミングの予定だったが、暖冬で氷がないとういことで登攀に切り替わった。2月下旬に別件でT田君から電話を受けた時に3連休一緒に山に行こうと誘った。行き先として戸隠P1、五竜G?、北鎌、鹿島槍ダイレクト尾根、中岳西尾根と候補があがった。各自記録等を調べた結果、中岳西尾根へ行くことになった。メンバーは、S藤君、N村君、O村さん、H岡さんと参加者が増え最終7人で行くことになった。中岳西尾根は、07年11月に南岳西尾根に行ったときにT嶋さんから教えてもらって知った。南岳西尾根よりグレードが上がり、面白そうな登攀があるということで次回いってみたいと思っていた。参考資料は、登山体系、06年正月と98年正月の記録だけだった。
3月19日
京都駅22:00→平湯バス停仮眠
前週の石尊稜の疲れが残っていたのか、出発当日に風邪をひいてしまった。かなり喉が痛くて病院にいって薬を貰った。
3月20日
平湯起床7:00→T田君合流9:00→新穂高駐車場→出発10:20→穂高平小屋11:15→白出沢出合12:20→滝谷の小屋14:40→槍平小屋14:50→西尾根ラッセル→就寝20:00
意外にゆっくり寝れた。用意して松本から来るT田君を待つ。夜から降っていた雨が次第に小雨になり曇り空へ変わった。雨の中のアプローチは辛いと思っていたのでよかった。相変わらず大きな荷物をもってT田君登場。セレナは人と荷物でいっぱい、平湯から新穂高温泉へむかった。
穂高平小屋、白出沢出合手前で休憩をとりながら順調に進む。しばらくはトレースがあったので楽だったが、ついに先行Pに追いついてしまった。先に行かせてもらうことになりラッセル開始。わかんがあったほう良いかなと思ったが、南岳西尾根に行った11月よりは沈むことはなく楽だった。滝谷の小屋に到着し、飛騨沢を横断しなければいけない。ルートを確認しながら空身で慎重に進む。谷をいくつか横断するが、デブリがすさまじかった。滝谷の小屋を過ぎた辺りだったか、青空がひろがり第四尾根だろうか、素晴らしい景色を見ることができた。
ラッセルを交代しながら4時間半の辛いアプローチが終わった。槍平について冬季小屋を使わせてもらうことにした。1泊一人1000円と少し高いが、なんといっても快適。(中でテント使用禁止、無くても寒くなかった)我々以外に2人と、9人で広々と快適に使うことが出来た。
少し休憩をとったあと、翌日の為にT嶋さん、N村君、S藤さん、O村さんがトレースをつけにラッセルにいってくださった。残った私とH岡さんとT田君で水や晩御飯の準備をした。18時頃O村さん、T嶋さんの順に小屋に戻ってきた。N村君とS藤さんは、暗くなるギリギリまでラッセルをしてくださって18時半頃小屋に戻ってきた。本当にありがとうございました。晩御飯を食べて20時頃就寝。
3月21日
起床3:00→出発4:45→アイゼン取付5:25→P1→P2→P2コル9:00→P3ピーク9:50→P3コル10:40→核心下部11:15→中岳直下13:25→大喰岳→槍平18:15→就寝
テント撤収がないので準備が早い。目標は最低でも中岳まで行くことということで出発した。中岳西尾根の支尾根は3本ある。98年正月の記録は北の尾根から取り付き、06年正月は南の尾根から取り付いていた。記録には、「98年正月:登り始めは熊笹こぎ、ダケカンバンの木登りとまるでターザンごっこ。06年正月:下部は傾斜も緩く、ラッセルもそれほど深くなく、比較的楽であった」と書いてあり、南の尾根の方が易しそうだった。昨日我々は槍平までのトレースを戻り、南の尾根の末端から取り付いた。踏み跡にそってゆっくり進む。トレースがなくなったあたりから傾斜がきつくなる。アイゼンとハーネスを装着した。雪面は硬くアイゼン、バイルをきかせながらすすんだ。尾根に取り付いたあたりから沈み始めた。森林限界で休憩をとった。風はきつくて寒かった。
森林限界からまた硬い雪面を慎重に進む。気づかないうちにP1を超え、更に進むにつれ風が強まり、耐風姿勢で何度も足がとまった。男性陣はそんな中もゆっくり進んでいく。私は怖くて怖くてなかなか先に進むことが出来なかった。今回の山行の中で一番怖く、緊張したところかもしれない。先頭N村君がどんどん進み、P2のコルに9時頃到着した。記録によると、P2からコルへは15mほど懸垂下降とかいてあったが、ピナクルの岩は雪でうもれていて、我々はクライムダウンで通過した。このクライムダウンやらしかった。(この時点でP2のコルと気づいてなかった。)
P2のコルは狭く、ここからザイルを出して進むことになる。リードはN村君。ラインは直登かと思ったが、左上してカンテへ行く方が登りやすそうに見え、リーダーの指示のもと進んだ。カンテへの乗り移りがやらしくて少し苦戦した。そこからT田君がリードでトラバースしてP3コルへ着いた。
P3のコルは広くて、陽があたり暖かくて快適だった。振り返って上を見ると、残置スリングが見えた。おそらく正面を直登して懸垂でコルへ下るのが正規ルートだった様だ。まぁ、我々がとったルートは懸垂下降をしなくても良かったので、それも良かったのか。
さぁ目の前にさらなる岩壁があらわれた。しばらく眺めてリードしてみたいと思い、行かせていただくことにした。実はここから100mが核心だが、我々はP3と思い込んでいた。記録によると最初の40mが厳しいとのこと。そんなことも知らずリードした。ランナーはとれず10?15m進んだあたりにハーケンを見つけた。少し左上ぎみに進み、更にハーケンをみつけ(ピッチをきろうかと思ったが進んだ)、硬い雪面にアイゼン・アックスをきめながらカムでランナーをとり、45mのばしてピッチをきった。支点になるようなところはなく、ピナクルでセットし、リンクカムでバックアップをとった。支点をつくったところは、狭くて足もとは悪かった。98年の記録には、大喰岳側ではなく、正面を登ると鐙が必要とかいてあった。確かにピンがみえたが、よっぽどの物好きじゃないといかないだろう。
続いてO村さんがリードでザイルを延ばす。凹角を越えて稜上にでて雪面を登る。45mほど延ばして、ピナクルで支点をつくった。ここでしばらく休憩をとることにした。核心を越えたことをこの時点でしることとなった。
あとは慎重に雪稜を登り中岳直下に着いた。
意外にも早くぬけることができたので、先に進むことにした。梯子を下ろうかとおもったが傾斜もきついことから、道標を支点に懸垂下降をすることにした。稜線上にはシュルンドや雪庇が発達していた。何度かリーダーから注意をうけた。
大喰岳に着いて西尾根を進む。南岳に引き続きまたもや槍を踏むことができなかった。西尾根は長くてつらかった。クライムダウンとトラバースした箇所があり、かなり緊張した。途中で泊まろうかと思ったが、適地もなく槍平までくだることにした。飛騨沢はトレースがあったので以前に比べると楽だった。18時15分無事槍平に到着。小屋は我々のみで、贅沢に使うことできた。翌日は朝から雨で小屋まで戻ってきておいてよかった。
3月22日
起床5:00→出発→新穂高→温泉→京都
雨の中の下山となり、ひたすらトレースに沿って疲れた足を運んだ。上から下までビショビショになってしまった。平湯で温泉に入り、高山で美味しい物を食べようとおもったが、入った店はいまいちだった。量的・質的に満足できず、牛串やら団子やらを追加で買ってしまった。