【夏山事始め】南アルプス 聖岳・易老岳(無雪期縦走)

メンバー CL:Y、SL:O、KM
期日 2005年7月14日夜〜7月17日(木〜日)
地域・山域 南アルプス 聖岳・光岳
山行形態 無雪期縦走
地形図 赤石岳、光岳、上河内岳(1:25000図)

山行の情報

コースタイム

7/14
22:00山科駅集合出発
7/15
3:00易老渡駐車場→6:30起床→8:05出発→8:40便ヶ島8:53→9:43西沢渡10:00→12:47苔平13:17→14:40薊畑→15:00聖平テント場→19:10就寝
7/16
4:00起床→6:05出発→6:25薊畑→7:20小聖岳7:30→8:30前聖岳→8:50奥聖岳9:00→9:20前聖岳9:44→10:17小聖岳→10:55薊畑→11:00聖平テント場12:20→14:52上河内岳分岐→14:58上河内岳15:04→15:09分岐→17:05茶臼小屋テント場→21:00就寝
7/17
4:00 起床→6:38出発→6:51茶臼小屋分岐→7:10茶臼岳→7:25仁田池7:35→8:13仁田岳分岐→8:25仁田岳8:39→8:47分岐9:00→10:30易老岳10:55→12:55面平13:00→14:20易老渡駐車場

費用

¥9,847/1人

報告と感想

Yの所感

 南アルプスはひとつひとつの山が本当に大きい。そして、とても深い。山と空以外の何物も見えない稜線歩きは最高である。視界の彼方まで、五重六重と連なる山並みを眺めていると、それだけで幸福感がこみあげてくる。

  1. 準備
    夏山事始への参加を希望していたメンバーで行き先を相談したところ、せっかくなので、京都からアプローチしにくい南アルプスに行こうということに決まった。そして、「お花がたくさん咲いていて、長い距離を歩けて、登山者が多くなくて、登山口まで車で入れて、入山口と下山口が近くて…」等々の厳しい条件をくぐりぬけて、今回の聖光縦走プランが出来上がったのである。聞いて驚いたのだが、大先輩であるOさんは、まだ一度も南アルプスの山に登ったことがないとのこと。また、Kさんも私も、南アルプス南部の山域に足を踏み入れるのは今回が初めて。どのような植生がひろがっているのか、どのような風景と出会えるのか、とても楽しみであった。
  2. 易老渡への道
    Mさんにも参加していただけることになり、総勢4名で京都を出発。木曜の夜であったので、高速道路は空いているだろうと思っていたのだが、予想外に車は多かった。飯田ICで下りたあとは、一路、登山口である易老渡へ。インターネットの情報や、昨年、同じルートに行かれたYmさんの記録から、国道152号線を抜けてからの道が、かなり刺激的であるとの印象を受けていたので、覚悟はしていたのだが、噂に違わず、スリル満点の道路であった。横揺れ・縦揺れ何でもありで、果てには、大きな岩で車の底を擦る羽目になった。何はともあれ、無事に、登山口まで辿り着けてよかった。
  3. 沢渡へ
    初日は、6時半に起床。ゆっくりと準備をし、駐車場を出発したのは、8時過ぎであった。天気は快晴。便ヶ島までは、車も入れる幅の広いガタガタ道が続く。遠山川で釣りをするらしき人々の車が、何台か通っていった。道路脇のガードレールは、左斜面からの落石により、グニャグニャに曲がっていた。便ヶ島の聖光小屋に近くなると、突然、ガタガタ道がアスファルト舗装道に。所有権者の違いが如実に表れており、ちょっと面白かった。
     地図を見ると、便ヶ島から西沢渡までも平坦な道であったので、右手下方を流れる沢を眺めながら、のんびりと歩けるはずであったのだが、そこでは、大量のヒルが人間の訪れを待ち構えていた。2日前に降った雨で、まだ地面が乾いておらず、いかにも、ヒルが好みそうな場所であった。なるべく、ヒルに襲われないように、飛び跳ねるように歩いていた。気の毒なことに、Mさんを皮切りに、OさんもKさんも、次々と、ヒルの餌食になっていらっしゃったが、幸運なことに、私は、最後まで無事であった。地面に着地している時間を短くした努力が功を奏したものか、はたまた、私の血はヒルに好まれないのか。「メンバーの中では一番若くて、血も新鮮なはずなのに…。」と妙に心配になってくるから勝手なものである。
     西沢渡では、遠山川に流れ込む西沢を渡る際に、ロープにつながれた立派な乗物を利用。2人ずつ乗り込んでひとしきり楽しんだ。西沢の水は青く、岩は白く、眩しいほどであった。
  4. 薊畑分岐へ
    西沢渡をあとにして、薊畑分岐に向け出発。ここからは、尾根伝いに、延々と1300Mを登るのみ。始めから、なかなかの急坂である。辺りは鬱蒼とした森で、光が遮られて少し薄暗い。しばらく行くと、木造の大きな廃墟が建っていた。かつての造材小屋とのこと。奥まで入るのは、さすがに薄気味悪かった。冬の間に利用した人がいるのか、玄関の辺りには、まだ新しいアルファ米の袋が落ちていた。ちなみに、エアリアには、造材小屋使用不可と記されていた。
     このあとも、ひたすら、高度を稼いでいく。何はともあれ、暑くて汗が滴り落ちる。急坂を登ることは好きなのであるが、あまりに暑くて、水を2Lしか担いでこなかったことが心配になってくる。夏山で必要な水分量の読みが甘かったと反省した。薊畑分岐まであと半分だという地点で、ゆっくり休憩をとる。冗談ながら、「ここでテントを張ろうか。」という声が出てくる。楽なコースでないことは確かだと思った。
     しばらく行くと、苔平に到着。辺り一面が苔に覆われている。とても柔らかい色をした空間である。なぜか、私は、こういう場所が好きなのである。苔むした倒木や岩の姿は、時の流れや森の生命の輪廻を教えてくれるからだろうか。いつまでも、風の音を聞きながら佇んでいたい場所であった。
     薊畑分岐に近づくにつれて、登山道の石が赤っぽくなってきた。「もしや、これが、赤石山脈の由来か!」と、ひとつ賢くなったようで嬉しかった。科学的素養がすっぽり抜け落ちている私にとっては、「赤い石は赤い石」のままだったが、Mさんによると「赤い石はチャート」とのことだった。
     薊畑分岐は、南側の切れ落ちた谷から吹き上げる風の通り道で、じっとしていると、寒いくらいであった。
  5. 聖平小屋へ
    薊畑分岐からは、立枯れの白い木々が点在する中を、のんびりとお花を眺めながら下りていく。シナノキンバイやミヤマキンポウゲなどの黄色い花がたくさん咲いていた。まだ花は咲いていなかったが、トリカブトの群落もあった。ヒメウツギの木も1本立っており、薄く紅色がかった小さな花々は、とてもかわいらしかった。 聖平小屋は、縦走路を離れて、木道を少し歩いた先に建っていた。小屋の営業開始を明日に控え、従業員の方々は、忙しそうに働いておられた。テント場はとても広く、どこでも張りたい放題であった。Mさんは、本調子でない腰でありながら、「これも!?」と思うような大きな石を掘り起こして、入念な整地をしてくださった。テントを張ってから、本日のテント場代が気になるので、小屋を訪ねたところ、「営業は明日からなので、今日は結構です。」とのこと。論理的にはそれで当然なのかもしれないが、その心がとても嬉しかった。嬉しかったので、あまり飲まない人の集まりながら、ビールを2本買った。そのあと、テントの外で、Oさんが用意してくださった、生野菜たっぷりのおいしい夕食を頂いた。空は灰色の分厚い雲に覆われ始めており、雨が降るか降らないか微妙なところ。風が吹くと寒く、Mさんは雨具を着て完全装備。寒かったので、小屋で買ったビールは置き去りで、次の日のテント場までボッカをすることになった。寝る前に、お手洗いに行ったところ、鹿の親子が、窪地の水を飲みに来ていた。
  6. 聖岳往復
    縦走2日目。今日は、一番のお楽しみである聖岳往復の日である。それぞれ、行動食と非常セットをザックの中につめて、6時過ぎにテント場を出発。登山道脇の草花は露に濡れていた。薊畑分岐を過ぎ、樹林帯の中を登っていく。ゴゼンタチバナやツマトリソウ、マイヅルソウなどの白い花がひっそりと咲いている。聖平に流れ込む沢の源頭部を越えてしばらく行くと、小聖岳のピークに出た。目の前に聳える断崖には、1すじの滝が。岩の途中から水流があるということは、伏流水なのだろう。地図で確認すると、西沢に注ぐ支沢の生まれ故郷のようである。小聖岳から見上げる聖岳は堂々としていて、とても格好良かった。朝日を背に受けた富士山も、目の前にあった。ここからは、足場の悪いガレの急斜面をジグザグに登っていく。高低差にすると350Mほどであったが、Kさんによると、「頂上が見えていて、すぐに着きそうなのに、なかなか着かない」ところであった。名前は忘れたが、所々で、黄色やピンクの色鮮やかな花が風に揺れており、目を楽しませてくれた。1時間のアルバイトの末、前聖岳に到着。頂上からは、茶色がかった赤石岳とそこから延びる稜線がくっきりと見えた。まずは、恒例のヤッホー。肺活量6000のMさんに負けじと頑張るが、標準最低ラインの肺活量しかないようでは太刀打ちできず、呼吸困難を起こしかけた。頂上に荷物を置いて、東側の奥聖岳に向かう。幅の狭い稜線で、天の廊下を歩いているよう。淡いピンク色をしたハクサンシャクナゲが咲いていた。奥聖岳に着くと、赤石岳の後から、荒川三山が姿を現した。「今度は、あの稜線を歩きたいなあ。」と思いながら、じっと眺めていた。奥聖岳から東に続く稜線は、聖岳東尾根と呼ばれ、冬季ルートのみとエアリアには記されていたが、赤いペンキの印や踏み跡も確認することができた。一般的ではないが、このルートを利用する人も少なからずいるのだろう。前聖岳に戻って、のんびりと休憩。それぞれ、全力で栄養補給に努める。Oさんのスナック菓子「ポンスケ」が、皆の餌食になっていた。Kさんは、ザックを背にして、お昼寝。休憩中、2〜3パーティーが登ってきた。テント場で一緒だった若いご夫婦は、百間洞に向かわれるということだった。30分後、重い腰を上げて、出発。落石を起こさないように気をつけながら、下りていく。頂上ではいいお天気だったが、次第に、雲が近づいてきて、小聖岳に着く頃には、富士山の姿も見えなくなっていた。早くに登っておいてよかったと思った。聖平小屋に戻ったのは、ちょうど11時であった。
  7. 茶臼小屋へ
    聖平小屋で、たっぷりとお茶を飲み、リンゴや行動食を食べて、エネルギーを蓄える。気がつけば、テントを撤収して出発するまでに、1時間半弱の時間が経過していた。縦走路に戻り、上河内岳に向けて歩き出す。しばらく歩いてから、振り返ると、聖岳の大きな山腹は見えたが、頂上は、雲がかかって見えなかった。左手に、緑で青々としたなだらかな尾根を眺めながら、樹林帯のなかの細い道を歩いていく。森林限界を超えた頃、右手に、恐ろしげな崩壊地が。「右に寄ってはならぬ。」と気を引き締めて通過する。辺りの土の色は白っぽかった。2702ピークまでの斜面は、案外急である。ピークに着くと、運のいいことに、富士山がすっきりと見えた。畑薙湖らしき湖面も見えた。ここで、またもや、栄養補給。今回は、妙にお腹が空き、ひたすら食べている。これでは、痩せるはずもないか。上河内岳に近づくにつれて、雲行きがあやしくなってくる。分岐の手前で、雨がパラパラと降ってきたので、雨具の上着とザックカバーを装着。Mさんから、「雨女2人だしなあ。」と有難くないお言葉を賜る。分岐にザックを置いて、上河内岳に向かう。予想通り、何も見えず、「ヤッホー」の声だけをこだまして下山。小雨に打たれながら、一路、茶臼小屋へ。景色は何も見えなかったが、嬉しいことに、ライチョウが2羽、姿を見せてくれた。歩く姿は、ちょっとマヌケだったが、想像以上に、速く歩くのだなあと思った。2.5千分の1の地形図に、「御花畑」と記されているところは、コバイケソウはたくさん咲いていたものの、イメージとは少し違うお花畑であった。亀甲状土が見られる辺りは、広い草原のような地形で、靄に囲まれながら歩いていると、少し寂しいような怖いような印象を受けた。「そろそろ、茶臼小屋への分岐があるだろう。」と話していた頃、やけにだだっ広い広場が現れる。『ハイジの丘』という新しい標識が立っている。地図には記されていない名前である。「この辺りから、小屋に続く道があるのだろうか。」と皆で手分けして探してみる。どうも、ここには、分岐はなさそうだなあと思い始めた頃、縦走路を先に進んだOさんとKさんが、分岐を発見され、笛で合図してくださった。要するに、『ハイジの丘』にひきずられて、分岐の手前で、ウロウロとしていたわけである。視界がきかないと、分岐を見つけるのは難しい。Mさんに、「視界がきかないと、近くにあるものが遠くに見えて、距離間が狂う。」「こういう場合には、絶対に慌ててはいけない。」と教えて頂いた。分岐から100M程下って、茶臼小屋に着いたのは、夕方5時過ぎであった。
  8. 茶臼小屋
    テント場には、2〜3人用のテントが3張。皆が、テントを設営してくださっている間に、会計担当の私は小屋へ。とても感じの良いご夫婦で、なんと、美味しい緑茶を頂いてしまった。これぞ、役得。こじんまりとした暖かい雰囲気の小屋で、「何かあれば、いつでも小屋に来てくださいね。」というお言葉を頂いた。小屋の横に、手が凍るほど冷たい水が豊富に流れていた。その日は、小雨が降っていたので、さっさとテントの中に入って食事にかかる。鳥のエサのようになっていた鶏ミンチペミカンも、火を通すと生き返り、案外美味しい鶏そぼろ丼が出来上がってホッとした。食後、次の日の行動について話し合う。行動時間から考えて、光岳まで行くことは難しいだろうということになり、残念だが、易老岳から下山することに決まった。「また、秋に易老渡から光岳を往復しよう。」ということで、話が落ち着いた。テント場の横の斜面は、携帯電話が通じ、Mさんは、遅くまで、ヘッドランプをつけて、「メル友」(Mさん曰く)とメールの交換をしておられた。
  9. 仁田岳へ
    朝起きると、まだ、パラパラと雨が降っていたが、運のいいことに、雲間から富士山が見えた。なぜか、富士山が見えると嬉しくなる。小屋を出て、縦走路まで登り返す。登山道脇には、雨に濡れたコイワカガミの群落があった。分岐から茶臼岳に向かう。茶臼岳への道では、ハクサンシャクナゲが地を這うように枝を伸ばしていた。頂上には、タカネバラが咲いていた。さすが、バラだけあって、ひときわ目立つ美しい姿である。Kさんは、「美しい花よりもかわいい花のほうが好きだ。」とおっしゃっていたが…。茶臼岳頂上は、岩を積んだような小さなピークであった。残念ながら、視界はゼロ。さっさと先へ進む。途中、仁田池トラバース道と記された道が左に分かれていたが、トラロープが張られて、通行できなくなっていた。エアリアでは、点線になっている道である。仁田池は、木々に辺りを囲まれた小さな池であった。池の辺りは、テント場に良さそうな雰囲気だったが、設営は禁止されている模様。ここからは、茶臼岳の尖った姿がくっきりと見えた。右側が切れ落ちており、非対称なおもしろい形をした山である。ここで、単独行の男性2人とすれ違った。光小屋から来られたとの事。朝早く出発されたのだろうが、なんて速く歩かれるのだろうとびっくりした。その後、希望峰に向かう。とても素敵な名前であるが、樹林帯の中なので、展望はない。荷物を置いて、仁田岳へ。デポされたザックの数を見ると、2〜3パーティーの先客がある様子。エアリアに「360度の展望あり」と記されていたので、ワクワクしながら登っていく。強風の中、ハイマツに足をとられないように気をつけて歩く。15分もしないうちに、頂上に到着。期待以上の素晴らしい大展望に感動。上空には分厚い雲がかかっていたが、辺りを取り囲む幾重もの山々の稜線は、全てがくっきりと姿を現していた。昨日歩いた聖岳に上河内岳、富士山、南アルプス深南部の山々。どこまでも、山が続いている。「なんて、南アルプスは大きいのだろう。」と思った。ここからの展望は、今まで私が出会った景色の中でも、3本の指に入るだろう。いつまでも、この景色を眺めていたいと思った。
  10. 易老岳へ
    希望峰に戻り、易老岳に向けて歩き出す。しばらく行くと、シダとシラビソが広がる森へ。小さなアップダウンはあるものの、なだらかな道が続いていたので、次第に眠たくなってくる。しかし、Mさんの、「熊剥ぎがたくさんありますなあ。」という声で、眠気が覚めた。辺りをよくよく見ると、所々で、シラビソの樹皮が剥がされている。近くで見ると、爪で引っ掻いた跡もあり、背筋がゾ〜ッとした。「ある日、森の中、熊さんに出会った♪」という展開にならないようにと祈った。Mさんは、「心配ない。」とおっしゃるが、遅ればせながら、家の鍵につけている鈴を取り出して鳴らした。それにしても、一振りで、あんなに分厚い樹皮を破るのだから、すごい力なのだなあと今更ながら実感した。深い深い森の中を歩いて、ようやく易老岳に到着した。展望はなく、薄暗い森の中である。それなりの広さはあり、テントも張ろうと思えば2〜3張は張れそうだった。
  11. 易老渡へ
    あとは、易老渡に向けて下るのみ。頂上で、500ml程度の水を残して、残りの水を全て捨てた。(これは、明らかに間違った判断で、最後に足りなくなり、Kさんの水を恵んでもらうことになった…。)下り始めると、これがまた急坂の連続。木の根っこが張り出した細い道を、登ってくる人と譲り合って下りていく。光岳への最短ルートだからが、予想外に、多くの人が登ってくる。軽装の中高年の方が多かった。光岳の小屋は、それほど大きくないはずなので、今夜は、満員御礼だろうと思った。中には、かなりバテテいらっしゃる方も見受けられた。それもそのはず、易老渡から易老岳までは、標高差にして1500M。しかも、急坂の連続である。私も、この1500Mを甘く見ていた。Mさんを先頭に、黙々と下っていたが、次第に足が疲れてきて、注意力も低下してきたことが、自分でよくわかった。面平に着く頃には、かなり、くたびれていた。一応、リーダーなので、顔には出すまいとしていたが、皆、気付かれていただろうと思う。面平は、ヒノキの巨木と苔に覆われた所で、散策にもってこいの雰囲気であった。そこからは、もうひと頑張りなので、ゆっくりと、足元に気をつけながら下りていった。易老渡の駐車場が見えたときには、心からホッとした。昨夜、秋に、この道を登って光岳に行こうと話していたが、この下りを歩いてみて、そのプランは雲散霧消したと言える。私は、上りは好きなので、この急坂を登ることは苦痛ではないのだが、再び、この道を下らねばならないと思うと、登る気にはなれない。これまでで、一番つらい下りであった。それにしても、下りが苦手である。太腿の前の筋肉が足りないのか、はたまた、体重が重いのか。ストックがあれば楽なのだが、ストックなしでも楽に歩ける力が欲しいなあ。
  12. おわりに
    雨女がそろっていながら、ここぞという所では晴れてくれて、最高の景色を眺めることができた。お花もたくさん見られ、長い距離も歩け、とても充実した山行であった。MさんのギャグやKさんの夫婦関係の話も聞け、今後の勉強(?)になった。 リーダーとしては、とても頼りなく、経験豊富な皆さんに助けてもらってばかりで申し訳なかった。易老岳からの下りで痛感したのだが、リーダーをする山行では、本人が7〜8割の力で歩けるルートを選ばないといけないと思う。リーダーが100パーセントの力を出さないといけないようでは、周りへの配慮ができなくなるからである。経験豊富な方ばかりだったので、問題はなかったが、私がバテテいるようではダメだなあと反省した。 南アルプスは、大きくて、静かで、とてもいい山である。次は、荒川三山から赤石に向けて歩きたいと思う。

(Y)

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Kの所感

 山ヒルのいる登山道を聖平目指して出発。
樹林帯のなか汗を一杯かいて登っていく。視界は樹林に拒まれて無い。深い深い森のなかだ。心配した雨はないが結構きつい登りで滅入ってくる。薊畑分岐に着いたときはほっとした。ここは風の通り道かめっぽう風が強い。南アルプスは急登と樹林帯だ。
聖岳へも小聖までは樹林帯の中を登っていく。小聖からは砂礫の道を喘ぎながら登る。大きな山だ。赤茶けた岩石が点在している。赤石山脈の命名の由来はこのあたりかと勝手に思い込む。
下山して再度聖平に戻る。休憩後、テントを撤収して次の茶臼小屋へ向けて出発。この登山道も主として樹林帯の中。ところどころ樹林帯が切れて稜線の道となる。稜線に出ると風が強い。上河内岳の直下あたりで雨が降り出した。上河内岳から茶臼小屋までにあるお花畑はコバイケソウの群落があったが魅力を感じなかった。ゴゼンタチバナ、マイズルソウの白い可憐な花がいい。深い森の中を花を愛でながら三日間歩いた南アルプスでした。
今回は光岳は時間の都合で行けなかった。次の機会に登る事にしよう。

(K)

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Mの所感

聖岳は大きな山でしたなぁ。聖の頂上直下の最後の登り口の滝もまた、よかったなぁ。その滝は冬はどうなっているのかなぁ。若干、関心持つなぁ。
 山もよかったけど聖平の小屋の対応がこれまた良かったなぁ。 「営業は明日からですので、今夜はテン場代は要りません」ときたもんだ。うれしいなぁ。こんなことってあるんやなぁ。
 聞けば、前に同じ時期にYmさんらが来たときは、従業員の中に京都の出身者がいて一年前の500mlのビールをたくさんもらったそうや。さすがに今年はそれはなかったなぁ。われわれの中に呑み助はいないけど350mlを2本買いましたぞ。しかし、そのうち寒くなって結局、次のテン場まで運ぶ羽目になってしまったなぁ。意地汚い話はこれでおしまい。
 便ガ島(たよりがしま)から先で、ロープでぶら下げた籠で谷を渡るところがあったけど、それはまるで、規模は小さいけれどインダスの源流にあるカラコルムはバルトロ氷河のコラホンの渡しを彷彿とさせるものでしたなぁ。また、行きてーなぁ、カラコルム。おーい、みんなで行こうよ。
 驚いたことにこの山で、追いはぎならぬ「クマ剥ぎ」らしきものをたくさん見かけましたぞ。京都北山、特に芦生演習林でよく見かけるあいつだ。北山では杉が対象でしたがなぁ、聖ではシラビソ(アオモリトドマツ)がクマの対象でしたなぁ。ウーム、所変われば品変わるとはこのことかぁ、と感心。
 麓ではオニクルミがたくさんあったし、少し上では、ブナ、モミ、ツガ、ニホントウヒ、カラマツ、ダケカンバなどがたくさんありましたわ。とても大きいダケカンバもありましたなぁ。
 高山植物の満開は2週間後ということでしたけど、それでもたくさんの花が見れましたなぁ。クロユリも見たし、トリカブトが随所に群落をつくってましたでぇ。根っこ、欲しい人、おりまへんかぁ。居ませんわなぁ。でも、採ってきてまへんでぇ。
 ところで聖平近辺は、昔はニッコウキスゲの大群落があったらしいけど、みな、鹿に食べられて姿を消したそうでっせ。それで、ある環境NPOが、年限を切って場所を借りて金網で囲いして、ニッコウキスゲが再生するか、の実験をしていましたぞ。でも見たところ、全く再生の兆しはないようでしたなぁ。残念!!何でも採り尽くして絶滅させるのは、人間だけの得意技と思ってたけど、自然界にもあるのかなぁ。
 そうそう、今回の山行中、富士山がよく見えましたぞぉ。北アルプスから見るのと違って、とても大きく見えますなぁ。ちょっと感激やぁ。花といい樹木といい、たくさんきれいなものに出会えましたなぁ。
 しかし、嫌なものもいましたぞ。登りの1600メートルくらいまでかなぁ、ヒルがいて左腕にくらいつかれましたわ。誰かさんみたいに、蛭(昼)も夜もうなぎ食べまへんけど、その代わりきっちり殺したりましたわ。
 行動範囲の広い鹿が大量に増加して、それがヒルの生息範囲を広げているという説もあるぐらい、京都北山や比良でもヒルが広範囲に棲んでますなぁ。近年、山のキツネやタヌキが、ニホン狼が絶滅?した大きな原因のひとつにあげられている、ジステンバーという病気で大きく減少したので、鹿の子供の生存率が増大したからだと、私は勝手に思ってるんやけどなぁ。どうでっしゃろ?未来の生物学者さん。
 今回は、池塘もあったけど少なかったなぁ。しかし、きれいな仁田池(にったいけ)がそれを補ってくれましたなぁ。
 それにしてもみんな、よく食べる人たちやぁ。巷ではやせ薬の宣伝が幅を効かしているというのに、この人たちには何の宣伝効果もあらへんでぇ。休憩したら必ず食べている!!歩いているときでもちょくちょく食べてるんやでぇ!!立派、立派!!
 光岳を断念した二日目の時から、ずっと、この秋に易老渡(いろうど)から光岳に登ろうとみんな言っていたのに、易老岳からの下りにかかってしばらく行く辺りから、テンションがずんずん下がっていって、そのうちみんな口をそろえて「易老渡からの光岳はやめよう、登る道としてはあまりにも食指が動かない道やなあ」といつの間にか一致してましたなぁ。この道を登るのはほんまにやめよう!
 易老岳でどこかのグループにメンバー紹介しましたよ。
 「こちらの一番若いY嬢がリーダーで、隣の新婚さんのO嬢がサブリーダーです。こちらのKさんが荷物持ちで、私、Mが露払いです」と。
 おじん二人を抱えてリーダーのYさん、ほんとにご苦労様でしたなぁ。新婚なのに理解の有る旦那を彼の実家に帰して参加されたO嬢、あなたは立派です。
腰のまだ不十分な、口だけうるさいMおじんのために荷物をしっかり持っていただいたKおじんに感謝。そして他の人も荷物をもってくれてましたなぁ。みなさん、ほんとにお世話になりましたなぁ。軽量化に工夫はいるけど、ご飯もとてもおいしかったなぁ。
みなさん、ありがとうございました。これに懲りずにまたよろしくおねがいしまっせぇ。
 今度は、赤石行こかなぁ。

(M)

 

ゆっくりと準備をして出発した。 (Y)

 

おじん二人を抱えてリーダーのYさん、ほんとにご苦労様でした (M)

 

追いはぎならぬ「クマ剥ぎ」らしきものをたくさん見かけました。(M)

 

所々で、シラビソの樹皮が剥がされている。 (Y)

 

薊畑分岐までは、ひたすら高度を稼いでいく。 (Y)

  

深い深い森のなか、心配した雨はないが結構きつい登りで滅入ってくる。 (K)

 

薊畑分岐は風の通り道。じっとしていると寒いくらいであった。 (Y)

 

薊畑分岐に着いたときはほっとした。ここはめっぽう風が強い。 (K)

 

薊畑分岐からは、立枯れの白い木々が点在する中を、のんびりとお花を眺めながら下りていく。 (Y)

 

小聖岳から見上げる聖岳は堂々としていて、とても格好良かった。 (Y)

 

聖岳。まずは、恒例のヤッホー。(Y)

 

Mさんに負けじと頑張るが、とても太刀打ちできず、呼吸困難を起こしかけた。(Y)

 

 

今回の山行中、富士山がよく見えました (M)

 

 

 

上河内岳の直下あたりで雨が降り出した。(K)

 

上河内岳に向かうでは予想通り何も見えず、「ヤッホー」の声だけをこだまして下山。 (Y)

 

茶臼岳頂上は、岩を積んだような小さなピークであった。(Y)

 

仁田池は、木々に辺りを囲まれた小さな池だった。 (Y)

 

辺りを取り囲む幾重もの山々の稜線は、全てがくっきりと姿を現していた。 (Y)

 

パラパラと雨が降っていたが、運のいいことに、雲間から富士山が見えた。 (Y)

 

なんて、南アルプスは大きいのだろう。 (Y)

 

いつまでも、この景色を眺めていたいと思った。 (Y)

 

次は、荒川三山から赤石に向けて歩きたいと思う。 (Y)

 

7/17 仁田岳


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