八ヶ岳 阿弥陀岳〜赤岳〜硫黄岳(無雪期縦走)
メンバー |
CL:ユアサ、ヒカサ |
期日 |
2005年7月30日〜7月31日(土〜日) |
地域・山域 |
八ヶ岳 |
山行形態 |
無雪期縦走 |
山行の情報
コースタイム
- 7/30
- 京都4:30―美濃戸口10:21―美濃戸山荘11:27−行者小屋13:38−中山展望台で夕食後就寝17:00
- 7/31
- 起床3:00出発4:40―中岳のコル5:41ー阿弥陀岳6:14―中岳のコル6:44ー中岳―文三郎尾根との分岐7:29―赤岳8:03―赤岳展望荘8:44―地蔵仏9:02―三叉峰9:26―横岳10:26−硫黄岳山荘10:48―硫黄岳11:07―赤岩の頭12:01―赤岳鉱泉12:51―堰堤広場13:48―美濃戸山荘14:31−美濃戸口15:15
報告と感想
ユアサの所感
稜線を南につなぐ旅〜半年ぶりの八ヶ岳〜
- 半年前、烈風吹きすさぶ硫黄岳の頂上で、ヒカサさんと約束した「稜線を南につなぐ旅」。「今度はあの稜線を歩こう!」と話していた道を歩いた末に、再び硫黄岳の山頂に立ち、握手をかわしあったときの喜びは忘れられない。感傷的かもしれないが、同じ景色を見ながら、「次はあの頂きへ」という思いを共有した人と、その山を歩けることは、とても素敵なことだと思う。
- 1日目は、美濃戸口から行者小屋まで。行動時間にして3時間程度であったため、のんびりと登っていく。出発した頃には、まだ青空も見えていたが、お昼を過ぎる頃には、どんよりとした雲が広がり始め、そのうち、遠くで、雷が鳴り始めた。「もう少し待って〜。」と祈りながら歩く。白河原を過ぎてからは、まるで、日本庭園の中を散策しているよう。地上の苔を眺めながら歩いていた。
- 行者小屋に着くと、横岳西壁・赤岳・阿弥陀岳が目の前に。トンガリコーンのような形の大同心を眺めていると、日本ではない遠くの国の山に来たような気になった。1人当たり千円の幕営料金を払って、テントを設営。先客は多かったものの、いい場所にテントを張ることができた。荷物の整理をしたあと、晩御飯とガスセットとコッフェルを持って、小屋から15分の中山展望台に向かう。本日の夕食は、展望台で頂くのである。空は相変わらず曇っていたが、稜線と頂上はくっきりと見え、明日へのエネルギーが沸々と沸いてきた。黙々とご飯を食べていると、ヘリの音が聞こえてくる。どうも、赤岳山頂辺りを旋回している模様。物資の輸送とも思われないので、おそらく、ケガ人か病人が出たのだろう。ヘリの音が聞こえると、遭難発生かと胸がドキドキしてくる。もっとも、気を引き締めるきっかけにもなるのだが…。
- 「早寝早起きは山の基本」というわけで、その日は、16時半にシュラフの中に入った。職業柄、不規則な生活に慣れている上に、寝不足が続いているヒカサさんは、すぐに、眠りに落ちたようだが、私は、さっぱり眠れない。隣のテントの住人(高校生?)が、大きな声で恋愛話をしていた(若い!)ことも、眠れない原因だったのだが、こんな時間に寝ようとすることのほうがおかしいとも言えるので、気長に、20時過ぎまで我慢。その後、薬の力を借りて、3時までぐっすり眠ることができた。(ヒカサさんによると、「その薬を飲んで、眠れない人はいない。」とのことだが…。)
- 朝3時に起床し、各自で朝食をとって、出発の準備をする。2人なので、早くに出発できるかなあと思っていたが、やはり、起きてから1時間半強はかかった。4時40分に、行者小屋を出発。辺りは白み始めており、ヘッドランプは不要であった。中岳のコルに向かって樹林帯を登っていく。しばらくして、振り向くと、冬に登った硫黄岳と天狗岳の姿が。「また会えたね〜。」と心の中でつぶやいた。また、稜線の東から差し込む朝日の光線が、赤岳と横岳の西側の山腹上方を薄い橙色に染めていた。陽のまだ射さない山腹下方の濃い緑色との境は、くっきりとした直線で、とても美しかった。登山道の脇に生えている草木は、しっとりと露に濡れていた。
- 中岳のコルに着くと、南方に、権現岳が姿を現した。どっしりとしていて、無骨な感じのする山であった。ザックを置いて、空身で阿弥陀岳に向かう。かなりの急登で、岩場が出てきてからは、一歩ずつ慎重に登っていく。キキョウやダイコンソウなどの色鮮やかな高山植物が、岩の間からたくましく顔を出している。岩場は、ホールドもスタンスもたくさんあり、注意深く登ってさえいれば問題はなかったが、頂上に着くまでの20分間、神経を張りつめていたので、案外くたびれた。こういう所に来ると、「やっぱり、岩登りの練習をしないといけないなあ。」と思う。頂上からは、南アルプスがわずかながら見えた。勝手に、鳳凰三山と甲斐駒ヶ岳と北岳だろうと思い込んで喜んでいた。富士山は見えなかった。写真を撮った後、ヒカサさんの希望で、摩利支天へ続く細い道を進む。ヒカサさんは、阿弥陀岳北西稜を眺めて、バリエーションへの思いを強くしていた。私は、「あ〜、コワッ!」とつぶやいて頂上へ引き返した。頂上から中岳のコルに向けて下り始めると、たくさんの人が、こちらを目指して登ってくるのが見えた。どうも、私たちが本日の1番乗りであったようだ。下る途中で、玉葱状の岩を見つけた。とても面白い形だったが、岩自体は脆そうな感じがした。
- 中岳のコルで休憩した後、赤岳に向けて出発。中岳を過ぎてからは、比較的、傾斜のきつい斜面をジグザグに登っていく。赤岳に近づくにつれて、金毘羅トレーニングの世界に。登る分には恐怖心は感じなかったが、下るには気持ち悪いような岩場が続いていたので、下りる人とのすれ違いに多少の時間がかかった。今年の冬に、赤岳頂上手前で引き返したヒカサさんに、冬のルートを教えてもらった。雪のついた赤岳がどんなものなのか、もう一つ想像できなかったが、どの辺りが危険なのかを考えながら歩いていた。赤岳頂上に着き、写真撮影。阿弥陀岳ではすっかり忘れていた「ヤッホー!」をするべく三角点の上に足を置いたが、人が多いので、小声でつぶやいておいた。(「ヤッホー!」の意味なし…。)その後、頂上小屋の前の広場で、横岳を眺めながら栄養補給。お天気もよく、空も青々としていた。これから行く赤岳展望荘が、遥か下方に見えた。頂上で、初めて、携帯酸素ボンベを吸っている人を見かけた。
- 赤岳展望荘までは、急傾斜の下りであったので、落石を起こさないように気をつけながら歩いていく。ヒカサさんと、「山での楽な下り方」について話しあう。いつまでたっても下るのが苦手な私と、いつの間にやら、得意であった下りが苦手になったヒカサさんにとっては、深刻な問題。たいていの本に記されている「歩幅を小さくして、ガリマタで歩く」方法を、真面目に実践していると、ヒカサさんの歩き方は、次第に「ドリフターズ歩き」に。後ろから見ていると、本当におかしかった。「下りが好き!」と断言できる日はいつになることやら…。
- 赤岳展望荘の周辺の西側斜面には、「高山植物の女王」コマクサが一面に咲いていた。赤茶けた岩屑の斜面一帯に、所狭しと咲いている女王様の姿は、美しいというよりも、たくましかった。女王様の周りには、保護のためのロープが張られていた。どこの山に行っても、女王様のみが過剰に保護されているように思うが、それほど、敏感な植物なのだろうか。展望荘では電力を風に頼っているようで、小さい風車がたくさん回っていた。風が強い地点である証なのだが、私は、風車が回っている風景が好きである。
- 行者小屋へと続く地蔵尾根との分岐を超え、横岳を目指す。しばらくは、岩場が続くので、気を引き締めなおして歩いていく。二十三夜峰は、ろうそくのような形をしていた。この辺りから振り返って見た赤岳の姿は、とても格好良かった。イメージとしては、すっと背筋と首を伸ばしたような感じで、スマートで美しい山だなあと惚れ込んでしまった。いつか、この場所から、真っ白い雪をかぶった赤岳を眺めたいと思った。横岳は、エアリアに「南北に連なる岩峰群の総称」と記されていたとおり、いくつものピークをポコポコと越えていくところであった。そのため、どこが、頂上であったのか、全く覚えていない。斜面の岩と草の色合いがとても美しく、お花もたくさん咲いていた。西側下方に目を移すと、奈落の底に落ちていくかのような恐ろしげで美しいルンゼがたくさん並んでいた。私は、行ったことがないのでよくわからないのだが、ヒカサさんによると、スイスのような風景とのこと。前を歩いていた人が、「ヨルレイホー♪」と歌っていたので、信憑性は高いと思う。
- 大同心がどれだかよくわからず、適当に、「これかな?あれかな?」と言いながら歩いていた。大同心がいくつ出てきたかは定かでない。大同心はトンガリコーンの形と思い込んでいたのだが、上から眺めると、海原を進む巨大な船のような形をしていた。山腹から突出している船のような姿を眺めながら、「よくこんな形のものができたものだ。」と感心していた。ちなみに、大同心から登ってくる人が数人見えた。「まさか、クライマー?」と思ったが、普通のハイキングの服装であったので、おそらく稜線から途中まで下りていくルートがあるのだろう。
- 岩場の続いた横岳を過ぎ、本日最後のピークであり、約束の地(?)である硫黄岳山頂を目指す。硫黄岳山荘の前を通り、なだらかな台地のような斜面をケルンに導かれて登っていく。頂上の北側には、恐ろしげな姿の爆裂火口があるのだが、南側から見上げた硫黄岳は、なんとも優しい表情をしている。一歩ずつ踏みしめて、頂上に着き、半年前とおなじ場所からの景色を眺めることができたときには、「とうとう来たわ〜。」ととても嬉しかった。そのあと、ヒカサさんのスープを頂きながら、約半時間ほど、頂上でゆっくりくつろいでいた。
- 素晴らしい稜線漫歩はこれまで。あとは、延々と下界に向けて下っていくのみ。赤岩の頭を超えるとダケカンバやシラビソの樹林帯に入った。しばらくしてから空を見上げると、少し灰色がかった雲が。そのうち、昨日と同じように、雷の音がかすかに聞こえてきた。「稜線じゃないから、少しは安心やね。」と言いながら歩いていた。それにしても、山の天気は正直である。だいたい午前10時過ぎには、山の麓から雲が上がってきて、午後1時過ぎには「ゴロゴロ」と鳴り出すというパターンが2日間続いた。夏は日照時間が長いので、行動時間も長くなりがちだが、雷のことを考えると、できることなら2時頃には稜線での行動を終えるほうがいいなあと思った。赤岳鉱泉は、山小屋とは思えないほど大きな建物であった。そこを過ぎてからは、北沢に沿ってひたすら下りていく。沢の水量は多く、ナメや小滝が数箇所で見られた。なだらかな道だったが、朝5時前から歩きつづけている足はくたびれており、「まだかいな〜。」と言いながら歩いていた。車を駐車した美濃戸口に着いたのは、午後3時半前であった。行動時間にして10時間半。私が無理なく歩けるのは、だいたいこれぐらいだなあと思った。登山口のアットホームなお風呂で汗を流し、スジャータのソフトクリームを食べ、ちょっとマイナーなPAで安くて美味しいご飯を食べ、夏らしくサザンのCDを聞きながら帰京した。長良川(?)と琵琶湖の北の方で花火大会を開催していた。2回も大きな花火を見ることができ、ラッキーであった。
ヒカサの所感
冬に北八に行ったときに、硫黄岳から眺めた南八にいくユアサさんとの約束を実現。コンパクトながら荒々しい山容で上から見た大同心、小同心は迫力があった。お天気にも恵まれ、歩いたところが全部見えていて楽しい。1泊2日で縦走気分を味わえお得だった。老若男女いろんな人がいたけど、夏でも滑落して亡くなった人もいるようで、怪我なく無事に帰ってこれてよかった。ユアサさん、ありがとう。
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