京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
メンバー | iku、t |
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期日 | 2005年7月16日夜〜7月18日(土〜月) |
地域・山域 | 富山県 大日岳・立山周辺 |
山行形態 | 無雪期縦走 |
地形図 | 立山・剣岳(1:25000図) |
文責 | iku |
15日のカルデラ見学のあと、立山駅周辺で唯一の食堂で夕食を取る。この辺の、ほとんどの店は5時に終わってしまうので、ご用心。そのまま称名滝に向かう。称名滝への道はゲートがあって、午後7時から午前6時まで通行止めになっている。天気は夕方から雨模様になってきた。称名滝の駐車場はがら空きだった。称名滝の方まで登山道を確認がてら見に行った。この日の滝と称名川は勢いが強く、濁った泥水がごうごうと音をたてて流れていた。観光客は2組。少し後で、同じ大日岳へ向かう車が一台。3名の中高年男女のパーティーが入ってきて、ルートは少し違うが帰りの称名滝への八郎坂まで抜きつ抜かれつだった。夜は雨足が強くなってきた。さっそく車のシートをフラットにして車でねることにした。
幸いなことに次の日16日は目覚めると雨が上がっていた。簡単に朝食を済ませ登山道に向かう。登山道入り口で写真を撮ってると一人やってきた。先に行ってもらう。昨夜の男女のパーティーも30分ほど先に先行。こちらからは、空いた道である。登山道はいきなりの急登である。ひとしきり登ると「猿ヶ馬場」という少し広くなっているところがあり、そこで休憩は出来るが、それを知らない私たちは少し手前で休憩。樹林帯の急登は辛いが、時々見かけるゴゼンタチバナなどの花が和ませてくれる。少し視界が開けたところに「牛の首」という道標がありそこからが、また急な登りだ。登り切るザクロ谷の上部で行き止まり、右に折れる。そこから尾根伝いにしばらく行くと木道になり視界が開ける。雨がパラパラしてきた。
ここからは快適な木道歩きになり、称名川を挟んで弥陀ヶ原が見え、小さな弥陀ヶ原ホテルと展望立山荘らしい建物が右手前方に見える。左手に目を移すとこれから向かう大日平山荘も見えた。晴れていたら気分も違うのだろうが視界はあるがどんよりとしていて、灰色のベールを被せたようだ。この大日平は左にザクロ谷、右に称名川に挟まれた台地である。
大日平小屋には登山口から2時間20分で着いた。登山口から単独で抜きつ抜かれつだった男性は、この小屋まで毎年京都から差し入れを運んで来ているという年輩のひとだった。しばらく休んでまた京都まで今日帰っていくと言うことだ。ご苦労なことだ。いろんな目的で山に登る人がいるものだ。ここでは、温かいお茶が置かれていてゆっくりさせてもらった。気が付いたら40分も休んでしまった。
小屋を出るとまたしばらくゆるやかな木道をゆく。項目道が続いていると、尾瀬や雲の平を思い出す。振り返ると小屋が小さく見えてくる。地塘のそばにワタスゲがほんの少し寂しそうに咲いている。コイワカガミやイワイチョウも咲いている。アカモノも水たまりの側に可愛い花を咲かせている。ツマトリソウもびっしょり濡れて咲いている。コバイケイソウも咲いている。先日大峰で見たバイケイソウとはやっぱり花が違う。花はやっぱり小さく、密集して咲いていていつも一塊りで見ていたのだった。名前は後で判ったのだが、マイヅルソウもあった。このマイヅルソウを私は知らなかったが、ゴゼンタチバナと同様ありふれた花だと言うことだ。
そのうちにますますの急登になる。ダケカンバが濡れて瑞々しい。キヌガサソウを久しぶりに見た。もっと大きい花だという印象があったが直径5センチほどで以外と小さい。周りを葉っぱに守られて中央で一輪鎮座するする姿は、きりりとした王女のよう。シラネアオイも見られた。白山でも咲いていたベニバナイチゴの花はコイワカガミとず〜っと、よく見かけた花だ。地図に載っている水場では、美味しい水で一息。そこからこの沢を何度か渡り、登り詰めると大きな鏡岩という岩がある。鏡岩の下部を左から巻いてまた登る。
もうそろそろかな、と思うのだがなかなか着かない。キヌガサソウの群落など写真を撮る。登る上の方はガスで視界は無いのだが、下を見ると弥陀ヶ原を走る曲がりくねった道路を、小さなミニチュアのバスが走っている。帰りにはあそこを歩くのだと思うと、楽しみになってくる。少しずつペースが遅れてきた。写真を撮っては一休みと、ペースはますます遅くなる。まだ昼前、ひとりで歩いているとせかすものは何もない。この道は1500メートル近くの高度差の急登のため、登りに使う人は少なく、下りに使うようにガイドブックでもコース設定されている。いいわけがましいが、やっぱり最後はしんどかった!!
小屋に着いたのは昼過ぎ、時間的にはまだ早い。反対の斜面は雪渓がかなり残っていた。視界は無い。小屋に受付をして濡れたものを干し、大日岳に向かう。登山道の半分はまだ雪渓の中。途中で、雷鳥のカップルにであう。かなり近寄っても逃げない。私は鶏冠の付いた雄は初めてみた。まだ冬毛が残ってるのか、おなかの辺りが白い。赤い鶏冠と同じ色のアイシャドウは雄の方が濃くてはっきりしている。やっぱり、鳥は雄の方が綺麗おしゃれなのか? 帰りにもまだいた。頂上らしきところは、石が積んであるだけであまりにも殺風景。地図に「展望よい、大日如来あり」と書いてあり、ここではないのでないだろうかという疑問が湧く。しかし先は行き止まりで、戻ったところの小ピークも何もないのでここだろうと判断。せめて道標ぐらいは置いて欲しい。小屋に戻って確認のために聞いてみたら、あっていたようだ。大日如来はというと地図を書いた人が知らないで書いたようで、元々無いと小屋の人は言っていた。食事が終わった頃に、一瞬ガスの中から劔と奥大日が現れた。表に出て写真を撮ろうと思ったら、雷が鳴り雨が降り出してきた。この一瞬だけの自然界のサービスにみんな大喜びだった。小屋の人も、この小屋に入ってから初めてみた劔だったそうだ。ず〜っと雨かガスだったそうだ。どうも雷は、梅雨明けの前兆だったようだ。小屋はわりと混んでいた。久しぶりの本格的な小屋泊まりは鼾に悩まされた。
次の朝17日の6時20分、視界がない登山道を奥大日岳目指し出発した。しばらく、木道が続いていた。ミヤマダイコンソウ、コイワカガミ、ハクサンボウフウ、アオノツガザクラなどお花を写しながら進む。途中で、ハクサンイチゲやコバイケイソウのお花畑がガスの中から現れて幻想的な雰囲気を醸し出してくれる。大日岳の頂上は全く何の視界もなかったのだが、道中は他にもショウジョウバカマ、シナノキンバイ、ヨツバシオガマ、エゾシオガマ、イワツメグサ、キヌガサソウと我も我もと咲き誇っていた。
奥大日岳でザックにくくりつけていたストックが無いことに気が付いた。後から来た人が2本落ちていたと言っていたが、だいぶ戻らなくてはならないようなので諦めた。木にザックが引っかかったことを覚えていたがその時だったのだろう。これからは、カラビナなどで固定しておいた方がいいだろう。尾瀬のときに友人のために借りて、車に積みっぱなしの娘のストックだった。娘は私が返した新しい最新の軽量ストックに「落としてくれて有り難う」と感謝されてしまった。こんなんだったら、自分のストックにしておけばよかったと後悔したが、後の祭りである。
奥大日岳からは下りになる。この辺になるとツアーの客が多くなって来て、静けさは無くなる。団体が来たのでよけていたら、「90人ほどき来ますので遠慮なく行ってください。こちらでよけます。」といわれ吃驚仰天。いったいどこまで行くのだろう。観光ツアーのあり方に疑問を持った、ご一行様だった。だいぶ下ると視界が開け、少し青空が見えてきた。灰色のカーテンの下に見える室堂界隈は、雪と山肌のコンビネーションが美しい。今夜のテント場の雷鳥平も小さく色とりどりの点々で見えている。これからの、山行はもう天気間違いなしだ。眼下に広がる立山と室堂を眺めながら、お湯を沸かせてコーヒータイムにした。傍らにはミヤマリンドウが咲いていて和ませてくれる。やっと、爽快な山旅気分が味あえのんびりした。
そこからは室堂乗越へすぐだった。今度は劔御前小屋に向かっての登りで、けっこうかかった。小屋の前では、いつも通り劔に向かってカメラを向けている人や、これから別山や劔へ向かう人たちで賑わっていた。劔はご機嫌よく雄姿を見せていた。これで3回目の別山に向かう。祠の前で記念写真を撮り、先を急ぐ。目を凝らすと、これから行く雄山神社の祠が小さく見える。いったん下ってまた登ると、どこがピークかよく分からない真砂岳を通過する。少し行くとケルンがあり、また下るのだが振り返ってやっとピークらしいところが分かった。富士の折立へは岩場の登りである。登り切ったところに、ザックをデポし頂上へと登る。ここの頂上からは緑の水を蓄えた黒部湖と黒場ダムが、ヨーロッパの城壁のように見える。あの大きな黒部ダムのなんと可愛いこと。それなりに、風景と一体化して美しい。対岸には針ノ木岳から鹿島槍ヶ岳の後ろ立山が一望できる。アイスのような雪を携えた真砂岳と、その右の方には内蔵助小屋が小さく見える。雄大な眺めだ。
名残は尽きないが、降りて大汝山を目指す。青い屋根が見えている辺りだろうが、小屋があるとは地図には書いていない。着いてみたら、休憩所と書かれていた。ここに入って、ドリップコーヒーを飲む。おいしかった。雲上の喫茶店だった。ここを出てすぐが、大汝山だった。大きなケルンといった感じで、岩が積み重なったピークが頂上だった。最後に20分ほどの登りで雄山に出る。もう4時を過ぎているのにまだ人が居る。祠まで行こうとザックを下ろしたら、社務所の方から、声が掛かり200円とられた。以前言ったときは、500円で祝詞と御神酒つきだったが、今回はもう時間外だったようだ。一ノ腰山荘に一気に下るが、ここが思いもよらずガレていて前に来たときとイメージが違っていたし、時間もかかった。まだ、登っていく人もいた。
あとは雷鳥平まで下るのみ。雪渓の縞模様のはるか下の方に、カラフルなテントが消えそうに小さく見える。遠いなぁ〜。室堂への石畳を下ると、右にほとんど消えかけた字で雷鳥平と石に書いてある。右にトラバースしていく。雪渓に阻まれて、道を失う。かなり下に踏み後を見つける。どんどん、右の方へと進む。この道はあまり一般的ではないようだ。賽の河原に出る。水量が多くて渡れそうにない。石を投げ込み、足場を作る。飛び石で二本の沢を飛び越え進むと見慣れた橋がある。劔御前への道、雷鳥坂との合流点だ。ここも橋の最後もまだ雪が残っていた。やっとテン場である。朝、大日小屋を出てから12時間、長い一日だった。
最後に日に当たる18日、6時半出発。もう帰るだけの行程だが、この日の計画にも趣向がある。それはいつもバスで室堂まで入っていた行程を歩くのである。15年ほど前のエアリアマップは道がなかったが、2003年度版には登山道が引かれている。富山県が歩くアルペンルートとして整備をしたそうだ。前からバスの車窓から、一度歩きたいと思って眺めていた。アルペンルートが出来る前に立山に入った道でもある。とても良く整備されていて、木道がほとんど引かれていた。
雷鳥平を出るといきなり硫黄臭が鼻を突く。あまりいい匂いではない。更に進むと地獄谷である。ここから天狗平へと道は分かれる。右にとり、斜面の雪渓を横断すると向こうの方にもう天狗平山荘が見える。室堂との分岐を過ぎたら、また雪渓である。直線距離では近いのだが、谷を挟んでいるためにぐるっと遠回りしなくてはならない。天狗平山荘付近は、道路を横断したり平行するが、道路を歩くことはなかった。
天狗平山荘の裏から地図では波線になっているが、弥陀ヶ原方面と手書きの道標が出ていたので、もう通れるようだ。私たちは山荘の前の道路から右にはいる獅子鼻岩コースをとる。ここからは見事なお花畑が続く。主にチングルマだが、他にも沢山咲いている。行くときに通った大日岳・奥大日岳を眺めながらの木道歩きは素晴らしい。下っているのだろうが、緩やかである。寂しそうにワタスゲも地塘の傍に咲いている。やはり尾瀬に似ている。左手には、今日は薬師岳もちゃんと大きく聳えている。気持ちのいい道だ。
獅子岩から一気に谷に下る。この道は鎖場になっている。水場に降りたら今度は急登となる。登り切ったら、弥陀ヶ原である。またお花の中を行く。追分けは松尾峠の分岐になっている。最初の計画では松尾峠からカルデラを見下ろす予定だったが、tが明日仕事なので早く帰るためにここはカットした。少し残念。
追分けから弘法は、小さなピンクの花サワランが沢山咲いていた。そして、ニッコウキスゲの群落。道路に沿って、むりやり木道をひいたようにも思える道だが、最後の最後まで楽しませてくれる。弘法に着いたのは11時すぎだったが、かなり暑くなってきていた。弘法は道路沿いに地蔵が一つ。少し右に行くと道標があり、そこを入っていく。すると前方に大日岳への登りの牛首が見えた。私にはちょうど稜線が牛の背中に見え、ちょうど最後の急登あたりが、牛の首のように見える。右へのトラバースで頭である。大日平に到着という感じだ。しばらく眺めていて、そういう結論に達したが、これは私の勝手な思いこみかも知れない。
いよいよ、右に折れると八郎坂だ。入り口にロープが張られていて危険という赤い三角の旗が付けてある。少し崩れているらしいが、とおれると言うことなのでここからおりる。折りはじめたらやはり、2カ所ぐらい崩れていて巻いて踏み後があった。いつ崩れてもおかしくない状態なので気持ちが悪い。落石した大きな石も転がっている。急いで通過。称名の滝が右手に大きく見えてきたところに展望台があり、休憩所になっていた。暑くてたまらず、大休止をしてしまう。500メートルの急降下である。そこからは特に危ないところもなく降りられた。時折見える称名滝や樹木などに付いている名札などが和ませてくれるが、とにかく暑かった。
下に降りたら、入山日とはうって変わって、観光客で一杯だった。何か放送が流れていたと思ったら、降りたとたんに滝が水道の蛇口を止めたように流れが止まってしまった。どうしたのだろうか? 不思議だ。駐車場にも車がたくさん止まっていた。急いでかたづけて、温泉に向かう。山から世俗(人混み)に戻ると一刻も早く逃げ出したくなる。
これで、ぐるっと周遊が終わった。天気も最初は心配していたが、梅雨も終盤で18日には空けたそうで全行程が支障無く終わったのはラッキーだった。たくさんお花も見られ、なかなか行けなかったルートでの大日岳で、計画通り行けてよかった。今年は残雪も多く、それも綺麗でよかった。
ここのところ、tとはクライミングばかりのおつき合いで、久しぶりの二人での縦走も昔のことをいろいろ懐かしく思いだした山行だった。tはただの山歩きをしなくなって、もう5-6年は経つらしい。今回の山行でまた縦走の良さを見直したようだ。