飯豊 頼母木川下ノ小俣沢(沢登り)

メンバー アサノハタヤ、ニシムラ、ヤマグチ、ニシザワ、カノウ
期日 2006年8月11日〜15日
地域・山域 飯豊連峰 頼母木(たもぎ)川
ルート 胎内ヒュッテ=足ノ松尾根登山口〜小俣沢出合〜下ノ小俣沢出合〜稜線(頼母木小屋西方)〜足ノ松尾根登山口=胎内ヒュッテ(胎内ヒュッテ〜足ノ松尾根登山口はバスを使用)
山行形態 沢登り

報告(アサノ)

出発まで

 アブ・ブヨ・カ・泥壁・草付き・雪渓群・雷雨・増水・大藪こぎ…なのにみんなは笑顔・笑顔。みんなと飯豊に来てよかったよ。  京都雪稜ですばらしい若者たちと出会って以来 「彼らと飯豊の沢をやりたい!」  それが私の目標となった。去年、彼らと行った南ア・赤石沢は飯豊へのほんの序章である。今年は飯豊川と思っていたら残雪がすこぶる多い。しかも飯豊川への林道が崩壊で入れないというではないか。でもやっぱり飯豊に行きたかった。雪渓のこともかんがみ、飯豊の中では規模小さめの頼母木川上ノ小俣沢(たもぎがわかみのこまたさわ)を選んだ。流域が短い分、時間的にもゆとりができる。悪い雪渓が連続しても上まで行けるであろう。飯豊山塊の入門的存在でもあるし、私もまだ行ったことがない。

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8月12日(土)雷雨のち快晴

足ノ松沢の橋近くで準備をし、さあ出発。踏み跡伝いに入渓する。さっそくアブの挨拶にメンバーはキャーキャーうれしそうだ。側壁をへつりながら10分ほど進むと雷が鳴り始めた。見る間に空は黒雲に被われ暗くなる。一気に土砂降りになってしまった。沢も大きな堰堤にはばまれ進めなくなった。水かさもどんどん増し、濁流化してきている。これは出なおし。急いで元いた林道に戻り、林道をさらに上流側へと進んだ。雨の勢いは落ちない。林道からのぞき見る本流はコーヒー色の激しい濁流と化している。雨宿り用にフライを張って様子を見ることにした。雨は1時間もすると小雨になった。2時間もすると夏のひざしが戻ってきた。さっきの大雨がうそのようだ。しかし、本流の流れは昼下がりまで濁り続けていた。初日の沈殿は先行き厳しいものに思われたが、長い運転疲れを癒すひとときを与えていただいたと考えると神様のご配慮だったのかもしれない。とりあえず入山祝いで気分転換、気分転換。

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8月13日(日) 雷雨のち晴れ

きのうの沈殿をとりもどすため5:30に出発した。ゆっくり休んだのでみんな元気だ。林道終点まで行くと真中に水路のあるかわった堰堤に出くわす。濁りの消えた流れを泳いで取りつき、右岸のステップを使って反対側におりる。そしてまた20分くらい進んだとき、雷が鳴り、雨が降り始めた。また、撤退である。神様私どもにはこれ以上の休息は必要ありませんぞ。安全な堰堤のところまで戻って様子をみることにした。みんなでシートをかぶり雨の様子をうかがう。状況は悪かったがそれでも若者たちはいつも通り明るかった。下品な話しに盛り上がっている。私はシートから出て空模様をうかがった。きのうと違い雨は大降りにはならず青空が急速に広がり始めていた。これは行けると判断、今日も沈殿気分になりかけていたメンバーに激をとばして6:50再度出発した。
上流で大雨が降ったのだろうか、やや増水し濁ってきた。枝や葉っぱが混じっているのも気にかかる。しかし、この程度ならと進むうちに落ち着くであろう。7:10やがて第1の関門、ゴルジュ帯が現われる。ゴルジュ口からとうとうと流れでる濁流、釜の中を進もうとするが押し返されてしまう。なんとか攻略方法はないかと流れを渡り左岸をへつって落ち口の上に出てみた。すんなり落ち口を越えることはできたがその先もゴルジュの中を激しい流れがうずまき危険を感じた。途方に暮れてふと上を見ると今へつった左岸に20mの滝がありその上から巻いて行けそうではないか。進むにはここしかないとザイルをつけて滝を空身でリードする。それほどむずかしくないが高度感がある。ハーケン3本打って抜け、ザイルをブッシュに固定、みんなを迎え入れた。ゴルジュの左岸は段丘状になっており容易に進んでいけた。下を見ながらしばらく巻いていった。その先に雪渓のお出ましである。9:20雪渓の手前で10m懸垂下降し沢に降り立つ。ゴルジュ帯の厳しい部分は終わっていた。雪渓は高く不安定に見える。今度は右岸に移り草付きを登って雪渓を巻き過ごした。その後も落ちてきそうな氷のトンネルをいくつか走ってやり過ごした。
 10:10 右岸から小俣沢が入ってきた。入り口から狭いゴルジュになっている。右岸を微妙なバランスで越えていく。狭いゴルジュを過ぎると一転し沢は日差を浴びて明るくなった。滑滝を快適に登っていく。ヤマグチ君、カノウ君はときおり滝を滑り台に楽しんでいた。12:00逆くの字に折れた20mの滝が現れる。一見すると取りつけないように見えるがヤマグチ君が行けるのではないかと水流をくぐり果敢に右岸から取り付いた。1本ハーケンを打って1段上がって偵察した。草付きから巻けそうだということだった。ハーケンをたよりに私も1段上がると草付きではなく滝のすぐ横のカンテにラインが見えた。いきおい私がリードして滝上までザイルを伸ばした。途中立ってきたので荷をおろしてのリードとなった。その後5mの滝を越すと谷にもうもうとガスが立ち込め、大きな雪渓の出現を予見させた(14:00)。谷は真直ぐ東進する。いくつかの記録ではなにもないゴルジュであったと思う。しかし、ここが今年の沢を象徴する部分となった。悪い雪渓がいくつも連なり先行きを考えると緊張を強いられる。雪渓をのぞくと先が真っ暗で見えない。とりあえず偵察に入ってみると右岸から谷が入っていたのでその谷を利用して巻きあがることにした。草と下向きのブッシュを使って延々巻く。下をのぞくと雪渓は途中で切れ、あるいは裂け目が入っている。長いブッシュの巻きに疲れてきたこと小谷と交わった。乾いたのどを潤し、下をのぞくと小谷は20mの滝となって落ちている。本流の雪渓もいったん途切れている。先の不安はあるがここから懸垂下降して本流を進んだ(15:30)。その後、崩落した雪渓を越えニシザワ君のリードで8mの滝を越える。長い巻きと疲れのせいかここで判断を誤る。実際より進んでいると判断してしまい、次に入るはっきりした谷が目指す上ノ小俣沢と思い込んでしまった。やがて厚みはあるが裂け目の入った悪い雪渓にぶつかる。その右岸から25mの滝が落ちていた。これを上ノ小俣沢大滝と判断してしまった。後でわかったのだが実は下ノ小俣沢だったのだ。夕刻、行動を打ちきるにはいい時間なので今日はここまでとした(16:30)。岩だらけの出合いに土木作業で幕場を確保した。

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8月14日(月)晴れ

今日は朝からいい天気だ。さっそく25mの滝に取りつく。左岸の典型的な泥壁・草付きから滝上に伸びるバンド(ブッシュのついた岩壁)をルートと見た。1ピッチ目アサノリードで泥壁を登る。思ったより傾斜があり、アイスハンマーでステップを切り、さらにアイスハンマーを泥に突き刺して登った。慎重にブッシュ帯まで登りザイルを固定した。みんなが登ってくる間にさらにバンドへザイルを伸ばした。ブッシュをたよりに岩場を登り滝上から懸垂下降15mで流れに戻った。
滝上は左に折れ両岸せりたったゴルジュとなり、チョックストン滝が行く手をはばむ。ここはヤマグチ君が果敢に取りついた。滝下の倒木を利用して取りつき右側の水流の中をみごとに抜けた。荷揚げをし、あとのみんなも引っ張り上げてもらった。ゴルジュはその部分だけで終わり谷は開け大岩の上を渡りながらどんどん高度を稼いでいく。稜線も見えはじめてきた。水流も細くなっていく。最後に8mチョックストン滝が現われる。右岸にルートを見い出し、へつり登ると水流は一気に雫と化し詰めに入った。枯れ滝をいくつも越えやがて籔となった。下向きの熊笹に苦しみながらやっとのことで稜線にたどり着いた。(11:30)まだ昼前、苦しんだが予想よりかなり早い詰め上がりであった。下りの稜線をふりかえると頼母木小屋が見えた。下ノ小俣沢を登ったことはこれで明確になった。足ノ松尾根を乾きにあえぎながら降りた。2時間半でもとの林道に戻った。14:30。
その後は温泉にゆっくりつかりビールとつまみを買い込んで高速道路のパーキングで打ち上げまですませることができた。短かったけれど体力、技術を十分使う山行であったの思う。若いみんなは飯豊を気にいってくれたであろうか?アブ・ブヨ・カ・泥壁・草付き、豪雪地域の沢は登っているとき不快に思えることも多いが、沢の美しさ・手ごわさ、森の美しさは他とは違うものがある。どこからいかにして関門を乗り越えるか。自らの持てる能力を最大限出して踏み込んでいく喜びが飯豊にはある。それを感じてもられただろうか。飯豊入門はこれで終わった。君たちとなら飯豊、朝日どこだって行けるよ。

今年は結果的に1泊2日の夏合宿になってしまった。みんなに悪いことしたかな・・・でも1泊で抜けてしまうみんなは強いよ。来年はギンギンくるルートに行こうぜ!!たっぷりの水量・泳ぎ・登攀・泥壁・草付き、そうアブ・ブヨ・カ・カ・カもみんなの熱い血を飲みたがってるぜ。

そういえば下山後の集会でニシザワ君が自慢げでかぶれた腕を見せていた。アフター沢登りでかぶれを楽しめる君は立派な沢屋だよ。

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感想(ハタヤ)

出発まで

今年の沢登りの夏合宿の行先は、東北の飯豊山系の沢に決まった。
沢登りをしている者にとって、飯豊・朝日連峰の沢は一つの憧れでもあり目標でもある。 沢の伝道師でありスペシャリストでもあるアサノさんをリーダーに、6名での溯行となった。

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8月12日(土)恵みの雨、東北の強い虫

8月11日22時に京都駅に集合し東北に向けて出発。今回は片道約650kmの長丁場、さすがに今回は運転を交替してもらいながら深夜の高速道路を突っ走る。北陸道を夜通し走って日本海東北自動車道の中条ICで下車。国道7号沿いのマックスバリュで朝食やおつまみの買い出しを済ませ、ひとまず目的地の胎内ヒュッテには7:30頃到着する。
ここから頼母木川の入渓点までは1時間強歩くつもりだったが、奥胎内橋まで季節運行するバスに偶然乗ることができた。片道300円、5分で足の松尾根の登山口に到着。沢装備に身を固め入渓。
ところが沢に入ってものの30分もしないうちに空から大粒の雨が注ぎだした。みるみるうちに川が白波を立てて濁っていく。ダムの堰堤の前で一旦引き返し、林道上で様子を見ることに。林道上でタープを張って雨宿りのスペースを確保したあと川面をのぞき込むと手が着けられないほどの濁流。この日の入渓は見合わせるほかなかった。
恨めしい雨は昼前にはおさまり日差しすら差してきた。昨夜の睡眠不足を解消すべくメンバー全員死んだように眠る。16時を過ぎ思い出したようにツエルトを張り、焚き火にも点火。日射しを浴びてかなり乾燥していたのだろうか、おもしろいほど良く燃える。
東北の沢は、紀伊半島の沢以上にアブや蚊が多いとのこと。今回の山行を前にリーダーからは「顔に被せる網」を持参するよう指示があったが、その猛威は想像を超えていた。網を顔にかぶっても隙間をつくようにアブと蚊が襲ってくる。ジャージやタイツで武装していても関係なく痒みが全身に走る。露出している耳や顔はもちろん、背中や脚や臀部、とにかく全身がかゆい。これなら多少寒いほうがまだましだ。
翌朝、ツエルトを撤収しようとしたところ、全面に所々赤い斑点が広がっていた。どうやら、僕が蚊に献上した血液が、すり潰された蚊からそのまま吐き出されているようだった。

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8月13日(日) ゴルジュ帯、雪渓の高巻き

4時起床、6時出発。一晩中蚊の襲来を受けて、顔がすっかりはれぼったい。天気は曇り模様。6時に出発、堰堤を越えるが昨日に引き続いて雨が降り出す。ゴルジュ帯に入る前で堰堤まで引き返し、雨が小止みになった頃を見計らって再び前進を開始する。水は冷たいが重いというほどでもない。
しばらく足慣らしのような河原歩きと徒渉を続け、ゴルジュ入口にさしかかる。水は濁っており、流れは強そうだ。
アサノさんが右岸から取り付きを試みるも、濁り気味の水流にはね返される。次に左岸の滝をへつってゴルジュ帯の様子をうかがうも、水流が強く危険とのこと。ならば、と水線沿いは諦め左岸の滝を巻いて下降点を探る。滝のルート工作はリーダー。後続はユマーリング。滝を上まで詰め、ゴルジュ帯を巻くまで意外に道はしっかりしていた。
沢に戻ってからはしばらく平凡な河原歩き。分岐となる小俣沢の出合は注意していなければ通り過ぎてしまいそうなほど入口が狭い。数カ所続く小さな滝は適度な緊張感で快適に乗り越える。最初の難所、逆くの字滝は一旦右岸からのトラバースを試みるが草付きのトラバースが悪く、ヤマグチ君の提案で滝の左壁を乗り上げる。アサノさんリード。滝をジグザグ状に登って安全に高度を稼ぐと思っていたが、途中で荷物とデポしながらもなんと草付を直登していく。後続はユマーリング。テンションをかけてもいいとはいえ草付きの泥壁を登るのはあまり心臓には良くない。思い切り引っ張ったら抜けてしまいそうな草の根を頼りに神経を集中させる。
逆くの字滝を終えると、早くも雪渓が出てくる。短いスノーブリッジは一人ずつ足早にくぐり抜ける。天井からしたたり落ちる水滴と雪渓の中でこだまする流れの音はなんとも神秘的。崩壊したら最後生命の保証はないのはわかっているのだが、不思議と心地よさを感じる空間であった。距離の長い雪渓はさすがにくぐり抜けるわけにもいかず右岸の側壁を巻くことに。ここで初めて先日購入したアイスハンマーが役に立つ。草付きもおぼつかない泥壁ではハンマーを差し込んで支点を確保し体重を移動していく。足場はもとより心許ない。だましだましでトラバース。その繰り返し。しばらくすると植生が変わり木の根を掴めるほどになってきた。雪渓の途切れた小さな枝沢を20m懸垂下降して沢に復帰する。
しばらく歩くと大滝が右岸に出てきた。時刻は16時半。猫の額ほどの河原にツエルトを張る。
(この時点では上ノ小俣沢出合の25m大滝と疑わなかったが、溯行を終えた場所と照合すると、下ノ小俣沢の出合の20m大滝を前に幕を張っていることがわかった)
目の前には巨大な雪渓が沢を覆っている。雪渓から湧き出す冷気を浴びていると真夏でも寒い。おかげで虫はほとんどおらず、昨夜に比べると格段に快適な一夜となった。20時半には就寝。

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8月14日(月) 泥壁の高巻き、最後の激ヤブ

4時起床、6時出発。暖まりきらない身体だが、20mの大滝の高巻きから行動をスタートする。大滝の左岸の泥壁のルート工作はアサノさん。ザイルを背負っている僕が続いてユマーリングで登って次のピッチをリードするアサノさんを確保する。確保している最中下方の雪渓が音を立てて崩壊する場面を目の当たりにする。1ピッチ目の取り付きはアイスハンマーを泥壁に打ち込んでいても足場が怪しかった。2ピッチ目の岩の乗り越しは荷物を背負った状態では少々おぼつかなかった。
ここを越えればあとは難所といえる場所はない。ゴルジュに架かる小滝はヤマグチ君・ニシザワ君のリードで越えた。
最後は藪。背丈ほどもあろうか濃い笹藪に四方を囲まれて進むことさえままならない。眼鏡を藪にもぎ取られる。汗が全身から噴出す。頭が白くなってくる。濃い藪に遮られて先が見えない。まだだろうか。集中力が途切れそうになった頃、ようやく稜線が見える。どうやら山頂をめがけて藪を漕いでいたようだった。軌道修正して藪をトラバース、稜線になんとか詰めあがる。
稜線から登山口までは足早に下る。稜線に詰めた時点で緊張感が切れてしまったようで足元がまるでおぼつかない。やはりまじめにトレーニングしないと体力なんてすぐに落ちてしまう。それでも飯豊山系のたおやかな稜線、優しげなぶなの森はすばらしい。沢登りでなく縦走やハイキングをメインにしても、十分に楽しめそうだ。
頼母木小屋から足の松登山口まで、コースタイム4時間強を2時間半で駆け下りる。当初は間に合うとは思っていなかった16時のバスで胎内ヒュッテへ。ふうっ、なんとか最後まで行かせてもらえました。
あとは温泉に入り沢臭さを流れ落とし、酒類の買い出しを済ませ地元の回転寿司で腹ごしらえ。新潟西から北陸道へ。栄PAのあずまやでささやかに打ち上げてPA泊。
翌日(8月15日)は6時出発で北陸道を南下。お盆の渋滞を避けて13時には京都市内に到着。エアコンが効かなくなってきたと思い外気温に目を向けてみると、気温が40度を差しておりびびる。

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夏合宿を終えて、反省など

僕自身、7月中旬の沢登り中に、岩場から不意に滑り落ちて右脚を強打するアクシデントを起こしていた。捻挫した翌日は布団から起き上がることさえ億劫で、骨折はなかったものの松葉杖をついて病院からタクシーで戻る始末。直前にハイキングでリハビリをする機会はあったものの、怪我をして2週間は右脚を引きずらねば歩くことさえかなわなかった。当時、自分に言い聞かせるように書きつづった文章を引用しておこう。

たとえば、自分が山登り中に事故に遭って、しばらく身体の自由が利かなくなったとしよう。
事故に遭って回復するまでの長いフラットな時間を過ごさねばならなくなったとき、自分自身にできることは何だろうか。

事故に至った原因を冷静に分析しよう。
事故に遭った原因がたとえ不可抗力であったにせよ、自分自身の行動に遠因は少なからず求められるはずだ。
  • 道具なのか。
    • 小遣いをけちることが高じて、安全まで削ることにつながっていなかったか。
  • 習慣なのか。
    • 例えば1年前と比べて、自分の山行やトレーニングの履歴や傾向を振り返ってみれば、運動の量や質の変化がわかるはずだ。
    • 年齢を加えているにもかかわらず、レベルが維持できていないようであれば、絶対的な体力が落ちていることを認めなければならないだろう。
  • 歪みなのか。
    • 例えば仕事で帰宅が遅い日が続いていることはなかっただろうか。
    • 入山前に無理な運転を強行するあまり睡眠時間を必要以上に削っていなかっただろうか。
    • 2年前できたことが今年はできないならば、加齢による衰えが確実に進行しているか、日常の過ごし方が怠惰になっていることを認めなければならないだろう。
  • レベルなのか。
    • そのルートを目指すにあたって、心技体、相応の準備を行ってきただろうか。クリアすべきハードルは乗り越えてきただろうか。
元に戻るまでには、相応の時間を要することを受け入れよう。
  • 何もしなければ、これまで培ってきたものが風化するかのように失われることもあるかもしれない。
  • しかし、一時の感情に身を委ねてはならない。決して急いではならない。
  • 「何もしない」ことが逆に最も有効な戦術たり得ることを受け入れたい。
これまで疎かになっていた「周辺のもの、こと」に目を向けよう。
  • 自分の遊びにかまけるあまり、大事な人に寂しい思いをさせていなかっただろうか。
  • 周りにいる人に、自分の行っていることに対する理解を得られているだろうか。
  • 自分が趣味に興じられるのは、普段の生活の基盤があってこそ、ということを忘れてはいないだろうか。
  • 何もできない時間が長く横たわっている時期だからこそ、普段意識できていないことを立ち止まって考えるだけの余裕が欲しい。
本番まで1ヶ月近いブランクが空いてしまい、合宿に向けて念入りに調整を行ってきたとはとてもではないが言えなかった。

これで飯豊に入ってもパーティのお荷物になるだけだ。

積み上げが中途半端な状態で困難な沢に向かう資格があるのか、自分の実力に正面から向き合うのが怖かった。だから本番の週になるまで山行計画書には目を通せずにいた。本番の直前までルート図を読んでもまるで頭に入らなかった。ただ、これまで夢だと思ってきた東北の沢を覗けるまたとない機会をどうしても逃したくはない。その一念で不安を拭い去ろうとした。一旦は参加を諦めた合宿だ、参加できることを幸運に思えばいいじゃないか。
不安を打ち消そうとしても、果たして自分でも行けるのだろうか。一抹の不安は最後まで抜けなかった。

初日の停滞は、僕にとっては良い方向に作用したようだった。のしかかる重圧とドライブの疲れでこれまでになく重かった身体も、一晩眠れば沢に通っていた頃の感覚を取り戻したように思えた。
そうあっても、今回の沢はこれまで自分が経験した中で間違いなく一番歯応えのある沢だった。
いつ撤退の判断を下してもおかしくはない場面がいくつも出てきた。
2日目に雨に降られたとき。濁流のゴルジュの入口に立ったとき。滝のきわどい草付きを直登するとき。泥壁をトラバースするとき。
一回の山行で胃酸が逆流するような苦みを何度も味わったのは今回が初めてだった。
それでも、平常心を終始保ったままで溯行を続けられたのはリーダーのアサノさんを心から信頼できていたからだ。
また、年齢は僕より5年前後離れているが僕より沢経験・リーダー経験の豊富なヤマグチ君とニシザワ君にも助けられた。2日目のゴルジュに架かる滝のリードなど、僕ならば尻込みして考え込んでしまうような場所でも、彼らは果敢に攻めてくれた。
渋い状況にあってもあきらめない。結論を出す前に自分で行動を起こしてから判断する。一見難しそうな場所でもそばに取り付いて実際に触れてみる。それでも、退くときは退く。そして、メンバーを信頼する。言葉ではなく態度で示す。
同じくメンバーであったニシムラ君、カノウ君のそつない仕草にも鼓舞された。
この頼母木川、飯豊の沢の中では一番易しく短い部類に入るという。あれだけ渋い思いをしたのに、まだ入口を見せてもらっただけかと思うと沢登りの世界は途方もなく広いことを肌で感じざるを得ない。
また飯豊に行きたいかと問われると、きっと行きたいと答えるのだろう。
そして、沢の季節がくればいつものように不器用に準備をせせこましく始めているのだろう。

ルート図

飯豊 頼母木川下ノ小俣沢溯行図

飯豊 頼母木川下ノ小俣沢溯行図
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行動中の写真

 

足ノ松尾根登山口から入山

 

見る間に土砂降りに。初日は退却

 

濁流の頼母木川本流

 

死んだように眠った

 

乾いた薪がよく燃えた

 

堰堤の左壁を越えて入渓

 

ほどなく雪渓に出くわす

 

ゴルジュ入口の滝。増水のため左岸の滝を直登して高巻きした

 

滝を直登する

 

スノーブリッジ。短いものはくぐり抜ける

 

心地よい溯行

 

きわどいへつりもある

 

滑り台で遊ぶ

 

記念撮影

 

逆くの字滝20m。左壁を直登した

 

逆くの字滝をルート工作するアサノ氏(左方)

 

雪渓は分厚くなっていく

 

雪渓の中は幻想的にすら感じられた

 

長い雪渓は右岸の泥壁を巻く

 

崩壊した雪渓を歩く

 

雪渓から湧き出す冷気

 

下ノ小俣沢出合すぐの滝。右壁を巻いた

 

下ノ小俣沢出合で幕営

 

CS滝。果敢にリードするヤマグチ君

 

上部は河原歩き、時折滝を交える

 

最後は強烈な藪こぎ

 

正午前に稜線に出た

 

たおやかな稜線を駆け抜ける

 

この尾根の下に、ゴルジュが眠っている。

 

登山道から頼母木川を見下ろす


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