02 立山三山から黒部ダムへ

いきなりKOさんから指名されまして、何を書いて良いのか迷いました。「自分の気に入った山のルートを書けばいい」と言われたのですが、僕には今まで登ってきた山や谷は、甲乙つけられないほど全てすばらしくそれぞれに価値があり、僕の心にしっかりと残っています。

僕が山登りを始めたのは大学生の頃で、どういうわけか高校生の頃に組んだバンドメンバーが、そのまま山登りのグループになりました。高校、大学時代に音楽と写真が好きだったぼくは、八ヶ岳の音楽スタジオに行く傍ら、ちょっと赤岳に、とかちょっと権現岳にということで何かのついでに山に登っていた次第です。 そのメンバーで行った最初のテント泊縦走が、今の自分の山人生に深く関わっています。 この山行なくしては、今、自分の山を語ることができないので、今回はその時のルートを紹介します。

当時、19才の僕は山の良さも恐ろしさも何も知らずに、ただただ冒険心と山の写真を撮りたい一心で、少し無謀とも言える計画を立てました。バンドメンバー3人で立山から剣へ真砂沢を経て内蔵助から黒四ダムに降りるというものでした。日帰りの山は何回か行っていたけど登山目的で泊まった経験のない、しかもテントを持って行くなど一切しなかった自分達が、いきなり山中2泊の計画を強行したのです。

友達から借りたフレーム付きの80リットルのザックに、ありとあらゆるものを入れて、当時(今も)愛用している発売されたばかりのCanon New F1に、こともあろうかモータードライブまでつけ(必要なし!)、替えレンズは全部で4本、300ミリから16ミリまでテレコンも付け、極めつけは5Kg以上ある超特大三脚!と、プロの山岳カメラマンばりの完全装備をしていったのです。

大学で写真を専攻していた僕は腕には自信があったものの、山に機材を持ち込んで撮るという、初めての経験に妙にはりきってしまったのです。 結果は歴然としていました。 夜行の電車で立山室堂入りし、ほとんど寝ていない体にその何キロあるかわからないザックを背負い、まずは立山三山縦走!泊地は剣沢なのですが、その時のザックは重すぎて、自分一人では持ち上げられなかった記憶があります。

一の越から雄山の途中でバテてしまい、足にきていたのが原因で大汝山手前の岩から落ち、右肩脱臼と右肘靱帯損傷!剣沢の診療所があったから良かったようなものの、一時はどうなることかと・・おまけにパッキングの仕方など知らない僕は大事なカメラ道具は下の方に入れ、友達から借りたシュラフを一番上(雨蓋の上)につけていたため、ふとした拍子に落としてしまいまして、その時の光景を・・シュラフが山崎カールにコロコロ落ちていったのを・・今でも鮮明に覚えています。

それから後は一つのシュラフに2人で寝ました。何とも無知でむさ苦しい、迷惑な話ですね。怪我をしたのだから下山を考えるのが当たり前だけど、何しろ何も知らない者ほど恐ろしいものはない、再び山行を続けたのです。

2日目、ドクターストップで剣には登れず、悔しくてテントで一人仲間が帰ってくるのを待っていました。情けなくて空しくて、悔し涙の一人泣きです。写真は山ほど撮ったけどカメラをデポしていく訳にいかず、仲間が剣から帰って来るのを待って、テント撤収。再び重い荷物を背負って次の泊地の真砂沢に向かいました。

剣沢雪渓ではアイゼンも何も装着せずに何度もひっくり返り、右手が三角巾で吊られたままの僕は、腰をしこたま打ちつけ、半分やけくそになっていました。3時間もかけて真砂沢に到着し、テントを設営。テントはディスカウントストアで買った3000円の安物。新品なのに2泊目でポールが折れかかっている。雨でも降れば、多分崩壊するようなものです。でもそんなことはおかまいなしに、食事を作りゲームをし、楽しんでいました。テントは暑くて顔だけ外に出し、星を見ながら寝ました。その時の美しさは、それまで見てきたどの星空よりもきれいだったのを覚えています。

3日目真砂沢を後にハシゴ谷乗越を経て内蔵助谷へ、右腕は益々痛く痺れています。しかし、3日目ともなると気力の方が勝り、痛くて使えないはずの右手を、急登ではかまわずに使えます。必死の思いでハシゴ谷乗越に登り、そこから剣岳を望みます。一瞬後ずさりするほど、そこから見るそれは堂々としていました。

内蔵助平は心なごむ平和な盆地ですが、その時の僕はそんな心の余裕すらなく、ただひたすら歩き続けるのがやっとという感じでした。左に大タテカビンを見ながら、丸山東壁の下をトラバースするように内蔵助谷を降り、黒部川に出た所で黒四ダムが見えました。そのときは、それまでが大変だっただけに、まるで遭難者が救助隊を見つけた時のように喜び、男3人が泣きながら抱き合って喜んでました。溢れる涙で前が見えなく、ぼんやりとした景色の中に黒四ダムが見えていました。(たいそうな様ですが本当です)

ほっとしたと同時に右手に激痛がはしり、今まで気力で使えていた右腕がまったく使用不能になったのでした。そこからは黒部川を遡り、黒四ダムに登り(これがまたけっこうしんどい)ダムの上で着飾った観光客の姿を見たときは全身から力が抜け、その場にへたりこみました。

その後、アルペンルートを使い大町へ抜け、電車で帰路につきました。 電車の中では3人とも熟睡しましたが、帰る途中何回も自分達の体臭で目が覚めました。京都に帰ってからは「こんなにしんどい思いをするなら、山には二度と行かない」と誓いをたてたものの、その誓いはものの1週間でうち砕かれ、次の週末にはまだ右手も治っていないのに、近場の山に行った記憶があります。

今から思えば普通の夏山の登山道で、何のことないコースですが、僕の中では一番しんどい、一番痛い、一番心に残る山行でした。でも、モノや形から入る今の登山とは違い、非常に素朴で純粋なファイトあふれる気持ち、心から湧き出るチャレンジ精神は、今でも大切にしていきたいと思います。その後10年ほどして、山は一度やめてしまったのですが、訳あってまた始めております。

なんか本題から逸れ、身の上話みたいになりましたが、縦走、岩稜、雪渓がパックされたこのコースは夏山ハイキング入門用としてお勧めしたいですね。この夏はそこに温泉もプラスして、再び同じコースを辿ってみたいと思います。

文:yamagata

日程

0日目:京都-立山室堂
1日目:室堂-一の越-雄山-大汝山-別山-剣沢(泊)
2日目:剣沢-剣岳往復-剣沢-真砂沢(泊)
3日目:真砂沢-ハシゴ谷乗越-内蔵助平-内蔵助谷出合-黒四ダム-京都

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