11 山は空間、運動、思い出(京都・大文字山)

自分が山についてどう考えているかというと上の3つが浮かんでくる。はじめの二つはやはり行動中に一番感じられるものだし、3つ目の記憶が一番書きやすいのでそれについて一番強く、何度も、そしてこれからも体験するであろう山「大文字」について書いてみようと思う。

大文字は僕の生活する地域からすぐに目に入れることができる山だ。その存在だけなら日本のほとんどの人が知っていると思う。僕が京都に来てすぐにとった行動はこの山に登ることだった。そのときの下宿先は大文字のすぐそばで窓からは「大」のところにいる人の姿がくっきりと見える近さだった。時期は四月で若葉が出始め、青い緑の中に浮かぶ「大」の字がすごく魅力的だった。いても立ってもいられず一人大文字へ向かう。大学に入ったら山岳部にと漠然と考えていたが(何でそう考えていてかは未だに謎。)それまでの山の経験といったら地元熊本にある金峰山に友達と頂のすぐ下までバイクで行きそこから少し歩いたぐらいしか思い出すことができない。(その山の頂上からは市街地の向こうに海が見えてとても印象深い。)登り始めから道は整備されているし日差しも明るい。一人でいることに不安を感じながらも時たますれ違う人から少し安心をもらう。「大」に出てくる急な階段を上りきると疲れて無防備になった脳みそに見事な京都市内の景色が飛び込んでくる。僕はただ「大」のところに来たかっただけなのに予想以上の成果を受け非常に満足し、それをゆっくり消化するため一時間ほどぼおっとしていた。

それから2年半ほど過ぎ50回近くは登ったと思う。観天望気の勉強のため本を持って登ったり、トレーニングとして走って登ったり、平日、天気のいい日や授業に飽きたときなど、また、雪山から帰ったときは山で過ごした緊張の日々と日常の生活とのギャップを埋めるために登ったりもした。

だらだらと大文字についての思い出を書いてきてとても山の紹介になってはいませんが、こういう場所が自分の近くにあるのはとても嬉しいことだし他の人たちにもわかってもらえるものだと思います。京都を離れていつかまた京都に観光にでも来たときにもいい所でありますように。

(大坂)

大文字の頂上は「大」から歩いて15分ほどだが頂上からの景色は渋すぎるため「大」で引き返したほうが満足度が高いと思う。

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