20 Denali Expedition 2003 (USA)

( 2003.6.9-6.22, 記:笠見 卓哉)

マッキンリーへの想いが募り始めたのはいつの頃だろう。大学3回生の冬、周囲の学生が就職活動を始める中、マッキンリーの資料を必死に集めた時期があった。このまま就職活動をするのか、それとも一年休学をしてやりたいことをやるのか。そのやりたいことがなんだったか、今でははっきりとは思い出せないが、第一がマッキンリーだったことは覚えている。しかしその時は結局、就職活動を採った。

アラスカに興味を持ち始めたのは、星野道夫の写真・文章に出会ってからだ。手付かずに残る壮大な自然、そしてその厳しい自然と共に暮らす力強い人々に惹かれた。大学に入ってから誘われるがまま山を始め、いつのまにか山にのめりこんでいた私は、このマッキンリーという山、現地では古くから「偉大なるもの」「太陽の家」という意味のデナリと名付けられていたこの山に、強く憧れ始めていた。それは私にとって、途方もない自然を抱えているアラスカの象徴だった。

そして社会人2年目の冬、憧れ続ける心に押され、アラスカへ、マッキンリーへ行くことを決めた。行くなら今しかない、いや、今行かなければならない、と。

6月7日 「アラスカへ」

 成田発 15:20 〜 シアトル経由 〜 アンカレッジ着15:40 

アラスカへ出発の日。準備はとても慌しかったが、今はとても澄んだ気分だ。

「夢がかなう日の朝は、どうして心が静かなのだろう」と星野道夫が言っていたのを思い出す。

成田には友人3人が見送りに来てくれた。 大阪からきてくれた友人もおり、本当に嬉しかった。しかし、彼らが見送りに来てくれたことを喜んだのも束の間、空港にはターミナルが二つあることを当の本人が知らなかったため、第一と第二、どちらのターミナルに行くべきか分からず、大いに慌てる。そして、私以上に慌てた友人たちがあの手この手を尽くしてくれたおかげで、なんとか正しいターミナルにたどり着くことができた。今回の遠征で最初の核心だった。

しかし2番目の核心もすぐに訪れる。

搭乗まで時間がないため引き続きオロオロしていると、空港職員の人に「どちら行きの飛行機に乗られますか?」と聞かれた。私は、何の迷いもなく、
「アラスカ!」
と答えた。が、友人からは突っ込みが入った。

「シアトルだろ!」。 

確かに経由地はシアトルなので、私はまずシアトル行きの飛行機に乗らなければならない。それは確かだけど…。 そんなこと俺には関係ない!俺が行くのはアラスカだもんね!シアトルなんかじゃないもんね!と、恥ずかしさでうつむきながら、心の中では大きな声でつよがった。
そして、いつまでもこれをネタにし続ける仲間に「行ってくるよ」と言い、飛行機に乗り込んだ。

不本意ながらシアトルを経由しながら十数時間後、こじんまりしたアンカレッジ空港に着いた。空港では日本人経営のB&B「ミッドナイト サン エクスプレス」の加藤夫人が迎えに来てくれる。今日、明日はここの宿を拠点に足りない食料/装備の準備に充てるつもりだ。

B&Bでは、マッキンリーの気象観測をしている大蔵喜福さんの隊も同宿していた。大人数(10人くらい)で大量の食料を準備していた。なんだかとても楽しそうだ。それに比べて単独の私には悲愴感すら漂っている。

初めての白夜の夜。いつまでも明るい空に、気分がそわそわして落ち着かない。
夜11時、夕日で空が赤く染まった。とても美しい夕焼けだった。

6月8日 「アンカレッジで準備」

今日は終日アンカレッジにて山行準備。食料を中心に準備を進める。

こちらの食材は、全体として量が多く、小分けになっていないので、単独の人にとっては使い辛い。野菜は一つ単位で買えるが、肉は極端に大きい塊で売っている。そろわないもの、日本より値段の高いものた多く、生もの以外、日本で買えるものは買っておけばよかったと思った。

B&Bに戻り、キッチンを借りてペミカン1週間分を作る。牛肉の塊を大き目の一口サイズに切り分けたので、とても豪華でおいしそうなペミカンが出来上がった。いつものことだが、つまみ食いで1割は減った。

DAY 1: 6月9日 「入山 〜ランディングポイントへ」

アンカレッジ8:15発→タルキートナ 11:20着 21:00発→ LP(ランディングポイント)21:50着

アラスカ鉄道に乗ってマッキンリーの登山基地となる町 タルキートナに移動する。車内の席は非常にゆったりしていて居心地がよい。展望車もあり、天気は良くないがアラスカの雄大な景色が窓外に見える。草原、湿地、樹林、沼、川、そしてそれらの背後に連なる雪をまとった山脈。憧れていたアラスカの自然がすぐ目の前に広がっている。アラスカに来たという実感が湧いてくる。

列車に乗り3時間でタルキートナに到着。セスナの予約をしているK2 Aviation社に、車で迎えに来てもらい、街中まで移動 する。

まず、レンジャーステーション(NPS)にて入山手続きを済ませる。ルート上の注意点、排泄物/ごみの処理方法についてのレクチャーも受け、それらを入れるための袋などをもらった。

その後 K2 に行き、フライトの手配をする。今日のフライトはない、早くて明日だ、と言われしょんぼりする。さらに、借りられると思っていた無線(CBラジオ)が、借りられないことが判明。別の飛行機会社(ダグキーディング)で貸し出していたが、なんと$150もする。これならアンカレッジで買ったほうが安かったが、今となっては他に手段がない。しぶしぶ借りることにする。

なんとか揃える物をそろえた後、飛行場で恨めしそうにセスナを眺めていたら、21時ころ、なんと一人だけ乗せて飛んでくれるという。操縦士の気が変わったのか。よしよし。嬉々としてセスナに乗り込んだ。

こんな時間でも飛行ができるほど、白夜の空は明るい。

22時近くにLP(ランディングポイント)に着陸。約1時間のフライトだった。

LPには12〜3張りのテントがあった。予想外の雨が降っている。外張り式のテントでよかった。内張り式のものだったらフライなんて持ってきていなかっただろう。

セスナを降りたとき、スノーシューをレンタルし忘れていることに気付いた。操縦士と交渉し、明日のフライトで持ってきてもらうことにする。

ポツポツ聞こえる雨音を聞きながら眠りに落ちた。

アラスカ鉄道 

>タルキートナレンジャーステーション

DAY 2: 6月10日 「野沢井さんパーティーと遭遇」

LP 12:00発 → C1(2,350m) 着

朝11時にK2のセスナが飛んで来た。借り忘れていたスノーシューを受け取る。と、そこに見覚えのある日本人がセスナから荷物を降ろしている。

「あのー、野沢井さんですか?」

「笠見君??」

やっぱり。野沢井さんがマッキンリーに来ることは知っていたが、5月中旬と聞いていたのでまさか会うとは思わなかった。同じ山岳会に所属しながら、同じ時期に同じ山に入るメンバーを把握していないとはなんたることだ。

彼らは4人パーティー。野沢井さん、宮崎さん、睦好さん、志村さん。この後、行動はすべて別々だったが、テン場はほぼ毎日同じだったので、高所のアドバイスをいただいたり、お酒や、ご飯をご馳走していただいたりと、大変お世話になった。

ソリのパッキングを終え12時に行動開始。スノーシューを履き、ソリをハーネス結びつけて歩き出す。思いのほか快適だ。大蔵さんの記録では、ソリが横転して苦労すると書いてあるが、ザックをのせて引く分には割と安定していて、転がることはなかった。ズタ袋を乗せて引く場合は転がるのかもしれない。

緩やかに200mほど下り、その後、平地、わずかなのぼりを繰り返してC1手前の2,350m地点に到着。C1にはテントが多数張ってあったので、今日はここでテントを張ることにする。ルート上にはトレースがしっかりと付いており、クレバスの恐怖はほとんど感じなかった。が、テン場近くの踏み跡のない場所で足がはまり、一瞬ヒヤッとする。

単独行の人は多い。パーティーでもロープをつけていない人たちもいる。スキーよりもスノーシューの人が多い。

天気はあまり良くなく、ガスで周りの景色もよく見えないが、初めてのソリ引きは楽しかった。

ランディングポイントにてセスナから荷物をおろす野沢井パーティー。右の黄色い靴が笠見。 

 

DAY 3; 6月11日 「日本人の単独行者たち」

C1(2,350m)8:40発 〜 C2(2,950m) 11:40着

明るすぎて6時に起床。アイマスクをしていても、明るさが気になり眠りが浅い。アンカレッジより緯度が高いからだろうか、氷河の中だからだろうか、町にいたときより夜は更に明るい。慣れないMSR、なぜか点かないライター、テント内の酸欠に苦しみながら朝食を準備する。

起きたころは雨混じりの雪だったが、出発するころには止むんだ。昨日よりも登りが続くルート上にはクレバスが2箇所(幅20〜30?)あった。それ以外は特に問題となる箇所もなくC2に到着した。

C2には、日本人の単独行の方が2人、山本さん(女性)、花井さん(男性)が先にテントを張っていた。同じ日に入山している日本人単独行者が3人いることになる。それぞれの想いがあるようで、ロープを結ぼうという話にはならなかった。

テントを張っているうちに天気が回復する。晴れ間が広がりテントにいられないくらい暑くなる。当然、外にいても日差しが強く、暑い(上半身裸の人もいる)。

20時のCBラジオで天気予報を流すのだが、昨日が聞こえず、今日も聞こえない。なぜだろう。谷中と同様、氷河の中も電波が届きにくいのだろうか。あまり気にしないことにして21時に就寝した。

DAY 4: 6月12日

C2(2,950m) 9:00発 〜 C3(デポキャンプ 3,350 m) 11:50着

6時半起床、気温0度、天気は晴れ。荷作りをして9時に出発する。

今日は、ソリに載せる荷物よりも背負う荷物を重くする。登りが多いとこちらのほうが楽だ。快晴の中登り続けてC3(デポキャンプ)に着く。

予定ではBCまで荷上げをする予定だったが、連日のソリ引きで疲れがたまってきているので今日の荷上げは中止にする。1日1日の行動は短いのだが、やはり重い荷物(45〜50??)で疲労が溜まってきている。

 

DAY 5 : 6月13日 「高度障害」

C3(DC 3,350m)8:30発 〜 BC(4,330m)12:00着 / 13:00発 〜 C3 14:30着

6時起床。晴れ。テント内の気温はー4度だが、体感気温はそれよりずっと低い。

8時半、荷上げに出発。上げる荷物は食料、燃料、ツエルト、など。ソリは使わず、すべてをザックに詰め込み、アイゼンを履いて歩き始めた。

テント村を抜け3段ある急斜面(モーターサイクル・ヒル)を登り、ウィンディー・コーナーを通過する。ここウィンディー・コーナーは、ときに荷物を載せたソリが凧のように舞い上がる程の強風が吹くといわれるが、今日は風もなく穏やかな天気だ。高度が上がるにつれ、少しずつ息があがり始め、頭痛・吐き気も始まる。高度障害が始まったようだ。

BCには多くのパーティーがいた。100人くらいか? 天気がよく、ハンター、フォーレイカーの眺めも美しい。ハンターは北壁とその先ピークまで続くリッジに、フォーレイカーはそのどっしりとした山容に目が奪われた。

デポする荷物を雪に埋めC3への下降を開始する。高度を下げても頭痛・吐き気が治まらない。C3に戻りテントに倒れこんだあと、起き上がることも出来ず、何かしようとする気にならないほどの頭痛と吐き気が続く。水分を摂ってもなかなか症状に変化はない。高山病とはこういう症状か。判断力が鈍り、何かをする気力もなくなる状態。もっとひどい高山病になり、命を落としていった登山者たちのことを思う。

とか何とか悩み苦しんでいるうちに症状は少しずつ改善し、夕食も何とか取れるくらいまでに回復してきた。悲劇的な気分も去る。やれやれ。

フォーレイカーと笠見(ウィンディー・コーナー上部より)

DAY 6: 6月14日 「停滞」

C3 Stay

晴れているが、昨日の症状(頭痛、吐き気)が残っているので停滞とする。脈拍は通常値(50)で安定しているのだが尿の量が少ない。顔もむくんでいるようだ。

日がな一日、お茶を沸かし、散歩をして過ごす。日焼けを避ける為の鼻当ても自作した。読書も試みてみた。今回は、長期間だが軽量化も必要だったので、一気に読み終わらない本一冊だけにしようと思い、『 禅とは何か (鈴木大拙 著) 』を持参した。しかし、読み終わらないどころか、全く読み進まない。失敗した。

DAY  7: 6月15日 「BCに移動」

C3  11:00発 〜 BC(4,330m)15:00着

晴れ。体調は回復した。下山時用の食料、燃料をデポしてから、11時にBCに向けて出発した。ソリは置いていきたかったが、荷物が多く背負いきれないので結局使うことにした。

例年、このC3〜BC間は氷結箇所がありソリの扱いに苦慮するらしい。今年のように雪が多くてもトラバース時にはソリが斜面を落ちて下に引っ張られて苦労するので、氷が出ているならば更に大変だろう。15時半にBCに着。今日も景色が素晴らしい。また頭痛が始まった。

これまでの移動で感じたことだが、すぐ近くに見える場所にもなかなかたどり着かない。予想より倍くらいの時間がかかるように思える。山のスケールが大きいためだろうか。

 

BCよりフォーレイカー

DAY 8: 6月16日 「山での食事」

BC(4,330m) Stay

予定通りレスト。頭痛は治まっていたが、脈拍は少し高い(60)。

日が当たらないと寒い(マイナス12度)。BCには9時半ころ、ここから先のルートには10時半ころから日が当たる。

今日はのんびりと、雪でキッチンを作ったり、野沢井さんパーティーのテントにお邪魔したりする。これから下山するイギリス人からフリーズドライの野菜、肉を貰った。これがまたまずい。貰わなければ良かったと思うほどだ。あぁ、だから彼らも使わなかったのか・・・。

今回の登山での食事は、基本的には日本の山と変わらない。

朝・・・ラーメン、雑炊など + お茶もしくはスープを多めに摂る 

昼・・・行動食 + お茶もしくは水を多めに摂取

夜・・・ペミカンを使ったカレーなど、または フリーズドライの丼の素&味噌汁 など

今回は夕食用としてペミカンを使用した。長期山行なので本当は生野菜や凍らせた肉を持っていきたかったが、単独行で荷物が多いことを考え断念、代替案として肉/野菜をペミカンにして一週間分持っていき、残りの2週間分はフリーズドライを使用することにした。フリーズドライだけだったならとても切ない食事になったと思うが、今回はこのペミカンのおかげでそれなりの食事が楽しめた。

それでもやはり、隣のアメリカ人パーティーが、大きなキッチンテントの中で肉やら野菜やら香ばしく焼いているのを見ていると、お腹も心も切なくなることがあった。

DAY 9: 6月17日 「ハイキャンプへの荷上げ」

BC(4,330m)8:30発 〜 4,990mポイント 11:10 〜  HC(ハイキャンプ 5,250m)  13:30  〜 BC  15:10着

ハイキャンプへの荷上げのためにBCを出発。ウエストバットレスの側壁となる雪面をひたすら直登する。途中、両脇がかなり開いているスノーブリッジの上を通過するが、冷え込んでいたため雪が締まっており、それほど不安は感じなかった。

雪面上部は長い長いフィックスロープ帯となる。ロープは登り用と下り用の2本がレンジャーによって張られている。初めはフィックスロープにタイブロックを掛けて登っていたが必要を感じられず、途中からはカラビナ掛けだけで登った。ガイドの付いた大パーティー(12人)は、各人をロープで結んだ上にフィックスロープにユマールを掛けて登るので通過にとても時間がかかっている。ここで時間を食うのは嫌なので、下り用のロープを使って追い抜き、ウエストバットレス稜上のショルダーに出た。

稜線に出るとさすがに風が冷たくなる。稜線上は雪が締まっていて、いくつか岩稜帯もある。また、左右が切れた斜面や急な箇所にはフィックスが張ってあった。頭痛がする中、もくもくと2時間ほど歩くと平坦なHCに着く。

前のパーティーが作った、しっかりとした防風壁のあるテン場に、ツエルトや食料、燃料などをデポして、BCへの下降を開始する。

稜線下のフィックスを通過した後、再びスノーブリッジを通過することになるが、このころ(15時)になるとさすがに雪が緩んでおり、崩壊の恐れがあるように思われ、本気でロープがほしくなる。しかし、ないものはしょうがないので、息を止めながらそろそろと渡る。無事通過。安堵のため息が出た。

その後は尻セードで一気に下った。

DAY 10: 6月18日 「装備について」

BC(4,330m)Stay

今日は予定通りレスト。

朝から雪が降っていて、視界が悪い。明日の天気はどうだろうか。BCにはレンジャーが常駐しており、毎日天気予報を出しているがあまり当てにならない。気圧、天気の周期を見ながら最終的には出たとこ勝負、という感じである。

今日はあまり書くことがないので、今回の装備について書いてみる。

【装備】

もっとも寒いケース(マイナス30℃以下)を想定して用意した。
高所であり、また、空気が乾燥しているため、体感気温は外気温よりかなり低く感じた。
ただし、3,350m以下では、日中風がないと非常に暑い。

衣類

通常冬山装備 + ダウン上・下
ダウン上は薄手のものではなく、高所用のしっかりしたもの。フード必須。
ダウン下はモンベルなどで売っている1万円程度のもの。

手袋

ダウンのミトンを持っていく。HC以上ではあったほうがよいと思う。
薄手インナー+厚手のウール + オーバーグローブ  もしくは 薄手インナー+厚手のウール + ダウンミトン + オーバーミトン
オーバーミトンはいらないかもしれない。
空気が乾燥しているので ダウンも濡れなかった。
どちらもアンカレッジで売っているが、値段は日本と変わらない。

足回り

薄手インナー + 厚手ウール靴下 + コフラック + スパッツ or オーバーブーツ
オーバーブーツはコフラックエクスペディション 8 1/2インチ 用  のものがICIで売っていたので購入。シンサレート入りの、まじめな日本人がまじめに作った製品で、種類/サイズまで専用作ってあるためブーツ、アイゼンとの相性は良かった。
アンカレッジのAMHでもウレタン製のものを売っている($100前後。日本で購入するのと価格は同程度)。性能の程は分からないが欧米人は皆それを使っていた。
個人的には日本で購入し、相性を試しておくことを勧める。
特に、HCから先に長い斜面のトラバースがあり、ここでオーバーブーツがプラブーツ/アイゼンに合っていないと大変危険。

特に気を使ったのはこのあたりだろうか。後は、普通の冬山装備である。
なにせ寒い時は非常に寒いので、防寒対策が第一であった。

DAY 11: 6月19日 「ハイキャンプへ移動」

BC(4,330m)10:40発 〜 4,990mポイント 13:40 〜 HC ( 5,250m)  16:30着

昨夜のうちに雪は止み、今朝は晴れている。

必要のない荷物をデポしてから出発。一昨日通ったコースを登るが、荷物が重くペースが上がらない。高度順化はしているのだろうか。休み休み登っていくうちに雪が降り始めたが、HC目指して前進する。

16時半、HC着。寒くはないが雪が強くなり、明日の行動できるか心配になる。

 ウエストバットレス稜上の笠見 

DAY 12: 6月20日 「Summit!!」

HC ( 5,250m)  8:20発 〜 デナリパス(5,547m)10:00

天気は薄曇り。それほど寒くはなく、風は弱い。脈拍もこの高度の割には安定 (58)しているし体調も良い。出発しよう。

ハイキャンプから日のあたらない雪面を左上気味にトラバースする。このトラバースが長く、デナリパスまで延々と続くのでアイゼンとオーバーシューズの相性が悪いと怖いところだ。一部フィックスロープが張ってあった。

デナリパス (5,547m)10:00 〜 フットボールフィールド 〜 サミットリッジ(6,132m) 15:00

デナリパスから進路を南に変える。尾根状の雪面を登っていくが、呼吸がだんだん苦しくなる。一歩踏み出す毎に一呼吸していたのが二呼吸になり、次第に三、四と、高度が上がるにつれ回数が増えていく。

フットボールフィールドに出てからゆるい上り下りを2度ほど繰り返すと、ピークにつながるサミットリッジへの急登が始まる。空気が薄いせいか、非常に眠い。立ち止まると眠りそうになる。時折、意識が飛び何をしているか分からなくなる。先を見ると急登はまだまだ続いている。苦しい。

その急登の途中、登頂して降りてくる野沢井パーディーとすれ違った。彼らと声を交わすことでだいぶ意識が覚醒する。気を持ち直して登り続け、15時サミットリッジのショルダーに着いた。

フットボールフィールドからサミットリッジへ向かう

サミットリッジ 15:00 〜 ピーク 15:40(6,194m) 〜 サミットリッジ 16:40

サミットリッジのショルダーで荷物をデポしピークに向かう。曇っていてあまり視界は利かない。ピーク付近としては暖かい方ではないだろうか。狭い雪のリッジを詰めると、目の前に平らなピークが現れた。

荒い呼吸でそのピークにたどり着くが、ガスで周りの景色が見えない。ここが最高点だろうか? 分からない。思わずへたり込んだ。しばらくそこでじっとしていた。そして少しだけ視界が開けた一瞬、ここより高い場所がないことを確認した。ここがピークだ。やっと着いた。

周りの山々がうっすらと見える。あまり冴えない景色だが、ここに来るまでの思い、苦労が思いだされ、自分はこのピークに立つ為に来たんだと改めて思った。

そのまま、ぼんやりしながら30分ほどピークで過ごした後、ザックをデポしたショルダーに向けて下り始めた。

サミットリッジを登る

サミットリッジ 16:40 〜 HC ( 5,250m)  19:30着

ショルダーまで戻り、荷物を回収して、HCに向け下る。

雪が強くなりだんだんトレースが分かりづらくなる。急いで下るが、とうとうデナリパスでホワイトアウトしてしまい、トレースを見失う。トラバースする方向は分かるのだが、不用意にトラバースすれば雪崩を起こす可能性もありなかなか動けない。「これはまずい…」と思いながら、周りをじっと観察し続けた。そのまま1時間ほど経った時、ガスの切れ間から20m上方に旗竿が点々と見えた。トラバースするルートはあそこか。どうやらデナリパスから下りすぎてしまったようだ。

旗竿のある箇所まで登り返し、それを頼りに長いトラバースを下りきった。疲労困憊。テントに着くなり、中に倒れこんだ。

DAY 13: 6月21日 「下山開始」

HC ( 5,250m)  13:20  〜 BC(4,330m) 〜C3(3,350m)17:00

風、寒さはそれほどでもないが、強い雪が降っている。疲労は回復していないが、のろのろと準備をして昼過ぎにHCを出発。雪の中下降を続け、BCにてデポを回収、ソリに載せて更に下降を続ける。だいぶあまった食料が重い。

下りでのソリの扱いは難しい。思わぬ方向に進んだり、次の瞬間には進まなくなったりするソリに、文句を言い、八つ当たりし、叱咤激励しながらC3まで下る。ここまでくれば、明日どんな天候でもランディングポイントまで下れるだろう。

テントを張って一安心したが、同時に寂しくもあった。2週間近く登り続けて、登頂したのは昨日。今日C3まで下り、そして明日にはランディングポイントへ。旅の終わりが急速に近づいたのを感じた。

DAY 14: 6月22日 「旅の終わり」

C3(3,350m)10:10発 〜 LP(ランディングポイント 2,134m)16:50着

朝、非常に冷え込んだ。天気は快晴。絶好の登頂日和なのかもしれない。もしも今日登頂していれば、マッキンリー本来の厳しい寒さと素晴らしい展望が味わえたかもしれない…。そう思う自分に、「初めての高所登山、しかも単独じゃないか、あの天気で良かったんだよ。」と、冷静な自分が言い聞かせていた。

今日の下りは、雪が多く積もっていて、ソリが言うことを聞いてくれて快適だ。素晴らしい快晴の中、静かなフィナーレに向かって氷河を下る。

時折、山間からマッキンリーが見える。カシンリッジはあの山頂にのびている顕著な尾根だろう。きれいなリッジだ。またこの山を目指すことがあるかもしれない。その時はどこを登るだろう。あのリッジは行けるだろうか。行ってみたいな。余裕の発言を繰り返しながら、人の姿のない氷河を歩き続けた。

そして16時50分、ランディングポイントに到着した。レンジャーに下山を報告する。セスナはすぐにやって来た。出発時と同様、慌しく荷物を整えセスナに乗り込む。大きなエンジン音と共にセスナは加速し始め、氷河から離陸した。そして今回の山旅は終わった。

△上に戻る

Copyright (C) 京都雪稜クラブ. All rights reserved.