北海道大雪山?(愛山渓温泉からトムラウシ温泉まで)

2009年 7月 26日 | 北海道, 無雪期縦走

 7年越しの原点回帰である。山を始めたきっかけは、2002年9月上旬に観光で黒岳石室まで歩き、山の紅葉の美しさに心を打たれたことにある。経験を積んでいつか行きたいと思っていた大雪十勝縦走に、ようやく出かけることができた。当初の計画では、愛山渓温泉から4泊5日で十勝岳温泉まで縦走する予定であったが、天気、体調、装備、気分を総合的に考えて、一度、トムラウシ温泉に下山した。このため、トムラウシ山から美瑛岳までの縦走路には足を踏み入れることができなかったが、これはこれで再訪するネタが残されたということでもある。大雪は私にとって特別な山なのか、心に残る余韻の強烈さは、他の山と比べることができない。

  • 7/27(月)愛山渓温泉5:20-滝ノ上分岐6:50-永山岳9:05-北鎮岳分岐11:05-黒岳石室12:30<行動時間:7時間10分>
  • 7/28(火)黒岳石室5:00-北海岳6:15-白雲岳避難小屋8:00?8:15-忠別岳11:00-忠別岳避難小屋分岐12:00-五色岳13:00-ヒサゴ沼避難小屋15:00<行動時間:10時間>
  • 7/29(水)ヒサゴ沼避難小屋5:30-トムラウシ山9:00?9:15-前トム平11:00-トムラウシ短縮コース登山口14:05<行動時間:8時間35分>

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 26日に伊丹空港から新千歳空港へ。山の荷物を一式持って飛行機に乗るのは初めてで、ナイフ、ライター、ガスヘッド、テルモスを手に、手荷物預かり所と検査ゲートの間を行ったり来たり。「ガスヘッドの接続部分にガスが残っていないか?」との質問には仰天した。「ガスヘッドまで現地調達」の危機であったが、なんとか無事にクリアできた。
新千歳空港からはJRとバスに乗って上川駅まで移動。北海道独特の家の佇まいを興味深く眺める。外は雨が降ったり止んだり。7年振りに見る上川駅は、とても綺麗になっていた。駅近くの森本金物店で、予約しておいたガスカートリッジを購入。駅から愛山渓温泉までは宿の送迎車に乗せていただく。宿の人からは、「今年は日照時間が極端に少なく、太陽をほとんど見ていない」ことや「先日のトムラウシ山での遭難事故以来、皆、慎重になっていて、雨が降ると山に登らずに帰っていく」ことを聞いた。夜の気象情報によると、27日と28日は曇り時々雨で、晴れマークが付いているのは29日以降であった。出足の2日が雨がちなので、しょんぼりであったが、後半は期待できそうなので、望みをつなぐ。
 27日は4時前に起床。外に出ると雨。この中を出発する気になれないので、ゆっくり食事をして様子を見る。5時過ぎの気象情報を聞くと、「日中は雨が止むが、夜再び雨が降る」とのこと。山の天気は早いので、夕方遅くまで行動していると、次の雨に降られる可能性が高いと判断し、出発することにする。幸運にも、雨は上がっていた。空は厚い雲に覆われているが、不安になるような暗い空ではなかったので、「1日、曇りが続きますように。」とお祈りする。
 しばらくは、イズミノ沢沿いの登山道を行く。北鎮岳分岐に着くまで誰とも会わなかったので、2人で鈴を盛大に鳴らしながら歩く。沢の水量は多く流れも早かったが、登山道への影響はなかった。雨上がりのしっとりとした樹林帯の中を露に濡れながら歩き、形のよい昇天ノ滝と村雨ノ滝を眺めて滝ノ上分岐へ。
ここから永山岳・安足間岳へは標高差800の登り。本日一番の頑張り所である。とばしてバテテは意味がないので、ゆっくりゆっくり登る。登るにつれて、背後に沼ノ平の台地が広がる。小さい沼が点在するだだっ広い風景は、北海道の山に来たことを実感させてくれた。登山道右手の銀明水は、チングルマとエゾツガザクラに囲まれた清冽な小沢であり、思わず飲みそうになったが、エキノコックス症が怖いので我慢した。銀明水に着く頃には、ガスって視界が悪くなっており、ヒグマがヒョッコリ現れないかとドキドキしていたが、足元のお花畑に、「やっぱり北海道は違う!」と感嘆の声を上げながら歩いていた。
永山岳には9時に到着。視界がよければ、これから歩く左側が切れ落ちた稜線や愛別岳が見えるはずなのだが、見えるのは半径30?40メートルの範囲内のみ。ここからは、白いような赤いような礫地を行く。比布岳から愛別岳に向かう下り口には見落としそうな小さな標識(20cm位の高さ)が立っていた。丸腰で歩くには恐ろしいような稜線と聞いていたが、全く見えなかったので確認はできず。
鋸岳の南斜面をトラバースし、北鎮岳を越えて、分岐に着いたのが11時。左手には幅50メートルはあるかと思われる大きな雪渓が残っていた。ここで、2つの選択肢について相談する。白雲岳避難小屋まで行く3時間半コースか、雲ノ平を経て黒岳石室に行く1時間強コースか。時間はまだ十分あったので、当初の計画通り白雲岳避難小屋まで行くことはでき、Y本さんは行く気であった。しかし、私の心は完全に楽チン1時間強コースに傾いていた。というのも、分岐から中岳方面を眺めても濃い靄の中で、この中をなお3時間半も歩くのがもったいないような気がした上に、やはり原点の黒岳まで足を伸ばしておきたいと思ったからである。翌日も似たり寄ったりの天気である可能性は高かったが、Y本さんは、私の勝手な思い入れに快くつきあって下さった。
 分岐から雲ノ平に向けて下り始めてすぐに、雪渓が現われる。赤いラインが引いてあり、下から20人程の団体さんが登ってくるのを待つ。ガイドさんにこの先の雪渓の状況を尋ねたところ、ルート上ではここだけとのこと。結構長い雪渓で下の方は急であったが、踵がしっかり入る柔らかい雪であり、アイゼンがなくても問題なかった。雪渓を下りた所で、また20人程の団体さんとすれ違う。黒岳と旭岳を日帰りで結ぶメインルートらしい。下りてホッとして周囲を見回すと、右手にお鉢平、左手前方に稜雲岳と黒岳が。少し高度を下げるだけでこれほど視界が違うものかと驚いた。水をそれぞれ2.5リットル担ぎ、満面の笑みで石室に向かう。Y本さんが、以前、黒岳から北海岳を経て縦走したときには、このような御鉢平の景色は見えなかったとのことで、こちらに寄り道したことを喜んでくださった。短い時間であったが、硫黄の強烈な匂いを含む風が御鉢平から吹いていた。
 昼過ぎに石室に到着。層雲峡から日帰りで黒岳に来た札幌在住の女性3人がいるだけで、とても静かであった。愛山渓温泉から登って黒岳石室に来る物好きは滅多にいないらしく、石室の管理人さんに珍しがられた。
宿泊の手続きをしているときに、食料はテントの中ではなく小屋の中に入れるようにと言われる。キタキツネがウロウロしており、テントを破られる被害が出ているとのこと。これから縦走する上では、寄ってくる相手がキタキツネだけではなくヒグマの可能性もあるので食料の管理には十分気をつけるようにとのことであった。
ここで素朴な疑問が湧いてくる。「ヒサゴ沼避難小屋までは要所に小屋があるが、それを超えてから美瑛富士避難小屋までは小屋がない。全力で歩いても、その間を1日で歩き通すことはできないため、どうしても、1泊は小屋のないところで泊まらないといけない。食料を屋外に置いておくのはもっての他だし、中にも置けないとなるとどうすればよいのか?」と。疑問を口にすると、管理人さんは、ご自身の方法を教えてくださった。それは、食料や食器や歯ブラシなど食べ物の匂いが出るもの一式をドライバッグという空気も水も通さない袋に入れ、テントから少し離れたところに置いておくというものである。袋の生地はカヌー本体の生地と同じであり、形状は沢用のスタッフバッグに似ている。クルクルと巻物のように丸めて持ち運びできる代物であった。これがあれば食料の匂いが外に出ず、動物は素通り、万が一、匂いが外に出て動物が寄ってきたとしても、テントとテントの中にいる人間は無事でいられるとのことであった。これまで、ガイドブックやHPの情報から、食料はテントの中に入れておけば安心と思っていたので、あまりの違いに衝撃を受けた(管理人さん曰く「ヒグマに関しては臆病なので、最大限の対策をとっている。」と)。
 このことをY本さんに伝え、トムラウシ山を越えてからのキャンプ地について相談する。相談するとは言っても、ヒグマに襲われるかどうかは可能性の話であり、絶対に大丈夫又は絶対にダメということはないため、要は決断できるかどうかだけの話である。ひとしきり悩んだ後、「イチかバチか命をかけてまで行くことはないなあ」という結論に落ち着き、エスケープルートとして考えていたトムラウシ温泉下山を視野に入れようということになった。相談している最中に、あろうことか、私が持ってきた2万5千分の1の地形図8枚のうち2日目以降に使う6枚全てと昭文社の地図を入れた袋をすっかりそのままなくしてしまったことに気付き、残るはY本さんの昭文社の地図のみという状態であることが判明して、人の少ないトムラウシ山から美瑛岳までのルートを歩くことに大いなる不安を感じたことも、その結論に至る要因となった。2万5千分の1の地形図がなくても、昭文社の地図があればなんとかなるような気もしたが、いつも有るものが無いというのは何となく気持ちが悪かった(下山後、愛山渓温泉に電話したが見当たらず。ザックの横のポケットに入れていたのでどこかで落としたのかも・・・。)。
 その後は、小屋前の椅子に座って、稜雲岳のアヒルのような形の雪渓を眺めながら、管理人さん(その日までの管理人さんと翌日以降の管理人さん2名)と北海道の山の話をする。標高が低く有名でなくても良い山はたくさんあると教えてもらった。仲良くなった頃に、Y本さんが管理人さん所有のドライバッグの借用を申し出たところ、まさかのまさかで了承してくださった。予定通り縦走する可能性は低かったが、ドライバッグがあると思うだけで、とても心強く、Y本さんの「関西のおばちゃんパワー」と管理人さんの親切なお心に感謝した。さらに、もう一人の管理人さんが、8月1日に吹上温泉まで行く用事があるので、十勝岳温泉の宿にいる私達を旭川駅まで送ってあげようと言ってくださった。ヒッチハイクもしていないのに何て親切な方と感謝感謝。17時頃からパラパラと雨が降り始め、夜には本降りとなった。
 28日は3時半に起床。小雨ながらまだ雨が降っている。本日の行程は、元気ならヒサゴ沼避難小屋まで、そうでなければ忠別岳避難小屋まで。雨具を着て5時に出発。寒くはないが、前日の行動時間中よりも条件は悪い。雨に濡れたお花畑を眺め、赤石川を渡渉する。多少増水しても渡れるように、石が固めて置かれていた。にもかかわらず、最後の一歩で滑って尻餅。出発早々、御鉢平の有毒温泉の成分を含む水に浸かってしまう。川から上がる斜面には15mほどの雪渓が残っていた。次の北海沢は雪渓に埋まっていたため、登山道が分断されており、ルートが少しわかりにくかった。
 しばらく行くと、緩やかな尾根に上がり、城壁のようなクジャク岩を左上に仰ぎ見ながら北海岳に向かう。Y本さんがおっしゃっていた通り、確かにこちらのルートからは、御鉢平の全貌を見ることはできなかったので、前日に雲ノ平ルートを歩けたのは収穫であった。白雲分岐の手前には、100?150m程度の長い雪渓をトラバースしていくところがあり、視界が悪いこともあって緊張した。数十メール置きに、ピンクの紐がついた小石が置かれていたが、踏み跡がわかりにくいため、ルート取りには要注意である。
白雲岳からの展望は素晴らしいと聞いているが、登っても、何も見えそうにないので、さっさと分岐を通過し、白雲岳避難小屋には8時に到着。小屋横のキャンプ地にはジャンボテントが数張り張られており、小屋の中にも何人かの宿泊客がいらっしゃるようであった。そのうちの2人は、私達の到着と前後して、旭岳に下山していかれたが、他の人々は停滞中であった。少しの雨と少しの風とはいえ、年期の入った雨具のおかげで(いい加減、買い替えないと・・・。)、服が濡れて体が冷えていたので着替えさせてもらった。管理人さんからは、「今日も明日もあまり天気がよくないので無理はしないように。」とのアドバイスを受け、美味しい和菓子を頂き、暖かいお湯をテルモスに補給してもらった。「ここで泊まっていけば?」という魅力的な言葉に心動かされるが、これ以上天気が悪くなる気配はなかったので、心に鞭打って出発する。
ここから五色岳手前までの約5時間は、ほぼ平坦な吹きさらしの稜線を延々歩くので、分厚い手袋をする。晴れていれば、この高根ヶ原はルンルン気分で歩けたと思うのだが、景色が見えないばかりに、平坦で単調であることが苦行に思われた。先にうっすら見えるケルンを目指して、ヒグマが下から上がってこないことを祈りながらひたすら歩いているのは精神的にくたびれた。というわけで、大雪山の背骨ともいうべき高根ヶ原を撮った写真は1枚もなく、記憶にもあまり残っていない。後半は、登山道がぬかるんで、一部は小沢のようになっており、始めのうちは、ぬかるみを避けて歩く努力をしていたが、次第に、その努力が意味のないことに思われ、堂々と登山道の中心をジャブジャブ歩いていった。
五色岳の手前までくると、前に化雲岳に繋がる稜線が見えてホッとする。葉っぱの露をかぶりながら歩いていたので気付くのが遅くなったのだが、いつの間にやら、雨は止んでいる。ハイマツをかき分けながら急斜面を登り、13時に五色岳に到着。頂上には、クチャンベツ沼ノ原登山口から登ってきたパーティー7人がいらっしゃった。その日の行動中に会ったのは、このパーティーと高根ヶ原の南の方ですれ違った単独行のおじさんだけであった。
ここからヒサゴ沼避難小屋までは、本日の頑張りに対する御褒美であった。靄が切れる一瞬の青空や一面のお花畑は絶品である。エゾカンゾウもたくさん咲いていた。ヒサゴ沼分岐からヒサゴ沼に向けて下り出したときに、雲がサーッと動いて、青空と太陽が顔を出し、沼の全貌が見えたときには、感動した。ふっと天国のようなところだなあと思った。10時間もハイペースで歩いてきたため、相当くたびれており、長い雪渓をゆっくりゆっくり下りていった。Y本さんは驚くほど元気であり、小屋の場所取りをするべく、ダーッと下りていかれた。小屋には前日からの停滞組がたくさんいらっしゃったが、私達2人と後から来る7人のためのスペースを空けてくださったので、とても有り難かった。水は小屋の手前の小沢から取れた。その日は、疲労のために「食べるより寝る」欲求が強く、簡単に食事をしたあと、黒岳石室でもらった(もらってばっかり?)アミノバイバイタルを飲んで、さっさと横になった。
29日は4時前に起床。よく眠れたので疲労は回復した。山の上の方はガスっている気配。Y本さんが、夜、外に出たとき、朧月であったため、あまりよいお天気ではないと思っていたとのこと。今日もスカッとした青空は期待できそうにない。小屋の人々は皆早くに出発し、5時半に出発した私達は遅い方であった。誰一人として、オプタテシケ山縦走コースに足を踏み入れる人はいなかった。私達も、この天気の中を突っ込む勇気がなかったので、トムラウシ温泉にエスケープすることに決めた。沼の横を通り、コルめがけて雪渓を登っていく。岩礫地帯をポンポンと越えて、縦走路に合流した。ここからトムラウシ山までは面白そうな地形で、2万5千分の1の地形図を見て楽しみにしていたのに、肝心の地図がないのが残念であった。
日本庭園では、苔と高山植物に覆われた石が延々と続いており、自然が作り出した景色の美しさに感動した。エゾリスやキタキツネの姿も見かけた。ロックガーデンは岩が積み重なっている急斜面であったが、特に問題はなかった。北沼の縁の一部には雪渓が残っており、その姿は、小さいながらも、南極の今にも崩壊しそうな雪の塊のようであった。2週間程前の大量遭難事故は、この辺りから始まったと聞いていたので、心の中で手を合わせながら歩いていた。衝撃的な事故の舞台となった場所であるとはとても思えないほど北沼は静かで、それが却って、荒れると恐ろしい山の怖さを感じさせた。短い距離の岩場を登ってトムラウシ山の山頂へ。山頂からは大パノラマが見えるはずなのだが、視界はゼロ。行動食を食べながら15分程待ったが、景色は見えず仕舞い。Y本さんにとっては、2回目の登頂であったが、2回とも視界ゼロという残念な結果になった。頂上からは携帯電話が通じるらしく、避難小屋で御一緒した男性4名パーティーが、トムラウシ温泉の宿に宿泊予約の電話をしていらっしゃった。
南沼キャンプ指定地を横目にトムラウシ温泉に向けて下山する。時間が早いので、キャンプ地にテントはなかった。トムラウシ公園まで下りてきて後ろを振り返ると、トムラウシ山のどっしりとした山体とM字型の頂上が見えた。大きな山である。トムラウシ公園ではオブジェのような不思議な形をした岩を眺め、前トム平では右手に走る恐竜の背のような尾根を眺め、ダケカンバに覆われたコマドリ沢に入る。雪渓が残っていたが、特に問題はなかった。3週間程前にここを歩いたY本さんの御友人は、アイゼンを使われたとのこと。コマドリ沢から尾根に上がる数十分が、暑さのために長く感じられた。後は延々と樹林帯を下っていく。登山道はぬかるみがひどく、靴はドロドロになった。時折、どこの山かは不明だが、方角からして東大雪に違いない山々が見えた。
トムラウシ温泉まで1時間半というところで、短縮コース登山口にレンタカーを置いてトムラウシ山に日帰りで登りにきた福島の男性に追い越される。「まだまだ先は長いですよね。」と話しかけると、「今日はトムラウシ温泉に泊まるので、短縮コース登山口から車に乗せてあげるよ。」とおっしゃってくださる。その上、明日は明日で十勝岳に登るべく吹上温泉に移動するので、十勝岳温泉登山口まで同乗してもよいとのこと。何て幸運!拓殖バスとJRと上富良野町営バスを乗り継いで移動する場合、登山口到着が17時を過ぎてしまって、その日は駐車場にテントを張って泊まるしか方法がないのだが、車で送ってもらえるとなると、その日中に上ホロ避難小屋に入れる可能性が出てくるのである。巡り合わせに感謝した。
その日は、国民宿舎東大雪荘に泊まり、洗濯と入浴と食事と睡眠に精を出して、大いにリフレッシュした。他の宿泊客もほとんどが山に登る人々であった。半日しか休んでいないのに、2?3日ゆっくりしたような贅沢な気分を味わえた。北海道新聞には、日照不足による農作物被害についての記事が載っていた。

後半へ続く