京都雪稜クラブ - 若さ溢れるオールラウンドな活動 −京都岳連加入−
メンバー | 秦谷 |
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期日 | 2004年10月10日〜11日 |
山域 | 奥多摩 |
山行形態 | 山岳レース |
文責 | 秦谷 |
3月に猿ヶ馬場山で右肩を脱臼し、一月ほど山に行けない日々が続いた。
病み上がりに近い状態で出た5月の(鳥取県)名和ハーフマラソンでは後半で大いに失速、山を再開して初めて挫折感にさいなまれた。これでは、好きな山にもろくに行けない。ここは自分を奮い立たせるネタが必要だ。
そういえば、トレーニングの参考書として愛読している本に、「疲労の人体実験」と称して、あるレースが著者の体験つきで紹介されていたことを思い出した。
71.5kmの奥多摩の山を、24時間以内に駆け抜ける「日本山岳耐久レース(長谷川恒男カップ。通称ハセツネカップ)」。疲労と眠気との激しい戦いを強いられる、日本でも指折りの苛酷なレースであるという。
特殊な技術は必要なくても、体力と山歩きの経験さえあれば完走の見込みが立つレース。目標とするならこれである。
完走できれば、ちょっとした冬山のラッセルには対応できるだろう。あるいはその先も見えてくるかもしれない。
さて意気込んでエントリーしたものの特に準備に時間を費やしたわけでもなく、練習らしい練習といえば6月に比良全縦、7月には新穂高から鏡平経由で笠ヶ岳を周回日帰りして長距離歩行のシミュレーションを行ったくらい。8月や9月はなるべく山に入ることを心がけ、僕にしてはそこそこ歯ごたえのある沢でゴルジュに身悶えし(特に福澤さんとは本当によく遊んでいただいた)、レースに挑戦できる土台は一応は整えたと踏んだ。
いつもしていることと何ら変わることはない。10月の連休をたいした緊張感もなく迎えた。
レース前日の10月9日、季節はずれの台風22号が関東に大雨をもたらしているという。豪雨で止まっている新幹線にやきもきする。明日関東に向かえるかどうかさえさえ怪しくなってきた。
出発前日に大雨とは、耐久レースに思わぬスパイスがついてきた。無事に現地に立てたとしてもコースの条件は厳しいに違いない。
2年ぶりの「のぞみ」で東京へ。中央線では立川・拝島で乗り換える。次第にそれとわかる面々で席が占められていることに気づく。揃って屈強な顔立ちをしている。みんなハセツネカップに出るのかな。武蔵五日市には11時前に到着。同じく雪稜クラブから参加される上田さんとは京都から実は同じ電車だったのだが、目的地の駅で初めて顔を合わせた。
エントリーが2,000人に迫ったらしく、受付から少し離れた小学校に荷物を置く。成人男性で10,000カロリーを超えるエネルギーを消費する耐久レースはカロリーの補給が鍵になる。食い意地だけは張る秦谷、1週間前からスナック菓子や菓子パンをここぞというばかりに頬張ってエネルギーを充填してきた。スタート前にはおにぎり4個とサンドイッチ1袋、ゼリー1本を食する。しめて約1,400カロリー。これだけ詰め込んでおけば、少なくとも前半はひもじい思いをしなくてもすむだろう。
12:30、開会式。前回・前々回の優勝者の石川弘樹氏は、海外の大会で無理がたたりドクターストップがかかって今回は不参加とのこと。予想ゴールタイムごとにスタートラインが異なっており、僕は20時間を目標としていたが上田さんとともに若干背伸びして16時間のラインに並ぶ。20時間のラインには普段のハイカーがそのままレースに出てきたような軽装を見かけるが、16時間、12時間になると下半身はタイツ、ザックはラリー用ザック(歩きながら水を補給できるラリー専用に設計されたザック)で固めた戦士がごろごろしている。
まあいい。今回他人と競争するつもりは毛頭ない。最後まで無事に走れればそれでいいのだ。
13時スタート。耐久レースを20時間で走るとすれば、暗くなる17時30分から日が昇る6時まで、実に3分の2近くはヘッドランプを点けての走行になる。考えようによっては、前半に力を抑えたとしても、後半は否が応でもブレーキがかかる。ならば、多少がんばっても明るいうちに距離を稼いでおけば、後半の余裕の持ち方も違ってくるに違いない。走れる隙を見つけては適当に緩急をつけて流れに乗ることにする。予備関門(入山峠、600m、7.0km。)では渋滞している間に水を飲んで列に復帰。明るいうちは1時間歩行→3分休憩を繰り返す。
日没とともに天気も次第にぐずついてきた。17時35分、ヘッドランプを点灯する。
折から張り出した霧と眼鏡のレンズに付着した雨粒が光を反射して至極視界が悪い。一方は頭に、一方は懐中電灯を手で持った参加者を大勢見かける。ライトは2個あればラクですよと要項に書かれていたがこういうことだったのか。夜になるとペースが急激に落ちる意味を身をもって理解した。ならば第一関門までに身体を暗闇に慣らすまでだ。ペースが昼間の半分に落ちようとも、この1時間ほどでこつをつかんでしまおう。
第一関門の浅間峠(せんげんとうげ、860m。22.7km)は5時間強で通過する。身体はきわめて快調だ。ヘッドランプを点灯してから中間地点の三頭山(みとうさん、1527m。36.3km)までは、1時間歩行→5分休憩を基本にする。3分で行動食を食して、2分で現在地を確認して体力と食糧の配分を考える。おにぎりや大福はまだ体力のある前半に、胃腸の能力も低下する後半は食べやすいゼリーを用意しておけばよいだろう。9時間以内に三頭山を通過できれば、少しブレーキがかかっても18時間台で走れるかもしれない。自分でも驚くほど冷静だ。
三頭山の手前の西原峠(さいばらとうげ、1158m。32.6km)で休憩のスペースがあったのでありがたく利用させていただく。21時前、まだ8時間だ。ピークまでは標高差360m、水平距離3.7km。1時間あれば何とかなるだろう。ここが前半の核心。高揚する気持ちを抑えて、では行きますか。
ひたすら続く登りにペースはさすがに落ちる。列も混んでいるため思うように進まない。ところどころ休んでいる人を見かける。そういえば、本には三頭山の登りあたりからきつくなり始めたと書いてあったかな。
山頂直下の避難小屋で5分休んで、三頭山には15分後到着。21:40到着、ご褒美に5分再び休んで21:45出発。
スタートから8時間40分で前半を終了した。このペースならおそらく目標の20時間は切れるだろう。今考えねばならないのは、この悪いコンディションのなかで、事故のないように確実に歩くことだ。後から次々と抜かれても、走ってはいけない。まだ自分は暗闇の山道を走れるほどの技量を積んではいない。ましてや雨でぬかるんだ道ならなおさらだ。今回はタイムを競いに来たのではない。今回は完走できればそれでいいのだ。
さて、前半はスタート前の食いだめと勢いでなんとかなった。後半は、ぬかるみの下りと眠気との戦いになる。ここからが勝負である。
三頭山からは急な下り。路面は既にヌタヌタに荒れている。下りで着地点を見つけて足を接地するとズルッと滑ってしまう。普段よりも余計な体力と注意を注がねばならない。こういう状態では登りより下りに時間も気も遣う。少しずつ気力を削がれていくようだ。
第二関門の月夜見山駐車場(1100m。42.1km)で水の給水。23:30。まだ日は変わっていない。
スポーツドリンクを1リットル、水を0.5リットル給水していただく。まさかスポーツドリンクをいただけるとはこのときまで知らず感激する。
ゴールまでは、あと30km。これまで40kmを確かに歩いてきた。行程の3分の2を終えようとしている。このまま大過なく歩けば、最後まで行けるだろうか。
しばらく明るい場所にいたため、暗闇の感覚を取り戻すのに時間がかかる。駐車場からの下りもじゅくじゅくにぬかるんでおり実に歩きにくい。枝をつかんでモンキー下りだ。前方や後ではしりもちをついた走者のうめきが聞こえる。みんな苦労しているんだな。
いったん小河内峠(こごうちとうげ、1030m。43km)まで標高を下げて御前山(ごぜんやま、1406m。46.6km)を目指す。後半で一番きつい登り返しだ。ちょうど日も変わり行動時間は11時間を超えている。1日でこれより長い行動時間を、僕は体験したことがない。
0時を過ぎると、明らかに体感できる変化が現れた。頭と身体が切り離されたような感覚が次第にわき上がる。身体が自分の意志とは関係なく宙に浮いたように動いているようだ。手で木や枝をつかんで、確かに地面を歩いているという信号を脳に意識的に伝えなければならなくなってきた。頭を激しく横に振ってようやく我に帰る。
これが噂に聞いていた「猛烈な眠気」というやつなのか。
御前山の登りは今思えばレースの核心だった。つかまる木や枝もない状態でぬかるみに足を取られ、両手をどろどろの地面につけた状態でひざまずいてしまう。ストックを持った参加者が羨ましくなる。誰にというわけでもなく「なんでやねん」と一人ぼやいてしまう。
なんで、東京くんだりまでわざわざ出てきて高い参加料を払ってまで雨の中真っ暗な泥道を好き好んで歩いているんだろう。よりによってレースの当日にどうしてこんなに条件が悪いんだろう。
考えることすべてがマイナス思考だ。冷静に気力をみなぎらせていた西原峠では考えられないくらい精神的に参っている。
しかし、猛烈な疲労に襲われることは織り込み済み。こういうときに頼りになるのは自分のこれまでとってきた行動だ。決して無理はしていない。現に、60分歩いたあと10分間しっかり休んでいる。(三頭山を過ぎてからは、休憩のたびに5分仮眠して、3分で行動食を流し込み、2分でレースを組み立てるよう心がけた)休憩のたびに栄養補給も欠かさず行っている。走ってもいないし、必要以上に休んでもいない。マイペースにやっているだけだ。眠気に負けそうなときは切り札のゼリーとブドウ糖を食せばカロリー補給はできる。ここが正念場である。
大ダワ(おおだわ、1142m。49.8km)を過ぎてからは疲労の峠を越えたようだ。歩きに徹しているのでペースはなかなか上がらないが、5kmごとに表示される距離標を見て完走への確信を次第に深めていく。
御嶽山(みたけやま、929m。58.0km)の神社で最後の給水。水は2リットル近く余っていたが、精神安定剤として1リットルくんでいただく。「御前山の登りきつかったですよ〜」おばちゃんに自分のたどった道を伝えて幾分心が安らいだ。
第三関門(長尾平、900m。58km)は夜明け前に通過、ここまでくれば焦らずに進むだけだ。
いったん民家・神社の参道を通って60km地点を通過して日の出山(902m。60.5km)。空も白んでヘッドランプがなくても歩けるほどになってきた。残り11km、休憩せず早足で歩けば2時間もしないうちに着くだろう。
最後はきわめて歩きやすいフラットな縦走路だ。
いつのまにか夜が明けている。五日市の町並みが眼下に望める。あそこまで下れば終わりだ。山道が終わって神社の急な下り。最後の舗装道路は足に響く。
下りで何人かに抜かれる。最後の最後まで力を温存しているとは、それにしてもみんなタフである。ここまで来ると順位を意識しないでもないがあくまでマイペースを貫く。
「あと3000mですよ」スタッフに声をかけられる。3000mと聞いて走る気も失せて早足で歩くが、しばらく行ったコーナーを曲がるとそこがゴールのゲートだった。300mの間違いかな? ポーズを秘かに思案していた最中だったため少なからず狼狽しつつ、ここは控えめに満面の笑みを浮かべてゲートをくぐり抜けた。
タイムは18時間05分52秒。目標の20時間を大きく切ることができて少し意外だった。
「お疲れ様でした。」都岳連のおばちゃんのねぎらいの言葉が身にしみる。Tシャツと成績書をいただいて、初めて緊張から解き放たれた。「ありがとうございました」深々と礼をして受け取る。途端に足先に激しい痛みを感じた。柔らかいジョギングのシューズで走っていたため、下りで足の指が圧迫されて中指・人差し指・親指は完全につま先が真っ青に変色していた。やはり靴にはもう少し金をかけてもよかったかな。
カップラーメンを食した後、しばらく受付のベンチで眠りこける。ベンチでは入賞したランナーがくつろいでいる。あっけらかんとした表情でレースの感想を語る若い女性。普段どのようなトレーニングを積めば、そこまで速く走れるのだろう。
上位入賞者は、9時間を切るペースで走りきっていた。71.5kmを9時間というと、僕が前半を終えたばかりの段階。平均でもジョギングのスピードをキープしていなければ達成はおぼつかない。ドロドロの暗闇の山道を駆け続けるとは。世の中には本当に凄い人がいる。
夜間通して走った経験もなく、奥多摩の地図を手にとったのが3日前の水曜日。心がけたことはできるだけ毎週時間を作って山に足を運ぶことだけだったが、僕みたいにいい加減きわまりなくても何とか最後まで歩くことができた。
装備のグレードを上げて訓練を積み上げていけば、もう少し先を見ることができるだろうか。
どこまで夢を見ることができるかわからないが、その先を目指して、少しずつでもいい。着実に実績を重ねていこう。